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● SkyDrive! --- 第六十五話 ●

 一日の授業が終わって、掃除当番から外れていた隼人は一足早く玄関に寄り掛かって皆が来るのをぼんやりと待っていた。
 亜里菜へ理貴について一任してから二日。理貴は前日の練習はこれまでのように参加していて、沈んだ様子は全く見せていない。それでも一息つくとぼーっとして声をかけるのが憚られた。
 時折、携帯電話を取って誰かにメールしているようだったが、それ以上は踏み込むことはない。練習に集中していれば特に休憩時間の行動に制約などない。これまで通りのようでいて、やはり違っている理貴の様子に隼人だけではなく他の面々も気づいている。

「よっ。理貴のやつ、どうやら大丈夫そうだな!」

 ただ一人、真比呂だけは問題ないなと笑顔で理貴へと話しかけている。理貴も何でもないように振舞っているため更にごまかされていた。

「お待たせー。皆も、もう少しで来ると思うよ」

 声のした方向を向くと亜里菜が靴を履いていた。つま先を軽く突いて履き終えてから隼人の元へとやってくる。二日前のことを聞いても「理貴君にまかせて」と言うだけで何があったのかは教えてくれない亜里菜に、隼人はため息交じりに納得する。

(仲間を信じろってことだろ。結局は)

 亜里菜に遅れて数分で真比呂や賢斗、礼緒がやってくる。最後に理貴がやってきて、全員を前に口を開いた。

「皆。今日、見学者来るから」
『見学者?』

 亜里菜以外の五人が声をそろえて理貴へと問いかける。隼人は、亜里菜だけは意外そうではなく笑顔で理貴を見ていることにすぐに気づき、二日前にあったことに関連があるのだと考えた。その答えは理貴が口にする。

「ああ。中学の時に一緒にバドミントンやってた、相棒さ」
「ん。あれか。そいつと全国でやるためにバドミントンしてるって、その相棒か!」
「そだな。今、こっちに来てるんだよ」

 真比呂が食いついて何の疑問も持たずに感心するのを見ながら、 隼人はほっとする。冷静に考えれば学校もある平日に自分の生活圏内ではなく他の県に来ているというのは異常だ。どうしてのなのか想像はつかないが、あまりよい印象ではない。その空気を吹き飛ばしている真比呂は頭と体の隅から隅までムードメーカーなのだろうと思う。

(ダブルエースっていうなら、井波と小峰のほうがいいかもしれないな)

 高津に言われた二人のエース。
 礼緒は実力者としてのエースを目指すように言われ、精神的なエースには隼人がなるように言われた。試合で負けられないエースポジションを二人用意する意味は、結局、高津の言葉だけでは分からずに実力を上げることに専念する。しかし、真比呂を見ていると高津が言うことも少しは分かった。
 真比呂が盛り上げれば皆は口々に何かを言うかもしれないが、最終的には納得していく。

「しゃー! 皆、今日も練習しよう!」

 真比呂が先頭になり駐輪場へと進んでいく。テンションの高さに全員が呆れつつもついていく姿を最後尾から眺めていた隼人は、頬を緩ませていた。
 駐輪場から自転車に乗って校舎から出ると、自然に一列となり進んでいく。だが隼人は最後尾で亜里菜とほぼ並走するように自転車を走らせた。見学者について聞こうと思って話しかけようとしたが、隼人は直前になって聞くのを止める。疑問を口にする前に亜里菜の視線が隼人のそれと交わり、今は何も聞かないようにと告げているように思えたからだ。

(井上と……中島が何か考えてるってことか)

 おそらくは理貴の抱えているものを解決するための手段なのだろう。二人が自分で考えた末での行動なら隼人は信頼して何かを言ってくるまで待つべきなんだろうと、前に決めたことに結論を重ねた。
 その後はペダルを踏むペースも特に崩すことなく、全員乱れることなく体育館へと到着する。サークルが始まるのは六時半で、今は四時半。明らかに早く着きすぎたが、顔見知りになっている体育館の受付の人は中で準備運動くらいはさせてくれた。
 自転車を置き、受付をすますと各自が更衣室で着替えて廊下で邪魔にならないように準備運動を開始する。亜里菜もジャージ姿で六人の様子を眺めていたが、その視線が隼人たちとは全く別のほうを向いて口を開いた。

「あ、柿沢君。早いね」

 亜里菜の言葉に理貴を含めて全員の視線が玄関のほうを向いた。立っていたのはフードつきのフリースを着た男。亜里菜が声をかけたことからも今日の見学者だというのはすぐに知れた。
 自分たちと同世代で、理貴の元相棒。

(外山はどう思うかな)

