●● SkyDrive! --- 第八十四話 ●●
礼緒のスマッシュがコートの奥へと放たれる。小川は移動距離を長くして更に飛んでシャトルとの距離をリセットし、打ち返す。だがバックハンドだったために弾き返した際の威力は弱く飛距離は伸びない。礼緒はネット前でラケットを掲げて、やってきたシャトルを叩き落していた。
「ポイント。エイティーンシックスティーン(18対16)」
審判の言葉に礼緒は無言でラケットを振り上げる。顔を流れ落ちる汗を右手で拭ってからハーフパンツに擦り付け、自分へと投げられたシャトルを手に取り、サーブ位置に向かう。そこまでの一連の流れはここ数回のラリーで続いていた。
(俺と小川。互いにプリセットルーティーンに入ってるってところだな)
小川と礼緒。二人とも自分の良い状態をキープできている。
それは試合の中で同じ動作を繰り返すプリセットルーティーンを続けていることで、集中力が高い状態を維持していることに起因していた。
シャトルを決めた側はシャトルを受け取るタイミングや汗をぬぐうタイミングを。
決められた側はシャトルを拾ってから打ち返すタイミングや軌道を一定にすることで、自分の理想的な状態を保っている。
互いに協力しなければ保てない状態を、試合前に険悪な雰囲気になっていた二人で再現している状況に礼緒は嬉しさが込み上げてきた。
「さあ、一本!」
勢いよく吼えてシャトルを打ち上げると見せかけ、ショートサーブを繰り出す。礼緒の発する勢いに従って後方に下がった小川は、バックステップを強引にキャンセルして前に出る。既に落下に入っていたシャトルを下からしっかりと打ち上げることで時間を作り出し、コート中央に構えて礼緒の次の手を待ち構える。
礼緒は落下点からクロスのハイクリアで小川を左奥へと移動させた。小川は飛ぶように移動し、今度はフォアハンド側に回り込むとスマッシュをストレートに放ってすぐに中央へと戻る。礼緒は再びストレートのロブを上げて左奥へと動かす。何度か同じラリーを続けた後で、小川のほうが先に流れを変えた。
「だあっ!」
ハイクリアに逃げるのではなく、スマッシュのコースを逆サイドに変えてきた。サウスポーである礼緒には体勢的に楽に取れるが、ネット前に落とそうとして反射的にストレートにロブを上げていた。咄嗟に視線をネットの奥へと移すと、斜めにコートを突っ切ってくる小川の姿。すぐにシャトルを追って反転して得意な体勢へと作ることができたことにより、素早い腕の振りからスマッシュが礼緒の左肩口へと飛び込んできた。
「ふっ!」
礼緒はラケットを掲げて前に押し出すことで跳ね返す。コート中央へと落ちるようにシャトルをコントロールして、小川はクロスヘアピンを放ってきた。礼緒はバックハンドでラケットを届かせ、ヘアピンを打ったものの白帯に跳ね返されていた。
「ポイント。セブンティーンエイティーン(17対18)」
小川のショットが引き出した礼緒のミス。だが、小川は左手で拳を作って掲げるだけにとどめていた。礼緒は息を吐いてからシャトルを拾い、羽を整えてから打ち返そうとする。しかし、羽を支える部分が折れて羽自体がシャトルから離れて落ちてしまった。
「審判」
礼緒は審判にシャトルを放り、現状を理解した審判は代わりの真新しいシャトルを小川へと渡す。小川は新しいシャトルを左手に持って眺めていたが、一度だけ礼緒へと鋭く視線を送ってからサーブ位置に戻った。
(ルーティンが崩れた、か)
先ほどまでお互いのタイミングを考慮したルーティンが繰り広げられていたが、シャトルの崩壊という第三の要因によってパターンは崩れた。いつものタイミングで返ってくるはずのシャトルが、礼緒の申告によって礼緒とは別のところから返ってくる。普段ならば特に気にすることはないが、今の小川にとっては気持ち悪かったに違いない。新しいシャトルということも、今はマイナス要因かもしれない。
(不可抗力……いや、直前の小川のショットも関係あるか)
消耗品であるシャトルが壊れることも計算に入れる必要があるならば、今の自分たちはそれを考慮しない形で試合を組み立てていたわけで、ここで立ち直れないのは自分たちの考え不足に他ならない。だからこそ、礼緒は過去を一度すっぱりと忘れてラケットを掲げて仕切りなおす。改めてルーティーンを作り上げれば普段通りの動きが可能だろうと。
「ストップ!」
「一本!」
シャトルを打ち上げる小川の声も普段よりは力がない。礼緒は軽やかに両足で飛んでシャトルを追い、着地と同時に斜め上へと飛び上がった。
「はぁあああ!」
自分の中にある力をほぼ集めた跳躍と、左腕の振り。全身の力を結集したスマッシュは小川のコートへとシャトルを一瞬で叩き込んでいた。激しい音と共に跳ね上がったシャトルは転がっていくと共に威力を落とし、コートの中央あたりから後方のライン近くまで転がって行った。
「ぽ、ポイント……ナインティーンセブンティーン(19対17)」
「しっ!」
小川とは対照的にシャトルが決まった時には声を上げる。礼緒にはもう、小川のことがかなり「視えて」いた。顔は赤く染まり、息は荒くなっている。
礼緒の挑発めいた気合いに対しても反応をすることなくレシーブ位置へと戻っていく。
試合に入る前やセカンドゲームの序盤あたりの小川とは別人になっていた。
(シャトルを打つこと。打つために移動すること以外に割く余裕がなくなってきているってことだな)
礼緒は小川が構えると同時にシャトルをショートで前へと運んでいる。気合いの乗った踏み込みからロブではなくヘアピンを打ってきた小川に対して、礼緒はしっかりとロブを上げて後ろへと走らせる。ほんの一瞬、小川の足がよろけるのを礼緒は見逃さない。
「だあっ!」
追いついた小川はストレートにスマッシュを打ってくる。威力がなかなか減らないのは鍛えられた上半身の効果だろう。
(あと二点……勝てる道筋は……見えた!)
