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● SkyDrive! --- 第七十七話 ●

「はっ!」

 高梨から放たれるシャトルは鋭さを保ったままでコートを最も長く貫いていた。自分のコートの最奥から相手コートの後方のライン上へと、真っ直ぐに線を引いて貫いてくるシャトルに隼人はなんとか追いついてラケットを振り抜いたが、飛距離が長くても威力を失わないシャトルに押されてネット前にチャンス球を上げてしまう。既に前衛に陣取っていた下柳はカバーに入ってくる賢斗を一瞥し、躱すように賢斗の逆サイドへとシャトルを落としていた。

「ポイント。ナインティーンフォーティーン(19対14)」

 下柳は息を吐いて踵を返し、高梨と手を合わせる。気合いをこめた高梨に対して下柳は左手を振って風に冷やしながらサーブ位置に戻る。賢斗は転がったシャトルを拾い上げて羽がボロボロであることに気づき、審判に換えを要求した。

「鈴風」
「ごめん。大丈夫だから」

 背後から声をかけてくる隼人に振りかえる賢斗の顔は、とても「大丈夫」とは思えなかった。緊張と体力の消耗によって汗が大量に流れるのを絶えず両手で拭きとっていく。
 隼人はスコアを眺めて改めて考える。

(第一ゲームを24対22。第二ゲームは19対14。やっぱり、終盤には体力の差が出てるか)

 ファーストゲームは先行されながらも何とか喰らいついて、延長に入った末に負けていた。手が届きそうであと数歩届かないという感覚が消えないまま第二ゲームも終わりに近づき、点差を広げられている。隼人が走り回らされて作られた隙をカバーしようと賢斗が動くと、見透かされたようにシャトルを沈められる。連続して同じように得点を許すことで精神的にも消耗していた。隼人はまだ堪えているが、賢斗の様子から見て成因的にも限界が近い。

(何とかフォローしたいけど……今の俺、じゃ)

 自分よりも総合的に強い相手二人に対して、対抗できる手段は今の隼人にはない。隼人と同レベルの働きを賢斗にも求める必要があるが、まだ苦しいのは明らかだ。

「高羽。ストップしよう」

 どうするか悩んでいた隼人の思考を一度止めたのは賢斗自身だった。体力が切れそうになり、汗がようやく引きかけているが体力も切れているのは見てすぐに分かる。それでも、思い切り深く息を吐いてから笑顔を作る。

「あと五点、六点一気に行こう」
「……ああ」

 賢斗は前に出て、下柳のサーブに備えるためラケットを掲げた。下柳はバックハンドサーブの姿勢を整えて、身構える賢斗のどこに打とうかと隙を探しているように隼人には見えた。やがて、ラケットが細かく振られてシャトルがネットを越えてくる。賢斗はプッシュをすることなくしっかりとロブを打ち上げていた。
 打ち上げてからすぐに背後へと移動する賢斗。真後ろから真横にスライドした隼人は、腰を落としてスマッシュに備える。
 高梨が横移動したまま飛び上がってスマッシュを放ってくる。ワンテンポ速いスマッシュにも賢斗はなんとか反応してロブを打ち上げる。バックハンドでのリターンだったが、しっかりと奥へと返って下柳がインターセプトすることは妨げた。
 高梨は再び自分のところへとやってきたシャトルを、今度は隼人のほうへとスマッシュで撃ち抜く。隼人は高梨と下柳の位置を確認してから高くしっかりとしたロブを上げた。シャトルはコートのラインに沿って飛んでいき、落ちて行く頃には高梨が真下に入っている。三度スマッシュを放とうと振りかぶったタイミングで隼人は前に出ていた。

(早い位置で、カウンター!)

 スマッシュの来るタイミングと方向をある程度狭めれば、ラケットを掲げるだけでシャトルを跳ね返し、カウンターを取れる。だが、高梨のスマッシュで放たれたシャトルは、隼人のラケットのフレームに当たってコートの外へとシャトルを飛ばしていた。

「ポイント。トゥエンティフォーティーン(20対14)」
「しゃあ!」

 高梨が吼えてラケットを掲げる。下柳もこれまでより少しだけ顔をほころばせて、高梨へと近づくと手を打ち合わせていた。気合いのこもった様子に隼人は20点という点数の意味を改めて思い知る。
 二ゲーム目の20点。あと一点取られれば自分達の敗北が決まる。背中に流れる冷たい汗を感じても、隼人はあえて頬を笑みの形に緩めた。しっかりと相手を見据えた後で賢斗へと視線を移す。どんなに厳しい状況でも諦めずに活路を示すためには、後悔や敗北の恐怖に負けずに顔を上げて前を向く以外にはない。

「高羽。一本」
「分かった。頼むぜ、鈴風」

 これで終われば負けるという段階でのショートサーブ。下柳から来るプレッシャーがこれまでよりも段違いだと隼人は感じ取る。このサーブのターンで決めようという心を存分に見せつけてきて、隼人は笑みを深くする。

