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● SkyDrive! --- 第七十四話 ●

 真比呂が伸ばしたラケットがシャトルを拾い、ネット前に落とす。ふわりと浮かび、白帯を越えた瞬間に落ちる絶妙な軌道にも、藤間はラケットの先でシャトルコックを引っ掛けて打ち返してきた。伸びきった腕と足では拾うことが出来ず、真比呂は動けないままシャトルが落ちていくのを目の前で見送るしかできなかった。

「うおああ!」

 吼えても体は動くことはなく、シャトルがコートに落ちたとほぼ同時に自分もバランスを崩して倒れる。すぐに起きあがり、シャトルを拾って、羽を整えてから藤間へと投げ渡した。

「最後まで諦めないっすよ」

 ネットを越えて気合いを叩きつける真比呂にも、藤間は最後まで反応しない。ただ、無表情の表面を流れる汗が試合の経過を示している。

「ポイント。トゥエンティマッチポイントエイティーン(20対18)」

 審判の言葉に導かれるように相手チームからの声援が大きくなる。二連敗の後にようやく掴める初勝利。既にセカンドゲームの後半から礼緒はシングルスのコートに入っており、応援には加わっていなかった。それでも、隼人たちは声援の大きさだけは負けていなかった。声援に背中を押されるように真比呂は必死に食らいついていったが、終盤に来て地力の差を見せつけるかのようなプレイを連続でこなされると隼人たちも唸るしかなかった。

「まだまだぁ! ストップ!」

 真比呂は気合いを出してラケットを掲げる。頭の中を占める弱気を押しのけるということではなく、本気で逆転を狙っている。そんな真比呂を見ていた隼人は、自分の中に生まれる諦めの気持ちが恥ずかしくなった。
 純粋な勝利への気持ちの強さは、誰よりも真比呂が強いと隼人は思う。それでも、勝利は望む者の場所に来るわけではない。

「一本」

 藤間が口を開き、シャトルを打つ。ロングサーブのフェイントを使ったショートサーブで、シャトルはネット前に落ちていく。真比呂の気合いを逆手にとってまさかというタイミングで放たれたシャトルに後ろに移動した体を、歯を食いしばって前に倒した。ラケットを伸ばしてシャトルに触れたが、シャトルがネットを越えた所に藤間のラケットが待ち構えていた。

「はっ!」

 鋭い声と共に打ちこまれるシャトル。軌道上にラケットが差し出されたが、フレームに当たりシャトルは背後へと飛んで着弾していた。

「ポイント。トゥエンティワンエイティーン(21対18)。マッチウォンバイ、藤間。岬高校」

 藤間は静かに左拳を掲げて勝利のガッツポーズを取る。その仕草まで静かで、隼人は自然と拍手を送っていた。当然、真比呂の試合にも素直に感動したからだが。隼人の拍手につられるように純や理貴、賢斗も拍手を送り、岬高校の面々も遅れて掌を合わせる。まるで決勝戦が終わったかのように拍手がコートを包んでいた。
 拍手で包まれる中、コート中央で真比呂は藤間と握手を交わす。
 小さく真比呂に何かを言った藤間に対して真比呂も笑顔で応じていた。
 実際、真比呂は笑顔を浮かべてもいいくらい誇らしい試合を見せていた。高校から始めた初心者とは誰も見ないだろうと隼人は確信できる。隼人の指示を守り、拡張させて、ネット前へ落とす戦術や奥へと飛ばすタイミングを図り、必死に勝利への道を模索していた。ファーストゲームの結果からもここまでの接戦が行われるとは誰も思っておらず、セカンドゲームの後半まで競り合っている光景に第二シングルスの開始を遅らせるほどだった。
 ネット前から離れて自分たちの下に戻ってくる真比呂の顔は笑顔がそのまま続いていたが、ほんの少し陰りがあった。

「お疲れ」
「あー、くそ。負けた負けた」

 真比呂は椅子に立てかけてあったラケットバッグにラケットを入れてから体重を思い切り乗せる。音が大きく響き注意しようとしたが、真比呂の足が震えているのを見たことで体を支えられなくなる限界だったのだと隼人は悟った。

「ほんと、お疲れさん。よくやったよ井波」
「サンキュ……でも、勝ちたかったなぁ」
「まだまだチャンスはあるさ。井波なら」
「そうそう。今はひとまず、小峰に任せよう」

 隼人に続いて純も真比呂を説得する側に回る。試合直後の見た目よりも精神的にダメージが深そうだと判断して純が気を利かせたことに感謝しつつ、隼人も気を取り直すように再度声をかけようと思った。しかし、理貴の切羽詰まった声が間に割り込んだことで止まってしまった。