シャトルを手に取りラケットを掲げ、サーブ体勢を取る礼緒。自分も疲れていないわけではなかったが、しっかりと背筋を伸ばして体をより大きく見せるようにすると、心なしか小川からの視線が弱くなる。
それは錯覚だと割り切る。自分の弱い心が作り出す「こうだったらいい」という幻影。それでも、こういう場面で自分の大きな体は役に立つのだと思う。
サーブを打つという体勢を、疲労がたまっていても保つことができる筋肉による支えから生まれるサーブ。それは、終盤に来てもなお見ている人々全員に美しさを感じさせるものだった。
「一本!」
下から上へと思い切りラケットを振り切る――残像を見える。シャトルは途中で完全に止められたラケットから放たれていた。
「ぅおおおお!」
二回連続という奇襲に完全に油断した小川は吼えつつ前に出る。ラケットを持つ手を思い切り伸ばし、シャトルをラケットの先に当てることに成功すると、白帯よりも高く打ち上げられたところからすぐに礼緒のコートへと落ちようとする。
打った当人も決まったと思える絶妙のヘアピン。だが、それは横から水平にスライドされたラケットによって弾かれて、小川のコートへと叩き落されていた。
「ポイント! トゥエンティセブンティーン(20対17)。マッチポイント!」
ほぼ互角の戦いを繰り広げた上でのマッチポイント。それはファーストゲームと同じだったが、礼緒の中では全く違っていた。ファーストゲームはいわば恐ろしさに逃げていたようなもの。セカンドゲームは、小川の攻撃を真正面から受け止めると共に、自分の内側からの恐怖に向き合った末でのマッチポイント。
礼緒はこれまでとは別の感慨が浮かんできて体を震わせた。
「絶対に、ここストップだぞ!」
「礼緒! ここで決めちまえ!」
小川と礼緒へと同じように声援がかかる。正反対のことを言っているが、つまりはここで得点を取れということ。礼緒にとっては試合が終わるという意味で、団体戦の勝敗を二勝二敗に戻したということ。南星高校側も、礼緒がたどってきた勝利への道は薄氷を踏むようなもので、このタイミングで得点を奪い、サーブ権を取ればまだチャンスがあるはず。
(これで点を取れなければ……負けると思った方がいい)
いくつかの状況が礼緒に有利だと告げている。ここでもし一点を取られてもまだ二点の差はあり、同点になっても延長戦がある。
それでも、礼緒はここが最後の勝負だと覚悟する。
心拍数が上がり、肩に力が入る。深呼吸で緊張を体外へと輩出し、できる限り相手とコートを見るようにした。
「ラスト、一本!」
覚悟を後押しする最後の言葉。サーブ体勢を取った礼緒は自分から「最後」と強調して強い視線を小川へと向けた。
小川も礼緒がこれから始まるラリーで21点目を取る気だと気付いたのか、タイムをとって審判に顔を拭かせてもらうように頼むと、コートの外へと出ていく。ラケットバックからタオルを取り出して顔を拭く動作が心なしか遅い。それは礼緒の感覚を少しでも鈍らせて、サーブをミスさせることが目的だろう。
(さっき考えたこと。訂正か。まだまだ小川は死んでない)
終盤に来ても、小川は礼緒のことをちゃんと見ている。そのうえでこのセカンドゲームを取るために思考はフル回転しているはずだ。
シャトルを打つことで精いっぱいだと思っていたほんの少し前の自分を礼緒は脳裏から消す。
(小川……俺はお前にここで、勝つ)
まだ小川がコートの外にいる間に、礼緒はサーブ体勢を整えていた。小川の方は見ておらず、まっすぐに相手コートへ視線を向ける。視線が向かう先には、本来ならばレシーブ体勢を整えている小川の姿がある。無言の圧力に促されるようにして、小川も速足でコートに戻ると対角線上に身構えた。
「さあ、ストップ!」
『ストップー!』
顧問も含めて全員が小川に向けて声援を送る。礼緒には当然、栄水第一の面々が声で背中を押し出してくる。礼緒は一度深呼吸した後で、吼えた。
「ラスト一本!」
同じ言葉を改めて叫び、ラケットを振りかぶる。シャトルを中空に投げだして、ラケットを振り切ってロングサーブを打ち上げる。
そんな幻影を残すようにして、礼緒はラケットヘッドがシャトルに触れた瞬間に力を込めて止めていた。完全に押し出されただけのシャトルは空気でできた透明な管の中を通るように、綺麗な曲線を描いて白帯を越えて前衛のライン上へと落ちていった
