モドル | ススム | モクジ

● SkyDrive! --- 第七十一話 ●

 賢斗のラケットが空を切り、後逸したシャトルを隼人が拾う。打つ瞬間に相手の立つ位置を見て、賢斗の体によって出来る限り死角が続く位置へと打つことでカウンターを回避する。隼人の思惑は功を奏して前に出てきた星見は咄嗟に強打することが出来ず、緩やかなプッシュで落としてくる。
 再び隼人は前に出てロブを大きく上げて、サイドバイサイドの陣形を取った。

「鈴風!」
「うん!」

 隼人の言葉に反応してバックハンド側にラケットを向けて身構える賢斗。バックハンド側に意識を集中させた上で隼人は賢斗のフォアハンド側も含めて防御範囲を広げた。中村がラケットを振りかぶって賢斗のバックハンド側にスマッシュを放ってくるが、既に十分な体勢を整えていた賢斗は鋭くロブをストレートに打ち返した。前にいた星見がラケットを出すことさえ間に合わない速度でシャトルは中村へと飛来する。打ち終わりを狙った胸部への一撃をかわしきれずに中村は胸でトラップしていた。

「ポイント。エイティーンフィフティーン(18対15)」
「ナイスショット!」
「しゃ!」

 隼人が背中に声をかけると嬉しそうに振り返って左手を掲げてきた。その掌へと思いきり自分の掌を叩きつけて気合いを伝達する。傍から吼えるように声をかけてくる真比呂に押される形になる。

(良い調子だ。このままいけば、勝てる)

 自分の体力の残りも計算して、無理せず打ちこんでいけば勝てるところまで道が遂に見えた。一ゲーム目を21対19とギリギリのスコアで取った後から一度もリードは許していない。一ゲーム目も同点に並ばれたことはあるが、結局はリードされずに逃げ切った。エースダブルスを相手に二人で粘っているのはこれまでの練習の成果に他ならない。

(それに。鈴風が体力負けしなくなってきたこともある)

 隼人の視界に映る賢斗の背中はまだ堂々と伸ばされている。練習を含めてこれまでの試合なら一ゲームを終えた段階で体力がほぼ尽きていて、疲労に背中も丸くなっていたが、隼人の目から見てもまだまだ余裕がある。女子との練習試合や白泉学園との試合とも違う。夏休みから秋にかけての練習の中で賢斗は特に体力をつけることに中心的に行ってきた。
 一人だけランニングの距離や時間を伸ばすなど調整して、各自の弱点にある程度沿ったトレーニングが出来たのは部員数が少ないことがまず第一の要因だろう。元々生真面目で一歩ずつ進んでいくタイプの賢斗は例え試合形式の練習を全くしなかったとしても腐らずに体力をつけただろう。それでは間に合わないために同時に実戦経験も積ませたわけだが、結果的に元々運動部だった真比呂以上に、進化を遂げていた。

(油断しないで、一点ずつ着実に取る。ここの一点が勝負だな)

 次で十九点目となるラリー。ここで点を取るか取られるかで流れはかなり変わるだろう。取られてしまえば流れを奪われるが取ってしまえば一気に行ける可能性もある。

「高羽。一本、じっくりいこう」

 声をかけようとした隼人よりも先に、賢斗が話しかけてきた。
 顔に浮かんでいるのは一つの自信だ。これまで練習してきた成果を自分でも感じている。だからといって油断をしているわけでもない。絶妙なバランスを持って賢斗はバドミントンに、相手に向き合っている。

(ほんと、才能だよな、これは)

 賢斗の才能はじっくりと、着実に階段を上るように技術を身につけていく根気だ。
 初心者が打てるようになってくれば必ずどこかで油断が入るものだ。隼人自身も経験がある。しかし賢斗は自分がいかに未熟かを理解している。あるいは、強くなってきていてもまだ先があることを理解している。だからといって今の自分を卑下することなく、正確に実力を捉えていたために自分を奢るということはなく、冷静に今できる全力を出していく。

