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● SkyDrive! --- 第八十一話 ●

 シャトルが体の中心を貫くように飛んでくる。真比呂はその場で取るのを諦めて強引に飛びのき、体をひねってバックハンドの体勢を無理矢理作り出すと、手首だけでラケットを振った。心臓部へと飛んできたシャトルを軽く打ち返し、ネット前へと落ちて行くのを見ながらすぐに前に出る。佐藤がシャトルへとラケットを差し出してヘアピンを打ったのとほぼ同時に、腕を思い切り伸ばしてラケットヘッドをシャトルへと届かせた。

「うぅらっ!」

 右足の渾身の踏みこみとシャトルコックへのラケットヘッドの摩擦。シャトルはクルリと回転して佐藤のいる場所へと戻っていく。ヘアピンを打った後で真正面に返されて、佐藤は打ちづらかったのかロブを上げていた。シャトルは高く飛んでコートの奥へと突き進む。真比呂は追いかけて真下に入ったところで、慌ててその場から移動した。
 シャトルはそのまま落下して床へと落ち、跳ねる。

「ポイント。エイティーンナインティーン(18対19)」
「おっしゃああ! ラッキー!」

 相手のロブのミスに心の底から安堵してシャトルを拾い上げる。羽は既にボロボロで、乱れは指で直しようがなかった。審判に向けてシャトルの換えを要求すると、すぐに羽が舞う。
 真比呂はシャトルを受け取ってから軽く打ち上げる。跳ね上がる感覚は手ごたえ十分で、中空で勢いよく右手で掴むとサーブ体勢をとった。

(今の、なんか理貴みたいだな)

 理貴がよく行うルーティンに酷似していると自分で思い、笑みが浮かぶ。パクリと呼ばれても構わないとあっさり頭で決めつけて、真比呂はサーブを打ち上げた。タイミングが早いかと打った瞬間には思っても、佐藤がシャトルを追い、ラケットを振りかぶるのを見てコート中央で腰を落とす。次にやってきたバックハンド側へのスマッシュに追いついてロブを打ち返したが、シャトルはコート中央付近まで浮かぶとそれ以上は飛ばずに落下して行く。

「はっ!」

 甘く返ってきたシャトルを、佐藤はチャンスと言わんばかりにスマッシュを叩き込む。真比呂は、半分は勘でラケットを振りまわした。ラケットヘッドは偶然シャトルを捉えて、今度は相手のコート奥へとしっかり跳ね返る。余裕ができたことでコート中央へと腰を落として、真比呂は次のショットを予測した。

(次は……そろそろこっちかな)

 頭の中に浮かぶのはこれまでのこと、というわけではなかった。シャトルを現在進行形で追っている間に相手が打ってきたショットは古い記憶から抜けていく。真比呂には隼人のように最初から最後まで分析して、ということを実行する頭はなかった。自分と相手のショットが数回重なればもう思い出せず、目の前から自分側のコートへと落ちようとしてくるシャトルを拾うので精一杯だった。

(俺にはあいつみたいに分析して、はやっぱり無理!)

 真比呂の良くも悪くも素早い思い切りは、迷いなく体を動かしていく。読み通りにシャトルを捉えればいつもより半テンポ早くシャトルを返し、外れても強引に体を反転させてシャトルを追いかける。体勢が苦しくても力でシャトルを打ち上げて防御姿勢を取る時間を確保する戦法はいつしか佐藤の攻めを封じ込めていた。

「はあっ!」

 ファーストゲームよりも気合いを表に出すようになった佐藤に対して、真比呂も真正面から挑んでいく。相手にしてみれば、セカンドゲームの途中までは真比呂の行動を読み、逆を突いていくことで得点を重ねていたが、後半は逆を突いたことに対して更に反応して打ち返すという、身体能力に任せた守りを固められて競り合いへと変化している。
 佐藤が胸の内に灯す苛立ちの炎が真比呂には見えるような気がした。

「だらっ!」

 真比呂の右側を抜けようとするドライブを、ラケットを差し出してインターセプトする。ネット前に落とそうと狙ったが、シャトルは白帯にぶつかって真比呂の側へと落ちていた。

「ポイント。トゥエンティマッチポイントエイティーン(20対18)」
『よぉおし!』

 チームメイトから飛ぶのは叫び声にも似た声援。佐藤は大きく息を吐いて親指を立てた。佐藤の行動に真比呂もまた、ため息をついてレシーブ位置へと歩いていく。

(やっぱり。だいぶ疲れたみたいだな。俺がプレッシャーかけたからだな)

 根拠のない自信が浮かぶ。油断するな、と隼人なら言うかもしれないと真比呂は笑みを深める。実際、あと一点取られれば真比呂の負けが決定する。
 だが、真比呂には不思議と焦りはなかった。追い詰められている事が焦りではなく高揚に繋がる。ギリギリの勝負だが時間制限はなく、あくまで自分のコートにシャトルが落ちるかで決まる状況に、体の内側を流れる血液が沸騰したかのように火照ってくる。

