●● SkyDrive! --- 第七十五話 ●●
「21対18。15対21。21対17かぁ」
亜里菜が付けていたスコアシートを眺めて隼人は嘆息した。
試合は礼緒の勝利で終わり、無事に決勝に進出することができた。時間を四十分ほど置いて決勝を始めるという連絡がきたことから、各自二十分ほど自由時間として過ごすことを許された。
隼人は体育館の二階で、観客席への入り口から遠い位置にあるベンチに座っていた。何人かは体を温めるために、離れた場所でドライブを打ち合っているのが見えたが、ベンチの傍には寄ってこないため都合がいい。亜里菜がスコアシートに得点の経緯をメモとして簡単に残していたおかげで、隼人は礼緒の試合のシーンをある程度はっきりと思いだすことが出来た。
スマッシュのレシーブミス。自身のネットへの引っ掛け。ファーストゲームの途中で調子を取り戻したものの礼緒はセカンドゲームを落とし、ファイナルゲームは逆に相手のミスに助けられる形で勝利した。ほっとした礼緒の顔を見て隼人は何も言えなかったが、胸の内に陰鬱とした思いが広がっていく。
(勝ち方が、悪いか……)
その日の調子の良し悪しは人間なら誰でもある。例えば真比呂はテンションで実力を変化させるから、大勝の時もあれば大負けの時もあるだろう。隼人のように、出来る限り冷静に事を運ぼうとするようなタイプは風邪などの物理的な体調の変化がなければ一定のパフォーマンスは発揮できる。それでも精神的なことで左右されるだろうが。
(調子を上向きにしてきた小峰がファイナルゲームで、自分で決めればまだ良かった……でも、相手がミスして自滅した)
隼人はそこまで考えて顔を上げる。女子らしき足が見えたので亜里菜かと思っていただけに、そこにいたのが月島だと分かって目を丸くする。月島は隼人の視線に微笑みで答えると、隼人の隣へと腰を下ろした。
「月島先輩」
「試合。遠くから見てたよ。小峰君、調子悪いみたいだね。勝ったみたいだけど」
「そう、なんですけどね。実は――」
隣に座った月島に隼人は考えていたことを口にする。
自分よりも上のレベルで戦っていた月島になら、自分の考えていることが伝わるかもしれないと思い、自然と口にしていたのだ。
「なるほどね。それは、決勝も同じことを繰り返すかもね。自分の力で、勝ててないから」
「はい。相手の自滅で一気に試合が終わってしまって、あいつにとっては前の試合が続いたままのように感じてるはずなんです。俺に経験があるんだから、きっとあいつも分かってる」
「いっそ、負けたほうがよかったかもね。少しはすっきりしたでしょうし」
月島の言葉に正しさを感じて隼人は何も返さない。今の礼緒は感情を爆発させる機会をなくしてしまったような状態だ。発散するタイミングをなくした感情は体の中に淀みとして残って、調子を落とす原因になる。このままでは、決勝戦では更にパフォーマンスが落ちた状態で試合に臨むことになるだろう。
「いっそ、出さないほうが……」
「高羽君。遠慮してないで小峰君に聞けばいいんだよ。仲間でしょ?」
月島の言葉に隼人も黙る。彼女の言ったことは既に考えてはいた。調子が悪くて、それがこの場に限ってのことならば解決するようにすべき。自分たちはまだまだ駒が足りず、ギリギリで試合をしているのだから。貴重な戦力である礼緒が次の試合までに立ち直る可能性があるならそこに賭ける。
そもそも、理由は分かりきっていた。
試合前と試合中。どちらも礼緒を気落ちさせていたのは、南星高校の面々が見えた時。足の怪我でもなく、心の問題。初めての公式戦で、自分の出番や真比呂たちのことを考えていて思い出すのが遅れた。試合前に礼緒に試合に出るかどうかと谷口が聞いていたのに。
分かっていても自分では踏み切れなかったが、背中を月島がどんっと突き飛ばしたような形になる。
「高羽君が気にするのも分かるけど。そういうの聞くのも部長の仕事ね。頑張らないと」
