●● SkyDrive! --- 第七十九話 ●●
「はぁああっ!」
純が吼えてラケットを渾身のサイドストロークで振り切ると、シャトルは空気を破裂させたような音と共に真っ直ぐ飛んでいた。空気の抵抗を貫くようにシャトルは速度を落とさないままネットを越えて小笠原の真正面へと突きぬけて行く。前衛で守っていた井口のラケットが間に合わないほどの速度に、小笠原は体を入れ替えて純と同じようにサイドストロークでシャトルを打ち抜く。ダブルスの外側のラインぎりぎりに向かったシャトルを理貴がインターセプトして、あえて井口の顔面へとシャトルを打った。
「このっ!?」
井口はラケットを掲げてシャトルを打ち返すのが精いっぱいだった。打ちあがったシャトルに対して理貴は体を投げ出すように飛び上がるとスマッシュでシャトルを打ち込む。ちょうど井口の頭の傍を抜けてシャトルはコートへと落ちていった。
そう、錯覚するのが当たり前のタイミングで小笠原が差し出したラケットによって、シャトルは理貴の頭を越えて背後へと落ちて行く。自分も周囲もスローモーションに見えて、シャトルがコートへと落ちて行くのも理貴にははっきりと見えていた。
「ポイント。トゥエンティオール(20対20)」
「うぉおおおああ!」
「ここで食い止めろ!」
歓喜に沸き立つ南星高校に負けないくらいの声で応援してくる仲間たちに向けて、理貴は荒くなる息を抑えないまま吼えて拳を掲げていた。その後、純の所に走っていき互いに左手を打ち合う。体の中を駆け巡る衝動に身を任せた。
(どうなることかと……思ったけど……やっぱり、こうなるか)
理貴はしばらく熱さに身を任せて、熱が引いた後でほっと溜息をついた。
15対11とリードを広げた所までは良かったが、そのから徐々に盛り返されていった。理貴たちが一点取る間に二点取られ、一点取られと繰り返し、ほぼ突かず離れずの攻防を続けていた。
そして流れを変えられないままに二十点に到達し、あと一点で勝てるというところで二連続得点から同点に追い付かれた。
改めて相手の力量を思い知る。力の差を大きく感じることはなかったが、結局は地力の差が終盤になって出てきている。
改めて気合いを入れ直してから理貴は純にとにかくドライブを打たせた。体力が減ってきて威力が弱まっていることは分かっていて、純の攻撃と自分のヘアピンが現時点での最良な戦法だと理解していた。
そう理解した上での、先ほどの純のドライブはファイナルゲームまで通して最高のドライブだと言える。しかし、そのチャンスを自分が生かせなかった。
「理貴。今のは忘れよう。二点差付けよう」
「……ああ」
サーブを打つために位置につく純だったが、声には疲労が色濃く出ている。右腕を何度か回して動かそうとしているのを見ると、ドライブを渾身の力で打ち続けた反動が来ているのかと考える。しかし、理貴もまたネット前で意識を集中させてヘアピンを打つことで神経をすり減らしていた。一瞬でも気を抜けば。あるいは抜かなくても井口はシャトルをプッシュで押し込んでくる。後方に抜かれてもかろうじて純が間に合ってロブを上げてラリーをリセットするが、またネット前での繰り返しとなって疲労が蓄積する。
それでも、自分たちが勝つために。
あと一回ずつ、一人一人で無理をすることが条件になる。
(悔んでる余裕はない。ここから、二点取る)
純に向けてサーブを打つ体勢を整えている小笠原の顔にも疲労の色は濃く現れていて、けして自分たちだけが底を見せているというわけではない。だが、一つ前のプレイのように確実に決められたというタイミングでも油断はできない。どこからでもラケットが伸びてきて理貴が反応できない場所へとシャトルを運んでくる。
力の差は理解した。だからこそ、勝てないところで勝負するわけにはいかない。
「よし、集中!」
「一本!」
どう闘えばいいか理貴が悩んでいる間に純が吼える。小笠原は純の気迫に負けないようにと声を出して、ショートサーブを放った。綺麗に弧を描いていくシャトルに向けて突進した純は、咄嗟に横に飛んでシャトルを躱していた。
(何!?)
