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● SkyDrive! --- 第六十八話 ●

 相談したいことがあります。
 そう告げたときに返された笑顔に隼人は胸が高鳴るのをごまかすことが出来なかった。火照った顔を見て不思議がる月島に慌てて手を振るとそれ以上追及してはこないで、隼人が相談を切りだすのをじっと待ってくれている。頭の中で言うことは纏めていたが、月島が待っているという事実だけで頭の中が揺り動かされて混乱する。

(どう言おうか)

 自分の中に渦巻いている気持ちは実はシンプルなものだ。しかし、それを口にするのははばかられる。特に、その理由の一端は月島自身にあった。それでも、今の自分の気持ちを整理するには、同じ立場であろう月島しかいないと考えて隼人は深呼吸をしてから告げた。

「俺がエースをやることが、不安です」
「そうなんだ」

 月島は柔らかく相槌を打つ。その後に隼人の独白が来るのは分かっているだけに会話を遮らず、しかし続きを自然に促すような言葉。的確な位置に挿入されたことで隼人は速いテンポの中にも追いついて言葉にすることが出来た。

「男子部の皆も、『鱈』の高津さんも、俺がエースだって言ってきます。でも、俺はエースは小峰だって思うんです」
「どうして?」
「あいつが、俺達の中じゃ一番上手いから」

 女子部も月島が最も強く、最後の砦としての重責を任せられると思っているからこそエースなのだろうと隼人は考えていた。三年生がいるにも拘わらずインターハイでも団体戦でエースとして活躍し、個人戦でも全国大会にも出場した。第三者が見たら彼女をエースと思わない者はないだろう。
 一方で隼人ならどうか。
 自分の中学時代を振り返ればエースを張るだなんて考えられない。過去は過去と割り切って現在に目を向けても、ダブルスでは純と理貴のペアには勝てず、シングルスは礼緒には勝てない。実力は六人の中で低くても気合いを見せて全員を導くのは真比呂だ。更に基礎を身に着けてからのここ数か月の実力の伸びは凄まじく、シングルスで負けるようになるかもしれない。
 隼人は何が出来るのかといえば、バドミントン部の運営の中で中心にいるだけで、試合に関しては大したことはできないと考えている。練習内容を考えたり、相手の分析をして、せいぜいアドバイスを与えられるくらいか。

「俺はやっぱり、最も実力があるやつがエースにならないと駄目だと思うんです。俺だと、最後の砦としては、もろすぎます」
「そうかもしれないね」

 月島はあっさりと隼人の言葉を肯定する。きょとんとして視線を向けてきた隼人に「エースじゃないって言われたかったんじゃなかったの?」というように無言で首を傾げられて隼人は咳払いをした。自分の考えを肯定してもらいたかったのだが、実際に認められるとどこか居心地が悪くなる。

(なんだろうなこれは……ただ言ってほしかっただけ、なのか)

 隼人が自分の考えを理解できず考え込んでいると、月島はため息を一つついて呟いた。

「でも、私も男子部のエースは高羽君かなーって思う」
「え」

 横を向くと空を見上げる月島の顔。視線の先には丸い月。どんな気持ちで見上げているのかと思った隼人は急に顔を向けてきた月島の視線をかわせない。

「高羽君は違うって思うかもしれないけど。多分、私だけじゃなくて男子部は誰が見ても高羽君がエースって思うんじゃないかな」
「……根拠はあるんですか?」
「なんとなく」

 なんとなく。経験や情報を突きつめていく先には存在しないもの。隼人はどう反応しようかと考えていたが、先に月島が情報を出してくる。

「確かに高羽君の言うとおり、エースはチームにとって絶対的な柱だし、中心だし、誰が負けても『エースに回すことが出来れば勝てる』って思うからシングルス3にいるんだよね。今の女子部は私がそうなんだけど」

