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● SkyDrive! --- 第七十八話 ●

 理貴はシャトルを打ち上げてから純と同時に左右に広がり、相手のスマッシュを待つ。これまでのラリーから相手の出方はほぼ分かっている。後方に移動した小笠原はラケットグリップの端を持って、まるで鞭が振るわれる時のような腕のしなりをつけて、スマッシュを放ってきた。本来なら握る力が足りずにすっぽ抜けてもおかしくはないのに、小笠原にとっては変わった持ち方とフォームこそ正しいと言わんばかりに強打が来る。理貴の真正面にコントロールされてきたシャトルを、バックハンドに握りを変えてしっかりとロブで上げる。
 シャトルが上がるタイミングに合わせて斜め後方から飛び込んできた井口が、ラケットを振り切るとすぐに前衛の中央へと戻っていった。一見すると無駄な動きに見えるが、井口の姿がちらついて理貴はネット前にシャトルを安易に打てなくなったため、効果はあると理解した。

(完全に小笠原が攻撃で、井口が前衛で防御って分担されてるか)

 相手の役割がはっきり分かれているダブルスは単純に考えれば攻略しやすい。前衛プレイヤーを後衛へと追いやれば、後衛プレイヤーは前衛で上手く動けずに攻撃も威力が落ちていく。
 だが、小笠原と井口のダブルスは徹底的に小笠原が後方で井口が前衛というスタイルを貫いていた。シャトルを丁寧に打ちまわして、小笠原が後方へと行かざるを得ないシチュエーションを作り上げても、小笠原は後方に向かい、強打を放ってくる。
 理貴も純もがむしゃらに自らの位置を確保しようとする小笠原と井口のトリッキーな動きに、前半は呼吸を掴むことが出来ずにゲームを奪われていた。第二ゲームになってようやく動きに慣れてきたことで自分たちの調子を保ちつつ、要所要所でスマッシュやドライブを相手の体へと叩きつけて得点を重ねていき、第二ゲームはもぎ取った。
 互いの手の内を見せた上でのファイナルゲーム。理貴の防御をかいくぐったシャトルを取るために純は移動したが、それまで果敢に打って行ったドライブを封印してロブを上げる。ファーストゲーム、セカンドゲームと打ち続けて行くうちに、井口がインターセプトする確率が増えていった。純のドライブは強力であるがゆえにカウンターを返されれば取る余裕がない。そのため、相手のバランスが崩れた時を狙ってのみ、シャトルに渾身の力を込めていた。

(お互いに相手の攻撃手段を攻略してきてる……なら、あとはヘアピン勝負、か?)

 小笠原のスマッシュに純のドライブ。互いの後衛からの攻撃手段をしっかりとロブを上げることで封殺している現状、残るのは前衛でのヘアピン勝負だと理貴は考える。
 ファイナルゲームまで不自然なほど小笠原がスマッシュを続けて、井口が甘く上がったシャトルを打ち抜くという基本を繰り返してきた分、しかけるならここだと理貴は思う。
 自分もまた、攻めを純に任せてきたからこそ思いついたことだ。

「純!」

 名前だけ呼んで前に出る理貴。純も意図を理解したのか、クロスでドライブを放っていた。前に突進する理貴の後頭部を掠めるギリギリのラインで突き進んだシャトルに、ほんのわずかだが井口の出足が鈍る。僅かなブラインドは前衛の高速の攻防には大きな差となる。シャトルに追いついた井口はラケットで軌道をシャットアウトしてヘアピンを返すが、既にそこには理貴のラケットが置かれていた。

「ふっ!」

 手首のスナップを利かせて打ち返したシャトルは井口の胸部へとぶつかり、コートへと落ちていた。

「すみません」
「ナイスショット」

 頭を軽く下げた理貴に対して、井口は笑いかけてからシャトルを拾い上げる。羽を丁寧に整えてから軽く理貴へと放り、すぐに踵を返した。瞬間、理貴は背筋に悪寒が走る。

(十分、怒ってるな……)

 笑顔は全くのウソ、というわけではないだろう。ボディ狙いは通常取られる戦術でいちいち腹を立てていても仕方がない。おそらく怒りはそのひとつ前の自分のヘアピンが甘いことに向けてのはずだった。理貴の動きによってシャトルを一瞬見失い、追いつくのが遅れた時に今の攻防はもうほとんど決着がついていた。もちろん、絶対ではなく次の自分のショットで巻き返しは可能だ。
 それでも、井口は最善のショットは打てたが最高のショットは打てなかった。

(もっと厳しく来るかもしれない。中盤とはいえ、油断できない)

 スコアは12対10と理貴たちのリード。シャトルを持ってサーブ位置についた理貴は小笠原相手にシャトルを向かせる。ラケットヘッドに触れさせて、相手をしっかりと見据えると鋭くロングサーブを打ち上げた。

「はあっ!」

 飛び上がってラケットを伸ばした小笠原は、ヘッドの先がシャトルコックに触れた瞬間に手首を使って打ちおろしていた。手首打ちだけでも威力ある弾道に、理貴はラケットを差し出してヘアピンへと変える。しかし、前に出てきたのは井口。小笠原は着地した瞬間に後方へと飛びのいた。

(あくまで陣形は変えないのか!)

