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● SkyDrive! --- 第八十六話 ●

「――ふっ!」

 隼人は左側に飛んできたシャトルをバックハンドでストレートに打ち返す。ドライブの軌道で飛んできたシャトルは力強く、一瞬でも振り遅れればアウトになるかネットにぶつかるかという状況だったが、隼人は完璧なタイミングでシャトルを打ち抜く。
 高梨がクロスドライブで飛ばしてきたシャトルを真正面に打ち返したことで、コート中央に戻る前にシャトルがコート端に着弾していた。サイドラインと後方のラインの交差点に近い場所にシャトルコックがぶつかった跡がついた。

「ポイント。トゥエンティセブンティーン(20対17)。ゲームポイント!」

 ファーストゲームのゲームポイントに最初に到達したのは隼人だった。思考を常に巡らせているせいで頭の奥が熱を持ち、疲労は積み重なっていったものの、成果は確実に出ていた。本来なら格上である高梨に対して序盤以降は優位に試合を進めて、ついに勝利に向けて先行するところまで手が届く。

(油断するな。まだ相手は底を見せたとは……思わないほうがいい)

 隼人は気持ちを落ち着かせるために、胸に手を置いて深呼吸を何度か続ける。その間に高梨からシャトルが返ってきたが、あえて受け取らずに自分の前に落ちるのを見届けながらもう一回深呼吸をした。動悸が収まり、熱が少しでも体外に出ていくのを感じてからシャトルを拾いあげて羽を整えると、サーブ位置へと向かう。左指でシャトルコックを撮み、軽く回してからサーブ体勢を取り、隼人は一度流れを止める。
 隼人には高梨の構えは自然体に見えた。けして気負うことはなく、隼人のサーブからのシャトルを沈めれば点を取ることができて、自分のサーブ権となる。先に20点目を取られたからといって慌てるような時間ではないということを分かっているのは、自分より一年多い経験値の中でもっとギリギリの状況に遭遇していたのかもしれない。

(ここで俺が少しでも気を緩めれば、3点差なんてないようなもんだ……高梨さんは本気で三点差を跳ね返して延長にもつれ込ませるつもりだろう……そうなると、俺は逆転負けする可能性は高い)

 頭の中で整理を終えると、隼人はスイッチを切り替えるように息を鋭く吐いてからシャトルを打ち上げていた。綺麗な弧を描くロングサーブ。シャトルの落下点に向かう高梨。これまでのラリーとそこまで変わらない景色が隼人の視界に広がっていたが、脳裏に走る違和感にラケットを伸ばそうとする手が止まった。

「はあっ!」

 高梨が裂ぱくの気合いと共に放ったのはスマッシュ、ではなくストレートのカットドロップだった。通常のドロップよりも鋭く速く落ちていくために勢いと軌道が異なる。
 これまでに打たれたことがないショットの軌道。しかし、隼人は体の硬直を最小限にして前に踏み出していた。

(――ここ!)

 ラケットの先に触れさせたシャトルは白帯を越えていく。高梨は自分でかけたフェイントによって少しだけ次の動きを鈍らせて、シャトルの傍に向かうのが遅れていた。
 それでも高梨は移動中に帳尻を合わせて、シャトルに追いつかせるとロブを上げて体勢を立て直す時間を取る。隼人はシャトルを追っていって真下につくも、迷わずストレートのハイクリアを高く打って飛距離と時間を稼いだ。
 コート中央に戻って腰を落としてから高梨の動きをじっくりと視界に捉える。

(ファーストゲームは結局、同じだ。少しでもピンチになればロブを上げて体勢を立て直す。厳しいところでのせめぎ合いは仕掛けてこない……そうなると、やっぱりヘアピンが苦手ってことか?)

