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● SkyDrive! --- 第六十九話 ●

 自転車と共に出た隼人は一度歩道に置いてからゆっくりと腕を伸ばして空へと突き出した。心なしか高く感じる青空へと、伸ばした腕に引っ張られて昇っていくように突き上げてから、伸ばしていた筋肉を一気に緊張を解いてほぐす。
 深く息を吐きながら体の状態を確かめると特に異常もなく、気負い過ぎて固くなっていることはない。これまでの経験から判断すると自分のベストに近い体調。ベストパフォーマンスを出すには理想に近い。

「おっす! 隼人! 今日もいい天気だな!」

 大きな声が耳に入ってきて、隼人は心の中で少しだけ訂正する。自分のコンディションはほんの少しだけ悪くなったと。

「朝から大きな声出すなよ。まだ七時四十分だぞ。休日なんだし、まだ早いぞ」

 自分の中に生まれた不快感をできる限り出さないように告げる効果かは分からないが、相手は全く悪びれることなく言葉を返してくる。顔には満面の笑みが広がっており、今日一日をどれだけ楽しみにしていたかと全く知らない他人でも理解できるかもしれないと隼人は思う。
 
「お? そうか! いやー、試合だって思ったらいてもたってもいられなくってよ。思わず自転車で飛び出したはいいけど誰もいなさそうだから寄ったんだよ!」

 そう言って声の主――真比呂は隼人の傍へとやってきていた。ラケットバッグを背負い、栄水第一高校指定の青いジャージ姿。マウンテンバイクをまたいで近づいてくる姿はいかにもこれから自転車で会場に向かうという体だ。だが、隼人は自分の自転車のサドルをまたぐとゆっくりとこぎだした。

「おいおい。どこいくんだよ」
「どこって、駅だけど」
「え? あ、自転車で直接じゃないんだ」
「できないこともないけど最初から体力消費してても仕方がないだろ」

 あからさまに肩を落とす真比呂に、隼人はため息をつく。気合いを入れるのはいいことだが、それが空回りしては意味がない。
 その考えを教えるために隼人は告げる。

「その気合いはもったいないから、試合まで取っとけよ」
「そ、そうだよな! よし!」

 真比呂の何かを刺激してしまったのか嬉しそうに並走する真比呂を少し暑苦しく感じつつも、隼人は駅までの道を急ぐ。自転車の速度で変わっていく景色は隼人自身が言った通り、日曜日の朝で人の姿は少ない。次々と景色が移ろいで行くのは心地よかった。

「なあ隼人。今回の市内大会に出てくる奴らはどんな感じなんだ?」
「まずは出場するのは四校だけだな。この近辺の高校四つだ。うち以外だと高城学園。南星高校。あと、岬高校だな」

 真比呂の問いかけに隼人は素直に口を開く。朝からテンションが高い真比呂に会いたくなかったが、既に立ち直っていた。真比呂と過ごすということに慣れてきているのかもしれないと考えて否定するために頭を振り、質問に対して回答を続ける。

「その中で特に注意なのは南星高校だ。私立でスポーツにも力を入れてる。この近辺の中学だとだいたい強豪の埼玉とかに行っちゃうんだけど、そういうところを自力で倒すってことであまり有名じゃなくても選手を集めてるみたいだ」

 レベルで言うと白泉学園と同じくらいか少し上、といったところだろう、という言葉は呑み込んでおく。練習試合とはいえ勝った学校と比較すると油断が生まれるかもしれない。真比呂はバスケットボールの経験者だけにそういうことはないと思っているが念には念を入れておく。
 隼人は真比呂に話しながら自分が調べた情報を整理し始めた。おそらく会場では別の方向から調べた亜里菜の情報も合わせることになる。実力が未知数な自分たちが曲がりなりにも強豪に挑むために必要なものは情報収集。力押しでいけないからこそ、頭を使わなければいけない。

「岬ってバスケ部も全国出たことあったりしてるんだよな。俺の中学時代の友達が行ってるんだよ。バドミントンはそこまで強くないんだな」
「ああ。俺が知ってる限りだとな」

