モドル | ススム | モクジ

● SkyDrive! --- 第七十二話 ●

「試合を始めます。オンマイライト、藤間。岬高校。オンマイレフト、井波。栄水第一高校。トゥエンティワンポイントスリーゲームマッチ、ラブオールプレイ」
『お願いします!』

 コートの中に立った真比呂は同時に言った相手の声をかき消すように叫んでから、軽くその場で跳ねて身体を揺らす。隼人にはその様子が全身に広がった硬さをほぐしているように見えた。吼えて気合いを押し出しても、それが身体の硬さに繋がってはいけない。自分がベストパフォーマンスを出すための方法を自らの経験から導き出している。その点で真比呂は初心者ではあるがバドミントンをすることへのハンデが「普通の初心者」よりは少ないかもしれない。しかし、使用する感覚はバスケットボールとは異なるのは間違いない。

(井波が明らかに足りない経験を相手は持ってるはずだ。俺ら以上に、相手は厳しいかもしれない)

 相手がスマッシュやドライブなど力押しで来るタイプならば、真比呂も真正面からぶつかって勝てるかもしれない。実際にそうだとしても、序盤で真比呂を見切ってコース狙いに切り替える可能性もある。あくまで試合開始前の予想であり、全て合ってるかは分からない。
 試合前の予想通りに試合が進むなら苦労はしない。後は、隼人の分析を真比呂がどれだけ上回るかだ。

(あいつも十分……勝てる力はついてきたはずだ。あとはそれをどう生かせるか)

 隼人は自分の試合以上に緊張して、いつの間にか握りしめていた拳に気づいて握りこんでいた汗をジャージへとなすりつけた。

「一本!」

 自分の気合いを上書きされたような形になった藤間も気を取り直して吼えてからロングサーブを放つ。シャトルは綺麗に弧を描いてコート奥へと真比呂を押しやったが、真比呂は飛び上がってシャトルへとラケットを伸ばす。

(あいつ!?)

 バックジャンプからのラケットの渾身の振り。練習中にも何度も見せたことがあるジャンピングスマッシュ、モドキ。
 いつもより早いタイミングで相手に打ち返せるのは利点だが、威力とコントロールがつけづらい。特に真比呂は、ネットに引っ掛ける確率は七割を超えていたはずだった。

「おらっ!」

 残り三割の確率に賭けてか、ラケットを振り抜く真比呂。思いを乗せて打ちだされたシャトルは白帯へとぶつかると、くるりと回転して相手コートへと入りこんだ。

「くっ!?」

 ネットに近い場所で腰を落として待ち構えていたため、藤間は反応してシャトルを打つ。弾道がスマッシュの下降軌道から途中で変わったために中途半端な位置にきたシャトルにも、タイミングを合わせてバックハンドでドライブを打ち込んだ。だが、コースまで狙う余裕はなかったのか着地をした真比呂のフォアハンド側へと放たれている。

「らあっ!」

 右利きならばバックハンドとなり打ちづらくても、左利きの真比呂にはチャンス球。真比呂は渾身の力を込めて再度打ち返す。シャトルは藤間のフォアハンドを抜けてコートへと着弾した。

「ポイント。ワンラブ(1対0)」
「しゃあ!」

 審判のカウントが終わる前に吼える真比呂。全身を使って最初の一点を取ったことの嬉しさを表現する。だが、隼人は真比呂の様子よりもシャトルを拾いに行く藤間の様子が気になった。
 全く動じている様子はなく、シャトルを拾い上げて羽を整える動作も自然なもの。確かにまだ一点で慌てる段階ではないが真比呂の防御範囲の広さはなかなかの脅威であるはずだ。シャトルを真比呂へと打ってからレシーブ位置に戻って構えるまでの間、全く気負いを感じさせない流麗な動き。落ち着きように隼人は胸の奥に不安がこみ上げる。

(想定していたかは分からないけど……少なくとも対策は考えてそうだな)

 隼人の不安を余所に真比呂は「一本!」と叫んでからシャトルを打ち上げた。力を込めて飛ばしたシャトルは綺麗な弧を描いて相手コートの奥へと落ちていく。藤間は落下点まで入ってから、即座に真比呂の胸部に向けてスマッシュを放った。