 ほんの少し言いづらそうなのは、自分が強いということを宣言しているからだろう。白泉学園高校の有宮小夜子のように自分が強い、負けないと自信を持って他人に言えるのはよほどの覚悟があるか、全く意識しないかだ。

「さっき、高羽君が言った通り、第三者から見てエースって見える人ってやっぱりエースなのよ。つまり『この選手を倒せば、このチームは折れる』って思わせる選手ってこと」
「……それが、俺だって言うんですか?」
「そう。やっぱり理解が早いよね」

 自分の意見を肯定した上での否定。月島の言葉を先回りすれば言いたいことは読めた。自分の中で完結させるのも月島に悪いと、独り言のように呟く。

「他人から見れば、栄水第一の男子バドミントン部の中心は、俺ってことですか」
「そうね。だいたいは実力者がそういうのを兼ねるんだろうけど、男子バドミントン部は、復活した経緯があるから違うのかもね」

 普通のバドミントン部なら土台があり、上の代が中心となって作り上げていく。団体戦に出場するチームというのは先人たちが作り上げてきた部活の結果だ。自然と実力がある者が中心となって回っていく。
 だが、休部していた男子バドミントン部が復活した経緯は、まず真比呂が隼人に声をかけて、そこから輪が広がっていった。普通に考えれば真比呂が中心。しかし、隼人も他の仲間たちも尊重していた真比呂が一番信頼しているのは、自分だと隼人は思う。
 めぐりめぐって自分へと戻ってきた信頼の形。

「でも、それとバドミントンの実力……団体戦の核は違うんじゃ……」
「違う場合がほとんど。でも、実はあまり変わらないかも。上手く言えなくて申し訳ないんだけど……今、私が言えるのは栄水第一バドミントン部のメンバーの中で『この人を倒せば勝てる』って皆が思いそうなのは高羽君で。だから、高羽君はもっと強くならないといけないってことね」

 ぐるぐると思考が回ろうとしたのを一瞬で遮られた。月島は今、この場で答えが出るような問題じゃないことを考えようとしていた隼人を一発で止めていた。隼人がどう考えようと、他人には隼人がエースと見える、はず。その根拠を月島は自分の感覚でしか話せないし、それは隼人が望むところではない。集めるデータがない隼人と提供できるデータがない月島。この場での会話はこれ以上の何かを生むことはほとんどない。

(そっか。俺が愚痴を言うくらい、か)

 一息ついて月島と同じように月を見上げる。丸い月は自ら輝いているかのように夜空に滲んでいた。間を保つには十分な時間。隼人は答えにならない言葉を口にする。

「俺で、いいんでしょうか」
「高羽君以外いないでしょ」

 あっさりと肯定されてまた黙り込む。自分のことを言うには少し照れて、他人を褒めるのには照れがない。だが、隼人が黙り込んだことを見て月島も自分が不用意に隼人を褒めすぎたことに気付いたのか、口元を押さえて視線を外すと俯く。逆に隼人は上を向いて再度月を見る。
 互いの間にしばらく沈黙が横たわったが、何故か離れたいとは思わなかった。月島に話すことで楽になったのは事実。男子の仲間や亜里菜から告げられただけだと半信半疑だったことが月島に言われたことでようやく形をなした。別に仲間を信じていなかったというわけではなく、近くにいるために少し自分びいきになっているのではないかと思えたのだ。

「いや、違うか」

 隼人は呟き、立ちあがる。月島はベンチから離れた隼人を不思議そうに見上げていたが、隼人は数歩前へと進んだ後に振りかえり月島へと言う。

「俺。やっぱり逃げてたんだと思います。いろいろ理由つけて。エースになるって重圧から」

 自分の考えではエースとは異なっていても、仲間達が認めてくれるなら認めるべきだった。それでも「自分が客観的に見てそうは思えない」と否定したり「真比呂や礼緒は重圧に押しつぶされそうだから」というような理由があって自分を推薦しているのではないかと考えをすり替えた。

