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● SkyDrive! --- 第八十二話 ●

「栄水第一高校。小峰君。南星高校、小川君。コートに入ってください」

 真比呂の試合が終盤に差し掛かった頃、第二シングルスを戦う二人に声がかかった。真比呂の試合がどう転がろうと、第二シングルスは確実にやってくる。むしろ、声がかかるのが遅いとさえ礼緒は思った。

(俺の心の準備に付き合ってくれた、のかな)

 全く根拠もない都合のいい考えを浮かべた自分がおかしく、礼緒は笑う。心臓は不思議と鼓動を静かに重ねている。コートにゆっくりと入り、左手に握るラケットを弄びながら進んでいく。ネットの向こうには礼緒の心の弱さを象徴しているとも言える相手が立っている。体が小さいところは真比呂の相手と変わらない。おそらくは攻め方も、中学時代と同様に小回りを利かせながら強打を打ち込んでくるはずだと考える。自分を馬鹿にしている相手に、どう接するのか。そんな相手の行動は遺憾ながら理解している。

(これも……経験からくるものってことで誇っていいのかな)

 小川の方へと向き合い、ネット前に歩いていく。小川は胸を張って堂々と。礼緒は心なしか前に重心が倒れかけていた。その背中を張り倒すような声が届く。

「礼緒君! 背筋、しっかり伸ばして!」

 亜里菜の言葉が届いたことで、背筋がピンと伸びる。更に少し反ったことで小川との身長差が際立った。それまではどこか目線を合わせようとしていた礼緒だったが、ちゃんと立って見下ろすと小川は考えていたよりも小さく見える。逆に小川は見下ろされることが気に食わず、睨みを利かせてきた。

「それでは握手してください」

 審判に従ってネットの上から握手を交わす。見下ろされる不快さを隠さずに、小川は右手に力を込めて礼緒の掌を潰そうとしてきた。だが、利き腕ではないにもかかわらず、礼緒の右掌は大きく、力を込めてから痛がったのは小川だった。

「あ痛ててて!」
「おっとすまん」

 小川から手を放して掌を震わせるのを見ていると、礼緒は胸の奥からよどんだ空気が外へと逃げていくように思えた。過去は過去であり、自分の向かうべきは現在。現在の小川博巳と現在の小峰礼緒のどちらが強いのかという勝負がこれから始まるのであって、過去に怯えた自分は関係ない。

(……少しは、あるか)

 ぼんやりと考えながらじゃんけんをして、サーブ権を取られた礼緒は審判にエンドの変更を告げる。怪訝な顔をした審判だったが、すぐに認めて二人に交代を促した。軽やかにコートから出てラケットバッグを持ち、逆サイドに移動する。そこは南星高校のテリトリーであり、礼緒へときつい視線がやってくる。

(どうせプレッシャー受けるなら、これくらい受けても変わらないか)

 礼緒はレシーブ位置に立って静かに目を閉じた。
 ゆっくりと呼吸をして体の状態を平常時から入れ替えていく。これまで、仲間を応援していた自分から応援される立場へ。試合を見る側からする側へ。
 応援する仲間から、選手へと。
 これから先は、仲間のために勝つことが必要とされる。そう意識すると、肩にずしりと圧力がかかったように思えた。これまで感じたことのないプレッシャーはやはりコートの外からやってくる。南星高校の部員たちや監督が、礼緒に敗北の二文字を背負わせるために圧力をかけてきていた。

「しゃ! ストップ!」

 だからこそ、礼緒はしっかりと声を出してからラケットを身構えた。大げさなほど高く左腕を掲げてラケットを上げる。長身の礼緒はそれだけで小さい相手へのプレッシャーをかけることができた。サーブのために身構えた相手からは礼緒は山のように見えるに違いなかった。

「トゥエンティワンポイントスリーゲームマッチ、ラブオールプレイ」
『お願いします!』

 小川と礼緒は同時に言い放って、次の瞬間にはシャトルが勢いよく放たれた。ガットの中央で上手くとらえたサーブにより綺麗に飛んだシャトルは、礼緒の体をコート後方へと運ぶ。礼緒は踊るようなステップでシャトルの真下へとやってくると飛び上がってシャトルへと近づいた。

「はっ!」

 気合いの声と共にラケットを振り下ろす。すると、シャトルは一直線にコートへと叩き落されていた。

「しっ!」

 礼緒が着地をしてガッツポーズを決める。だが、周りは完全に固まって反応をなくしていた。最初に我に返ったのは審判で、慌てて礼緒のポイントを告げる。次に小川が礼緒を一度睨み付けた後でシャトルを拾い、投げつけるように渡してくる。礼緒は飛んできたシャトルをラケットでからめとり、一度もコートに落とさずに右手の中へと収めた。