「じっくりいこう。フォローは任せろ」
「うん。お願い」

 賢斗は笑顔でサーブ位置に向かう。改めて18対15という数字を見てゆっくりと息を吸い、吐いた。上半身ではなく腹部が風船のように膨らんで、しぼんでいく様は後ろから見ても分かる。賢斗を真正面から見ている相手にはどう映るのか。

「一本!」

 空気を震わせる咆哮にネットまで揺れたかのように感じた隼人だったが、真実を確かめる前にシャトルがショートサーブで放たれる。レシーバーは中村でラケットを掲げてプッシュを放つがネットに強打を阻まれる。しかし、これまで以上にコースは厳しく、ちょうど賢斗と隼人両方から等距離の右端へ飛んだ。速度は大したことはなくてもコースがよく、隼人はラケットを持つ右腕を渾身の力で伸ばす。

(とど、けぇえ!)

 右足も股が裂けそうになるほど踏み込み、ラケットを振り切る。最後はシャトルに届いたかさえも見ない。ただ、ラケットにシャトルが当たった手ごたえは残り、即座に顔をあげてシャトルの行方を追う。ふわりと浮かんだシャトルはネット前を越えて相手コートへと落ちていき、それを追っていくのはプッシュをした中村だった。背後に背筋を反らしてジャンプし、ラケットを届かせる。十分スマッシュを打てる状態に隼人は賢斗へと指示しようと一瞬だけ視線を移す。
 しかし、賢斗は既に逆サイドのネット前に移動して、ラケットを立てていた。もしも中村がスマッシュを打ってきてもおそらくはその軌道だという場所にピタリとラケット面が置かれている。

「はあっ!」

 気合いと共に中村が放ったシャトルは隼人の予測通りの軌道を通って、賢斗のラケットに弾き返された。星見も返ってくるシャトルの速度に反応しきれず、フレームに引っかけてシャトルは審判の隣へと落ちていた。

「ポイント。ナインティーンフィフティーン(19対15)」
「ナイスプッシュ! 鈴風!」
「しゃあ!」

 賢斗は隼人へと向き合って、今度は隼人が用意した左掌へと自分の左掌を叩きつける。ぱぁん! と乾いた音が周囲に響き渡り、心地よい振動に隼人も高揚感を抑えるのが大変だった。

「よし。更に一本」
「一本いこう!」

 興奮しつつも賢斗はサーブ体勢をとれば一度落ち着く。
 そこからの流れは一気に隼人と賢斗側に傾いていった。緊張の糸が切れたのか、次のショートサーブに対して星見のプッシュは失敗し、すぐに二十点目が入る。ラスト一点も賢斗が警戒しながら放ったロングサーブを中村はハイクリアでしっかり返してきたが、隼人がフェイントからのドロップショットでシャトルをコートへと沈めてゲームセット。
 最後の二点はまるで予定調和のごとく全く危なげなく取っていた。

「ゲームカウント2−0で栄水第一高校、高羽・鈴風組の勝利です」
『ありがとうございました!』

 四人が同時に挨拶と握手を交わす。しっかりと握った掌は熱く、相手の視線はしっかりと自分達を見返してくる。

「今度当たったら、勝つ」
「てか、個人戦出ないのか?」
「でないですよ」

 相手からの強い視線を受け流して隼人は手を離し、賢斗を連れてコートの外に出る。真比呂と礼緒は労いの言葉もそこそこに隣のコートの試合へと目線を移した。隼人と賢斗もそれに従って、自分たちのエースダブルスの様子を見た。
 隼人は先に得点を確認し、19対13というスコアに口笛を吹く。

「凄いな。圧倒的じゃないか。その割には展開遅いな」
「一ゲームの序盤が凄く時間かかってたんだよ。でも、徐々に早くなって、今じゃこんな感じだ」

 こんな感じ、と礼緒が言う頃には純がインターセプトしたシャトルが相手二人の合間に落ちていた。もう何度もやられているのか、後方にいた選手は脛をラケットヘッドで思い切り叩いて悔しさをあらわにしている。逆に前で守っていた選手は嘆息をし、落ちたシャトルを後衛の選手の代わりに拾った。

