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● SkyDrive! --- 第七十六話 ●

 コートに立ち、ネットを挟んで向かい合った時、ちょうど礼緒と向き合ったのは小川博巳だった。礼緒と握手を交わしたところで息を吸うように軽い悪口を放つと笑って去っていく。試合前や試合中は関係なく、目に余る行動を取る選手には審判から指導が入るが、市内大会レベルだと審判も同じ学生。そう簡単に止めろとは言えない。
 結果として、小川を諫めるのは相手高校の役目になるが、誰かが止めることはしなかった。

(ほんと、感じ悪い奴だ、が……)

 隼人は両校の挨拶を終えて一度コートから出るまでの間、ほとんど小川のほうに意識を向けていた。礼緒の気持ちを優先させた結果、第二シングルスに配置された小川と礼緒は直接対決することになる。

「高羽。高羽ー」
「え、あ? ああ……ど、どうしたんだ鈴風」
「ぼーっとしないで。すぐ試合だろ?」

 意識は小川と礼緒のほうを向いていたが、体は慣れた動きでラケットバッグからラケットを出して準備を終えていた。すぐ傍には同じく臨戦態勢の賢斗。そして、既に分かっているオーダーでは自分たちの相手は個人戦の第一シードに位置しているダブルス。隼人はラケットを脇に挟むと両手で頬を挟み込むように叩いた。

「しっ! すまん。気合い入れ直す」
「俺も頑張るよ」

 賢斗は隼人に笑いかけて先にコートに入る。その背中が緊張しているように見えるのは間違いではないと隼人は思う。バドミントンを始めて数ヶ月の人間が市内のトップのダブルスに挑むというのは、ただの緊張とは違うものを生んでいるはずだ。隼人自身もいつも以上に体が緊張しているのが分かる。

(今の俺らから見れば、数段は実力が上だろうな……正直なところ、勝つのは難しいか)

 今回通したオーダーでは相手のエースダブルスと当たる可能性が高いことは分かっていたが、実際にぶつかってみると目の前の高い山が理解できる。そして集めた情報と現在の自分たちの戦力を比較して、勝ち目が見当たらないと悟った。
 中学までの隼人ならば決められた敗北への道を進んでいた。今もまた、自然と第三シングルスまでもつれた時を考えて体力をどのように温存するかと考えている。
 しかし、すぐにその考えを消した。

(鈴風と一緒なんだ。下手な試合してられるか)

 今、勝ち目が見えないなら見いだすようにシャトルを打ち回すこと。それが自分の役目だと言い聞かせる。賢斗にできるだけ長く試合を経験させたいという思いが胸に生まれていた。
 部活を辞めようと思った気持ちを再び戻してくれた賢斗に報いたい。
 隼人は再度両手で頬を張り、自分の立ち位置へと両足を踏みしめた。
 ネットの向かいに立つ第一シードダブルスの二人は、隼人や賢斗よりも筋肉が付いていた。速度が犠牲になりそうだと思うほど、上半身の筋肉はユニフォームの上からでも分かる。はち切れるとまではいかないが、ラケットを振る時に力を込めれば筋が浮かび上がりそうだ。

(高梨さんと下柳さんか)

 どちらも二年生であり、一つ上で活躍していた男たち。隼人の記憶ならば中学時代は別々の学校で、高校からダブルスを組んでいたはずだった。現三年生がいた時でも県大会上位に食い込んで、もう少しで全国大会まで進めたところまで勝っている。実績は十分の市内第一シードで、今後控える冬の選抜大会での全国進出の可能性も十分あるとされていた。
 髪形をソフトモヒカンにしている高梨と、長髪を首の後ろで縛って結んでいる下柳。身長はどちらも真比呂くらいの高さがあって、近づけば隼人たちを見おろす形になった。

「これより、第一ダブルスを始めます」

 審判に従って四人が前に出て握手を交わす。隼人が予想した通り、頭一つを越えた上から見おろしてくる二人に隼人は少し委縮する。特に賢斗は隼人から見ても分かるほど震えていた。

「よろしく」
「お願いしゃっす」
「よろしく、お願いします」

 下柳は高校生らしからぬ低い声で賢斗に言ってからあっさりと手を離して去っていく。高梨は少し軽めに告げて手を振りながらサーブ位置へと向かった。ファーストサーブ同士のじゃんけんで隼人がサーブ権を取り、コートはそのまま。
 試合に向けての準備が整って、審判が告げる。

「トゥエンティワンポイントスリーゲームマッチ、ラブオールプレイ」
『お願いします!』

 四人の同時の叫びに、空気中に振動の波が生まれる。隼人はすぐさまバックハンドでサーブ体勢を整えると高梨の左肩にシャトルをぶつけるような気持ちでサーブを放つ。もちろん、そのまま肩口に当たるような軌道だとプッシュで叩き落とされるために、フロントのサービスラインぎりぎり落ちる位置を狙う。放たれたシャトルに対して高梨はプッシュではなくロブをしっかりと上げてきた。

(下手にプッシュにいけないって一瞬で判断したのか?)