シャトルの軌道からアウトと読んだのかもしれないが、それが誤っている可能性もある。理貴は祈りを込めながらシャトルの行く先を見ていると、シャトルはラインの傍へと落ちていた。
(際どい……)
インとアウト。どちらでも取られそうな場所に落とされたシャトル。理貴は極力不安を顔に出さないように審判を見た。自信を持ってアウトだと思って、純は見逃したのだと少しでもアピールする。そのアピールが功を奏したというわけではないかもしれないが、審判は一つ頷いて告げる。
「アウト。ポイント。トゥエンティワントゥエンティ(21対20)」
「しゃっ!」
「よし!」
純と理貴は同時に拳を握って吼える。終盤の一点を争う段階でのサーブミス。確かに際どかったが、逆を言えば精度が高かったサーブにミスが出たということ。いくら力は上でもファイナルゲームまで通して技量の高さを保持する体力はまだないということになる。無論、純と理貴も同様だが。
「ラスト一本行こう」
理貴はシャトルを拾ってラケットで跳ね上げる。何度か同じ高さにまで打ち上げた後で左手で勢いをつけてとると、バックハンドサーブの姿勢を作った。
大事なところでいつも通りのプレイが出来るようにするための精神制御のためのプリセットルーティン。効果はあったようで、一番緊張する場面でも心の中に余裕ができていた。純が背後につくのを気配で確認してから相手の表情を見る。
井口は少し肩に力が入っているのか、これまで見てきた位置が上がっているように見える。理貴がどちらのサーブを打ってくるのかを悩んでいるのかもしれない。ファイナルゲームに至るまでに理貴は大事なところではショートサーブとロングサーブを交互に使ってきていた。ここまで競る展開を予測したわけではないが、伏線として何か使えないかと思ってばらつかせた甲斐はあったと考える。
「理貴! 楽しめ! 楽しんでけ!」
隣のコートから聞こえる声に理貴は視線を向けずに苦笑する。
(お前は試合中だろ。黙ってろよ)
真比呂がまた審判に注意される声も右から左に抜けて行く。
(楽しめ、か。確かに大事だな)
この一本を取れば勝ちという状態だとプレッシャーもかかってくる。
「勝負を決める一点」を「ただの一点」というところまで落ち着かせるために理貴もプリセットルーティンを組み込んでいるのであり、真比呂の言葉の真意が同じ所にあるということは分かる。
(いや、あいつは逆に何も考えてないのかもな)
真比呂の言葉の裏に「真意」があるとはどうしても思えなかった。言葉通りの「楽しむ」ことを真比呂は告げているのだとすればプレッシャーから逃げるのではなく、向きあった上でその圧力を楽しむこと。それが真比呂の試合への挑み方なのかもしれない。
「ふぅ……一本」
理貴は眼を自然に開いて斜め前にいる井口を見た。視界の中は井口の他に小笠原も後方に控えている。更に奥には南星高校の選手や監督が井口たちの様子を見ていた。これまで相手の姿だけに集中してきたが、ほんの少し力を抜くだけで透明になったように見えるものが多くなった。
(二十二点目……取る)
羽を指に引っかけるようなイメージで摘まみ、ラケットヘッドの前に置く。そこからゆっくりと後ろに動かして、手前の白帯の上に置いていくように押し出す。
一連の動さによってシャトルは緩やかな弧を描いて井口が待つコートへと入っていった。軌道はギリギリで、小笠原のサーブと似ているように見えたが、井口は純のように躱すことなく、プッシュを打ちこんできた。
「はっ!」
ダブルスのサイドライン上に落ちるように放たれたシャトルは、純がしっかりとロブを上げてコート奥へと運んでいく。追っていった小笠原は真下に入るとスマッシュを逆サイドに向けて打ちこんでくる。コート奥からでも威力十分のショットだったが、理貴は既にバックハンドで構えてシャトルをとれる場所まで移動していた。
(ここで、決め――)
瞬間的に頭の中で鳴る警鐘。バックハンドでのストレートのドライブを打とうとしている理貴に対して、井口が射線上にラケットを置くところが見えていた。だからといってクロスに打つにはタイミングが際どい。
「うぅうらあっ!」
だからこそ、理貴はあえてシャトルを最初のイメージのまま打った。ただし、渾身の力を込めて。
予測された軌道だからこそ持てる力を全て含めて、ほんの少しだけ想像できる未来を変える。シャトルは井口のラケットヘッドに向かっていき、着弾してから跳ね返ってきた。
理貴とシャトルの間の隙を埋めたのは、純。
「だっ!」
プッシュまで低くはないが速さがあるシャトルに、純もラケットを差し出して軌道を変えることが精一杯だった。だが、クロスに落ちて行くシャトルを井口は取ることが出来ない。両足をコートについて揃えたまま、シャトルを追う動きができなかった。
「ぐお……!!」
井口のうめき声が届く中で、理貴はシャトルがコートへと落ちるのを見ていた。
井口は動けず、シャトルを遮るラケットはない。理貴は最後の一点を取ることを確信し、胸の内から歓喜が蘇る。
だが、次の瞬間に視界に入ってきた小笠原のラケットによって現実に引き戻された。
「おらぁあああ!」
体を投げ出すようにしてラケットを低く差し出してくる小笠原。ヘッドスライディングで飛び込んでシャトルをヘアピンで返すことだけに集中しているのは、打ち返した後は井口に任せるという圧倒的な信頼からくるものとしか思えない。
(また、俺は!)
