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● SkyDrive! --- 第六十六話 ●

 柿沢が体育館の中へと戻ってきた時、コートには隼人たち高校生が全員入っていて、亜里菜が壁際に体を預けているだけだった。近づいてくる気配に亜里菜は顔を向けて、俯き加減の柿沢を見る。視線を受けた柿沢は顔を上げると静かに口を開いた。

「皆、動きがさっきよりいいな」
「必死に上手くなろうとしてるからね」

 亜里菜の目から見ても上達ぶりは凄いと形容できるものだ。経験者四人と初心者二人。特に経験者四人は中途半端な高校レベルを越えた速度に強引に自分たちを追いつかせるために無茶をする。だが、無茶をさせすぎないという絶妙なラインが保たれているために結果として速さに慣れ、打ち返せるようになっていた。速いシャトルに近づくためにフットワークの速度自体を上げたり、先読みしてタイミングを早めに飛び出したりなど方法は複数ある。礼緒や理貴は前者。隼人と純は後者だ。
 初心者でも真比呂は前者でバスケットで鍛えた脚力と体の大きさを存分に生かして、誰よりも早く社会人たちの速さに追いついていた。賢斗はまだまだ追いつかないが、それでも文科系から来た人間としては十分及第点を与えられる成長度だった。
 柿沢は亜里菜から理貴を含めたメンバーたちのことを聞き、練習への真面目な取り組みを理解した。そして、先ほど高津から受けた言葉に顔をまた暗くする。

「やっぱり、皆に置いていかれるのは、辛い?」
「そりゃそうだろ……井上、さんもそうじゃないのか」

 呼び捨てようとしていたのに気付いて敬称をつける。亜里菜は気にしなかったが気を遣ってくれることについて感謝し、だからこそ少しでも助けたくなった。

「私は、やっぱり辛いから、諦めないことにしたんだ」

 亜里菜の言葉にはっとして顔を上げる柿沢。自分の言葉は彼にとっては何の慰めにもならないことは分かっている。それでも同じように足を痛めた者として、選択肢を示したくなった。

(あとは、私自身への宣言かな)

 少しだけ間を置いてから口にする。

「バドミントンが好きだから、プレイするのを諦めたくないんだ。高校の間は、もしかしたら試合に出ることは無理かもしれない。でもちゃんとリハビリや筋トレを続けていけば、何年か後にはまた動けるようになる、かもしれない」
「今の自分よりは動けないかもしれないぞ」
「そうだとしても。少しだけ、分かったんだ。私って、バドミントンが好きってこと」

 亜里菜は一つ息を吐いてから柿沢へと視線を向けてしっかりと告げた。

「昔は昔。今は今。バドミントンやりたいから、やるんだって怪我をしてやっと分かったんだ」

 おそらくは柿沢も何度も外から言われていたことだろう。顔が悲しい色に染まっていくのを亜里菜は見る。高津が言ったことも辛辣ではあったが、柿沢も想定以上のことではなかったはずだ。結局は、外から言われた正論を受け入れるかどうかにかかっている。

「私は、バドミントンを辞めるほうが、嫌だよ。たとえ理想に届かなくても、目指さないほうが嫌だ。そう、分かったんだ。だから私は諦めない。ゆっくりでも、ちゃんと打って、動けるようになるまで頑張る」

 自分でも迷いのない言葉で告げられたと亜里菜は思う。心からの気持ちを無理せず、素直な思いを口に出して発することが出来た。隼人たちは皆、自分たちの練習に必死になっていて誰も聞こえてはいない。柿沢のみが亜里菜の宣言をちゃんと聞いた。

「柿沢君も、後悔はたくさんあるかもしれないけど、一番大事なものを見つけられるといいね」
「大事なもの、か」

 柿沢は呟くとその後は一言も発せずに隼人たちの練習を眺めていた。
 コートをできるだけ素早く移動するように足を運び、シャトルが放たれるコースを予測して一歩速く足を踏み出す。相手は高校生が速度に慣れてきたならば打つ方向をそれまでの逆にしてフェイントをかけて幻惑する。ギアがあがった所に合わせて隼人たちも追いつくように足を踏み出し、ラケットを少しでも前に伸ばしていく。
 生き生きとした動きは今の亜里菜にはなく、柿沢にもない。この動きを見ていれば「怪我をしていなければ」という思いを抱くのは当然だ。亜里菜も少し前――女子と男子の団体戦を終えた頃というのはそんな思いを持っていた。
 ただ、亜里菜は気付いただけだ。
 自分が目指すものというのは道の途中であり、終着点ではないということを。

(私よりも、もっと理貴君との対戦に賭けてたのかもしれないから、私にはこれ以上言えないよね)