「さあ、ストップ行くぞぉおおお!」

 これまでで最大の声を発してから真比呂はラケットを身構えた。咆哮は空気を震わせて、周りの人間の動きまで止める。合唱部出身の賢斗に勝るとも劣らない咆哮は試合の進行さえも一度止めた。

「……プ、プレイ!」

 審判が改めて告げると佐藤がサーブ体勢を取り「一本!」と叫ぶ。少しでも真比呂が広げた波紋を抑えるかのように。
 だが、声もシャトルを打ち上げる音も、真比呂を止めることはできない。

「おぅらあ!」

 高く上がったシャトルを追いかけて真下でラケットを振りかぶり、弓から矢を放つように左腕を解放する。ラケットのガットがシャトルを打ち抜く抵抗に快感を覚えつつ、左腕を振り切った。
 スマッシュを打つという意思は間違いない。だが、真比呂はあえて角度をつけずに相手コート奥を狙ってシャトルを打った。渾身の力を込めて放ったシャトルはこれまでで最高の手ごたえと共に飛んでいく。シャトルがネットを越えたところで、いつもより飛距離が長いことに佐藤も気付いたのか、慌ててラケットの位置を変えた。だが、間に合わずにシャトルはフレームに当たって弾かれていった。

「ポイント。ナインティーントゥエンティ(19対20)!」
「しゃあ!」

 真比呂の気合いはコート全体に広がっていく。真比呂につられるように隼人たちも声を張り上げて「ナイスショット!」と吼えていた。自分に向かう声を吸収するように真比呂は胸を張ってサーブ位置へと戻る。振り向くと同時に佐藤からシャトルが飛んできて、ラケットを使って取ろうとしたがすり抜けて落ちて行った。

「おっとっと」

 コートに落ちたシャトルをまたラケットを使って拾い上げようとしたが、フレームをすりつける鈍い音を何度か響かせた上で転がっていく。真比呂は諦めて右手でシャトルを拾い上げると、羽を整えてからサーブ体勢を取った。
 一連の流れを見て何かを感じたのか、佐藤は顔に浮かぶ汗を掌でぬぐい、ハーフパンツへとなすりつける。そしてゆっくりとラケットを掲げてレシーブ体勢を取った。
 真比呂を睨みつけてくる佐藤の視線には気負いは感じられなかった。少なくとも、一つ前のサーブを打つ前の相手と同じとは思えない。真比呂が与え続けているプレッシャーに体力を消耗したのと同時に精神も削られていたように見えた相手は、もうネットの向こうにはいない。

(切り替えろ。今は次のシャトルを相手のコートに叩きつけることだけ考えればいい。余計なこと考えてたら、負ける)

 真比呂は深呼吸を繰り返して酸素を取り込む。できるだけ新鮮な空気を取り込んでから動きだそうと決めるも審判の視線が厳しく、途中でも思い切り息を吐いて吼えた。

「一本!」

 ラケットを振りかぶってシャトルを思い切り高く打ち上げる。スマッシュを打った時と同じ手応えに好調は続いていると考えた真比呂は、コート中央に腰を下ろして佐藤の動きだけ目で追っていく。シャトルの落下点に入る佐藤はラケットを振りかぶってから一瞬止まり、タイミングをはかって跳び上がる。

(ジャンピングスマッシュ!)

 佐藤は身長のマイナス面をジャンプで帳消ししてスマッシュを叩き込んできた。ほぼ二ゲーム通してのスマッシュよりも一段階角度がついて急になった軌道にラケットを差し込んで振り切る。シャトルは佐藤のコートに跳ね返っていたが、真比呂にはほんの少しだけ振り遅れたと分かった。

(やばい……打たれる!)

 これまでよりも少しだけ無理してスマッシュを打った結果、佐藤はチャンスを掴んだ。ならば自分もリスクを負わなければ勝てない。真比呂は後悔を横に追いやって腰を深く落として身構える。これまでよりもずっと体勢を低くして、スマッシュで来るシャトルでさえも真正面から捕らえるかのように。

「はあっ!」

 真比呂の体勢を見て、佐藤はドリブンクリアを放っていた。腰を落として重心を低くした状態から背後に回るのは足腰に負担がかかる。シャトルを追う時にもその負担を克服するために動きはどうしても遅れる。そこを狙うために佐藤は普段よりも軌道が低く、強いショットを放ったのだ。
 だが、真比呂は歯を食いしばって跳び上がると後方へと軽やかに移動して行く。シャトルの落下点についたのは、隙を突かれたとは思えないほど早いタイミングだった。

(バドミントンでは素人でも! 体力じゃ負けねぇ!)