「井波の慰めよりも、こっちがヤバそうだぞ」
『え……?』

 隼人と純、真比呂が同時に理貴を見て、次に試合が行われているコートを見る。そこには礼緒が立っていて試合を順調にこなしている、はずだった。
 しかし礼緒の表情は苦しげに歪み、上がったシャトルもスマッシュを打たずにハイクリアで逃げるだけ。そのハイクリアも精度が悪く、コートの外へと飛んで行った。

「ポイント。テンエイト(10対8)」
「まだ二点差……礼緒なら大丈夫じゃないか?」
「その八点を、連続で取られてるんだよ」

 会話に参加していなかった賢斗の言葉はかすかに震えていた。隼人たちは目の前で起こっていることの意味をようやく理解して、食い入るように礼緒を見つめる。明らかに調子が悪そうに見えるが、試合前は全く影響があるように見えなかった。実際に、賢斗の発言からすれば10点まではラブゲームを通していたのだから最初から調子が悪かったわけではないだろう。

(もしかして……足を怪我したのか?)

 考えられるのは怪我だと足に視線を向けても足運びに不安なところはない。ならば肩や腰など上半身かと見てみても、違和感は見えない。ただ、シャトルを打つ瞬間に妙に力が入っているように隼人には思えた。
 礼緒の相手は二年生の高崎。県大会で名前は聞いたことはなく、おそらくは隼人自身と似たような位置にいたのだろうと思える。藤間が勝利を確実に掴むための選手なら、シングルス2は中堅程度の選手を据えているのかもしれない。先に十点取っている事からも実力はおそらく礼緒のほうが上なのではないかと隼人は考える。
 実際に、ラリーは最初のほうは変わりない。だが、スマッシュを打ったところでネットに引っかけてしまい、九点目が入った。

(小峰のやつ……自滅してるな)

 いったい何が原因なのか分からずに隼人は礼緒を見ることしかできない。体の動きが固くなっていることは分かっても理由が分からない。

「一本!」

 高崎は気を良くしたのかはつらつとした表情でサーブを打つ。ロングサーブで飛ばされたシャトルはシングルスラインに十分入っている。見極めるには簡単なシャトルだった。礼緒も真下に入ってラケットを構えて打つ準備をする。打ちごろの場所に入ってきたシャトルに対して、礼緒は鋭く息を吐きながらラケットを振り切った。
 シャトルは甲高い音を立ててネット前に飛び、白帯にぶつかってコートを越えることなく落ちていった。

「ポイント。テンオール(10対10)」

 隼人は信じられずに視線を礼緒へと向けたままになる。隣にいる純や真比呂。そして理貴も同じように向けているに違いないと思えた。礼緒の不調は間違いない。ここまでミスショットを連発する礼緒を見たことはないと隼人は思う。だが、頭のどこかで引っ掛かっていた。

(なんだ……この状態……俺は……知ってる……?)

 過去に礼緒が行った試合は女子部との試合に、白泉学園との試合。あとは練習中に行った試合形式の練習程度だ。少ない中でも記憶にあるのならすぐ見つかるはずだが、ぼんやりとしているということはやはり錯覚なのか。
 どうにかして頭の中で分析し、かける言葉を考えようとするが、耳に賢斗の声が届いた。

「小峰ー。まずは一本、止めよう〜」

 ゆったりとした、それでいて大きな声は集中していた隼人の耳に届き、視線を向けさせる。純や理貴、真比呂はもちろんのこと礼緒まで視線を向けている。礼緒は頬を少しだけ緩ませて頷き、ラケットを高く掲げた。

「一本!」

 賢斗の声に負けないようにということなのか、高崎は一回前よりも大きな声を出してサーブを放つ。そこで力んでしまったのか飛距離は出ていなかった。礼緒は前に出てハイクリアでシャトルを飛ばし、コート中央で待ち構える。

(今の、スマッシュにいけなかった。やっぱりまだ緊張は解かれてない)

 高崎がシャトルに追いついてストレートに打ち返す。礼緒は中央から右側に移動して十分な体勢でシャトルを迎え撃った。

「ふっ!」

 礼緒はスマッシュ、ではなくハイクリアをストレートに高崎に返す。コートのラインぎりぎりではなく少し余裕がある場所に打つのは相手にとっては構えるまでに余裕が持てる。高崎はラケットを掲げて渾身の力を込めてスマッシュを礼緒の胴体へと打ちこんできた。しかし礼緒は体を左にずらして打ち返す。リターンも一つ前と同様にコートに入れることを第一目的とした打ち回し。礼緒も自分の調子が悪いことを何とかするために考えている。
 その後も連続して高崎がスマッシュを放つも、礼緒は危なげなく打ち返して行く。調子の悪さは攻撃の時に特に現れるようだった。やがて高崎がスマッシュをネットに引っかけて、ようやく礼緒に得点が入る。