 ちらりと横目で見ると、柿沢の顔は最初よりは明るくなっていた。明るくなったというよりも俯いていた顔がしっかりと前を向き、隼人たちのほうを向いている。おそらくは、理貴の今の姿をしっかりと見つめているのだろう。今の自分の現状と、理貴の現状を比較している。開いてしまった差を理解した上で、どのような道を選ぶのか。できれば自分と同じようにバドミントンを続ける道を選んでほしいと亜里菜は思う。怪我からの再起はやはり不安であり、同じように頑張っている人がいるなら心の支え合いができると考えた。
 最後まで柿沢は話さないまま、ただコートだけを見ていた。練習が終わり隼人たちがコートを片づけるのに亜里菜も手伝い、柿沢から離れると代わりに高津が近づき、言葉を交わしている。何を話しているか気になったが離れてしまったために聞こえなかった。

 * * *

『お疲れさんでした!』

 体育館の外で全員で声をそろえて吼えてから『鱈』の面々は解散する。単に時間ギリギリまで練習していたため体育館から締め出されたわけだが、時間は固定されていて、隼人たちにも見慣れた光景になっていた。
 車や自転車などそれぞれの移動手段で帰っていく大人に交じり、隼人たちも自転車で帰ろうとする。

「じゃあ、俺は彰人と帰るから」
「おう。じゃあな!」

 真比呂に続いて隼人に純。礼緒と賢斗に亜里菜も手を振って自転車で先に進んでいった。
 最も後ろから全員が去っていくのを見送って、理貴と柿沢は歩き出す。二人とも自転車だったが、自然と自転車を押しながら歩いていく。
 柿沢は今日抱いた思いを自分の中でゆっくりと租借し、まとめるのに時間を要していた。理貴は無言で柿沢の考えがまとまるのを待つ。秋口の夜風は肌寒く、汗を拭いたとはいえ火照っている体を冷やしていく。
 意図的に体を震わせて体温を保とうとしている理貴を見て柿沢は慌てて言った。

「あ、悪い。どっか入るか?」
「そうだな」

 風邪を引くと困るということで、二人は家までの途中にあるファーストフード店へと足を踏み入れた。夜九時になろうとしている店内は人も少なくなっている。あと一時間で閉店ということもあるが、街中ではないためそこまで混まないのだろう。温かい紅茶を受け取ってから席を物色し、窓際から離れて奥まった場所へと座った。

「……どうだった、今日は」

 一口紅茶を飲んでから理貴は尋ねる。質問を投げかけられた柿沢も一口だけ飲み物で口の中を湿らせてからゆっくりと語った。自分の中に生まれた思いをきちんと表現するために。

「楽しかったよ。見ていて、胸が高鳴った。あの人ら、上手いよな」
「ああ。俺らもさ、中学の頃は全国行けなかったけど結構いけるだろうと思ってた。でも、全然ついていけないだろうな」
「お前らが何とか慣れてきても、そこからまたテンポ変えたりフェイントかけてきたりな」
「ほんとだ。あのレベルになるのに何年かかるのかな」

 柿沢は両腕を組んで天井を見上げる。理貴から視線を外して――わざと見ないようにして何かを考え込んでいるようだ。

(もし怪我をしていなかったら、って考えてるのか、彰人)

 自分たちが練習している間、亜里菜が話しているのは横目で見ていた。怪我をした者同士、感じるものがあったのかもしれない。さりげなく亜里菜と話して柿沢の様子を聞いてみたが、亜里菜は首を振るだけだった。

「柿沢君次第だよ。私には何も言えない」

 怪我をしたとはいえ、全く違う二人。亜里菜が自分の意思を告げたとしても受け入れるかは分からない。柿沢の次の言葉は何かと理貴は息をゆっくりと吐いて待ち構える。ダブルスのショートサーブを待ち受けるイメージで。

(そっか……ダブルスか……)

 サーブを打つのは柿沢。そして、迎え撃つのは自分と純。既にパートナーは柿沢ではないのだ。今の自分のパートナーは純であり、柿沢はかつての仲間。好敵手だ。

「理貴。強くなったな」

 柿沢からの言葉に理貴はどう言っていいか分からずに頷く。柿沢は熱いにも関わらず紅茶を一気に飲み干して勢いよくテーブルに置き、告げた。

「お前と、試合をしたい気持ちは正直、抑えられない。ただ、井上さんが言ってたように、俺もさ、バドミントンが好き、なんだよな」

 上を向いていた顔が理貴の真正面を向く。まっすぐに見つめてくる目には力強い光があった。

「バドミントンからも、地元からも離れてさ。こうやってお前と会ったら……お前と一緒にいる仲間たちを見たら、納得したよ。もうお前と俺はパートナーじゃないって」

 理貴と同じこと柿沢もまた感じていた。練習を見ながら、外を歩きながら、天井を見ながら。通して考えていたのはそのことなのか。理貴は言葉を挟まずに柿沢の続きを待つ。ため息を一つ吐いた後で柿沢は苦笑いしながら告げた。

「あの外山とのダブルス。だいぶ、堂に入ってたな。多分、俺とやってた頃よりもコンビネーション速いし、切り替え上手い。あれが俺の中じゃ一番納得できたよ」
「練習してるからな。本気で全国出ようと思ってるから」
「そうなんだ。皆、中学時代は全国区じゃないだろ?」
「そう。かなりハードル上げてるよ」

