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● SkyDrive! --- 第八十三話 ●

「おあっ!」

 小川が強引にラケットを伸ばしてシャトルに届かせて打ったシャトルは、シングルスライン際に着弾する。礼緒は相手のストレートドライブをクロスに打った瞬間を狙われた形になり、次のシャトルに追いつくのが遅れしまう。それでもラインズマンは「アウト」と横に腕を広げて表現し、ファーストゲームの終わりを審判に知らせた。

「ポイント。トゥエンティワンエイティーン(21対18)。チェンジエンド」

 礼緒は隠さずにため息を大きく吐いてからコートの外に出た。南星高校の面々の鋭い視線に見送られて歩いていくと、ポールの傍にいる審判の背後で小川とすれ違う。

「ここからだぜ、小峰。てめぇみたいな心が弱いやつになんて、負けねぇよ」

 小川の言葉に立ち止まり、通り過ぎていく小川を視線で追っていく。小川自身は顔を全くあわせなかったが、礼緒が聞いていると確信しているのか言葉は紡いでいく。

「諦めない心が、奇跡を起こすんだよ」

 小川は南星高校の面々に迎えられて激励を浴びた。
 声の大きさや騒々しさだけなら栄水第一を軽く超えるだろう、仲間たちのそうした声援を力に変えるように、小川は笑ってひとりひとりと手を打ち合わせていく。対して礼緒はその場に座る六人に視線を向ける。
 その六人の中で、まずは真比呂が礼緒へと口を開いた。

「礼緒。プレッシャーに負けんなよ」
「井波は優しくないよな、やっぱり」
「当たり前だ。スポーツはストレスとの戦いだろ」
「よかった。負けてすまんとか言われたらどうしようかと思ったぞ」

 手足が気になる程度に痺れ、足は重い。正に自分が緊張している時の症状だった。
 真比呂の敗北から、礼緒と小川の戦況は一気に硬直状態になった。運よく最後に連続して得点できたことでファーストゲームを取ることができたが、セカンドゲームはどうなるか分からない。

「ファーストゲーム取れてるし。次のゲームはもう少し気楽にやればいいんじゃ――」
「いや。セカンドゲームで決着をつけてきてくれ、小峰」

 正反対のことを言ったのは純と隼人だった。困惑する純をしり目に、隼人は続けてしっかりと告げる。

「ここでセカンドゲームを取れないようだったら、俺たちはこれから勝っていけない。少なくとも実力は小川よりも小峰のほうが上だ。プレッシャーを克服するのが目的なら、ここで達成しろ」
「……それで、大丈夫?」

 礼緒に尋ねたのは隼人ではなく賢斗だった。理貴は何も言わずに礼緒を見ているだけ。言いたいことはもう隼人が言ってしまったということなのだろう。
 礼緒は深呼吸をしてから一字一句聞こえるように言った。

「分かった。二ゲーム目で、決めてくる。最高の形でバトンを繋ぐよ、高羽」
「っし!」

 隼人は礼緒の言葉に立ち上がると右手を掲げる。礼緒も左手をぶつけるように掌を合わせてから吼えた。

「あぁあああ! しゃあ! 勝つ!」

 仲間に背中を押されるようにコートへと入るとさっきまで感じていた緊張が薄らいだ気がしていた。
 セカンドゲームは仲間たちに背中を押されながらの試合。ファーストゲームで相手チーム側のエンドを取ったことが功を奏している。内外からのプレッシャーに何とか打ち勝って得た一勝は、セカンドゲームで生きてくる。小川もそれが分かっているのか、礼緒へと向ける視線には緊張感が混ざっていた。本来ならそれは礼緒を縛るはずだったものだったのに、小川の方が縛られかけている。

(このままいけば……いいんだけど)

 負けられないというプレッシャーに、今のところ少し体が重たい程度。しかし、中学時代にのしかかった『期待外れ』という周りからの視線は簡単に拭えるとは思えない。いくら高校では期待外れの状態からスタートするとはいえ、勝てばまた注目されるのだから。