三回連続の奇襲。どれも同じような勢いと腕の振り。だが、小川は三回とも引っかかっていた。一度目と二度目は油断から。
そして三度目は、三回繰り返すとは思っていなかったという思考の隙。
「こ……のぉおお!」
小川は前に出てラケットをシャトルへと届かせた。執念を乗せたシャトルは白帯にぶつかって礼緒のコートへと入る。すぐに落ちようとしていたシャトルを下から上へとラケットをスライスさせて、礼緒はプッシュで小川の顔面を掠らせてコートへと落としていた。
「ポイント。トゥエンティワンセブンティーン(21対17)。ゲームカウント2−0。マッチウォンバイ小峰。栄水第一」
『おっしゃぁあああ!』
審判の声と同時に響く真比呂の叫びと、重なる純や賢斗、理貴の声。
そこに隼人の声がないことに、礼緒はその意味を悟る。
(そうか……俺は、繋げられたんだな)
礼緒は早足で前に出るとネットの上から小川へと左手を差し出す。小川は下から鋭く礼緒を睨み付けながらも左手を取って握手を交わした。その掌を強く握ることで最後の抵抗を示すように。
「次は……絶対に、勝つ」
「……次も、俺が勝つ」
「――!」
悔しげに顔を歪ませる小川の気配を感じつつ、礼緒は視線をそらして前に進む。一つ山を越えても足りない精神的な強さを身に着けるために、自分にまた一つ枷をはめる。
(一度勝った相手には、絶対に負けない。それくらいしないと、な)
礼緒はコートから出ると仲間たちの祝福の拍手に包まれる。ひとりひとりに手を掲げてハイタッチを交わし、最後に真比呂と思い切り掌を打ち合わせる。
「助かったよ、井波」
「俺、何かしたか?」
「ああ。お前の応援で吹っ切れたよ」
詳しくは言うつもりはない。真比呂にとっては当たり前のことを言ったため、印象はそこまで残っていないはず。逆に礼緒にとっては大事なことだった。
「さあ、俺のことはここまで。後は、高羽だろ?」
「ああ。あいつがこれで勝てば、優勝だ」
2対2のイーブンで持ち込んだ第三シングルス。さっきまで真比呂が試合をしていたコートに、今度は隼人が既に試合を開始していた。礼緒の試合の終盤の流れを見て開始されたのか、まだ始まったばかりで、相手のスマッシュが隼人のバックハンド側に綺麗に決まったところだった。
「ポイント。ワンラブ(1対0)」
隼人の相手は第一ダブルスにも出場していた高梨だった。ダブルスの第一シードの片割れ。男子のダブルスは実力が近いもの同士で組むことが多いため、ダブルスの第一シードともなれば自然とシングルスも強い部類に入る。第一ダブルスから十分に休息できたということなのか、高梨のスマッシュは勢いよく隼人のコートを襲う。それらを隼人は必死に動き回ってロブを打ち上げていた。ロブを打ち上げればスマッシュを打たれるのは道理であり、自分でピンチを作り出すことになる。それでも愚直に隼人は打ち返すだけ。
その動きが少し変わったのは六回スマッシュを受け切った時だった。七回目のスマッシュがバックサイド側に叩き込まれると、隼人はほんの少しだけラケットでシャトルに触れるタイミングを早くし、逆サイドに打ち返す。上から下に落ちてくるシャトルを打ち返すため自然と斜め上の軌道になったが、スマッシュの勢いを殺さない隼人のドライブに打ち辛そうにしてネット前に落とす。
「ふっ!」
シャトルを追いかけた隼人はネット前でストレートにヘアピンを打つ。高梨もその軌道は予測していたのか停滞なく前に出て、隼人の目の前でクロスヘアピンを打ってシャトルを遠ざける。軌道は分かっていたのかラケットを差し出してプッシュしようとするが、ネットとの幅がないために諦めてヘアピンで落とす。高梨がロブを打ち上げたのを追って、隼人は後方へと移動した。
ここまでで一度ラリーはリセットされる。また新しいラリーが始まるのを見ながら、礼緒は考えていた。
(やっぱり、高羽の方に余裕がないな……どうする……)
礼緒は内心の不安を表に出さずに、隼人の試合を見守っていた。
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