 理貴は自然と真比呂のことを口にしていた。バドミントン初心者なのに目標は全国制覇。少なくとも全国には絶対に行くと言って、まだハイクリアも満足に打てないのに理貴と試合をしたこと。一点も取られないようにしながら試合をしたが、マッチポイントで一点取られたこと。
 そこから、逆転勝ちを本気で狙ってきたこと。
 自分には全くなかった熱さ。無謀と呼ぶ人はたくさんいるだろうが、真比呂は少なくとも頑張れば全国へ届くと信じている。ただの熱血馬鹿と違うのは、目指して駄目なら仕方がないと割り切っているところだ。努力が実を結ばないこともあるというのは中学までプレイしていたバスケットボールで十分に学んだのだろう。

「あいつは目指す場所を分かってる。他は全部途中経過や、一つの目標に過ぎない。だから、こっちも考えを見直せるっていうかな。突き抜けたやつがいると、やっぱ違うよ」
「そうか……俺もそういうやつがいたらもっと早く分かったかな」

 空のコップに手を伸ばしてないことに気づく柿沢。理貴は自分のカップを差し出して「飲みかけだけど」と断った。謝ってから一口飲んでほっと息を吐く。

「俺はお前との約束に拘りすぎてた。って、そういうのを周りから言われたけどようやく自分で納得できるようになったよ」
「俺はお前の苦しみは分からない。でも、また治ってバドミントンが出来るようになればいいな」
「高校の間は……できないだろうな。仲間たちにも迷惑かけたし」
「そうか?」

 今度は柿沢の言葉に差し挟む。眉をひそめる柿沢に向けて理貴は思ったことを言った。

「お前がこっちに逃げてきてるのを、部活の皆もフォローしてるんだろ。してもらってることを素直に受け止めれば、彰人も、もう向こうの高校の一員なんだってことだろ。仲間のためならいくらでもフォローするさ」

 俺たちと同じだ、と最後に一言付け加える。彰人は理貴の言葉を何度か反すうした後に「そうか」と呟いて俯いた。
 肩が震えるのを見てから理貴はトイレに行くと言って席を立った。しばしの間、一人で落ち着く時間を作ってあげたかった。
 柿沢もまた分かっているはずだと理貴は思う。向こうのバドミントン部の仲間も柿沢を仲間として受け入れようとしていると。
 今回の逃亡は大事な儀式の第一歩。乗り越えれば柿沢は高校のバドミントン部の一員として歩き出すことが出来るだろう。理貴が真比呂との儀礼を通過して栄水第一高校男子バドミントン部の仲間になったように。

(俺には、頑張れって言うしかできない。頑張れよ、彰人)

 主がいない席に向けて心の中で告げる理貴。再び柿沢が戻ってくるまでに十分以上空きがあったが理貴は気にすることはなく、再開される会話に一つ一つ相槌を打ちつつ、時間は過ぎて行った。

 ◇ ◆ ◇

 理貴がクラスにやってきて扉を開いた時、ほんの一瞬だが視線が集中したように思えた。クラスメイト全員ではなくあくまで一部だけ。その原因と思われる男に言った。

「どうした? 俺の顔に何かついてるか?」
「いや……柿沢彰人がどうなったかって気になったんだよ」

 真比呂は理貴から尋ねられて自分の思いを素直に告げる。そもそも、亜里菜が理貴の尾行をして柿沢との邂逅を目撃したのも、柿沢とのメールのやり取りから元気がなくなって気にされたことが原因だ。放っておいてもよかっただろうと理貴の立場から言えなくもないが、心配してもらった手前邪険には扱えない。
 理貴は考えた末に素直に話すことにした。

「彰人なら今日、静岡に帰るってさ。少しは落ち着いたみたいだ」
「そっか。良かった」
「うん」

 その場にいるのは理貴と真比呂と亜里菜だけ。隼人はまだ来ていなかった。後で教えておいてくれと真比呂に言ってから言葉を続ける。

「見送りしたかったけどな。流石に授業中だし。とにかく、井上のおかげで少しは前に進む勇気が出たらしい。怪我はかなりひどかったがあれでも回復してきてるんだ。高校三年は無理かもしれないが、そうじゃない可能性もある。あいつは、リハビリにまた賭けるんだ」
「私の助言……みたいなもの、大丈夫だった?」
「ああ。かなりな」

 理貴の笑顔にホッと胸をなでおろす亜里菜。真比呂も云々と頷きながら理貴の顔に憂いがないことに気づいていて顔をほころばせた。

「これで、理貴の悩みも解決で、部活に専念できるな。隼人が一人で大変そうだから手伝ってくれよ」
「それは皆でやるもんだろうが……」

 理貴は呆れて嘆息交じりに告げるが、真比呂は悪びれることはない。亜里菜は真比呂の勢いに楽しくなり笑った。
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