「セカンドゲーム、ラブオールプレイ!」
『お願いします!』

 互いに叫ぶように言ってから体勢を整える。シャトルを思い切り中空に浮かせて、ラケットを下からすくい上げるようにして礼緒はシャトルを打ち上げていた。特大のロングサーブは傍から見ればコントロールを失いそうに見える。しかし、力の加減がちょうどよかったのか、シャトルは小川のコートの後ろラインぎりぎりに落ちていく。

「はあっ!」

 小川は飛び上がったと同時にスマッシュを放っていた。ストレートの最短距離でコートに沈める軌道。狙いはよく、礼緒はラケットを出してネット前に打ち返すのが精いっぱいだった。けして油断していたわけではないが、礼緒の思考の間隙を突くような一撃は小川の強さを改めて礼緒へと刻み込む。
 ネット前に飛んでいったシャトルにも小川は素早く反応し、ラケットを前へと押し出してプッシュを打った。まっすぐに落とされたシャトルは礼緒の真正面へと向かうように放たれたため、窮屈な姿勢になりつつバックハンドで打ち返す。それも勢いをつけて高くとはいかず、結果的に小川はジャンプして返ってきたシャトルを打ち返していた。

「らっ!」

 二度も三度も運は続かずに、今度こそシャトルはコートへと落ちて、小川は咆哮を上げていた。

「しゃあぁああ!」
「ナイスショット! 小川!」
「その調子でいけー!」

 南星高校のベンチから次々と湧き上がる歓声。しかし礼緒はそれ以上に横からうるさくしてくる仲間たちの方へと視線を向けた。試合に負けたばかりの真比呂は、悔しさをにじませつつも礼緒の応援に一番熱心に向かっていた。口元に掌でラッパを作り「ドンマイ!」と言葉を繰り返している様子に、礼緒も気が少しだけ休まる。落ちたシャトルを拾って羽を整えてから渡すと小川はここぞとばかりに睨み付けてきた。

(プレッシャーをかけてるつもり、なんだろうな)

 どこかで見たことがあると考えた礼緒は、中学時代にも似たように煽られたことがあった。
 ゲーム開始に一点を取られるスタート。相手の『勝つ』という気迫に押されている自分がいると分かる。だが、冷静に事実を受け止める自分が心の中にいて、もう一人の自分がどうしようかと悩んでいるようなイメージが広がっていた。
 礼緒は一度深呼吸して、レシーブ位置でラケットを掲げる。相手からの気迫はネットを越えてビリビリと伝わってきて、心臓が脈打つ。

(やっぱり、緊張、してくるか)

 小川が向けてくる気迫は死んでも勝つとでも言わんばかりのものだった。散々コートの外で馬鹿にしてきた礼緒に対してファーストゲームを取られていることも、おそらく影響しているだろう。勝てると言ったはいいが、このまま苦戦しつつも打開策がなければ小川は負けてしまうのだから。なりふり構わずに勝利を掴もうとしてくる相手と戦うのは、実は初めてだと今更気付いた。

(いつも、俺が負ける方だったからな)

 体格の良さに期待されて、その期待を裏切ってしまって。やがて負け癖にも似たものが備わってしまった礼緒は最後まで「勝とうとする側」でしかなかった。しかし、高校に入ってからは下から追い上げられる側へと立っている。女子部の試合でも、白泉学園高校との練習試合でも礼緒の方が追いかけられているようなものだった。
 しかし、小川は全力で礼緒を抜き去ろうとしている。

「一本!」

 試合に全身全霊をかけて勝とうとする小川。それは自分が期待されるプレッシャー以上に礼緒の四肢を縛り付けて委縮させていた。小川のスマッシュを何とかロブで返しても次のスマッシュは逆サイドへ鋭く落ちていく。ラケットを届かせても際どいシャトルを打つ余裕はなく、ロブを上げるだけ。小川の腕の振りはどんどん鋭くなり、礼緒の防御を抜けてシャトルが二点目を小川へと献上した。

