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● SkyDrive! --- 第八十話 ●

 シャトルを追って飛び上がった真比呂は、思い切り腕を伸ばしてから振り切った。より早いタイミングでシャトルにラケットを届かせるためにフォームは崩れていたが、左腕を力の限り振り抜く。
 上半身の力だけで飛んだシャトルは、無事にシングルスライン上を飛んで相手コート奥へと飛んでいった。真広は着地してからコート中央に戻り、腰を落として相手の次のシャトルを待つ。

(くっそ……いちいち裏かかれる!)

 相手の動きを見てから右側に移動しようと足を一歩踏み出すと同時に、逆サイドへとスマッシュが打ちこまれる。流れた体を右足を踏みこんでとどめると逆側へと動き、左腕を伸ばす。利き腕の方向だったことが幸いしてラケットを届かせてネット前に打ち返したが、越えたところでシャトルは相手に叩き落とされていた。

「ポイント。シックススリー(6対3)」
「っくそ!」

 真比呂はクールダウンするためにあえて大きな声で吼えてからため息をつき、自分の感情をできる限りリセットする。ラケットを振りながら相手の顔を極力見ないようにネットを背にしてレシーブ位置に立ってから、振り返るまであえて時間を使った。

(いちいち俺のタイミング外すようにしてきやがって……男らしくないんだよ……って、こういうのも戦略なんだろうけど)

 一度怒りを発散させることで少しでも気分を落ち着かせてから相手と向かい合う。ネットの奥にいた男は身長だけ見れば真比呂の半分であり、隼人含めた仲間たちよりも低く、一見すれば女子にも見える。実際に、ユニフォームに包まれた体は筋肉があるように真比呂には思えなかった。しかし、真比呂から見ればということであり、バドミントンをするには十分備わってるかもしれない。少なくとも、真比呂の裏をかき、的確なショットを放つコントロールを保つ程度には筋力があり、動き続けるほど体力はある。

(人は見かけにはよらない。侮るほど俺は強くないんだけどな)

 対戦相手である佐藤椿は女子に見えるような優男だったが、真比呂が動こうとする先を読んで裏をかき続けてきた。力強く打ちこんだスマッシュも、渾身の力で打ったハイクリアも、全て無効化されるように真比呂のコートへと返ってくる。
 暖簾に腕押しという言葉が思い浮かぶほどに攻撃を返されて、それでも力づくで行くしかなかった真比呂は、攻撃後の隙を狙われて得点を奪われていった。ならばと相手の攻撃を返すことにしても、まるで超能力でも持つかのように真比呂の動こうとする方向を佐藤は読み、逆をついてシャトルを打ちこんでくる。
 結果として、真比呂はファーストゲームを自分からは何もできずに終えていた。

(どうしようもないって感じじゃないんだよな……相手のミスで得点は出来てるし。でも、自分で得点決めたってのが一つか二つしかないってのが問題だ)

 自分が点を取ることでさえ相手任せ。それはつまり、相手がミスをするという運に頼るということだ。
 運も実力の内だと真比呂は考えてはいるものの、それだけでは大事なところでも自分の力を頼ることはできない。このセカンドゲームを何としてでも勝ち取ってファイナルゲームに進まなければいけない時に、相手のミスを誘うことができれば良いが、自分の実力を振り返って真比呂は頭を軽く振った。

(バスケならできるだろうけど、バドミントンじゃ無理だな)

 バスケットボールでもわざと体勢を崩して隙を見せて、相手に攻め入らせたところでボールをカットするフェイントはある。真比呂も使ったことはあるが、あくまで相手と自分が同じぐらいの技量を持ち、同じ手札があることが前提だ。バドミントンではまだ真比呂自身が扱えるカードは少ない。ようやく攻めのカードが使える状態になったレベルでは、より高度な駆け引きに使うのは分が悪かった。
 佐藤はサーブ位置に立って真比呂が身構えるのを待っていた。さっさと構えろとサーブ体勢だけで語ってくる相手に、真比呂は苦笑いを向けたままレシーブ体勢を取る。

「一本!」

 体勢を整えた瞬間にサーブを打ち上げてくる佐藤。真比呂は真下に移動してハイクリアをコート中央から左右真っ二つに割るようにしてシャトルを打っていた。佐藤は腰を落としていたコート中央から真っ直ぐ後方へと下がってラケットを振りかぶるとハイクリアで右奥へとシャトルを打つ。左利きの真比呂にとってはバックハンド側になるため、上半身を大きく仰け反らせてラケットを振りかぶり、力を込めてスマッシュをストレートに打ち込む。

「だっ!」

 渾身の力を込めたスマッシュでシャトルはシングルスラインに沿うように進んでいく。佐藤は既にシャトルの落下地点へ続く軌道上にラケットを置いて、最小の手首の動きでクロスヘアピンを打っていた。何度かそのパターンでリターンされていたために真比呂は左腕を全力で伸ばしながら前へと飛ぶように移動し、ラケットを差し出す。ネットを越えたシャトルへと追いついたことで、真比呂は力が入らない状態からヘアピンを打った。
 だが、ガットに弾かれて高く上がってしまったシャトルは、真比呂の動きを読んで飛び込んできた佐藤のプッシュによって真比呂のコートへと叩きつけられた。

