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● SkyDrive! --- 第七十三話 ●

 藤間のスマッシュが真比呂の胸部へと叩きこまれ、痛みに一歩足を下げたところでファーストゲームは終了していた。
 21対12というスコアを、藤間はどうとらえているのか隼人には分からない。しかし、戻ってきた真比呂の浮かべている表情にまだ彼が諦めていないということは分かった。満面の笑みで隼人の傍までやってきた真比呂はラケットバッグからタオルを取りだして顔を拭きつつ尋ねてくる。

「どうだった? 俺はどうしたら勝てる?」

 勝つためなら何でも言われたとおりにする。そんな気迫が込められた真比呂の言葉に対して、隼人も力強く頷いてから口を開いた。

「まずは、コートの右奥を狙え。そこだけ、藤間さんはほんの少し反応が遅れる」

 ファーストゲームをとにかく粘れと指示したことを守り、真比呂はコースを考えずに来たシャトルを打ち返し続けた。真比呂がディフェンシブに変化したことで藤間は自分が攻める機会が多くなり、隼人にとっては攻撃パターンをある程度収集できた。真比呂がもう少しコントロールが良ければもっとデータがとれたかもしれないがそれは置いておく。
 その、真比呂の粘りによって隼人には藤間の攻略法が見えてきていた。
 最初の一手が、一点集中。

「ただ、そこを狙ってたらいずれ慣れてくる。だから、ここからがお前にかかってる」

 真比呂はタオルで顔を拭き終えて顔を上げる。しっかりと見つめてくる瞳を見返しながら隼人は言った。

「ヘアピンだ」

 隼人の言葉にこれまで黙っていた周りの面々も息を呑む。最も真比呂が苦手なショットを打つことがこの試合の肝だと短い一言に凝縮されている。真比呂が立ちつくしていると審判からインターバルが終わるためコートに戻るよう指示があり、一瞥してからコートへと戻っていった。

「井波に出来ると思うか?」
「分からない。でもやらないと、多分勝てない」

 理貴の問いかけに隼人は、視線は真比呂へ固定したまま言った。詳しく伝える時間はなかったが、おそらく真比呂にも伝わったと信じられる。それくらいには、同じ時間を共有してきたという自信があった。

「ほんと、あいつ高羽のこと聞くんだな」
「試合開始の時から聞いててほしいけど、それはいいか」

 試合開始時点では誰が見ても隼人の言うことを守る気がなかったのに、途中からはほぼ完璧に隼人のオーダーをこなしていた。だからこそ勝ち目の薄い中でも光明を見出すことが出来たのだ。しかし、ここからは真比呂自身の力にかかっている。

(弱点を見つけても、井波には藤間さんほど攻撃のバリエーションはない。だが、ヘアピンがちゃんと入るようになれば選択肢が広がる)

 ファーストゲームは苦し紛れに打ったもの含めてほとんど隙だらけのヘアピンで、簡単に打ちこまれるかチャンス球を打たせられる布石に使われる程度でしかなかった。
 しかし、勝算はあった。真比呂がこれまで魅せてきた吸収力を考えればこの試合の間にヘアピンを試合につかえるものにする可能性は十分にある。今まで苦手だったのは、当人が有用性に気づいておらず練習をあまりちゃんとこなしてきたわけではないからだ。

(必要に迫られて、それをしなければ負けるって状況に追い込まれればあいつはやるし、間に合うはずだ)

 おそらくヘアピンが使えるようになるのは終盤になるだろう。それまで体力も相当削られるはずだが、間にあったなら逆転になりえる。

「セカンドゲーム。ラブオールプレイ」
『お願いします!』

 藤間を上回る声を出して身構える真比呂。流れるように「ストップ!」と宣言し、藤間の攻撃を防ぐことに全力を尽くすという気合いを隠そうともしない。どうやって止めに来るのか藤間もサーブを打つ前に真比呂を観察したらしく、動きを止める。長い間は止まっていられないため、ほんの十数秒だったが藤間は確かに真比呂の姿を観察して、ショートサーブを打った。

「ふんっ!」

 真比呂はラケットを前に差し出してヘアピンを打っていた。隼人が打てと命じてすぐ後に打つのは殊勝な心がけだが、前にいて警戒している相手に対してヘアピンを打つのはどうなのだと隼人は思ってしまう。だが、その選択があながち間違っていないと気付かされた。
 藤間は真比呂がネット前に打つとは全く考えていなかったのか、後方へと下がってロブに備えようとしていた。だが、ネット前にシャトルが落ちたことで慌てて前方にラケットを伸ばす。
 シャトルにはかろうじて届いて、藤間は手首の力だけでシャトルを弾いて真比呂の頭上を抜く。しかし、真比呂は高く飛び上がってラケットを振りかぶった。

「うおおらあ!」

 真比呂の全身全霊を込めた咆哮と共にラケットが振りきられ、シャトルが叩き落とされる。急な動きだったが体はついていき、シャトルはネットを掠めてから藤間の足元へと突き刺さっていた。