「ストップ!」

 自分の心の内に広がる思いに隼人は身を任せてみる。いつもならば冷静に戦況を把握して打つショットを定めるが、今回は何故か、気持ちに従って思いのままに体を動かしたくなっていた。ショートサーブでシャトルが放たれた瞬間に前に出て、右足をコートに叩きつけてラケットをシャトルへとぶつける。シャトルは中空に描かれた綺麗なラインを通っていくために強く振ればネットにぶつかってしまうが、隼人はラケットを小さく、鋭く動かしたことでネットに触れるのを回避した。シャトルは一瞬の力の伝達だけで十分な速さで帰っていく。下柳も自分のサーブにある程度自信があったのか、返ってきたシャトルに反応が遅れる。強引に腕を伸ばして跳ね返したが、ネットを越えた瞬間に隼人のラケットによってコートに叩き落とされていた。

「ポイント。フィフティーントゥエンティ(15対20)」
「ナイスプッシュ!」

 背後から聞こえてきた声に振りかえって手を掲げると、賢斗は自分の左手をぶつけてきた。掌が痺れたが心地よさに隼人は笑みを浮かべる。上手く歯車がかみ合った時の流れ。厳しいコースであり集中力が必要だった分、疲労感も増した。それでも失敗するビジョンは見えなかった。

「あと五点。行こう」
「おっけ!」

 賢斗と共にサーブ位置に戻ると高梨がシャトルを打って返してくる。次のサーブは賢斗から。隼人は羽を整えて賢斗へ渡すと、後方に下がって腰を落とす。賢斗のサーブがショートならば相手がプッシュを放ってくる可能性は高く、それを隼人が打ち返せるかは場合による。これまでの勝率は六割と行ったところ。賢斗がサーブを頑張ってくれたおかげで甘いシャトルが相手へと向かうことはほとんどなかったが、甘くなった時には確実に沈められていた。
 最後になるかもしれないサーブで賢斗がどちらを選ぶのか、隼人は口を出すつもりはなかった。
 ゆっくりと賢斗の左手が腰に周り、小指を立てる。
 ショートサーブの意思表示に隼人は一瞬の間もなく「一本だ!」と吼えた。最終局面で相手のプッシュをしてやるというプレッシャーに負けずに前へ打とうとする気迫は、隼人の中の賢斗の評価を上書きする。

(もう初心者じゃ、ないよ。鈴風)

 技量的には初心者だとしても、もう隼人には賢斗も真比呂も初心者とは思えない。賢斗については葛藤を抱えていたことも理解している。今後、もし足を引っ張るという理由で部活を辞めるというのなら、絶対にそんなことはないと押し留めるつもりだった。

(お前が強気で仕掛けていくことに、俺も助けられてる)

 隼人は腰を深く落とし、賢斗のショートサーブを待つ。一本! と叫んでから賢斗は静かにシャトルを打ちだしていた。シャトルはネットを越えてすぐ落ちていこうとするが、前に飛び込んだ高梨がプッシュで隼人たちの左サイドへとシャトルを叩き込む。最短距離ではなく隙を突くための逆サイド。隼人は一度右足でコートを強く叩いてから逆側へと体を運んだ。

(届けぇええ!)

 右腕を伸ばしてバックハンドでシャトルを拾おうとする。だが、シャトルは隼人のラケットに届く前に相手側に打ち返されていた。
 賢斗が隼人と同じように体を反転させてラケットを伸ばし、逆側へと進むシャトルを前衛でインターセプトしていた。触れるだけで精一杯という賢斗だったが、ネットの近くはそれだけでも十分に有効なショットとなる。高梨が打ちこんだシャトルがほとんどタイムラグなしで跳ね返ったことで、隼人たちのチャンスとなる、はずだった。

「ふっ!」

 タイムラグを帳消しにしたのは、真っ直ぐ前に進んできた下柳のラケットだった。
 最初からそこにシャトルが来ることを知っていたかのように、下柳は迷いなくラケットを振り切り、シャトルは隼人たちのコートへと落ちていた。
 強くシャトルコックがコートに着弾して跳ね返る。羽が折れて宙を舞う様が隼人には見えた。

「ポイント。トゥエンティワンフィフティーン(21対15)。マッチウォンバイ、高梨。下柳。南星高校」
「しゃあ! ナイッショウ!」

 高梨の声に下柳は深く息を吐いて振りかえると、左手を互いに打ち合わせていた。空気が破裂した音が耳に届いて隼人は硬直から回復し、改めて落ちたシャトルを見るとため息をついた。

(負けた、か……)

 追い風が吹きかけた所でとどめを刺された。追い詰められた状態からの反撃の狼煙を上げて、気が緩んだと言われれば緩んだかもしれない。だが、それは誰もが気付くか気付かないかといった些細なものであるはずだった。それを、下柳は的確に突いたのだ。

(まだ一歩も二歩も、相手のほうが上だったか)

 二度目のため息をつき、隼人はシャトルを拾い上げる。ファーストゲームから常に先手を打たれてきて、とうとう上回ることがなかった。思考を巡らせて何度も策を仕掛け、相手にチャンス球を上げさせようとしたが、実際に思い通りに動いたことはほんの数回。あとは逆に相手の十中にはまっていた感覚さえある。