「おら!」

 真比呂は体勢をずらしてサイドストロークで打ち返す。ドライブの軌道で返ったシャトルを藤間は前に詰めて、同じくドライブで真比呂の胸部へと打ち込んだ。同じ軌道ではあるが真比呂は体勢を整えることは間に合わず、旨でトラップしてしまった。

「ポイント。ワンオール(1対1)」

 あっという間に同点にされた真比呂は額を軽く叩いて失敗した、と呟きながらシャトルをラケットで掬い取ろうとする。しかし、失敗してシャトルは前に飛んでいった。慌てて追いかけて行って今度は右手でシャトルを拾い上げて羽を整えた。

「すんません」

 一言謝ってからシャトルを打って返す。藤間は無言で頷いて中空でラケットを使ってシャトルを絡め取った。

(さっそく井波の弱点を狙ってきたか)

 真比呂の弱点は長所の裏返し。身長が高く手足が長い真比呂は、左右と上空の防御範囲は広いがその半面体に近いところへのショットに弱い。バックハンドに咄嗟に持ち替えて打ち返すという技量はまだなく、しょうがなく体勢を変えて無理矢理サイドストロークで打ち返していた。素早く体を動かせば可能ではあるがどうしても打つ体勢に入るまでにタイムラグがあり、今回はそこを藤間に突かれた形になる。

「一本」

 藤間は静かに言ってシャトルを打ち上げる。真比呂はジャンプして高い位置からスマッシュを叩きおろしていた。速度はのらず、ジャンピングスマッシュの失敗を物語る。着地してからすぐ前に向かおうとした真比呂に対して、藤間はストレートドライブで顔面に向けてシャトルを放つ。

「どわっと!?」

 真比呂は体を引いてラケットを顔面の前に持ってくるとプッシュでシャトルを打ち返す。しかし藤間は真比呂がそこに打つと分かっているかのように移動して、シャトルがネットを越えた瞬間に合わせて打ち返していた。
 シャトルは真比呂の胸部へとぶつかり、そのまま床へと落ちていた。

「ポイント。ツーワン(2対1)」
「ドンマイ! 井波!」
「まずはストップだ!」

 純と理貴が交互に声をかけ、真比呂は笑顔で二人に礼を言うとシャトルを拾い上げて羽を整える。だが、隼人は真比呂の顔に走る緊張を見逃していなかった。

(あいつも流石に分かってる、か)

 藤間が真比呂にとって相性が悪い相手だということを、自分自身でも理解できたという意味合いの緊張だと隼人は受け取った。藤間は平然とサーブ体勢を取り、真比呂は気合いを発散して迎え撃つ。コートの外にいてもアテられそうな気迫は大したものだと隼人は思うが、藤間はまるで感じていないかのように表情も変えず、ロングサーブでシャトルを奥に打ち上げる。真比呂はこれまでと同様にスマッシュでコートの左ラインを狙ったが、勢いがつきすぎて線を大きく超えてしまった。

「ポイント。スリーワン(3対1)」
「井波! まずは入れていけ!」

 理貴の言葉に苦笑いして頷く真比呂は場所を移ってレシーブ姿勢を取る。大きく息を吐いて自分を落ち着かせる様子は練習の時の真比呂とそう変わらない。思い通りに行かない時に見せる行動は、少なくとも焦りはないだろうと隼人には思える。それでも、今後はどうか分からない。

(今のも、できるだけ藤間さんがシャトルを取るのを思い通りにさせないようにって意図だろうけど。そう考えるのが藤間さんの思い通りになってるかもしれない)

 藤間の表情の変化のなさは隼人も思考を読みづらい。真比呂を操っていることに満足していることを悟らせないようにポーカーフェイスを装っているようにも見えるし、全く真比呂のことは相手にしていないで自分が決めた戦略を淡々とこなしていくようにも見える。

「ストップ!」

 打ち上げられたシャトルを今度は藤間の真正面へとスマッシュで打ち込んだ真比呂だったが、バックハンドで綺麗にドライブを自分の胸元へと返されると対抗できず弾いてしまう。四点目を取られて、周りにも明らかに真比呂の弱点が露呈されてしまった。

(バックハンドの体付近の処理。今後教えないとな)