 前衛で腰を落とした隼人は今の一瞬を脳裏に描く。結果だけ見ればサーブが放たれた時の高梨の反応は遅く、プッシュをしようとしてもネットに引っかけてしまっただろう。だからこそロブに切り替えてこちらに攻撃のチャンスを与えると同時に自分たちの体勢を整える時間を得た。
 あくまでも、振り返った結果から分かること。自分の反応が遅れたことを一瞬で悟り、ロブを打ち上げる反応速度の速さに隼人は内心舌を巻いた。

(いや。まだ分からない。最初からロブをあげるつもりだったかもしれないし。勝手にこっちで大きくするな。事実だけ見ろ)

 第一シードであること。威圧感が強い相手であることに、無意識の内に相手の行動を強さへと結びつけようとしているのかもしれない。
 シャトルを追ったのは賢斗。隼人は前衛中央で腰を落として賢斗のスマッシュからの連続攻撃を狙う。シャトルが上がった場合は躊躇わずにスマッシュを放つようにとは伝えておいた。防御に回れば押し切られる可能性が高い。常に攻め続けて、相手に付け入る隙を与えないことが自分たちの戦略だ。

「はっ!」

 賢斗は予定通りにスマッシュをストレートに放つ。ネットを越えたあたりで隼人はシャトルの弾道がダブルスのサイドラインにギリギリ落ちるような理想的なものと目にしていた。

(これなら……)

 偶然か必然か、厳しいコースは相手のショットを限定させる。レシーバーは高梨で、ラケットを横へと伸ばして打ち返そうとしていた。どの軌道にきても反応するという気合いで迎え撃つ隼人だったが、放たれたシャトルはショートロブで隼人の頭を軽く越える軌道を取った。

「うっ……お!」

 腰を落とした状態から飛び上がってラケットを伸ばすも、隼人のラケットはシャトルにぎりぎり届かない。インターセプトするという隼人の打ち気を躱して、隼人のラケットが届く範囲を把握した上でそこからかすかに離れた位置へと打たれたことに、内心驚愕する。背後に落ちていくシャトルを賢斗も拾うことが出来ず、コートに静かに落ちた音が二人の耳に届いた。

「ポイント。ワンラブ(1対0)」

 着地してからすぐに振り返ってシャトルを拾う隼人。羽はまだほとんど崩れていない。だが、整えることで時間をかけなければ動揺は消えそうになかった。

(高梨さん……やっぱり、狙ってたな)

 最初のロブも今回のロブも、狙って打っていることが理解できただけでも儲け物と思うしかないと隼人は頭を切り替える。今の時点で、相手が持つ『狙った所へと打つ能力』は隼人と賢斗よりも上だ。コントロールを競うことはそのまま敗北へと続くことになるだろう。少しでも可能性を探るために、もう少し情報がいる。

「鈴風。じっくり、攻めよう」
「分かった」

 隼人の瞳に映る光に賢斗は頷く。隼人は相手にシャトルを打って渡すと賢斗と入れ替わるように背後へと移動する。相手のショートサーブに相対するのは賢斗。ラケットを掲げて上半身を少しだけ前に倒すスタンダードな姿勢を取っているのを背後から見て、リラックスしていると感じる。相手が打ってきたサーブに対して無理せず打ち返そうと決めているようだった。

「一本!」

 シャトルを打つのはセカンドサーバーの下柳。表情を崩さないままでさらりと放ったサーブは、ネットを越えてサーブラインへと落ちるように飛んでくる。賢斗は無理をすることなくしっかりとロブを上げて、隼人と同時に両サイドへと広がった。隼人はシャトルを追う高梨が次にどんな動きをするのかに注目する。

「はあっ!」

 後方へと移動して軽くジャンプしてのスマッシュは、シャトルを隼人へと運んでくる。
 鋭いシャトルの軌道に、隼人は慌ててラケットを出すのが精いっぱいだった。跳ね返ったシャトルがネットを越えて落ちていくが、追いついた下柳が軌道の低いロブで隼人の防御を突き抜ける。余裕がいつもよりもない軌道で落ちてくるシャトルに賢斗は何とか追いつくと、コートの右側に向けてシャトルを打つ。軌道が低かったためにドライブ気味になって飛んでいくが、ネットを越えた所で下柳がラケットを差し出してきてプッシュを叩きこんでいた。

「ポイント。ツーラブ(2対0)」
「ごめん!」

 足元へとシャトルを叩きこまれた隼人に向けて賢斗が謝る。だが、隼人は頭を振ってシャトルを拾うと時間を少しでも取るために羽を整える。

(今のは仕方がない。向こうに、シャトルを打たされている感じだ)