「おっしゃああ!」

 背中を押すように吼える南星高校の面々。まるで不可視の力が小川へと流れ込んでいくように礼緒には見える。
 全員の力を合わせて、礼緒を叩き潰そうとしてくる。そう感じると、腕が震えだした。

(こんなのにビビってるなんて……)

 不思議と頭は冷静に現状を把握していた。体が緊張で委縮していくのを他人事のように、外から見ているように。
 三点目を狙った小川のサーブはコートを割ってアウトになり、礼緒に自動的に一点目が入る。だが、相手チームはまるでそれが必要なミスであるかのように小川を元気づける。小川も自分で流れを切ったようになっても、実はまだ途切れていないのだとコートの空気を支配するように気迫を押し出す。礼緒はシャトルを拾いあげて少しほつれた羽を整えながらサーブ位置に立った。

「どうする……どうしよう、か」

 誰にも聞こえないように口を動かして呟いてみても、回答は用意されない。コートの中では声援は送られても、相談する相手もいない。シャトルを持ってサーブ姿勢を整えた礼緒はどこに打ったらいいか分からなくなり、固まってしまった。

「礼緒!」

 その時だった。真比呂の声が届き、反射的に視線を向ける。視線の先には拳を掲げた真比呂が笑顔で立っていた。仲間が追いつめられている時に笑顔とは、と礼緒は胸の中のモヤモヤが増したが、もちろん真比呂には届いていない。
 ただ、真比呂は礼緒の視線を見返して吼えた。

「こまけぇこと考えるな! 感じろ!」

 それだけ言うと真比呂は腕を組んでパイプ椅子に座る。他の面々が真比呂の言動にぽかんと口を開けていたり、頭を抱えている様を見て礼緒はおかしくなりくすりと笑ってしまった。

(あいつはほんと、ぶれないな)

 礼緒は試合を停滞させたことを謝るために一度頭を下げてからラケットを掲げる。左腕が軽くなっていることに気付くと共に、視界が開けて小川のコートが良く見えるようになった。

「一本!」

 礼緒はロングサーブでシャトルを思い切り高く打ち上げて、滞空時間を稼ぐ間にコート中央で小川の動きを見てみた。小川はシャトルを追って真下にたどり着いてからしっかりと礼緒を見てくる。鋭い視線がすべての動きを把握するために突き刺さってきていた。

(ほんと、よく見てるんだな)

 小川がストレートのハイクリアで飛ばしてきたシャトルを、礼緒はスマッシュをクロスで打ち込む。小川のバックハンド側で打ちづらいところを狙うように。だが、小川は先を読んでいたかのようにシャトルの逆サイドに回り込んでフォアハンドでドライブを打ち返してきた。予想よりも強打で返ってきたシャトルに追いつくのが半歩遅れた礼緒はラケットを伸ばしてバックハンドでドロップを打った。しかし、ラケットヘッドの先に当たったためにコントロールがぶれる。その結果、ネット前に行く頃にはプッシュを打てるくらいの高さになってしまう。

「らあっ!」

 小川はその隙を見逃さずにプッシュを叩き込んでいた。

「サービスオーバー。スリーワン(3対1)」
「しゃあ!」

 小川は心の底から湧き上がる思いに応えるように吼える。空気を伝わってくる気迫に体が震え、礼緒も身震いしていた。

(俺から点を取るのが……そんなに嬉しいのか)

 いつしか目の前には、礼緒のことを馬鹿にしていた男ではなく、何としてでも礼緒に勝とうとするバドミントンプレイヤーがいた。それはつまり、礼緒を格下と侮っているのではなく同格以上の存在として倒すべき敵と認めたということ。どうでもいい相手には怒ることも、喜ぶこともない。

(そっか……俺は……お前にとって、倒すべき相手なのか)