言葉の後で実際に背中を叩かれ、隼人は椅子から立ち上がると前に数歩踏み出した。咳き込むほどではないが、掌が当てられた場所から熱が伝わってくる。実際の痛みではなく、月島からエネルギーが注ぎ込まれたような暖かな感触が広がっていった。
「月島先輩」
「何?」
隼人は振り返って月島をしっかりと見る。月島も隼人の視線を真正面から受け止めるように、見つめ返してきた。互いに真剣な眼差しがぶつかりあって数秒後、隼人のほうがため息をついた。
「その言葉、谷口先生から言えって言われてきたんでしょう?」
「バレた? でもね、半分は私の本音」
月島もまた立ち上がり、手を体の前で振る。すぐに仲間と合流しろという合図だ。
「仲良しこよしじゃ勝てるものも勝てないよ。高羽君は部長なんだから、もう少し皆を強引に引っ張っていってもいいし、踏み込んでもいいんだよ」
「性分じゃないんですけどね」
「試合じゃがつがつ弱点削るくせに」
「そりゃ、バドミントンは」
隼人の苦笑につられるように月島も笑う。目の前の頬笑みを見ていると自然と気持ちが落ち着いてくるように隼人は思っていた。礼緒の不調は間違いなく精神的なものだったが、それだけに踏み込むのを恐れていた自分を認め、横に置く。
人の心の中に踏み込むのは勇気がいるが、それを踏みこんで乗り越えていくというのはこれまでも学んでいたはずだった。たまたま機会が試合会場で訪れたというだけ。
「じゃ、俺、行きます」
「うん。アベック優勝しよう」
月島の笑みに頷き、隼人は踵を返す。だが、すぐに立ち止まって顔を月島に向けた後にこれまで指摘しなかったことを指摘した。
「ちなみに。部長は井波です」
「そうだっけ? そういえばそうだったかな」
月島の間違いがはたして嘘なのか素なのか隼人は分からなかった。時間も迫ってきているためにそれ以上は聞かずに歩き出すと、視線の先に亜里菜が見えた。
「あ、井上」
「隼人君……呼びに来たよ」
一瞬だけ顔を歪めてからすぐに亜里菜は表情を戻して微笑む。その歪みが何のために生まれたのか隼人は分からなかったが、今は次の試合へのミーティングのために急ごうと亜里菜の横を早足で通り過ぎる。
そのため、亜里菜が月島のほうを見ていたのも、分からなかった。
自分たちのスペースに隼人が戻った時には、既に全員が集まっていた。隼人の後に少し遅れて駆けてきた亜里菜と、待っていた谷口を加えて八人でミーティングを始める。女子はもう少し後にミーティングということで集まるにはまだ時間があった。
「決勝戦のオーダーを、決める前に!」
口を開いた真比呂を制して礼緒へ不調の原因を問おうとした隼人だったが、真比呂の口調にピンと来て黙った。隼人の内心を余所に、真比呂は礼緒へと指をさして告げた。
「礼緒! 何があった! なんであんな調子悪かったんだ!」
場の空気が一瞬だけ凍る。誰もが触れないようにしていた話題に真っ向から挑む真比呂を、隼人は心の奥ではたいしたものだと誉めていた。口にすれば調子に乗られて面倒なので言葉にはしないが。
真比呂の指につられるように礼緒へと視線を向ける純、理貴。賢斗。隼人は一人一人の表情を見て、自分と同じように躊躇していたのだと分かった。
(井波は、やっぱり部長だよ)
大変でも仲間に踏み込んでいくのが部長。月島が隼人へと告げた言葉の意味を知ってか知らずか、真比呂は常に踏み込み続ける。熱気を持った言葉は自分達を突き動かす燃料になる。それは比喩ではなく、隼人自身感じていること。礼緒は皆の視線を受けて少し顔を伏せたが、すぐに顔を上げてため息をついた。諦めたというものではなく、長い言葉を続ける前の準備だと思い、隼人は口を挟まない。
「そうだな。隠してても仕方がない」
一言、間を置くために呟いてから、礼緒は改めて話しだした。
「試合中に調子が悪くなったってのは実は違って。その前からなんだ」