 自分の言い回しがもったいぶっているように思えて、気まずさに咳払いをする。真比呂は「風邪か?」と明後日の方向を向いた質問を投げてきたが隼人もそれに追いついて首を振る。

(自信を持ちすぎるな。冷静に目の前の情報を見ろ)

 事前情報は偵察できたわけでもなく、顧問の谷口からのものがほとんどだ。亜里菜が部活の合間に交友関係を使って多少調べていたのは知っているが、それもやはり当日の会場で得られる情報で上書きされるに違いない。むしろそうならないことのほうが珍しい。だから過信しすぎず、データを常に更新していけばいい。
 それを踏まえた上で、現在の状況ならば南星高校を倒せば優勝は可能だ。四校しかない団体戦のため最初に当たるか決勝で当たるかの二択しかない。そして、自分たちが一回戦で負ける可能性も当たり前だがある。机上の戦力差通りに事が運ぶなら奇跡は起きない。

「おーい、隼人」

 信号が赤になり自転車を止めた所で真比呂が声をかけてくる。振り向くと頬につっかえ棒のように人差し指が突き刺さった。

「井波……なにやってんだ」
「何って。怖い顔してるからよ。緊張をほぐしてやったんだ」
「お前なぁ。緊張するだろ。俺らにとっちゃ初めての公式戦だぞ」
「だからだよ」

 指を頬から離した真比呂は両腕を組んで胸を張る。自分が今、ここにいることに精一杯の誇らしさを感じているとはっきり告げるように。

「初めての公式戦、なんて今日しかないんだからよ。楽しもうぜ!」

 真比呂の言葉に嘆息を返して隼人はちょうど青になったタイミングで自転車を進ませる。真比呂はほぼノーリアクションな隼人に不満げな顔をしながら追いかけていく。

「なんだよー、俺、いいこと言っただろ?」
「……そうだな」
「お、珍しく認めたな!」
「基本的にお前は苦手だけど、たまにいいこと言ったりしたりするのは認めてるんだよ」

 ぶっきらぼうに言ってしまうことに対して真比呂が何かを言おうと口を開き、閉じて笑いを堪えるところを横目で見ると自分の失態に気づいてまたため息をつく。

(素直になれない残念なやつみたいだ)

 いろいろと考えて答えを出す自分と、直感的に正しい答えを選ぶ真比呂。羨ましいと思う気持ちはあるが、それをひがむほど自分のスタイルを嫌っているわけではなかった。

(そうだな。俺とお前と。外山に中島。鈴風に小峰。皆が微妙に違うんだ)

 微妙に違う六人がまとまり一つのチームとなる。その楔となるのは、自分。改めて肩に重圧がのしかかるような気がしたが、横を並走する真比呂を意識すると少しだけ軽くなった。

(俺は一人じゃない。皆で乗り切る)

 遅くなっていた自転車。ペダルを踏む足の重さもまたほんの少しだけ軽くなっていた。

 ◆ ◇ ◆

 電車に乗って会場となる市民体育館の最寄駅に到着すると既に仲間たちが揃っていた。女子は一本早い電車で揃ったために先に向かって、残るのは隼人を含め七人。

「引率を任されました」
「よっ! 責任者!」

 谷口にまかされたと言って胸を張る亜里菜に真比呂が茶々を入れ、隼人は光景に微笑ましくなる。他の二人だけではなく仲間たちにも気負いは見られない。練習試合の時とも異なる、市内大会。外での試合として夏の練習試合があったが、あくまでも高校の中だ。
 着実にステップアップしているということではあるが、今度はいくつかの高校と競い合って一位を目指す。市内大会と言っても全く油断できないからこそ、プレッシャーがないのは良いことだ。
 真比呂は亜里菜との会話をひと段落させると拳を掲げて吼えた。