「よし、一本」

 シャトルの羽の状態を見て、特に整える必要もないと判断した礼緒は一点目のサーブ位置に立って、一度前に出した右足を踏みしめた後でサーブを打ち上げた。既にレシーブ体勢を取っていた小川に向けてはタイミングを外す形になる。小川は一見、冷静にシャトルを追っていたが、スマッシュのタイミングが取れなかったのかストレートのハイクリアを打って体勢を立て直す。礼緒はバックハンド側に飛んでくるシャトルに体をうまく入れ替えて追いつくと、クロスにスマッシュを打ち込んだ。コートを斜めに切り裂いていくシャトルに追いついた小川はヘアピンをストレートに打って前に出る。同じく前に進み出てシャトルを取りに来る礼緒に向けて、プレッシャーをかけることが目的なのは明らかだった。
 それでも礼緒は素早く前に出る。

(ここでヘアピン……いや)

 礼緒はラケットを伸ばしてシャトルに触れさせると、手首の力を使って跳ね上げた。前に出ていた小川は前に倒れそうになる体をしっかりと右足で支えて後方へと移動した。

「しゃあ!」

 飛び上がってシャトルに追いついた小川は、無理な体勢からでもラケットを振り切ってスマッシュを放ってくる。礼緒は予測した場所へとラケットを出していて、インターセプト気味に打ち上げていた。小川にも滞空時間は体勢を立て直す猶予となり、ハイクリアを打ってコート中央へと戻っていく。シャトルを追いながらも礼緒は小川の位置を確認し、さらにハイクリアでコート奥に追い込んだ。

(やっぱり。強くなってる、か。当たり前か)

 シャトルに追いついた小川が放ってくるスマッシュの威力は、礼緒も気を抜けば後方に逃してしまうほど強烈だ。コースはけして甘くはなく、そう簡単に攻撃に移れるような場所には打っていないにもかかわらず、小川は当たり前のようにスマッシュを放ってくる。それはすなわち、シャトルの落下点に移動するのが早く、ラケットを振り切るのも速いということ。
 そして、その前の礼緒の位置を確認することも素早く行っていることが理由だった。
 ただ礼緒を馬鹿にし続けるだけではなく、自分自身も力がなければできないこと。
 けして精神的に追い込むことが得意というだけで礼緒に勝ったわけではないということが伝わってくる。

(そうだよな、小川。お前ってそういう奴なんだな)

 コートの外での悪態だけでは見えてこない相手の努力が垣間見えて、礼緒は自然と頬を緩めていた。口が悪いだけではなく、自分が勝つために相手への毒舌まで取り入れているのだと理解すると、相手が自分に向けて取ってくる態度全てに理由があるように思えてくる。たとえ、口が悪いことが生来の性格であり、本当に礼緒を馬鹿にしているのだとしても、中学時代の自分は馬鹿にされるだけの人間ではあったのだと考える。

「らあっ!」
(――!?)

 小川の何度目かのスマッシュが礼緒のラケットヘッドをかすめて後方へとシャトルを飛ばしてしまう。あっという間に一点を取られたことに隼人たちはため息をつくものの、礼緒はほっと一息ついただけでシャトルを取りに行った。南星高校側は小川への声援に湧き、声に応えるように小川も高笑いする。

「はっはー! 中学時代とかわんねぇな、小峰! お前の打つところなんて分かるんだよ!」

 小川の一言に対して礼緒も自分を顧みる。確かに打つ方向は小川がいない場所へと意識して打っていた。それは逆に相手にして、次にどこに打つのかを知らせていたのかもしれない。

「よし、次は取る」

 一点目は取られても焦りは感じていなかった。小川は少しうるさいくらいに吼えてサーブを放ってくる。高く遠くに飛んだシャトルに対して礼緒は追いつくと、ラケットを鋭く振り切った。
 シャトルは速さを保ったままネット前で急激に曲がってコートへと落ちていた。

「ぽ、ポイント……ツーワン(2対1)」

 審判も鮮やかなドロップの軌道にカウントのコールを忘れていた。
 自分でも理想的なカットドロップが打てたと礼緒は手ごたえを感じて拳を握る。サーブ位置につく間にシャトルが返ってくるが、視線は小川のものを受け止めていた。しっかりと自分を見て睨み付けてくる小川に、自らの視線をぶつけるとどこか鍔迫り合いをしている自分というのを思い浮かべる。イメージがまるで剣豪同士の対決のように思えて、苦笑した。その笑みをどうとらえたのか、小川はより怒りを顔に浮かべて身構える。すぐにでも打ってきたら、スマッシュを打ち返すと主張してくる。
 礼緒は小川の期待を裏切らないように、ロングサーブを高く打ち上げた。シャトルはコートの奥に飛び、スマッシュを打ってもエースを決めるには厳しいところまで行く。それでも小川は躊躇なくスマッシュを放ち、礼緒はネット前に落とした。

「うぉおおあああ!」

 前に突進してきた小川は勢いを使って右足で踏み込み、反動だけでヘアピンを放つ。まっすぐに押し出すだけのヘアピンだったが、力加減は絶妙でネットに沿うように落ちていく。普通ならば取れるような軌道ではないが、礼緒は前に踏み込んでラケットをネットに触れさせないようにしてクロスに返していた。