 ラケットヘッドの防御範囲からして、経験者でも肘から内側のシャトルの処理は難しい。基本はバックハンドで握って打ち返すのだが、切り替えて打ち返す感覚は初心者には捉えづらい。経験を続けてくれば自分なりの処理方法を見つけて実践する。できなければ、競技としてのバドミントンからは消えていく。
 バドミントンは基本的に全てのショットを高いレベルでこなせた者が勝つスポーツだ。一芸に秀でていても弱点があればそこをこれでもかというくらいに狙われる。それは卑怯でもなんでもなく、あたり前の戦術。相手に対抗して同じことをした真比呂に、自分との差を見せつけるような見事なバックハンドは藤間が自分なりの処理方法を実践できる選手だと示していた。

「ちっくそ! ストップだ!」

 真比呂のように純粋に闘志と得意な武器をぶつけてくるような選手相手だと、その武器に真正面から挑みたくなる。だが、藤間は真比呂の無意識な挑発を完全に受け流し、弱点として認識された胸部付近へとドライブを繰り返す。おそらくは、試合開始から終了まで同じレベルに。試合を見ている側としてはつまらなくなるかもしれないが、勝つためには当たり前のこと。

「おら!」

 真比呂も状況を変えようとサーブ出打ち上げられたシャトルをハイクリアで打ちかえしてコート中央へと腰を落とす。スマッシュへのカウンターを警戒してのことだが、藤間はコート奥からでも鋭いスマッシュを真比呂の胸部へと正確に打ち込んできた。

「そう何度も!」

 やられるか、と続けたかったのだろうが、シャトルが胸部へと届くのが先だった。しかしコート奥からと距離があったために真比呂は体勢を変えてフォアハンドで藤間がいないはずの逆サイドへとシャトルを打ち返す。
 しかし、シャトルが返った先には既に移動を終えようとしている藤間の姿。バックハンドでラケットを握り、ドライブのまっすぐな軌道から外れて浮かんだシャトルを力強くプッシュでサイドライン上へと打ち込んだ。

「ポイント。ファイブワン(5対1)」
「ナイスショット! 藤間部長!」
「先輩! ナイスです!」

 藤間の絶妙なショットにチームメイトが声を上げる。部長という単語に隼人は相手に備わっている実力に納得した。正確に真比呂の胸部を狙い続けることや今のサイドライン上へのプッシュ。速度も十分あったことも頷ける。

(こういうのを、部長っていうのかな)

 実力があって、他人を引っ張ることが出来る者。更に、エースは今後控えている二人のどちらかなのかもしれない。あるいはエースとして最初のシングルスを確実に取るために配置したのか。どちらにせよ、相手は試合を確実に取るために第一シングルスにいる。そうした起用を出来る実力を持っている者こそが男子にとっては部をまとめ上げる力に繋がっていると、隼人は思う。
 隼人の中の「エース」「部長」といったイメージに藤間は沿っている。

「高羽! お前も声出せよ!」

 背中を叩かれたことで慌てて隣を向くと、理貴が焦った表情で隼人を見ていた。いつしか外れていたコートへの視線を戻すと得点は7対1といつの間にか2点進んでいる。それでも意識を外していた間の展開は予想できた。

「それとも、何か策を考えてるのか?」
「ん、ああ……何とか隙を見つけないとな」
「そうか。なら、応援は俺と純と鈴風と小峰に任せとけ」

 隼人の言葉を疑わずに純はそう言って真比呂への応援に戻る。これまで抑え気味だった賢斗や礼緒にも気合いを入れるように言って声援を送り続ける。

(そうだ。何を、回想入ってるんだよ。井波が頑張ってる間に藤間さんの付け入る隙を見つけないと)

 隼人には考えられないが、もしかしたら真比呂の心が折れて戦意喪失するかもしれない。そうなれば勝てるかもしれない勝負も負ける。バスケットボールをしてきたことで試合に対しては諦めることはないと信じていても人の心は読めない。ならば、タイムリミットがあると考えて策を絞り出す。

(あいつなりにいろいろ考えて攻めを変えてるんだ。材料は集められるはず)