隼人は礼緒の言葉のトーンに既視感を覚える。錯覚ではなく、同じトーンで話したことがつい最近あった。今の隼人には深く考える必要もなく、その場面を思い出すことが出来る。
(よく小峰は復帰を決意出来たな。凄いと思うよ、本当に)
頭に浮かんだのは礼緒を誉める自分の言葉。それは音声ではなく心の声。この思いを浮かべたのは、礼緒が呟いた言葉に向けて、だ。
「南星高校の小川博巳。俺が中学時代、最後に対戦した相手で、散々俺のことを馬鹿にしてったんだよ」
試合が開始される前、体育館に着くまでのやり取りを改めて思い出す。
小川がいきなり失礼な物言いで話しかけてきて、礼緒の呟きを隼人と純が傍で聞いた。純は大丈夫だと礼緒を励まし、隼人は調子を崩すことを考えてオーダーを変更したほうが良いかもしれないとまで考えたほどだ。
谷口にも亜里菜から伝えられて、出るか出ないかという選択をさせた結果、出ると自分から告げたのだ。純はここまでの話でようやく合点がいったのか、手を叩いて口を開いた。
「あ、やっぱり気にしてたんだ」
「純は知ってたのか!」
「体育館に向かう時にな。高羽も知ってたぞ」
「隼人ぉ」
どうして言ってくれなかったんだという目線を向けてくる真比呂に、隼人は手を振りながら「言うつもりはなかったよ」と素直に告げた。礼緒は純と隼人に向けて苦笑いしながら呟くと、事情を知らなかった賢斗と真比呂と理貴に顔を向けた。
「ごめん。大丈夫だと、本当に思ってたんだ。でも、実際に試合が始まって途中であいつが偵察に来た時……一気に不安というか、怖さがでてきて。体が上手く動かなくなったんだ」
礼緒がプレッシャーに弱いことも、それを克服してきていることも隼人たちは知っている。実際に、部内でも練習試合でも周囲からの視線に負けずに頑張っていた。そんな経緯があるからこそ礼緒も自分から試合に出ると告げて、コートに立った。
(自分で意識できていないっていうのが、問題か)
中学時代に受けたきつい言葉による影響が、当人の考えているよりも深く刻み込まれている。中学時代に打ちのめされても、高校で始められたのは自分のことを「木偶の坊」だと知っている者が、礼緒が試合に出る範囲ではいなかったからだ。今回のように市内大会に出てくれば選手の母数はもちろん増えるし、トラウマに近いものを埋め込んできた相手と会うこともあるだろう。たとえ当人が辛くて忘れてしまったとしても、消えないものはある。
「その、小川君なんだけど」
礼緒の発言から間が空いたところで亜里菜が口を開く。全員の視線が集中して躊躇したが、一度目を閉じて深呼吸をした後にはっきりと告げてくる。
「小川君。最初の試合だと第二シングルスでした。このままこっちもオーダーを変えないなら、礼緒君と当たります」
「そりゃ……まずいだろ」
真比呂が呟き、理貴と純も少し頭が下がる。賢斗は自分にできることはないと割り切っているのか、ただ周囲を見ながら黙っている。礼緒は体を緊張させて背筋を伸ばし、皆を一瞥した後で隼人へと視線を向けた。受け取った隼人は、自分で考える素振りをしてから谷口へと問いかける。
「小峰を別のオーダーで出すか。そもそも出さないか。真っ向勝負か。どうしたらいいですか、先生」
「自分たちで決めてみたら?」
谷口は隼人からの質問を全く考えないまま切り捨てる。男子たちが全員呆気にとられるが、一番初めに隼人が回復すると咳払いをして他の面々の視線を集めさせた。
(断られると思ってたよ……じゃあ、二択、か)
谷口は基本的に口を出してこない。練習内容の軌道修正に数言アドバイスをくれるだけで、隼人たちの自主性に任せていた。この嫌な局面で口を出してほしいとは思ったが、少し考えてから甘い考えとして捨てる。
(これくらいの危機。自分らで乗り越えないとな)