「皆が、そう言ってくれるけど、応える自信はなかった。でも、そうならないといけないなら……」
「うん。私も協力するよ。私も強くなりたいしね」

 月島は座ったまま手を差し出す。隼人は一歩近づいてその手を取り、軽く握る。

「今年、できるか分からないですが。頑張ります」
「まだ何か抱えてるなら全部吐き出しなよ?」

 月島は手を離さずに、隼人を真っ向から見据えて告げてきた。隼人は心臓が高鳴り、動けなくなる。まだ何も言っておらず、そもそも隼人でさえこの場の会話でエースとして頑張ることを決めたことで脇の置こうとしたことだ。言う気がなかったことを月島は何故か読んだことになる。

「なにが、ですか」
「高羽君が悩んでること。まだあるんだろうなって思って。それを吐き出しちゃわないと、今日みたいにまた悩むよ。悩むのは構わないと思うけど、心の底から納得するには全部出しちゃってよ。皆には言いづらくても、私には言えるでしょ?」

 またしても自信を持って言う。自分へと他人への意識が違う月島の態度に根負けして、隼人は胸の奥にあったことを吐き出した。

「練習試合で、負けたことが気になっているんですよ」
「高羽君だけ負けた、あのときだね」

 今思い出しても胸が、頭が痛む。白泉学園高校との練習試合で初心者の真比呂でさえ勝利して、全勝優勝というところまであと一歩だった。しかし、隼人はシングルス3の相手で中学時代のチームメイトと対戦し、負けた。自分だけが土をつけてしまったことがいまだに胸の奥にある。

「あのときは前の四試合が勝ってたから俺が負けても問題なかった。でも、もしも本当に2対2で、負けられないときが来たら……俺にエースとして、最後の砦として残る力があるのかって思ったら、二の足を踏んでしまいました」
「そっか……でもね、隼人君」

 急に名前で呼ばれて隼人はまた硬直した。掴まれた掌は依然として離されない。だが、隼人は心地よさを感じてこのままでいたいと思い始めていた。

(月島さんの掌……暖かい……って、これはこれで困るだろ)

 暖かな心地だったがすぐに血が上ってくる。月島は「隼人君」と再度言ってから、正確に自分の思いを形にするようにゆっくりと口を開く。

「あなたの、その悔しい思い。怖い思いは、乗り越えるしかない。そして、乗り越えるには、同じような状況で相手を倒すしか、ないよ」

 つまりは白泉学園高校と再度試合をして、再度シングルス3で同じ相手を倒すこと。そんな確率があるのかと思ったが、選抜やインターハイの予選なら十分あり得る。組み合わせが良ければ選抜の予選でも当たるだろう。

「期待に応えられなかったときの辛さ。私は分かるつもりだよ。それこそ、何度も経験したもの。団体戦はまだしも、シングルスで何度も皆に期待されたけど全国大会で負けた。自分の思い通りのプレイができたならまだしも、不本意な試合ばかりだった。でも、この前のインターハイは久しぶりに私らしい試合が少しできた」

 月島が掌を強く握りしめる。隼人のことを離さないと言外に告げて。

「隼人君に私は弱点を教えてもらって、少しだけ前に進めた。だから、今度は私があなたを進めてあげる。栄水第一男子バドミントン部のエースとして、あなたを鍛えてあげる。出来る限り」
「ありがと、ございます」

 片言になってしまって自分でもおかしいと思う。しかし、月島の手の温もりが隼人の心臓をいっそう高ぶらせて外に聞こえてしまうかと思うほどに激しくなる。顔にも熱が集まって全体的に赤くなっていたが、月島は気付いていないように手を離さない。

「隼人君。一緒に、強くなろう」

 聞き覚えのある言葉だと振り返れば、すぐに思い当たる。
 月島に自分が言った言葉だ。格下である隼人に負けて、自らの弱点に向き合ったときに告げた。自分が出来る範囲で協力すると。
 今度は月島に言われている。自分が言った言葉が跳ね返ってきている。