「よし。じゃあいくか!」
「一番最後に来ておいて……」
「井波らしいだろ」

 隼人が隣で呆れていると理貴が苦笑しつつ、肩に手を置いた。
 亜里菜を先頭に歩いていく。といっても、隼人は何度か目的地の市民体育館には足を運んだことがあるため道は分かっていた。亜里菜も同様のようで特に地図を見ることなく進んでいく。隣には真比呂がいて歩いていく亜里菜と会話を弾ませていた。
 その様子を見ている隼人に純が尋ねてくる。

「お。熱い視線だな」
「茶化すなよ。仲がいいなって純粋に思っただけさ」
「俺らもだいぶチームらしくなってきたかな」

 隼人は純と二人で前を歩く仲間たちを見る。最初の頃は多少ぎこちなさがあったと思うが、今はもう見えない壁もない。

(よし。このテンションなら……)

 改めて気合いを入れようとしたその時だった。車道を進んできた自転車が隼人を通り過ぎ、真比呂の横に行く前に、ペダルが止まった。

「あっれ。もしかして、小峰礼緒? 木偶の坊のー?」

 男にしては甲高い声に前を行く亜里菜と真比呂が振り返り、前を歩く礼緒たちが止まったために隼人も足を止めた。自転車に乗っているのは隼人よりも背が低く、おそらくは百五十センチあればいいだろう男。背負ったラケットバッグが身体の半分を占めているのではないかと思えるほどに小柄に見えた。

「お前……小川」
「覚えててくれたか! お前さぁ誰と試合しても目線背けてるから忘れられてると思ったぜ! もしかして試合出るの? 辞めたって聞いてたけど辞めてなかったんだな! 身の程をしれよばーか!」

 言いたい放題で口から罵声を吐き出して、小川と呼ばれた男は颯爽と自転車で去っていった。あまりにも爽やかな悪態に七人が七人とも次の行動に移せずに硬直してしまう。

「ほら、皆。歩こうよ」

 硬直から最初に立ち直ったのは、礼緒だった。何かを言いかけた真比呂だったがため息をついて前を向く。つられて亜里菜も早足で真比呂の前に出た。一刻も早く場を包む空気を一新したいということだろう。二人に促されるように理貴と賢斗も歩きだし、少し後方を礼緒が進む。隼人と純は自然と礼緒の両サイドを歩くことになった。

「気にしてないのか?」
「まさか。めっちゃ気にしてるさ。人間そう簡単には変わらないって」

 隼人の問いかけに平然と答える礼緒を見ても、言葉通りには思えなかったが視線を移すと、掌が震えていた。

「あいつも良く知らないけど。あんなふうに言わなくてもいいよな」

 純は自分が言われたかのように怒りを露わにしている。右拳を左掌に打ちつけて顔を赤くしている様子を見て礼緒もようやく落ち着いたのか、手の震えを消して笑った。

「サンキュ。代わりに怒ってくれたり心配してくれたりすると落ち着く」
「さっきのやつ。小川って言ったっけ……確か南星高校にいたな」

 礼緒の落ち着きぶりに会話が続けられると感じた隼人は去っていった相手のことを口にする。
 小川博巳(おがわひろみ)というと名前は何度か中学時代もトーナメント表で見ている。ただ、結局、県大会に進んだという話は聞いていなかった。あそこまで礼緒に向けて毒舌を震えるほどの実力があるとは思えない。

「あいつさ、俺が中学で最後に負けた相手なんだよ」

 隼人の疑問に答えるように礼緒が呟く。小さく、歩きながらだと消えてしまいそうな声を聞き逃さないように純は耳を礼緒のほうへと向けた。

「俺がさ。自信をなくしたのはそれまでずっと勝てなかったからだけど。あいつにとどめを刺されたんだよな。最後のインターミドルで今度こそって思って試合であいつに当たって。あんな小さな体なのにめちゃくちゃ攻めてきて。抗えなかった」

 中学の時の試合を思い出しているのか、礼緒は自分の身体を抱きしめて震えを抑える。顔は心なしか青ざめていた。

「試合が終わった後にさっきみたいな感じでめちゃくちゃ言われてさ。あの口の悪さで結局、次の試合に警告受けて。調子崩して負けたんだよ。そして、俺は……バドミントン自体、辞めた」
「なるほどな……さっきのやつは……俺も苦手だな」