「ナイス! 礼緒! じっくり一本だー!」

 真比呂の声に礼緒も笑顔で返し、シャトルを持って構える。ゆっくりと息を吸い、同じペースで吐いてからシャトルを打ち上げた。ロングサーブで飛んでいくシャトル。あくまでもコートからアウトにならないようにコートの内側へと向けられる軌道は、本来ならば相手の攻撃にもってこいのチャンス球になってしまう。相手の隙を突き、いないところや体勢を崩すように打つためには、どうしてもコートの端から端を有効に使う必要がある。その駆け引きの中で線を越えてしまうのだ。だが、今の礼緒はとにかく自滅しないように打っている。

「おら!」

 高崎も礼緒の状態を理解したのか、猛然と攻め立ててくる。しかし、礼緒は次から次へとロブでシャトルを返して行き、なかなかスマッシュを通さなかった。

「らあ!」

 気合いの声が大きくなり、高崎はスマッシュをフェイントにしてドロップショットを放った。ネット前に落ちて行くシャトルに半歩出遅れた礼緒だったが、上背を生かして腕を伸ばし、ラケットを届かせる。当然、ネット前に落とすだろうと予測して高崎も前に詰める。突進してくる相手をネット越しに見た上で、礼緒は手首だけでロブを打ち上げた。

「あっ!?」

 高崎は慌ててバックステップでシャトルを追い、ラケットで打てる限界点を見極めて仰け反ったままハイクリアで打ち返した。礼緒の立ち位置もコートの状況も見ないまま打ったものだが、シャトルはしっかりとシングルスコート奥のライン上へと落ちる軌道に入っている。

(やっぱり、この人も強い)

 藤間が目立っているだけで高崎も十分実力がある。咄嗟のショットでも精度が落ちないのがその証拠だった。体に理想の軌道が染みついている。礼緒は追いかけて十分な体勢を取ったままシャトルに照準を合わせた。

「礼緒! 行ったれ!」

 真比呂の声に一瞬だけ体を硬直させた礼緒はしかし、スマッシュではなくドリブンクリアを打った。ハイクリアよりはコートに並行に飛んでいき、早めに落ちる軌道。バランスを崩した高崎は体勢不十分のままステップを踏んでシャトルを追った。

「っだっ!」

 高崎はオーバーヘッドストロークで打てる限界で、またしても追いつくとスマッシュを打ち込む。しかし、今度は体重移動の勢いを殺せなかったのか体が流れて、スマッシュもシングルスラインの外にシャトルを落としていた。
 12対10と再び礼緒の連続得点。大きくため息をつく礼緒の様子を見ながらも隼人は相手コートのほうを見ていた。高崎の動きの癖や得意ショットが分かればアドバイスが出来るかもしれない。
 その時、隼人の目に反対側の壁によりかかっている人物が目に入った。

(……あれって……なんだ?)

 近くのコートで行われている試合の選手でもない。三人で壁に寄りかかりながら雑談をしているようだったが、視線は礼緒の試合を見ているように思えた。遠くにいるため本当に見ているかははっきりしないが。

(どこかで見たことある……のか……?)

 ジャージは南星高校のもの。この試合を勝つことが出来れば、おそらくは決勝で当たる相手だ。試合を偵察するのならもっと近くでもいいはずだが、遠くにいるということはやはり自分の勘違いか。隼人はひとまず三人を意識から外した。今は礼緒へのアドバイスをするための情報集めのほうが重要だった。

「はっ!」

 視線を礼緒のほうへと戻した瞬間に、鋭い声と共に礼緒がスマッシュを放つ。白帯よりまだ高い位置だったが、角度を持って通過してシングルスコートの奥へと落ちて行く。飛距離の長いスマッシュに高崎はタイミングを外されて取ることが出来ずにコートにシャトルが跳ねる。
 十三点目。そこまで見て、隼人は礼緒の調子が徐々に上向きになっていると分かった。調子が悪いまま決めようとして自滅していた時と異なり、ひとまず入れることを優先する。そこで調子が戻ってきたら攻撃してみる。礼緒は自分で立ち直りかけていた。隼人のアドバイスが必要とは思えないほどに。

(一人で調子崩すのは微妙だけど、徐々に立ち直るところは流石だな)

 ポテンシャルは真比呂よりも上かもしれない礼緒ならば、きっかけが掴めれば立ち直れる。徐々に開きだす点差に高崎も焦ってスマッシュを連発するが、礼緒は無理せずロブを上げるのに徹し、相手がハイクリアを打てば、今度は軌道が緩やかでも強烈なスマッシュを打つ。とにかくネットに引っかけず、シングルスコートから出ないようにと打っているため攻撃範囲自体は狭いのだが、その狭さは逆に高崎の体近くに打つことにも繋がりレシーブしづらくなっているらしかった。

「ポイント。フィフティーンテン(15対10)」
「っし!」

 あっという間に五点差に広げた所で、ようやく礼緒は小さくガッツポーズをしながら吼えた。
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