二十点目を与えてしまった瞬間。自分が打ったプッシュを井口が取れず、決まったと思った瞬間に小笠原のラケットで打ち返されていた。その時と全く同じ轍を踏むのだと気付き、理貴は動きがほぼ止まっている世界で歯を食いしばる。少しでも体が動くように。シャトルに向けて動くように。
だが、ネット前への距離は縮まらず、小笠原のラケットがシャトルをすくい上げるのが見えた。純も動き出せておらず、このままシャトルが白帯を越えれば二人とも取れない。
そして、シャトルコックは白帯へと当たり、羽部分が回転して理貴たちのコートへと入る。
――そこまでだった。
シャトルは動きを止めて倒れた小笠原の前へと落ちていた。
「ポイント。トゥエンティツートゥエンティ(22対20)。マッチウォンバイ、外山・中島。栄水第一」
審判の言葉が終わっても、理貴と純は動かなかった。小笠原が起き上るのを井口が手助けして、両足を付けてから勢いよくため息をついたところで、理貴も我に返って構えを解く。最後に純がラケットを下ろして呆けた顔で理貴へと視線を送ってきた。
(やった、んだ……)
理貴もこれで終わったという感触がなく、呆けた状態で純を誘い、ネット前に歩いていく。既に小笠原と井口は立って待っており、二人がついたところで手を差し出した。
「ありがとうございました」
「あ……ありがとうございました」
小笠原が理貴へと腕を伸ばして掌を力強く包んでくる。痛みに顔をしかめると小笠原は笑いながら手を離した。
「強かった。またやろう」
「お前もドライブ凄かったぜ」
井口は純へと言葉を向けて、先にコートから出て行く。後を追う小笠原の背中も理貴と純は二人で眺めていたが、隼人に呼ばれたことでようやくコートから出た。
「お疲れさん」
コートの外に完全に出た後で隼人からの労いの言葉と、亜里菜からのスポーツドリンクのペットボトルをもらい、理貴は肩の力が抜けてバランスを崩した。倒れはしなかったが寝そうになった状態から唐突に起きるような動きをしたことで体が痛くなる。顔をしかめつつも笑って隼人と亜里菜に向けて言った。
「正直、運が良かったな」
「そうだな。最後のヘアピンが入ってたら、違ってたかもしれない」
隼人の言葉に理貴は居心地の悪さを感じた。
隼人の観察眼が自分たちのミスを見逃すはずがない。コートにシャトルが落ちる前に勝利を確信した結果、相手からの反撃に動くことが出来なかった。爪痕は間違いなく刻まれ、試合が続いていたならば立て直せなかったかもしれない。こうして試合が終わった後だからこそ引きずっているのだと真比呂はいうかもしれないが。
「でも、とにかく俺たちの勝ちだ。首の皮一枚繋がったってところだろ」
「首の皮って……井波は微妙?」
純の問いかけには答えずに隼人は指をさす。指先を追っていくと、隣のコートで試合をしている真比呂の姿。よくシャトルに喰らいついているが、スコアは5対3でセカンドゲームまで進んでいる。
「ファーストゲームは取られた。セカンドゲーム次第だけど、相手は今の井波だと勝てるか勝てないかってところだ」
「そっかぁ」
純は呟きながら椅子へと座り込み、ペットボトルを口にする。理貴も同様に、もう立っている体力はなかった。ファイナルゲームまでもつれこんでギリギリの闘いをしたからではあるが、何よりも格上の相手と試合をしたというのが大きい。
(今回は運が良かった。それでも、運を引き寄せるくらいには……強くなれたかな)
ダブルスで市内で上位のダブルスに勝てたという経験は大きい。全国大会に行くには少なくとも県大会の上位にいかねばならず、そのためには負けていられない。そんなダブルス相手に、勝てたとはいえどちらに勝利の天秤が傾くか分からないような試合では全国など夢のまた夢。更に言えば、一日二試合しただけで体力が尽きかけているようでは戦えない。
「また課題見えたね。がんばろ、二人とも」
亜里菜が頬笑みながらかけてくる声に理貴は内心、どきりとして表情に出さないようにするのに力を使った。心の底から理貴と純が強くなることを望んでいるような言葉遣いに、純のほうは素直に顔を赤らめて頷いている。理貴は隼人を一瞥してから、礼緒のほうへと視線を移した。
「井波が負けるとしたら……やっぱり首の皮一枚、だな」
「ああ。小峰があいつに勝てるかどうか。信じるしかない」
礼緒は会話に全く入らずに純と理貴と入れ替わるようにコートへと入り、中央で立ったままラケットを見つめていた。外から見ても分かるほどに気を張り詰めていて、気迫が滲み出ている。だが、それは気負いすぎとも思えた。
礼緒の中学バドミントンにとどめを刺したといえば運命を感じさせるようなライバルかもしれないが、理貴から見ると気負い過ぎにしか見えない。
「必死に嫌な気持ちから気をそらそうとしてるんだろうけどな」
「なら、少しでも楽になってもらえるように、井波を応援で勝たせよう」
純の言葉に理貴は何も言えなかった。負けることは祈っていないが、心のどこかでは真比呂が負けるという前提で話していた自分がいたことを否定できない。隼人も亜里菜も同様なのか苦笑しつつ、真比呂へと声を出す。
「井波! 落ち着いていけよ!」
「おうさ!」
試合の間でも声援への反応は素早い真比呂に理貴は苦笑しつつ、試合を見つめていた。
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