「ぽ、ポイント。ワンラブ(1対0)」

 困惑したように告げる審判だったが、真比呂は久しぶりにポイントをもぎ取ってガッツポーズをしていた。隼人のアドバイスに対するストレートな反応が逆にフェイントになったのかもしれない。
 真比呂が勝負できる背の高さ。そこからくる頭上への制空権の広さが生かされた形になる。

「井波! ゆっくりと息吸って、吐け!」

 理貴のアドバイスに従ってゆっくりと息を吐き、溜まった二酸化炭素を外へと出す。体中に酸素を循環させているかのように何度か深呼吸を繰り返した後で、真比呂は受けとったシャトルを持って藤間のほうを見た。
 二人の視線が絡み合う様子を見ていると、隼人は何らかの会話が二人の間で交わされているように思えた。

「一本!」

 真比呂の声が高らかに響き渡る。
 気合いはファーストゲームから継続して発揮されている。どれだけ点差をつけられても全く闘志を萎えさせない真比呂を藤間はどう思っているのか。付け入る隙があるとすれば、そこも今後の鍵になってくると隼人は感じる。
 時間内に相手を一点でも上回らなければいけなかったバスケットボールと異なり、最後の点数をとれるならいくらでも時間をかけていいバドミントンに真比呂は隼人には分からない希望を得ている。練習の合間や試合への向き合い方から感じ取れる。
 諦めない心こそ、相手の気持ちを折るのに必要な武器だと隼人は分かっている。

(お前が未熟だとか分かってるんだ。だから、お前もほんの少しでも考えて、勝機を探せ。ヒントはやってる)

 実際、隼人は策を真比呂に与えたが、半分以上は「祈り」のようなものだ。自分が今できることを駆使するよりも、これから出来ることを基準としたもの。現在ある技量でさえ確実に信用できるわけではないのに。

(それでも、お前ならやってくれるって感じがするよな、井波)

 気を緩めれば誉めてしまう自分を律するように頬を叩く。せめて、背中を押すように真比呂に向けて声援を送る理貴や純と共に声を張り上げた。

「おら!」

 シャトルが飛ばされ、真下に入りこんだ真比呂は気合いをこめて吼え、シャトルに飛びつく。ラケットを渾身の力で振られるのを見て隼人はスマッシュと思い、顔をしかめた。ファーストゲームの状況だとカウンターを打たれてチャンス球を上げさせられてしまう。
 だが、次の瞬間にラケットがシャトルを叩く音は聞こえなかった。
 軽く静かに押し出すように打たれたシャトルはネット前へと落ちていき、そのまま相手コートには届かず床に着いていた。

「ポイント。ワンオール(1対1)」
『ラッキー!』

 相手チームが声援を送るのに対して、隼人たちは真比呂へ「ドンマイ」と声を書けるのを忘れていた。目の前の光景はこれまでとは明らかに異質。首をひねりながら前に出てシャトルを拾ってから藤間へと渡す真比呂は、ぶつぶつと一人呟きながらレシーブ位置に向かう。時折ラケットを振って何かを確かめていた。

「井波! ドンマイ!」
「おうよ!」

 ようやく口を開いた隼人に真比呂も嬉しそうに返す。笑顔を浮かべたままレシーブ体勢を取って藤間へと向いて、これまで通り気合いを押し出す。
 だが、それはこれまで通りではなかった。

「あいつ、フェイント使ったな」
「ああ。ファーストゲームみたいに吼えて」
「失敗したけどもう少しだった」

 隼人、純、理貴の順番に呟く。視線の先にいる真比呂は藤間のサーブにより後方へと移動し、ハイクリアをしっかりと奥へと返していた。隼人もそこから攻め込むには厳しい軌道。藤間もスマッシュは打たずにクロスにハイクリアを打ち、真比呂は打った位置から真横に移動して再度ストレートにハイクリアを打つ。
 これまでと明らかに違う。
 これまでのようにすぐスマッシュを打っていくわけではない。ハイクリアで相手を動かして徐々に隙を作り、空いているスペースに打ちこもうという思いが垣間見える。それだけではなく、さっき打ったドロップもスマッシュを打とうとした気迫と姿勢をフェイントとして使っていった。失敗したがそもそもこれまでやってきていないのだから失敗しようがない。

(ヘアピンを打てっていうところから、意図に気づいてくれた、か)

 藤間相手に左右の奥へ打つだけではバランスは崩せない。だからこそ前後の動きが必要で、ヘアピンは前に落とすことで藤間の動く距離を増やすことが目的だった。本当に全国レベルのフットワークを持つ相手だと別の手を考えなければいけないかもしれないが、市内や県大会レベルならば動く距離や回数が多いほど崩れてくる。真比呂のスマッシュならばその崩れた隙を突くのに十分な力があった。だからこそ、真比呂はコートをもっと広く使うべきだった。