「ポイント。セブンスリー(7対3)」

 真比呂はバランスを崩して膝をついたが、コートを掌で叩いてすぐに立ち上がると転がったシャトルを拾って佐藤へと打ち返した。コートを叩いたことで掌に走った痛みを冷ますように、息を吹きかけながら思考を巡らせる。

(やっぱり、ヘアピンが弱いのを狙われてるよな)

 シャトルには何とか追いつける。だが、あくまで追いつけるだけであり、しっかりとしたロブを上げることができないためにチャンス球を沈められている。真比呂の頭で思いつく対策は、相手にラインギリギリのシャトルを打たせないこと。どんな苦しい時でも気合いでロブを大きく上げること。そして、苦しい時はヘアピンで反撃をすることの三つだった。

(ヘアピンは……確か、置いてくる感じって隼人や理貴は言ってたよな)

 考えている間も動きを止めないように、レシーブ位置に立って軽く上下にジャンプして体をほぐす。自分のバドミントンに関する知識はほぼすべて、部活で隼人や理貴、純や礼緒といったバドミントン経験者から学んだものだ。思いだせることは少ない。

『ヘアピンはシャトルコックがガットに触れた瞬間にシュッてこするようにするんだ。そしたらスピンがかかる』
『スピンがかかるとどうなるんだ?』
『不規則な軌道で落ちるから取りづらくなるんだ』
『井波には無理だろ。まずは普通のを覚えろよ。いいか――』

 理貴の助言をため息をついて否定した後で、隼人は真比呂へとヘアピンの方法を教えてきた。その内容を思い浮かべようとして、相手のサーブでシャトルが飛んできたために一度思考は霧散する。

「おら!」

 ハイクリアで出来る限り遠くへと返すことで時間を稼ぎ、真比呂はコート中央に腰を落としてシャトルの行方を追いながら相手の姿を見た。

(次にどこに打ってくるか……読み合いなら、俺が負ける。だからとにかく打たれた方向に動く)

 真比呂の決意と同時に佐藤はストレートのドロップを放ってきた。シングルスライン上に落ちるようにネットを越えていくシャトルへとラケットを伸ばした真比呂は、シャトルがラケットに触れた瞬間にほんの少しだけ力を込める。

『ヘアピンは置いてくる感じだな。ドロップでも案外勢いついてくるから、完全に固定してもいいくらいだけど、それだと白帯にぶつかる可能性もある』

 隼人の言葉が脳裏に蘇る。真比呂は声に従って『ほんの少しだけ』シャトルを押し上げた。だが、シャトルは白帯から離れて浮かび上がり、滞空時間が大きくなる。

(失敗か! でも――)

 佐藤も追いつけまいとネット越しに相手コートを見ると、既に佐藤は前に突進してきてシャトルへとラケットを伸ばしていた。それでもまだ距離があったため、プッシュではなく軽く平行に打ち出した程度だったが、ヘアピンを打った状態で固まっていた真比呂には追う力はなく、シャトルが落ちるのをただ見ているしかなかった。

「ポイント。エイトスリー(8対3)」
「……くっそ」

 佐藤に向けて上がる歓声の合間に真比呂は小さく悪態を吐く。自分の技術の未熟さは分かっているが、ここまでヘアピンは全く成功していない。練習の合間ならたまに上手くいっていたのに、試合の中では自分の言うことを聞かず、シャトルは浮き続ける。

(試合の中だと、練習でもスマッシュやドライブしか打ってないもんな)

 とにかく強打することが好きで、ハイクリアやスマッシュ、ドライブを主に鍛えあげてきた。代わりにドロップやヘアピンなど力加減が必要なショットは後回しに。結果として、シングルスで曲がりなりにも闘える武器を得たのは大きいが、不得手なショットがあるというのはシングルスではマイナスとなる。
 目の前の男は、真比呂の弱点を突ける相手だ。

「一本」

 佐藤の声に追いかけられるようにレシーブ位置に着く真比呂。構えたと同時にロングサーブが放たれて、真比呂は追いかけて真下よりもほんの少し後方まで移動すると、前方に飛んでラケットを振り切る。

「だあっ!」

 ジャンピングスマッシュというには不格好でタイミングもずれたが、角度がつかないままでも強烈なショットがコートを切り裂いていく。佐藤もシャトルがアウトになる前にコートに落ちると判断したのか、追いかけてしっかりと打ち返した。返した先はクロスでのネット前。さっきから真比呂がヘアピンを失敗している場所だった。

(狙ってやがるのか!)