「ごめん、高羽」
「ん? なんで謝るんだ?」

 自分へとかけられた言葉に隼人は意味が分からずシャトルから眼を賢斗へと向けた。賢斗は泣きそうな表情で隼人へと視線を向けてくる。ラケットグリップを力を込めて握りしめ、へし折ってしまいそうに隼人には見える。後悔に顔をゆがませている賢斗に対して隼人は肩を軽く叩いた。そこから力みを外へと逃がすかのように。

「十分やったさ。相手は俺らより一枚も二枚も上だったってことだ」
「でも……」
「ちゃんと反省して、次は勝とう」

 隼人はネット前で待っている二人の元へと進んでいく。賢斗は少し遅れて隼人の後ろについてネット前まで歩くと並んだ。

「2対0で、高梨下柳ペアの勝利です」
『ありがとうございました1』

 勝ったほうも負けたほうも精一杯の力を込めて吼える。負けた隼人たちも音量は負けていなかった。特に賢斗はその場の誰よりも張りのある大きな声を出し、コートの外へと出る。隼人はコートを出てから改めて背中を何度か叩き、耳元で囁く。

「どうだった。もっと、やりたいか?」
「……うん」

 賢斗の返答の遅さは逡巡ではなく、嗚咽を堪えた末のもの。自分の敗戦に心の底から悔しがっているのは、それだけバドミントンに対して真剣に取り組んできたからだと隼人は分かっている。一度は止めたいと思っていた賢斗は、バドミントンに挑み、思い通りにならない自分に悔しがっていた。

「もっと、強くなりたい」
「ああ。俺もさ」

 隼人は叩く場所を肩から頭に変えると、向かいのコートを指差した。
 そこには勢いよく前に突っ込んでラケットを振り上げる純の姿があった。右足を前に伸ばし、ラケットを鋭く振り上げてから勢いのままに後方へと下がる。移動の隙を狙おうとスマッシュをしかけてきた相手に対して純ではなく理貴がバックハンドでインターセプトしていた。するりとネット前に落ちていくシャトルを今度は相手の前衛が受け取り、クロスヘアピンを放つ。
 理貴がラケットを掲げて前衛の邪魔をしたことで打つ先を変更した結果だったが、シャトルの先にはもう一本のラケットヘッドが向かっていた。

「はあっ!」

 理貴の背後から姿を現した純はシャトルがネット越え、落ち始めた所へとラケットを突きだす。シャトルコックを掠らせてスピンヘアピンで相手コートへと落とす。ネットギリギリに落としたことで、シャトルを拾おうと近づいた相手が途中で動きを止めていた。

「ポイント。テンオール(10対10)」
「しゃあ!」
「よし!」

 純と理貴が互いに左手を打ちあって吼える。すぐにシャトルを拾った理貴はサーブ位置についてバックハンドでサーブの体勢を取った。
 隼人は視線をスコアへと向ける。
 得点は審判の言った通り同点。そして、ゲームは1対1とファイナルにもつれこんでいた。

(俺達が2ゲームやられている間に、か)

 自分たちの試合で気付かなかったが、隣のコートで行われていた試合はかなり注目度が高かったらしい。フロアにいる自分たち以外に観客席から見ている同年代の選手の視線が熱く注がれているのが分かった。少なくとも、自分たちのほうを注目していた者など少ないだろうと隼人は考える。

(第一シードだから、そっちを見てるってことはあるかもしれないけど)

 今はまだ第一シードを引き立てる程度の実力だと割り切って、隼人はもう一度だけ賢斗の背中を叩いてコートから出る。入れ替わりにやってきたのは真比呂だった。

「おう。残念だったな。俺に任せろ!」
「任せたよ、井波」
「……そうだな。頼む」

 賢斗に続いて真比呂へと言葉をかけた隼人は、直後に呆気にとられて自分を見てくる二人にあからさまに不快感を示した。

「俺が素直に頑張れって言うのがそんなに珍しいか?」
「ああ。めっちゃ満足だよ」

 真比呂は笑いながら隼人と賢斗の肩を叩いてそのままコートの外へと押しやるようにする。自分は逆にコートの中へ勢いをつけて入っていった。

「井波。勝てるかな」

 隣で不安げに呟く賢斗に隼人は答えることをしなかった。感情を排して言えば勝算は薄いだろう。それでも、真比呂には何か期待させる力がある。不思議な力というわけではなく、バドミントンではないがスポーツをしてきたことによるもので。

(お前が勝つと、小峰が楽になるからな……頑張れよ、井波)

 隼人はコートで気合いを撒き散らす真比呂を見ながら、ちらりと椅子に座っている礼緒を見た。緊張に汗を流す顔に隼人は不安が広がっていく。その不安を、真比呂が解き放ってくれるような気がする。
 あるいは、二人が。

「しゃあ!」

 空気を破裂させる音を轟かせて、理貴のスマッシュがコートに決まった音で隼人は完全に視線をダブルスの試合へと移していた。
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