 高梨も下柳もお互いの位置を把握して、隼人たちのショットの選択肢を狭めてきているように感じる。考えを読まれているからこそ逆のことをされて反応しきれない。打てる場所を見つけたと思ってもそこは罠が張られていてカウンターが取られることは必至だ。

(駄目だな。今のところ、考えても打開策が浮かばない)

 羽を整え終えたシャトルを打ってから隼人はレシーブ位置に移動して身構える。賢斗のレシーブから続けた状況で、相手の思考データを取るにはどうしたらいいかと考えて、賢斗と同様にラケットを掲げて上から下へと威圧するようにする。
 下柳は隼人の発する威圧感を無視しているのか、意に介した様子もなくショートサーブを打つ。隼人はロブで逃げていたこれまでの状況から少しだけ踏み込み、クロスヘアピンを放った。素早いタッチで返したシャトルがネットを越えて落ちていく。ネットに触れるか触れないかという位置を突き進むシャトルには、前衛で身構えていた下柳もラケットを伸ばしきることが出来ずに引っかけていた。

「ポイント。ワンツー(1対2)」
「しっ!」

 ようやく自分たちでもぎ取った一点に、隼人も序盤から気合いをこめる。下柳は無表情のままでシャトルを拾い上げて隼人へと渡してきた。全く気にしていないという表情を浮かべる下柳にどこまでが嘘で本当なのか分からなくなる。
 サーブ権は賢斗に移り、シャトルをバックハンドで身構える背中に向けて隼人は声をかけた。

「鈴風。じっくりと一本、行こう」
「了解」

 隼人の感じている不安感が賢斗へも移ったのか、小さく鋭く呟いた後で賢斗はロングサーブを打っていた。シングルスよりは範囲は狭いが、ネット上に上手くシャトルを落とせない。
 ショートサーブで失敗してプッシュを打ちこまれることを防ぐという点では賢斗の選択は正しいが、気後れした分だけロングサーブの厳しさが薄れた。サーブ位置を移していた高梨が追い付いてラケットを伸ばし、ネット前に鋭くカットドロップを落としてくる。ロングサーブを打ってからそのまま前にとどまった賢斗はラケットを掲げてシャトルを打つも、中央付近に戻ってきていた高梨がロブを鋭く上げてくる。攻撃的な軌道のロブに賢斗はラケットを伸ばすも届かず、隼人が落下点に移動してスマッシュを放った。ストレートに放ったスマッシュでシャトルはダブルスのライン際を突き進む。ライン上を狙った一撃に高梨も「おおっ!」と声を上げながらクロスに打った。

「鈴風!」
「うぅうう!」

 逆サイドに向かうシャトルに精一杯ラケットを伸ばす鈴風。かろうじてフレームに当たったシャトルは相手コートへと返っていく。
 だが、シャトルが沈む前に下柳が前に詰めてきてプッシュでシャトルをコートへ叩き込んでいた。

「ポイント。スリーワン(3対1)」

 隼人も賢斗と共にシャトルを追っていたが半歩届かない。隼人はシャトルの軌道を分析して、ちょうど自分が届かないギリギリの場所を狙われたように思えて背筋に悪寒が走った。

(偶然か……いや、狙ったって考えるほうがいい。この人たちのレベルなら)

 練習試合で対戦した二人や一回戦のペアとは異なる。市内とはいえ第一シードとなっているペアに偶然を期待するのは酷だ。仮にまぐれだとしても、それなら今後は続かないから問題はない。ただ、これが狙っていることならば、攻略しなければ負けへと進むだけ。

(追い詰められてるのは間違いない。まだ三点だけど、もう三点って考えたほうがいい)

 隼人は思考を少しだけ切り替える。五点までは様子見だと捨てるつもりでいたが、早めに攻めていかなければ十点まですぐ到達するかもしれない。相手のシャトルの打ち回しはいまいち読めないが、要所要所で自分たちを追い詰めるショットを打った後でとどめを刺してくるという流れと考えられる。
 その流れが読めないのは実力差によるものなのか。今度は攻めながらそこを確認していく。

「鈴風。攻めよう」
「……分かった」

 隼人はシャトルの羽を整えて相手に渡し、賢斗の背中を叩く。次のサーブは高梨から賢斗へのサーブ。攻撃の糸口を掴むための大切なレシーブを、隼人は耳打ちで指定する。

「思い切り遠くに打っていい」
「分かった」

 迷うくらいならば思い切り打ち上げる。そのほうがすっきりと次の攻防に向けて考えられる。攻めようと告げた時よりも迷いない返事に満足して隼人は賢斗から離れて身構える。

(まだまだ……ここからでも、挽回できる)

 自らがレシーブするかのように視線を高梨に向けて隼人は気合いを入れ直した。
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