「ポイント。トゥエンティサーティーン(20対13)。マッチポイント」

 審判が告げる得点にも二人は特に声を上げることなく、掲げた左腕同士を叩きつけ合う。ぱんっ! と乾いた音を響き渡らせる。賢斗や真比呂とは違って適度な声量での「一本」という言葉は静かに隼人たちへ安心感を与えた。
 純のショートサーブに相手はシャトルを上げるしかなく、理貴は後ろから躊躇なくストレートにスマッシュを放つ。ダブルスライン際に放たれたシャトルに追いついて返そうとした相手の視界におさまるようにラケットと左手を大きく広げてネット前に立ちふさがる純。これまで何度もやってきたのか、相手は怒りを込めるようにシャトルを強打して純の顔面へと打ち込むように放つ。だが、純はシャトルを取ろうとせずにその場で深く沈みこんだ。背後に控えていたのは理貴。

「ふっ!」

 鋭く息を吐いてシャトルを狙いの場所へと打ち込む。片方が打ち終わって空いている中央部へと針の穴を通すまではいかないまでも鋭いコントロールでシャトルを沈める。右側にいたもう一人がラケットを伸ばすも、フレームに当たってチャンス球をあげてしまった。
 こちらは二人の間に落ちてくるような、どちらが取るかを判断するのが難しい軌道を描いてきたが純のほうが素早く腰を落としてシャトルを取らないことを行動で表わす。そして背後から飛んだ理貴はスマッシュを相手二人の間へと叩きこむ。

「はっ!」

 ラケットを振り切って理貴が着地したのと着弾して跳ねたシャトルが床に二度目の着地をしたのはほぼ同時。音による余韻が消えたところで審判が結末を口にしていた。

「ポイント。トゥエンティワンサーティーン(21対13)。マッチウォンバイ、栄水第一、外山・中島」

 審判の言葉が終わったと同時に甲高い音が響き渡る。試合の間よりも一段階高い空気が弾ける音が鳴る。純と理貴の合わさった掌から破裂した空気が霧散し、鋭く勝利の咆哮を告げる。

「しゃ!」
「よっしゃ!」

 短く吼えた後ですぐに二人はネット前に駆け寄り、相手と握手を交わす。負けたことに対して半ば諦めをたたえた笑みを浮かべつつ純と理貴は賞賛を受けていた。二連勝に大喜びする真比呂を横目で見ながら隼人は表面上喜びつつ冷静に次以降の展開を分析する。

(これで二連勝。次のシングルスを勝てれば楽になるけど)

 隼人は次の第一シングルスの相手へと視線を移す。二つのコートの試合がほぼ同時に終わったため、第一シングルスの準備が少しだけ遅れた分、ウォームアップをしている姿から次の真比呂の相手に予想がついた。

(多分、二年生、か)

 基本的に一年生ばかりの栄水第一と違って他の学校は二年生主体のチームのはず。あとは中学三年までの試合会場で見た記憶があるかどうか。理貴のように神奈川県の外からやってきたという選手はどこでも見たことはないはず。同じ県内、市内ならば先輩でも見かけたことくらいはあるはずだ。

(二つダブルスを取られた分、このシングルスに全力をかけてくるはずだ。それこそ、決勝戦みたいに)

 おそらくはずっとバドミントンをしてきたであろう二年生。対して高校から始めた真比呂。成長度は隼人も認めざるを得ないほどだが、力をつけてきた分、注意しないといけない時かもしれない。