 井口のヘアピンに必死に食らいつく理貴。第二ゲームやファイナルにかけて何回かはヘアピン勝負の時はあったが、通して得た結果は理貴のほうが劣るという事実。スピンをかけ、クロスに打っても徐々に井口のヘアピンに追い詰められ、最後はロブを上げられないところまで追いやられる。だから理貴は打ち返せなくなる前にロブを飛ばしていた。
 だが、今は状況が異なる。

「はっ!」

 スマッシュを打つ時のような気合いでヘアピンを放つ。シャトルコックを打ち抜くように鋭くラケットヘッドを前に出し、不規則な回転を与えていく。シャトルの動く方向に合わせて、バドミントンシューズがコートを踏みしめる音が響いた。
 大きな踏み込みの音と共に理貴のラケットがシャトルコックを鋭くかすらせて、ネットを越える前に頂点を持っていくと白帯にぶつかって落ちて行った。

「ポイント。サーティーンテン(13対10)」
「よし!」
「ナイスヘアピン!」

 ヘアピンを決めたことで気合いをこめる理貴に、背後からかかる純の声も乗っていた。振り返って掲げられている掌に左手を叩きつけて空気が破裂するような音を響かせてから、理貴は次のサーブ位置へと着いた。

(あんなヘアピンはそう何度もできない。でも、できたことが布石になるはず)

 理貴は井口に向けてシャトルを打ち出す。丁寧なショートサーブで運ばれたシャトルはしかし、白帯を越えた瞬間に井口のラケットによってコートの端へと打たれる。理貴は方向を読んでラケットを伸ばし、ロブを上げた。即座に井口のラケットが振り切られるが間一髪でシャトルは高く遠くへと抜けて行く。内心、心臓を高鳴らせながら後方へと下がった理貴は小笠原のスマッシュが胸元まで食い込んでくるのを『見た』

(はやっ!)

 後方への移動は油断なく、相手の姿も視界の中に捉えていたはずだった。だが、体勢を整える一瞬に視線が外れ、そこをシャトルが突いた形になる。理貴は更に後方へと飛ぶように移動しながらラケットをバックハンドで振り切った。シャトルはラケットの中央へと当たり、乾いた音を立てて跳ね返る。狙いが正確であるために、咄嗟に振った位置が狙いの基本の沿っていたことで運よく返すことが出来た。
 それでもチャンス球が上がってしまう。相手のコート中央付近まで上がったシャトルはそれ以上飛行せずに落ちて行き、後方から小笠原が前方へとダッシュしてきて飛び上がる。前方へのジャンピングスマッシュで打ち出されたシャトルは理貴、ではなく純の方向へと向かった。

「はっ!」

 理貴でさえも追えず、反応できない速度のシャトルを純はサイドに構えていた状態からラケットを振り切って打ち返していた。スマッシュをドライブの軌道で返す純。だが、どうしてもコートと並行とはいかずに斜め上に飛んでいく。低い弾道で跳ね返るシャトルの軌道に差し込まれたのは井口のラケット。強打はせずに、ただ当てて勢いを完全に殺し、ネット前へと落として行く。
 そこは理貴の戦場だ。

「うぉおおおらっ!」

 純が打ち返したシャトルとほぼ同時に前に出た理貴は、ネット前に落ちて行くシャトルにラケットを伸ばす。タイミングはギリギリで、体勢を気にしていては間に合わない。体を投げ出すように右腕を伸ばし、ラケットヘッドがシャトルに届くが視界の先にはシャトルを待ち構える井口の姿が見えた。

(このっ!)

 ラケットがシャトルに触れた瞬間に手首を自分へと返す。一瞬だけ走る痛みに顔をしかめたが、歯を食いしばって耐えて、そのまま足を踏み出した。倒れないようにコートに踏みとどまると自分の打ったシャトルの軌跡を追った。

「はぁああ!」

 クロスヘアピンで返した先にいたのは井口。掲げられたラケットがシャトルを理貴たちのコートへと打ち落としていた。

「ポイントイレブンサーティーン(11対13)」

 審判のカウントに井口はシャトルを拾うと、小笠原に向けて笑みを向けていた。

(くそ……流石にあれは通せない)

 ギリギリの位置でクロスヘアピンをするのは諸刃の剣。相手も待ち構えている自分のところに理貴が素直にヘアピンを打つとは思っていなかったということだろう。あるいは、打った後でも反応できたか。
 体勢が苦しくなった時点で自分の敗北だったと、理貴はため息を一つ吐いて今の攻防を頭から除いた。

「すまん。一本行こう」
「理貴」

 自分に近づいてきた純へと謝る理貴へと、純は顔を近づけた。相手に聞かれたくないことを言う時の動作だと分かっている。理貴は共にレシーブ位置へと戻る間にできるだけ傍に寄って耳を傾ける。