 隼人が思考を巡らせる間に、高梨はラケットを振りかぶってハイクリアを高く遠くに放っていた。隼人と同様に、相手をコート奥へと強制的に移動させるショット。時間を稼いで体勢を立て直すには理想的な軌道をシャトルは描く。ストレートのハイクリアでのシャトルは綺麗にシングルスライン上へと落ちていくように隼人には見えたため、手を出さざるを得ない。

(でも……試してみるか)

 隼人は落下点でラケットを振りかぶったが、構えを急に解いた。

「なっ!?」

 視界の外から真比呂の声が聞こえたが気にしない。隼人はしっかりとシャトルが落ちていく軌道を眺めて、コートに落ちる寸前に下から斜め上にシャトルを打った。

「はっ!」

 体勢が伴わないショットは読まれやすい軌道となってしまうため。既に前に詰めていた高梨はラケットを楽に差し出してプッシュを打ち込んでいた。これで18対20と二点差となって、仲間たちからの落胆の声が届く。

「こら隼人! ちゃんと打てよ!」

 真比呂の声に振り向いて頷くだけで隼人は何も語らない。シャトルは高梨が取るには遠く、隼人の傍まで転がっている。ラケットで拾い上げて羽を整えてから高梨へと打って渡すとそのままレシーブ位置に入った。

「よーし、高梨! ここから逆転だ!」
『一本!!』

 相手チームからの声援が高梨の背中を押す。心地よい気迫がネットを越えて伝わってきて、隼人は身震いしていた。勢いに任せるようでいて、技術もちゃんと持っていることはダブルスでの対戦や今回のシングルスでも隼人には十分に理解できている。頭の中へと見て、感じた情報が蓄積されていき、高梨という人物のバドミントン像が見えてくる。
 像が実を結ぶには、あと一歩分、踏み込む必要がある。

「一本だ!」

 気合いを入れた高梨が渾身の力を込めてロングサーブを放つ。シャトルは綺麗な軌道を描いてコート奥まで飛んでいったが、隼人は難なく追いついてストレートにハイクリアを打ち返す。再びコート中央に戻って腰を落とし、高梨がどう打つかを見極めるとラケットがシャトルを捉えるほんの一瞬だけ早く後方へとステップを踏む。
 予想は当たって、隼人はストレートのハイクリアがコートを切り裂いていくのを追っていき、落下点に入る。しかし、隼人は一つ前のラリーと同様に構えを解いてシャトルの左側に移動した。

(――――)

 シャトルが頭や胴体の高さを過ぎていき、コートへと落ちる寸前に逆サイドのネット前に落とすようクロスで打ち抜く。シャトルは隼人の狙ったところに飛んだが、高梨も一つ前のラリーと同様にある程度どこに打たれるか予測していたのか、シャトルがネットに届く前にはすでにラケットを差し出していた。未来が決まっていたかのようにラケット面に吸い込まれたシャトルは、軽い音を立てて跳ね返り、隼人のコートに落ちていた。

「ポイント。ナインティーントゥエンティ(19対20)」

 隼人の行動に訝しむ栄水第一の面々と異なり、南星高校は歓喜に湧きたっている。コートの高梨に向けて大声で激励を行い、同点に追いつくことを望む。怒声にも近い声に隼人は体が振動で震えたような気がした。

(……思い出せ。一つ前、二つ前を)

 隼人は外の声をスルーして過去の記憶を呼び起こす。何年も昔というわけではなく、つい数分前のことだ。一つ前、二つ前に決着したラリーの映像を脳裏に呼び起こす。展開を小さく呟いて、脳内映像を音声で補完する。口に出し、聴覚を刺激して、イメージを膨らませると一つの結論に到達する。
 それは、自分が望んだものと同じ。

「よし、ここで決める」

 誰にも聞こえないような声で呟いた隼人はレシーブ位置に移動してラケットを掲げる。斜め向かいにいる高梨はこれまでの隼人の行動に対して外野よりは警戒しているのか、栄水第一の面々と同様に訝し気な視線を向けてきていた。一つ大きな息を吐いてからシャトルを受け取るとサーブ体勢を作り、同点に追いつこうと決意を固めたようだった。
 隼人も軽く息を吐いてやるべきことを確認する。ショートサーブだろうとロングサーブだろうとやることは一つ。必要なのはどこに打ち上げるか。できる限り『同じ軌道』にして『同じ飛距離』とすること。