「井波」
「おう、なんだ! 頑張ってくるぜ!」

 真比呂は笑顔でジャージを脱ぎ、ユニフォーム姿になる。肩を何度も回してラケットを持つ左腕を思い切り相手へと伸ばした。

「必ず勝つ!」
「相手に無駄に喧嘩売るな。いいか」

 自分の頭一つ高いところにある真比呂の頭を掴んで強引に自分の元へと引き寄せる。耳元に口を寄せて他に聞こえないように囁いた。

「いいか。相手は練習試合の相手とも違う。とにかく耐えろ」
「攻めるなってことか?」
「そうだな。お前の利点は体力があることだ。攻撃したら隙を突かれるから守れ」
「おう」

 真比呂は自信を持って答えると隼人の背中を叩き、コートに向かって堂々と胸を張って歩きだした。真比呂の後ろ姿を眺めつつ、隼人は思った。

(あいつ。俺のアドバイスを守る気全くないな)

 少し考えれば分かること。練習の間もスマッシュやハイクリア、ドライブに対してかなり執着していた真比呂は相手のタイミングを外すドロップやネット前での攻防に使うヘアピンにはあまり関心を示していない。性格や初心者であることを踏まえて、真比呂には攻撃することに特化して練習させていた手前、今の時点で防御を勧めても無駄だというのは冷静に考えれば当たり前だった。

「いい感じに井波を操縦してるな、高羽は」
「操縦? 俺が?」

 パイプ椅子に座って嘆息した隼人の隣に礼緒も座り、苦笑しながら話しかけてきた。言葉に含まれる単語に違和感を覚えてオウム返しに聞き返すと今度は礼緒のほうが困惑する。

「何? もしかして本当に防御させようとしたのか? てっきり、そう言えばあいつは余計なこと考えず攻めるって思ったから言ったと思ったけどな」
「いや……そんなことは全く考えてなくて」
「そりゃ、そうだろ。だって素人に毛が生えたようなあいつが守るよりは攻めたほうがいいだろうし。攻撃は最大の防御って言うしな」

 礼緒の言葉を受けて改めて自分の言葉と、真比呂の反応を思い出す。
 確かに真比呂の性格からしてやるなと言われたらやりそうではある。もちろん限度はあって自分でボーダーラインは決めているようだが、基本的に前のめりに倒れるタイプだ。しかし、今回のような相手だと逆に攻め気を利用されてしまうかもしれない。だからこそ隙を見せないように防御に徹するようアドバイスをした。
 そして真比呂は意気揚々とアドバイスを守る気を見せないままコートへと入っていった。
 真比呂は、隙を突いてくると告げたならその隙を攻撃で更に埋めるという別のベクトルで気合いを発揮するかもしれないと隼人は思う。

「案外、あいつも緊張してたのかなー」

 勝利者のサインを終えて戻ってきた純が礼緒の言葉を引き継いで紡ぐ。

(緊張?)

 真比呂のイメージには全く似合わない言葉で、隼人も眉をひそめる。しかし、理貴が純に同意して理由を重ねてきた。

「女子との試合や、他の高校の体育館での試合とは違うからな、こういう場所の大会は」

 礼緒、純、理貴と順番に言葉が紡がれた先にいたのは賢斗だった。賢斗はしかし、自分には語る言葉はないと首を横に振る。それでも表情は三人の言葉を肯定している。

(俺だけ理解してないってのも微妙だけど……)

 改めてコートの真比呂を見る。ラケットをわざわざ持ち替えて左手で握手を交わし、じゃんけんで負けるとコートを選択していた。隼人たちにはもう何度目になるか分からないやりとりで見飽きているが、相手にとっては真比呂が選んだコートに何かあるのかと照明や背後の壁などを確認している。
 隼人たちだけが知っている。コートを選ぶ行動には意味はなく、あくまでじゃんけんで勝っても負けても結果が欲しいのだということに。

(皆が言うなら、そうかもしれないな)

 隼人は手でラッパを形作ると精一杯の声を真比呂へと送った。

「井波! まずはサーブ権を取れ!」
「おう! やったるぜ!」

 隼人の声に心底嬉しそうに真比呂は答えて、試合が始まった。
モドル | ススム | モクジ
Copyright (c) 2015 sekiya akatsuki All rights reserved.