 中学時代に続いてきた敗北の記憶の最後にいた男。そのためにどこか特別視していたのかもしれないと礼緒は思う。だが、コートに入ってしまえばそれは関係なく、ただ勝利を目指すだけだった。それは小川も変わらない。もしかしたら、試合が始まるまでは燃える必要もなく勝てると思っていたのかもしれないが、ファーストゲームの勝利が小川の意識を変えているのかもしれない。
 そこまで考えて、礼緒は頭を振った。

「考えても意味がない、か」

 真比呂の言葉が蘇る。考えるな。感じろ。何かのセリフだったかと思ったが、詳しいことは思い出せない。ただ、いろいろと無用なことを考えたことが自分の体を鈍らせているのは間違いない。

「一本!」

 サーブ位置について吼える小川を見つつ、レシーブ体勢を取る礼緒。
 小川は全身全霊を込めているようにシャトルを打ち上げる。天井まで届くかのような錯覚をもたらすシャトルはほぼ垂直になって礼緒へと落ちてきた。ラケットを掲げて照準を合わせつつ、一瞬だけ小川の方へと視線を向ける。コート中央よりも少し右寄りに移動しているのはバックハンドを警戒しているからと判断して、クロススマッシュで逆サイドを狙う。相手にとってフォアハンド側だが、礼緒の伸びるスマッシュなら抜ける自身があった。
 しかし、シャトルがネットを越えようとするところで、差し出されたラケットがインターセプトしていた。

(反応が早い!)

 沈めるところまではいかなかったが礼緒のコートのふわりという擬音が聞こえるような軌道で返ってきたシャトル。礼緒は着地してすぐに追っていき、ぎりぎり追いついて打ち上げるとすぐにコート中央へと戻って腰を落とす。

(完全に読まれるってわけじゃないが、やっぱり俺の打つコースを予測してる。隙を作りだしてるのか)

 礼緒がちゃんと自分を見ているという前提の下でわざと偏ったポジショニングをして、隙間に打ってくるように誘導する。ある程度分かり切った戦略だが、それを躊躇なく実行しているからこその思い切った動きだと考える。

(俺の実力を、たぶん正確に把握したうえで組み立ててきている……なるほどな)

 礼緒は小川の後方からのドライブをクロスに打ち返す。コート奥に追い込まれた小川はしかし、強気にストレートのドライブを放っていた。シャトルは白帯にぶつかって、小川の気迫に押されるように礼緒の側へと入っていた。

「ポイント。フォーワン(4対1)」
「しゃあ! ラッキー!」

 礼緒は早足で落ちたシャトルに近づくと拾い上げて羽を整える。幸運を自力で引き寄せている力。礼緒をちゃんと視界に入れて、全力で挑んでくる小川は隠そうとしていても疲労が滲み出ていた。礼緒はシャトルを返して戻ってから息を思い切り吸うと、天井に向けて吼えた。

「おあぁああああああああああああああ!!」

 真比呂や賢斗が呆気にとられるほどの巨大な声。咆哮は周囲をしばらくの間、硬直させて動きを止めた。体の奥から滲み出るものを思い切り外へ吐き出した礼緒は息を大きく吸って吐くと、審判と小川に向けて謝ってから身構えた。
 審判が仕切りなおしてカウントを再度告げてから小川もサーブ体勢を取り、吼える。だが、礼緒の規格外の大声の後だと迫力はなく、打ち上げられたサーブもどこか大人しい。
 それらは無論、錯覚だった。小川は過去4点までのサーブと同じように打ち上げて、同じようにコート中央で身構えてどんな球でも対応できるように集中する。
 いつもと違うのは礼緒。

「はあっ!」

 自分の左腕にすべての力を注ぎこみ、これまでで最速の腕の振りによって、最短距離にシャトルをスマッシュで叩き込む。
 即ち、小川の右肩へのアタック。

「――!?」

 小川はラケットを掲げるのが間に合わず、打ち返したシャトルはコートの外へと飛んで行った。

「ポイント。ツーフォー(2対4)」

 礼緒は無言ながら、右拳を握って腰に引き戻した。
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