「ちょっとヘアピンに固執しすぎじゃないか?」
「……そうか?」
「俺はもう少し、ドライブ打てる」

 そこまで会話したところで、純は離れる。今度のサーブは純へと打ち込まれるため身構える必要があった。審判もすぐに試合を再開するように視線を送ってきているため、無駄に伸ばすわけにはいかない。だから、理貴は純の提案について短く告げる。

「よし。頼むわ」
「おっけ」

 短い単語のやり取りで次の戦略を練る。理貴は不意におかしくなって頬が緩んだ。
 まるで昔から組んでいたダブルスのような一体感を覚えたのはいつからだったか。おそらくは練習試合の後からだと理貴は思い出す。純とのダブルスはパズルのピースがぴったりとはめこまれた時の快感に似ている。かつての友とのダブルスとはまた違った安心感は、理貴の動きをよりスムーズにする。

「ストップ!」

 相手のショートサーブに合わせて吼えた純が次に打つショットも分かる。純はヘアピンでネット前へとシャトルを落としてから後方へと下がった。井口は理貴の姿が見えたからかヘアピンは打たずにロブを打ち上げる。
 理貴は前衛で腰を落としながら、純が次に打つショットを理解して更に腰を深くしていた。

「はあっ!」

 純の一際大きな気合いの咆哮。そしてこれまで以上に激しく空気が爆発したかのような音が響く。音に遅れてシャトルは理貴の頭上を抜けて行き、目の前にいた井口がラケットを掲げるもネットに引っ掛けて自分の側へと落としてしまっていた。

「ポイント。フォーティーンイレブン(14対11)」

 あまりのことに時が止まったかのような静寂。だが、それを破ったのは真比呂の声だった。

「ナイスドライブ! 純! 流石だぜ!」
「お前は自分の試合してろ!」

 自分のサーブの時に純へと声をかける真比呂と、応援をしているコートを越えて注意する隼人。理貴はおかしさに顔がほころぶのを止められなかった。その表情をどう受け止めたのか、井口は逆にむっとしてシャトルを拾う。

「勝ちますよ、俺らが」

 シャトルを受け取る瞬間に理貴が告げると、羽をつまんでいた井口の指に力がこもった。
 シャトルコックを持って引き抜こうとした動きが止まったことで気付いたが、止まったのは一瞬ですぐにシャトルは理貴の手の中へと収まった。井口の瞼は細くなり、理貴を睨みつけていたが背を向けてレシーブ位置へと戻っていく。理貴はほっとして純へとシャトルを渡した。

「丁寧に一本行こう」
「おう」

 純はバックハンドで構えてから、シャトルをラケットヘッドの前に置く。理貴が腰を落としたタイミングで静かに打ち出したが、小笠原がプッシュで理貴目掛けて打ちこんできた。白帯から少し浮かび上がって打ち込む隙を与えてしまったが、理貴は体勢を変えて打ちやすい位置に体を入れるとバックハンドでドライブを放った。前に詰めていた小笠原の顔面に向けてのシャトルに反応したのは井口。どうしても前に詰めようとする井口に対して、理貴は今の配置を考えて背後に下がった。

「たっ!」

 ネット前のシャトルを取ったのは純。ラケットに弾かれて落ちて行くシャトルを井口はスピンをかけてヘアピンを打つ。不規則に揺れ動くシャトルに対して、純は正確にプッシュを放った。
 その瞬間、井口の表情が曇ったように純には思えた。

(当てが外れたか? 純は前衛も強いぞ!)

 小笠原が後方からドライブを放つ。純のプッシュはあまり角度がついていなかったが、ドライブを打つにはネットの下へと入り込んでいたために、斜め上に打ち上げられる軌道を取る。ネットを越える時に白帯のすぐ上を通ることから、軌道を読むことができれば横移動した純のラケットがシャトルを捉えるのは十分可能だった。

「ふっ!」

 ラケットに触れた瞬間に鋭く手首を使ってシャトルを打ち落とす。完璧なタイミングに、井口は一歩も動けずにシャトルが転がるのを見るしかなかった。

「ポイント。フィフティーンイレブン(15対11)」

 着実に近づいている勝利に理貴は気持ちが高ぶる。だが、冷静になるために何度も深呼吸をして落ち着くと、ラケットを軽く純の背中に当てた。

「よし。頼むわ」
「おっけ」

 十四点目を取った時と同様のやりとり。できるだけいいイメージで特典をした時の再現をすることで、熱くなりそうな自分たちを抑え込む。勢いに身を任せれば細かいところで隙が出来てしまい、点差などあっという間に詰められる。自分たちが闘っている相手はそういうダブルスペアだと理貴も純も理解している。
 相手もまた、最後まで理貴たちが油断せずに点を取りにいくだろうと分かっているかのように、お互いに声を掛け合ってサーブ権を奪い返そうと気合いを入れていた。

「っし。純」
「理貴」

 二人は拳を打ち合わせながら互いに告げた。

「一本」
「行こう」

 市内大会団体決勝戦第二試合。
 外山・中島組VS小笠原・井口組

 外山・中島組リードのまま終盤へと向かっていく。 
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