「なあっ!?」

 小川が驚きの声を上げている間にシャトルは小川のコートへと入っていき、同じようにネットすれすれに落ちていった。

「ポイント。スリーワン(3対1)」

 シャトルは静かに転がり、小川は迷いを振り切るように頭を振りながらラケットで拾い上げる。羽を整えてから礼緒に渡して次のレシーブ位置へと移動する間に、冷静さを取り戻そうとしているように見える。

(俺だって冷静にならないとな……今の、うまく行き過ぎた)

 人生で何回打てるか分からないような、綺麗なヘアピンを打ち返せたと礼緒は浮かれるのを抑えるのに必死だった。今のはまぐれだと相手に悟られずに何時でも打てるというブラフを張ることができれば、十分なプレッシャーになるに違いない。小川が罵声でぶつけてきた圧力を、自分はバドミントンの技術で返す。それは礼緒の中にもプレッシャーをかけてきたが、深呼吸をして飲み込んだ。

(俺も、過去の俺を一つずつ超えるんだ)

 周りからの視線やプレッシャーに負けて、自分の力を発揮できず負け続けた中学時代。高校時代は中学ほどではなくても、同じような環境で戦わなければいけない。恵まれた体格は捨てることはできない邪魔者ではなく、自分の理想の武器としてきっと役に立つ。
 その証明としての、今が第一歩。

「一本!」

 シャトルを大きく打ち上げてからコート中央に礼緒は腰を落とす。小川はドライブにも似たストレートのショットをフォアハンドストロークで打ってきた。

(ここだ!)

 飛んできたシャトルにラケットをあてるだけにしてネット前に落とす。シャトルは白帯にぶつかってほんの少しだけ跳ねてからネットの向こう側へと落ちていく。小川は前に出てきたものの、今度は全く取れないままにシャトルを見送るしかなかった。

「ポイント。フォーワン(4対1)」
「しゃあ!」

 気合いが体中にみなぎっていくのを感じ取る。試合が始まる前には覚悟を決めてもやはり緊張していた。しかしコートに入り、試合が始まってしまえば筋肉の硬直は解けてきて動きが良くなっていく。コートの中の空気がそれまでとは一線を画しているため、気持ちの切り替えがしやすいといことも原因だったろう。だが、礼緒は隣のコートで行われている真比呂の試合に少しだけ視線を移した。真比呂と相手の動きを見ていると、頭の中に一つ浮かんでくる光景がある。

(井波には悪いが……厳しい、か)

 実力があるからこそ、他人の実力を見極めるのもある程度可能。真比呂と、その相手の力量差は確実にあるため、普通に試合を進めれば真比呂の敗北は動かない。よほど相手が真比呂の実力を過小評価して本気を出さなければまだしも、相手に警戒を抱かせる程度には強い。さらに言えば、真比呂は自分が初心者であることを戦略に組み込んで試合を続けるような器用さはない。最初から最後まで全力で、自分ができることを全部出して挑んでいくのだろう。

(……体が、緊張してきた、か)

 真比呂の様子から自分の試合へと意識を戻すと、いつの間にか右腕が震えていた。シャトルが返ってきて、右手で受け取ってからサーブ体勢を取る間に、持つ手が震えてしまうのを必死に抑える。小川は礼緒の震えに気付いた様子はなく、南星高校の面々の声援を受けながらレシーブ体勢を取った。逆に礼緒はサーブ体勢を取ってどこに打とうかと視線をさまよわせて、首を振った。

(弱気になってる。わかる。これじゃ一回戦の時と同じことするかもしれない)

 真比呂の敗北はすなわち後がない証拠。自分が勝たなければ隼人に回すことなく負けてしまう。練習試合とは異なり、三勝してしまえば試合をする必要はないのだから当たり前だった。

(女子部との練習試合と同じ状況、でも、な)

 校内の、同じ部活の女子たちとの練習試合と公式戦は全く異なる。
 栄水第一の面々は今、全く新しいステージで戦っているんだと改めて悟る。すると小川の姿がいきなり大きく見えてきた。

(深呼吸しろ……小川は変わらない。俺が、弱いだけだ)

 弱い自分を吹き飛ばすためにシャトルを大きく打ち上げる。弱気をラケットで打ち抜いたかのように力強く舞ったシャトルはコート奥の更にライン上ぴったりに落ちていく。小川は一瞬離れて見送ろうとしたがすぐに身構えるとサイドストロークで今度はクロスに打ち込んでくる。うまくリカバリーできたと小川は思っていても、それはあくまで思考の読みあいに負けて死に体から打たれたもの。

「はあっ!」

 礼緒は冷静にネット前でインターセプトし、落とすだけで十分だった。
 五点目を受け取った礼緒は、わずかに頬を緩めた。
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