 ビックマウスを越えた悪態は自分に矛先が向かなくても苦手だと隼人は思う。プレッシャーに負け続けた礼緒にとっては確かにとどめを刺される経験だっただろう。自分も同じようなことをされたらしばらくは立ち直れないかもしれない。

(逆に考えると、よく小峰は復帰を決意出来たな。凄いと思うよ、本当に)

 事情を知らなかった内はプレッシャーに負け続けたことにより逃げたということくらいだった。真比呂が礼緒へと叫んだ言葉も同レベルの認識だったろう。単純に自分だけで潰れたのならまだしも、そこに他人の悪意が入り込むと容易にはいかない。
 女子部との練習試合に出た時の礼緒の胸中がどんなものだったのか。隼人には想像できなかった。

「小峰は凄いよ! もう大丈夫だって! 俺が保証する」

 純が胸を叩いて主張する。その様子が面白かったのか、礼緒は笑って純の背中を叩くと純が前のめりになって咳き込む。涙目になりながら見返す純と謝る礼緒の様子を隣で見ていて隼人はひとまず胸をなでおろした。場の空気はリセットされ、試合会場へと向かうことができそうだった。

(それにしても、小川か……団体戦に出てくるのかな)

 南星高校は市内での優勝候補。勝つには礼緒の力がどうしても必要だった。普段通りの力を出すことが出来れば、今の礼緒ならば市内の中ではほとんど相手はいないと隼人は冷静に分析している。それこそ、南星高校のエース級じゃなければ負けることはほぼないはずだ。
 その「ほぼ」の部分を大きくする可能性があるのが、礼緒の精神の問題。女子部との試合や白泉学園との試合では顔をほとんど出さなかった弱気が、この大会で出てしまうならば、チームの勝利は難しくなる。たとえ、自分がエースとして皆の支えになったとしても、自分に出番が来る前に団体戦が終わってしまえば意味がない。

(試合に出るとしたら……小峰の一勝はすっぱり諦めるのも手かもしれない)

 あくまで可能性として冷静な部分が選択肢を広げていく。仲間を仲間とも思わないほど冷徹に、客観的に見て最適な経路を探していく自分の頭の中の「もう一人の自分」の選ぶプランの中から選択するものに、礼緒を起用しないということを加えた。

「あ、みんなー! ついたよ」

 礼緒の話を聞いているうちに自然と出来ていた距離を詰めて走り、曲がり角を曲がると目に見えたのは隼人もよく見た市民体育館だ。隼人たちとは別のルートを通ってきたのか、歩いている男たちや自転車で颯爽と進んでいく集団が見える。

「――っ」

 隣の礼緒が息を飲む音を隼人は聞かない振りをした。
 道を一直線に進み、体育館の中へと入ると人口密度が一気に上がる。元々、あまり広いほうではない場所に四校が同時に入っているのだから窮屈にもなる。まだ部員数が多くないため応援をする生徒自体が少ないのが救いだと隼人はほっとした。

「遅かったじゃない。迷わずこれた?」

 バドミントンシューズを履いてこれから自分たちの陣地に移動しようと進みかけた所で谷口がやってきて口を開いた。そして男子部に立ちこめる緊張感を感じ取って眉をひそめる。

「井上。どうしたの? なんか、別れる前と比べて随分力入ってるみたいだけど」
「えーと、実は……」

 亜里菜は道中のことを素直に谷口へと話す。全て話を聞いた後に谷口が言葉を剥けたのはやはり礼緒だった。

「小峰はどうしたい? 試合、出るの?」
「ださせてください」

 返答を迷うと思っていた隼人は即答した礼緒に呆気にとられた。瞳には強い光が灯り、身体からは気迫がみなぎっているように思える。谷口は二つ頷いて「ならいいわ」と全員を先導するように歩き出した。後をついていく先頭は礼緒。縦一列になるように全員が進み、隼人はやはり最後尾になる。
 そして、礼緒の背中を見て言い知れぬ不安に襲われていた。

(小峰……)

 市内大会、開幕。
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