 隼人は別に向けていた思考を全てコートの中に集めるように意識する。真比呂がドリブンクリアで上げたシャトルを藤間はドロップでネット前に落としてきた。前へと移動してラケットを伸ばし、ヘアピンを打ち返した真比呂だったが、方向を読んでいた藤間は前に迷わず詰めてきて手首だけで器用にロブを打つ。前のめりになって体勢を崩していた真比呂は強引に立ちあがってシャトルを追い、後方に飛びながらハイクリアを放った。シャトルは再度、相手コートの奥へと進むが藤間は楽に落下地点へと入り、スマッシュを真比呂の胸部へと打ち込む。

「ぐっ!」

 苦い声と共にシャトルがコート外へと飛んでいき、ポイントがまた追加される。
 得点は8対1と圧倒的にリードされているように見える。だが、少し前までのサービスポイント制と異なってラリーポイントは流れに乗れば一気に詰められる点差、とは言えないが安全圏でもないはずだった。今の結果も藤間が完全に流れに乗って突き放しているだけ。その流れを、一度でも得点出来れば断ち切って真比呂の方へと引き寄せられるかもしれない。

(藤間さんもスマッシュばっかり打ってこなくなった。流石に井波が慣れるのを警戒している、のか?)

 真比呂がサーブからスマッシュを打ってこなくなったことで、藤間も簡単にスマッシュを打たなくなってきた。確かに後方からでも十分速い一撃を打ち込めるが最初から真比呂も体勢を変えて打ち返すことはできていた。胸部への攻撃を止めることはないにしろ馬鹿正直に同じパターンを続けていれば、真比呂も対応してくるとそこから読んでいたのかもしれない。

(これまでの藤間さんの攻め方は――)

 しっかり藤間の動きを見る。真比呂の攻めに合わせて移動し、打ってくる。少なくとも序盤は返ってきたシャトルに対してはスマッシュを真比呂の胸元へと打ち込むだけをしていたが、先ほど取った8点目はドロップでバランスを崩した上での一撃。

「くお!」

 真比呂が強引に背筋を反らしてハイクリアを打つのをしっかりと視界に捉えつつ、藤間の動きも見逃さない。
 9点目を取ろうとしているラリーは、三回のハイクリアを挟んでからのドロップ。先ほどと同じように追いついて苦し紛れにヘアピンを打ち返した真比呂だったが、すぐに後方へとロブをあげられて何とか打ち返す。着地をしてバランスを崩したところにスマッシュを撃ち込まれたが今度は咄嗟に右に避けてフォアハンドで打てる体勢を作る。

「おらあ!」

 角度をつけてシャトルを打ち返そうとしたが、ほとんど水平にシャトルは進んでコートから飛び出してしまった。9点目を献上されて相手チームは盛り上がり、真比呂は顔をしかめて膝を叩く。
 だが、真比呂と違って隼人は口元を少しだけ緩めた。

「井波!」

 これまで黙っていた隼人が声を出したことで真比呂も、純たちも視線を向ける。真比呂がまっすぐに自分を見ていることを確認して、隼人は一言だけ告げた。

「とにかく耐えろ。お前の利点は体力があることだ。攻撃したら隙を突かれるから守れ!」
「おう!」

 短く返答してから真比呂は再び藤間に向かい合う。表情はこれまでと異なって明るくなっていた。過去9点分のどうしても対抗できない状況とは異なり、何らかの光明を見つけたかのような表情に藤間も隼人のほうを一瞬だけ見た。その視線に気づいても隼人は無視をする。

「井上。これまでのラリー、取ってるか?」
「だいたい取れてるよ」

 これまでずっと黙っていた亜里菜が顔をあげて、手にしていた紙を隼人へと渡す。そこには試合のスコアだけではなくどういったラリーをしたかということが書き込まれていた。初心者である賢斗と真比呂にはより具体的に教えられるように試合で打ったコースや球種についてもある程度抑えておきたいという、隼人と亜里菜の意見の一致からの行動。
 だいたい、と亜里菜は言ったがそれが謙遜だというのは書きこまれた情報量から隼人にはすぐ分かった。

(もう少し粘れ。絶対見つけられる。さっき、何か感じたことがあった。絶対に見つけ出す)

 しばし、コートは亜里菜と仲間たちに任せて隼人は書かれているラリーの内容へと目を落とす。藤間という壁を攻略するために。

 得点は9対1と藤間リード。
 それでも、真比呂も隼人も、誰一人諦めていない。
モドル | ススム | モクジ
Copyright (c) 2016 sekiya akatsuki All rights reserved.