 いくら考えようとしない真比呂でも、数回同じ場所に放たれるシャトルを見れば狙いは分かる。ラケットを伸ばしながらシャトルへと近づき、ラケットを手首を使ってほんの少しだけ押し上げる。シャトルは甲高い音を立ててイメージよりも高く上がって、佐藤はプッシュでシャトルを叩き落とした。

「ポイント。ナインスリー(9対3)」
「しゃあ!」

 佐藤はネットごしに真比呂を見て吼える。あからさまな挑発に頭が沸騰しそうになったが、右拳を脇腹にぶつけて息を吐くと怒りが抜けて行く。全身で背後を向いて佐藤の姿が見えないようにしてから真比呂は髪の毛を両掌でかきあげつつ考える。

(今のプッシュは完全に前に来るって分かってて、移動しないと間に合わない速さだ。俺があんなへなちょこなシャトルしか打てないって思われてる)

 思われているのも無理はないと真比呂はため息をついて振り返る。何度も同じようにやられているのだから、文句は言えない。佐藤は真比呂の隙を徹底的に突くことで勝とうとしている。それは卑怯でもなんでもない、ちゃんとした戦法。
 なら自分はどうするか。

(相手の弱点なんて探せないんだからよ。真正面から突破しかない。そのためには)

 真比呂は佐藤が身構える前にラケットを掲げてレシーブ体勢を取る。佐藤はこれまで自分の言葉の後に構えてきた真比呂を見ているだけに表情を一瞬変化させたが、すぐに「一本」と呟いてロングサーブを打ってきた。真比呂はハイクリアでシャトルを飛ばした後でコート中央に腰を落とす。これまで何度も続けてきた動作。そこから相手のシャトルはドロップかハイクリア。

「はっ!」

 そして、スマッシュ。
 シャトルは真比呂の右側をえぐるように飛び込んでくる。バックハンドにグリップを持ち替えてラケットを差し出し、ラケットヘッドをシャトルの軌道上へと置く。そのまま力を込めてドライブで打ち返すと前に出ようとした佐藤は再び後方へと移動して行く。佐藤からはバックハンドになったためか、クロスでシャトルをネット前へと打ってきた。

(ここだ!)

 真比呂はラケットを前に出しながら斜め前へと駆け出した。

(ここでヘアピンを成功させる。絶対に!)

 真比呂は再度頭の中で隼人の言葉を思い出す。
 けして力を込めないこと。シャトルの動きをよく見て、ラケットを差し出すこと。
 あとは――

『置いてくる感じ、かな』

 上手くヘアピンを打てない真比呂に対して、隼人がひねり出した言葉。
 バスケットボール部だった真比呂は基本的に運動能力は高い。体にバドミントンの動きを身に着けることが出来れば実力も飛躍的に上がると隼人は考えて、いろいろ真比呂が納得しやすそうな言葉を選びながら指導してきた。真比呂はそれでも自分の好きな方向へと流れたためにドロップやヘアピンは上手く身についていないが、練習では一通り習っている。

『置いてくる……シャトルを』
『そう。レイアップシュートみたいなもんかな。あれも、置いてくるんだろ?』
『そうだけど、あれは左掌からぽんって感じだからな』
『左掌がラケットヘッドになったと思えばいいんだよ。ラケットは体の一部』

 ヘアピンで思いだす知識はもう残っていない。ラケットを体の一部として、ラケットヘッドを掌のように扱い、飛んできたシャトルを受け止めてからネットの向こう側へと置いていくように打ち返す。
 そのために必要な体の動きは。

(出来るだけ体を固定して……そして!)

 極力、シャトルがラケットに跳ね返る力のみにするように、シャトルを自分から迎えに行く。ラケットヘッドが触れる瞬間に、真比呂は体を固定するために突きだしていた左足でしっかりとコートを踏みしめた。

「はっ!」

 ラケットヘッドから跳ね返ったシャトルは白帯を越えて相手コートに跳ね返る。
 その高さはこれまでの半分以下であり、佐藤が前に出てくる前にはもう白帯を下回ってコートへと落ちるところだった。

「らあっ!」

 佐藤はシャトルへと追いついてロブを打ち上げる。真比呂は自分のほうへと返ってきたシャトルを追いかけつつ、今のヘアピンの手ごたえに胸が熱くなっていた。

(今のヘアピン……いい感じなんじゃねぇか!)

 シャトルに追いついてからスマッシュを打って前に出る。佐藤はバックハンドで再びクロスに打ち返し、真比呂を左斜め前へ誘い出した。真比呂はラケットを伸ばして再度左足を踏みこんでヘアピンを放つ。シャトルは一つ前よりも浮かずに白帯を越えて落ちて行く。今度は佐藤も取ることが出来ずに、前にラケットを伸ばした状態でシャトルを見送るしかなかった。

「ポイント。フォーナイン(4対9)」
「おっしゃぁあああ!」

 たった一点。しかし、自分にとっては価値のある一点に真比呂は声が抑えられなかった。その価値は隼人たちも分かっていて、真比呂に向けて声援を送る。

「いいぞ! ナイスヘアピン!」
「この調子で少しずついこう!」
「井波! しっかりな!」

 理貴と純が交互に声を出し、最後に隼人が力強く吼える。真比呂はそれだけで体の奥から力が湧きあがってくるような気がしていた。

「しゃ、一本行くぜ!」

 これまでの劣勢を全て跳ね返すという気合いをこめて、真比呂は吼えた。
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