「それ、狙って言ってます?」
「ん? ばれたかー」

 月島がようやく手を離して立ちあがったことで隼人は心臓の鼓動がほんの少しおさまる。話は終わったということだろう。月島もベンチから立ち上がって自転車の傍に行く。サドルにまたがってから照れくさそうに呟いた。

「隼人君って名前で呼ぶの。やっぱり恥ずかしいかな」
「……急に名前呼びっていったいどういうことです?」
「知らなかった? 私、人を名前で呼ぶのって好きなんだよね。男女関係なく。でも、隼人君は名前で呼んだこと、ないしょね」
「あ、はい」

 恥ずかしい、と呟いて月島は自転車のペダルをこいで隼人から離れていった。
 家に帰った隼人はすぐに風呂に入って体を温めた。バドミントンの疲れだけじゃなく、変な気疲れによって肩もこり、首の後ろが痛くなる。湯船の中でじっくりと揉んだがあまりに長湯しすぎると筋肉が固まる。
 心地よい暖かさに沈んでしまいそうになる体を何とか引きあげて隼人はバスタブから出た。バスタオル一枚で部屋まで突っ切り、寝巻代わりのジャージ姿になる。
 髪を拭いている間にタオルの隙間からベッドに置かれていた携帯に目をやると、メールを着信した後の明かりが点滅していた。タオルを肩にかけてから携帯を手にとってメールを見る。

『あの後、月島先輩と何をしゃべったんだぁあああああああああああ!!!!!!』

 口に出せば耳が潰れそうな文字を使ってくる真比呂に対して隼人はため息をついた。携帯のメールの文面を通して自分がどれだけ呆れているのかが伝わればいいのにと思いつつ、隼人は返信ボタンを押して文字を打ち始める。親指一つを使って器用に打ち終えて送信すると、すぐに電話が鳴った。

『隼人! 月島さんに告白したのか!』
「でかい声で誤解されるようなこと言うなよ」

 思った通り耳が遠くなりそうな大声が電話口から刺さってくる。隼人は耳に当てるのではなく目の前に携帯電話を持ってきて声をスピーカー部分にぶつけるように言う。

「一緒に帰ってちょっと話しただけだって」
『ちょっと、の間にどれだけの大きさがあるんだ!』

 うんざりした隼人は電源ボタンを押して通話を終わらせた。すぐに電話がかかってくるかと思ったが、メール一通で終わる。

『明日詳しく教えるがよい』

 何様だと声には出さず呟いて、隼人はベッドに横になった。力押しで来ると思いきや、引くときはあっさり引く。真比呂の性格は苦手なところもあるがだいたい読めてきた。そしてうるさいと思いつつも真比呂の声を聞くと元気が湧いてくる自分がいる。
 真比呂は全員に熱を伝染させる。純はどこまでもマイペースで、理貴は名前にあるように理性的にブレーキをかける。賢斗は初心者だが、それだけに経験してきた隼人たちにはない視点と感じ方を持っている。礼緒は実力をチームに注ぎ込んだ。
 その中で、自分をエースとして置く。
 寝ころんだままで携帯を手に取り、メールの着信履歴を眺めていく。直近の真比呂から礼緒、賢斗、理貴、純、亜里菜と部活の仲間たちばかり名前が並ぶ。クラスの友達や中学時代の友達の名前もちらほらとあるが、九割はバドミントンの話題で占められている。自分もまた仲間相手にバドミントンばかり語っている。

(俺が、中心か)

 メールの多さからもまるで自分が中継役のような気がするものの、実際には当事者間でやりとりはあるだろう。それでも錯覚するくらいには自分が中心になっている気がする。

(エース、か)

 携帯を力強く閉じて、隼人は寝る前に洗面所へと向かった。ほんの少しだけ背中が押されて、前に進んだような心地になりながら。
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