隼人の前に材料はいくつかある。与えられた情報とこちらが把握している状況。勝率を保とうとするならば礼緒を出さずに第一ダブルスに隼人自身と真比呂を置き、第一シングルスを賢斗。第二シングルスを真比呂。そして第三シングルスを隼人とする。最善策はこれとして、後は相手が読んだ上で戦力をぶつけてこないかということが不安要素になる。ただ、他のオーダーを考えても今以上は望み薄だった。
「そう、だな……小峰はどうしたい?」
「俺? お、おれ……は……」
急に話題を振られて礼緒は困惑した。
自分は皆から結果を聞かされる立場だと思って、最初から何かを発言することを止めていたのかもしれない。隼人は落ち着くのを見計らって再度尋ねる。
「小峰は、出たいか出たくないか。どっちだ?」
「そりゃ……二択なら、出たいけど。でも、そんなこと言ってたら」
「出たいか出たくないかってことなら、出たいんだな」
「ああ。でも――」
隼人は手を掲げて礼緒の言葉を遮る。隼人があくまで聞きたかったのは当人の意思だ。出たいという発言の後は必要じゃない。
「出たいなら、出よう」
でも、と言いかけて礼緒は口を紡ぐ。隼人は礼緒にまっすぐな視線を向けた後で次に純、理貴、賢斗と視線を向けて、最後に真比呂で止めた。
「井波。俺はオーダーを変えずに、このままでいく方が良いと思ってる。お前はどうだ?」
「そりゃ……もちろんそのほうがいいな」
一瞬の躊躇。しかし、真比呂は隼人が放つ熱気に押されるようにして頷いた。真比呂に続くように残り三人もオーダーを変えないという方向で納得していく。最後に残るのは礼緒だ。
「本当に、いいのか? 俺は――」
「俺も、逃げない」
隼人は発言に礼緒は首をかしげる。自分ならまだしも隼人がなにから逃げるのか分からずに礼緒は困惑していた。その答えはすぐに告げられる。
「正直なところ。俺も、第三シングルスは怖いんだ。練習試合を思い出して」
自分の弱いところを全員にさらけ出す。真比呂と亜里菜、礼緒は息を呑み、純と賢斗は呆気にとられ、理貴だけは表情を変えない。谷口も無表情のままで、一歩引いて男子バドミントン部の面々を見つめていた。
「あの試合で負けてから……俺だけが駄目な気がしてさ。井波も鈴風も、どんどん強くなってる。外山と中島も俺達のチームのエースダブルスとして成長してるし。小峰もシングルスの柱だと思ってる。ただ、俺だけが皆に離されてると思ってる」
「そんなこと――」
「ああ。多分、俺の思いこみなんだってのは分かってるんだ。でも、どうしようもない。だから」
自分を擁護しようとする真比呂の発言を遮ってまで、隼人は自分が口にしたいことを勢いのままに発していく。少しでも躊躇すれば言えなくなるかもしれないと思っていた。
「だから……俺は、逃げたくない。俺が、皆の後ろにいて、最後の砦になる」
大会前や部活での自分なら言えなかった強気の言葉。言い終えた後は恥ずかしさに顔だけではなく体まで熱くなる。照れを隠したくても隠せないまま、隼人は礼緒へと手を差し出した。
「小峰。一緒に立ち向かおう。過去の傷に」
隼人の右掌と顔を交互に見比べていた礼緒の瞳に徐々に光が灯っていく。ゆっくりと掲げられた右手が隼人の右掌に重ねられて、しっかりと握られる。
「ああ。分かった……俺も、逃げない」
礼緒の言葉に隼人も緊張を少しだけ緩めて笑顔を向けた。
「っし! なら、オーダーはこのままだな」
握手している隼人と礼緒の手の上に真比呂が右手を重ねてくる。
「俺と純は絶対に勝つ」
「俺も、できるだけ高羽の足を引っ張らないよう、頑張る」
理貴と純。そして賢斗も真比呂の掌の上に自分の手を重ね、六人の手が一つになる。五人の視線が自分に向かってくるのを意識して、隼人は深呼吸すると力の限り吼えた。
「栄水第一ぃいいい! ファイッ!」
『おおっ!』
六人の円陣から沸き立つ気迫が心地よく、亜里菜は頬笑みながらその光景を見る。
市内大会決勝戦まで、あと少し。
栄水第一の優勝をかけた試合が始まる。
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