 シャトルに向かってラケットを振りかぶる。一瞬だけ見えた佐藤の表情は真比呂の動きに驚いて歪んでいた。

「おっらあっ!」

 ラケットを持つ左腕を思い切りしならせる。放つのは19点目を取った時と同じ、軌道が長いスマッシュ。角度をつけず、狙いを相手コートの奥にあるライン上に向けて放つシャトルは急角度をついた時よりも取りづらい。真比呂もそれを分かって打ったわけではなかった。あくまでも点を取れた時のイメージに沿ってシャトルを打っているだけ。蓄積がない分、過去の経験を生かすしかないと真比呂は細い糸を掴むように必死に探し続ける。
 結果として、佐藤のプレイにようやく追いつき、越えようとしていた。

「ふっ!」

 長い軌道のスマッシュを今度はしっかりと打ち返す佐藤。ネット前に落とされたシャトルに飛び込んで真比呂はヘアピンを打っていた。中盤で見せたヘアピンより更に体勢が厳しくても、真比呂は上手く力を加減してシャトルがネットを越えてからすぐに落ちるように返していた。佐藤もヘアピンで真比呂からシャトルが離れて行くように打ち返す。真比呂は真横にスライドするように移動して、ラケット面でシャトルをこすり上げるように打っていた。
 シャトルは綺麗に飛ぶが、弾道は低い。佐藤も前衛にいたために想定していなかったであろうカウンターを取る形になる。佐藤は体勢が崩れるのもお構いなくシャトルに追いつき、ロブを打ち上げた。転びそうになる体を支えてからコート中央へと移動し、腰を下ろす。
 真比呂は既にスマッシュの体勢を取っていた。三度目の正直だと、吼えながらラケットを振り切った。

「こんのおお!」

 狙ったのはまた同じ軌道だった。シングルスの奥のラインを飛んでいくシャトルは佐藤のラケットの防御を抜いて、突き進む。ラケットの遠心力に引っ張られるように前に突っ伏した真比呂は、慌てて顔を上げた。
 飛んでいくシャトルを目で追う二人。真比呂はネットの隙間からシャトルが着弾する光景を見た。
 そして、歯を食いしばることで悔しさを何とか堪えた。

「ポイント。トゥエンティナインティーン(21対19)。マッチウォンバイ、佐藤」

 シャトルは、ほんの少しではあるがラインを割っていた。三度目のスマッシュに渾身の力を込めた結果、コートの枠を外れてしまった。同じ軌道ならばラインを割ることはなかったが、込めた力が過去二回と比べて大きかった分だけラケットを振る速度が速くなり、シャトルを打ち抜くタイミングがほんの少しだけ早かったのだ。

「くそ……そっか……」

 膝をついた状態からゆっくりと立ち上がる真比呂。一度目を閉じて深呼吸をしてから開くと、ネット前に歩いてくる佐藤の姿が目に入った。これまで気にしていなかったが心臓が高鳴り、耳の奥で音が渦巻く。汗も大量に溢れだして肩にどっと疲れがのしかかった。

「負けた、か」

 呟くとほんの少しだけ足が軽くなる。軽くなった足を前に出していくと意識しなくともネット前に辿り着いた。相手を見おろす形になりつつネットの上で握手を交わす。
 佐藤はほっとした表情を真比呂に向けてからコートから出て行った。

(まーた負けた、か。でも、得るものはあったぜ)

 公式戦では一回戦に続いて二連敗。それでも、今の試合はヘアピンの精度がこれまでに比べて上がった。足りなかった技術が徐々に上がる実感が持てただけでも自分にとってはプラス。
 それでも、団体戦から見ればマイナスだ。

「お疲れさん」

 コートを出た先で出迎えたのは隼人だった。既に礼緒は自分の試合へと入っている。真比呂が逆転をしてファイナルゲームにもつれこんだならば、途中で終わっていたかもしれない試合に。

「すまん。勝てなくて」
「まだお前にそこまで求めるのは酷だろ」
「そうそう。お前には悪いけど、そこまで期待できない」
「ぐっ……」

 歯に衣を着せずに言ってくる隼人と理貴にも言い返せずに黙る真比呂。言葉が心地よく思えるのは、馬鹿にするわけでもなく単純に事実を告げていることが分かるからで、その事実を自分も納得しているからだった。

「それでも……勝ちたかった」
「それでいいんだよ。お前は」

 俯く真比呂に隼人はタオルを投げて渡す。真比呂は落ちないように受け止めてから隼人の目を真っ直ぐに見据える。
 そこには真剣な表情で自分を見てくる瞳があった。

「お前はそうやって、強くなれ。一歩ずつな。それまでは、俺らが支えるよ」

 隼人の手には自分のラケットが既に握られていた。
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