「はっ!」

 スマッシュのフォームと気迫で、再びドロップ。今度はネット前から離れはしたが相手のコートには入り、藤間は体勢を低くしてロブを上げる。ヘアピンを打てば真比呂の体勢は崩れたかもしれないが、一瞬の躊躇が見られた。

(最初のヘアピンが効いてる。今のドロップの処理も、さっきの残像がちらついてる)

 真比呂が使い始めたフェイント。スマッシュを打とうとしてドロップ。あるいはハイクリア。前に来た時のヘアピン。まだそれぞれ一回しか見せていないが、藤間の脳内で情報を整理するために思考が高速回転しているのが見えるようだった。

(ファーストゲームの展開から、こういう風になるのは予想してたはずだ。でも俺たち他のメンバーなら確信できたかもしれないが、井波はやるようなキャラじゃないだろ)

 真っ向勝負でぶつかってくる熱い男。バドミントンの真っ向勝負はむしろ相手の裏をかき、弱点を徹底的に突いていくことなのだが真比呂はスマッシュで相手の防御を打ち破ることが正義、のようにふるまっていた。そんな相手が強弱織り交ぜた動きをしているのに、頭で理解できても感情が追いついていないのかもしれない。

「らっ!」

 気合いと共に放たれたシャトルは見合わない掠れた音を立ててネット前に落ちていく。先ほどよりもネットに近く、体勢を崩された藤間はラケットを届かせることができなかった。

「ポイント。ツーワン(2対1)」
「しゃあ!」
『ナイスフェイント!』

 真比呂の咆哮に合わせて隼人たちも声援を送る。徐々に良くなっていくドロップの軌道に隼人は真比呂の吸収力に胸の奥から熱さがこみ上げてきた。

(くっそ。癪だけど凄いじゃないか、井波)

 真比呂に感動させられていることに不服だったが、今は割り切って応援しようとする。だが、シャトルを静かに拾いに行った藤間を見て、熱い思いに水をかけられたように感じた。

(やっぱり、この人は崩れないな)

 周りが盛り上がると共に逆に藤間の周りが冷え込んでいくように思える。ファーストゲームにも似たような雰囲気を真比呂も感じたはずだと隼人は表情を見てみた。だが、視線の先にある表情は笑顔で、瞳には迷いが見えない。目の前の相手を倒そうとする意思が見られた。

(あいつ……本当にやる気だな)

 隼人の言葉を信じれば勝てると本気で思っているのだとしたら、と隼人は考えて首を横に振る。そこまで真比呂も現実を見ないわけではないだろう。それでも、勝つ未来へ至る道を進むためにどうしたらいいかを考えて足を動かしてシャトルを打つ。バドミントンの基本であり、全てだ。
 シャトルを渡された後で羽を整え、サーブ体勢を取る。真比呂は「一本!」と吼えた後でシャトルを思い切り打ち上げた。シャトルは飛距離をどんどん伸ばし、アウトになるかと隼人も慌てたが藤間はしっかりとハイクリアで打ち返して行く。ストレートに飛んだシャトルは真比呂を奥へと追い立てて今度は真比呂側のコート奥ライン上へと落ちていく。だが、真比呂は直前で横に移動してシャトルを見送った。
 ラインズマンはシャトルが着地したと同時に両腕を横に開いていた。

「アウト! ポイント。スリーワン(3対1)」
「しゃ! ラッキー!!」

 吼える真比呂に隼人も思わず拍手する。自分ならば見送ったかは分からない。それくらいギリギリの軌道だったにも関わらず真比呂は躊躇せずに見逃していた。

(……あれは、多分入ってるとか入ってないとか考えてないな)

 単純に見逃したかったから。それこそ、毎回じゃんけんで負ければコートの逆側を取るというのもやりたいからで済ませている真比呂だからこそできることかもしれない。たとえ失敗しても自分が望んでした行動だから後悔もない。それくらい割り切った行動が真比呂の原動力になっている。

「さあ、一本!」

 シャトルを拾い上げてサーブ位置に立つと藤間が構える前に打とうとする。打つ直前になってまだ藤間が靴紐を結んでいるのを見て動きを止めた。

(このタイミングで流れを切るのは、やっぱり警戒してるんだ)

 連続しての得点。まだ序盤で慌てる時間帯でもないが、藤間は一度間を取って真比呂の攻撃を抑えようとしているのだろう。真比呂の爆発力を肌で感じているのかもしれない。

(ここからまた気を引き締めて行けよ、井波)

 隼人の視線の先で真比呂は両腕を伸ばしてから屈伸をするなど、体をほぐしていた。ファーストゲームを終えて火照った体が冷えるのを嫌っているようで、自分の中に灯った火を消したくないということかもしれない。
 頼もしく見つつも、藤間の様子にまだ隼人の中の不安は消えなかった。
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