「一本!」

 気合いの咆哮と共に高梨はロングサーブを目一杯打ち上げる。天井サーブは綺麗な弧を描き、隼人に対して急角度で落下してきた。打ちづらいシャトルでもコントロールをしっかりとして、左右前後の二次元的な面と高さという三次元の面を網羅するように。

「はっ!」

 スマッシュを打つ気合いを込めて、シャトルをハイクリアで打ち返した。
 高梨はコート中央からシャトルを追っていき、落下点にスムーズに入る。腰を落とす位置はこれまでと同様。高梨がしっかりと自分の方向を見たのを確認して、ほんの少しだけ右側に体重をかける。高梨はスマッシュではなく、ストレートのハイクリアを飛ばしていた。

(――よし!)

 隼人はシャトルを追いかけてコート奥へと移動する。追いついたところは過去二回と同じ場所。ラケットを掲げて、今にも打ちそうな気配を見せてから、構えを解く。
 過去と同様の動きに真比呂の怒号と、南星高校の面々の「ラッキー」という声が同時に聞こえてきたが、隼人は自信を持ってもう一歩後ろに下がっていた。
 線審にも正確に軌道が見えるように。
 シャトルが床へと落ちてから傍にいた線審は、両腕を広げて大きな声で言った。

「アウト!」

 主審は線審の言葉に従って、一つ頷いてからはっきりと声に出して告げる。


「ポイント。トゥエンティワンナインティーン(21対19)。チェンジエンド」

 その言葉が響いた時、南星も栄水第一も、声を失っていた。いずれも信じられないという顔をしているのを隼人は一瞥していき、最後にネットの向こうの高梨を見る。相手の表情は苦い顔をして何度か頷いていた。隼人の狙っていたことを理解し、コートを出るために外へ歩き出す。
 隼人は高梨を見送ってから小さくガッツポーズをして、シャトルを拾いあげてからコートの外に出た。自分のラケットバッグと共にコートを移動するところで真比呂たちが声をかけてきた。

「よっしゃ! ラッキーだったな隼人。三度目の正直か!」
「んー。まあな」

 真比呂の言葉に歯切れが悪い隼人の態度に、理貴が何かに気付いたように瞼を少しだけ開く。その様子に気付いた真比呂がどうしたんだと二人に交互に問いかけて視線を向けたが、隼人は言おうか言わないかを迷っていた。だが、真比呂に後で気づかれて騒がれるよりはマシだと体を寄せて言った。

「いいか。まだ試合中だし、使えるかもしれないから大声で言うなよ?」

 隼人からの真剣な言葉に真比呂は無言で頷く。隼人は体を放してからラケットバッグを背負いなおして間を取り、咳払いをしてから最後の場面について説明を始めた。

「もともと17対20の時のハイクリアは、アウトだったんだよ」
「……そうなのか?」
「ああ。わざとネット前に打ってヘアピンが不得意かどうかを確かめるつもりだったんだ」

 一度言葉を区切って真比呂の中に自分の言葉が浸透するのを待つ。納得が言ったように感じたところで更に言葉を続ける。

「でもな。落下点に入ったところで、シャトルがアウトじゃないかって思ったんだよ。だからしっかりと見て、やはりアウトっていうのを確認して、クロスに打ち返した」

 18点目を取る時、高梨はプッシュでシャトルを叩きつけた。ヘアピンを打たせる目論見は果たせなかったが、隼人がライン際のシャトルを打ち返したことでアウトになっていることに気付いていない可能性が出てきた。19点目の時も同じような展開によって得点を奪わせた代わりに、隼人は一つ前、二つ前のラリーをしっかりと思い出した。
 二回とも、わずかにラインを越えていたことを脳内の映像で確認して結論付けた。

「18点目、19点目を俺が打ち返したことで、アウトになってると気付いてない可能性が高かったから、俺は同じ軌道、同じ飛距離になるようにシャトルを打った。高梨さんはきついところに打ち返すとストレートにハイクリアを打つ傾向が高かったから、同じように、同じ力でハイクリアを打った。それで同じように飛んできたから、最後に俺は見逃したのさ」
「……なるほどなぁ」
「ずいぶんリスク高いことしてるな」

 感心する面々の中で礼緒だけは不安そうな表情で隼人に尋ねてくる。相手が思い通りに動く保証はやはりなく、今回も運が良かっただけかもしれない。もし同点に追いつかれていたら逆転され、ファーストゲームを落とした可能性もある。
 それでも隼人は笑って言った。

「お前と同じだよ、小峰。俺も、こういう展開で勝利を拾う必要があるんだよ。今後のために」

 それだけ言うと隼人は仲間から離れて反対側のエンドの傍にラケットバッグを置き、コートへと入った。
 すでにシャトルは自分で持っており、サーブ位置につくと軽くラケットで跳ね上げる。一つ一つ打ち上げる度に緊張に高鳴る心臓が落ち着いていくように思える。

(相手が強くても……俺が弱くても……何とか勝たないといけない。それがエースってことなら……受け入れる。自分の弱さを)

 エースにふさわしい強さというのを持っていないから、自分はエースを張ることはできない。そう思っていた。ならばエースにふさわしい強さを身に着けなければいけないと考えても簡単に自分の力は上がらない。礼緒のような強さを今から身に着けるというのは体格も違う自分には遠い。
 強くなれないならエースにはなれないと思っても、仲間たちは自分がエースだと告げてくる。自分と他人の評価の矛盾の中で隼人は一つの答えを出していた。

(なら……やっぱりエースになるしかないよな。エースは負けるわけにはいかない。そうすると、弱いなりに勝つ必要がある)

 強者同士でも相手が自分より強いからといって負ける選択肢はない。弱いなりに自分が勝てるところを探して、勝利を掴む。自分はそれが最初の時点で顕著に表れるだけだ。

(俺が強い相手に勝つには。俺がどこまで弱いのか理解すること。そして、相手がどう強いのか理解すること)

 必要な情報を手に入れて、何とかファーストゲームはものにした。更に勝つために必要な情報をまずは自分から取得する。できるだけ冷静に自分の状態を確かめる。

(体力は……かなり消耗してる。どうしても情報集めと、勝つためには集中力を持続させる必要があったからな。一試合持たないほどじゃないが、体力配分考えると……)

 多少なりとも感じる気怠さも含めて自分が今後取る基本戦略を決める。あくまで基本で、相手の出方によって変更を余儀なくされるだろう。その時に必要なのは自分の初期の計画を無理やり押し通すことではなく、臨機応変な対応だ。

「セカンドゲーム始めます」

 審判の言葉に隼人はシャトルを左手で取って高梨に向き合う。高梨は、表面上は落ち着いており、軽くその場で跳ねて余計な力が入らないようにしている。

(あっちにとって、俺にファーストゲーム取られたのは屈辱とか思ってもらえたら……余計な焦りとか出てよかったんだろうけど)

 高梨の様子はそうした格下への侮りは感じられない。第一ダブルスでぶつかっていることで、侮る気持ちは少ないのかもしれない。ストレートで負けたとはいえ、賢斗のためにと粘った分、警戒させたのだろう。

「しょうがない、か」
「セカンドゲーム、ラブオールプレイ!」
『お願いします!』

 隼人の小さな呟きが審判の声が重なって消える。すぐに互いに挨拶をしてから隼人はサーブ体勢を。高梨はレシーブ体勢を取って向かい合う。

 セカンドゲーム、開始。
 団体戦決着まで着々と近づいていた。
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