 今のパートナーとしては中学時代の相棒をどう見るのか。そう考えて隼人はため息交じりに考えを霧散させた。純の性格からして嫉妬するということはないだろう。今のパートナーとしてある程度自信を持っているだろうが、過去への嫉妬に繋がるとはどうしても思えなかった。

「どうも……えっと」
「おう! 俺が部長の井波真比呂だ! 見学大歓迎だぜ!」

 真比呂がよく通る声で見学者――柿沢へと話しかける。背中を礼緒に押してもらっていたところから跳ねるように起き上がって移動する様子は純粋に見学者の存在が嬉しいのだろう。声をかけられた側は真比呂の声に驚いて後ずさっていたが、亜里菜が間を取りなして会話を続けているらしかった。真比呂がちょうど壁になってあまり聞こえなかったが、隼人は特に気張らずにいつも通りを心掛ける。亜里菜と理貴がわざわざ見学させたのだから、自分たちがやるべきことはいつも通りを見せることだろう。

「井波ー。高津さんたちが来る前に準備運動終わらせるぞー」
「お、すまんすまん! じゃあ井上。頼むわ」
「うん」

 柿沢の相手を亜里菜に任せて真比呂は礼緒の傍へと戻る。練習に参加させてもらう代わりにコートを使える時間になったら準備を率先して行うのが隼人たちの役割。それまでに体を温めておいて、コートの準備をしたらすぐに基礎打ちから始められるようにしておかなければならない。
 隼人は賢斗の背中を押しながら一瞬だけ柿沢のほうへと視線を向ける。亜里菜と会話をしているだけで特別なことをしているわけではなかったが、何故か気になっていた。

(やっぱり、なんかあるんだろうな)

 柿沢は会話をしていても、表情を一度も変えていなかった。まるで凍りついてしまったかのように。

 ◇ ◆ ◇

 時間の少し前に高津たちがやってきて隼人たちは挨拶を交わした。柿沢の存在に気づいた高津には理貴から説明し、内容に顔を一瞬だけ強張らせた高津だったが、すぐ笑って肩を叩いた。ゆっくり見ていきな、と優しい言葉をかける様子が普段とは少しだけ異なっていて、隼人には違和感が残る。亜里菜も同様だったのか、コートを用意する合間に隼人へと話しかけてきた。

「高津さん。なんか優しいよね」
「そうだな……なんか事情知ってるのかもな」

 隼人は特に意識して呟いた言葉ではなかったが、今度は亜里菜のほうに思い当たるものがあったのだろう。はっとした表情を見せてから隼人の視線に気づくとすぐに笑みを浮かべる。

(井上は素直だよな)

 バドミントンには時折、相手にとって嫌なことでも躊躇なく突く必要がある。戦略を立てて弱点を責め立てることに特に特化しているであろう自分のバドミントンに、隼人は特に痛痒は感じない。少なくともバドミントンはそういうスポーツだと割り切っているから。亜里菜のプレイをちゃんと見た記憶はないが、おそらく弱点を突き続ける事態になった時には顔をしかめたのではないかと思えた。
 練習が始まると亜里菜は真比呂と賢斗の様子をノートにとり、隣では柿沢が珍しそうに見ている。時折真比呂や賢斗のほうを見て話をしている様子を見ると、どうやら何かしらアドバイスをしているらしかった。その様子は先ほどの全く笑っていない時の冷たさを感じさせない。それでも隼人は違和感を強めていく。

「おら! ぼさっとするな!」
「わっ!?」

 ドライブの素早い応酬に耐えきれず弾いてしまう。基礎打ちのパートナーは今日は高津だった。実力差を考慮してはいても、隼人の力を120パーセント引き出すと言ってきついコースと速度を保ってくるため、基礎打ちだけで隼人はその回の練習のうち精神力を半分削られる。残りはその後の試合形式の練習で枯渇させられるわけだが。
 しかし、今日の高津は基礎打ちも少し早目に終わらせて最後に行うヘアピンの打ち合いに入った。自然と距離が近くなり、高津の声が届く。

「あの柿沢ってやつ。膝を壊してる」
「そうなんですか」
「ああ。多分、重症だろう。足の動かし方が変だからな」

 隼人には全く理解できていないが、高津は確信を持って言う。そこで亜里菜が言ったことを思い出して問いかけみることにした。

「高津さんも、怪我をしたことが」
「ああ。あるな」

 高津はあっさりと告げてヘアピンを際どいところに落として終わらせる。それ以上の詮索は無用というように。隼人側に落ちたシャトルを拾い上げると隼人に向けて笑いかけた。

「少しだけ力を貸してやるよ。バドミントンの先輩として、な。あとはお前らで何とかしろ」

 高津はラケットでシャトルを跳ね上げながら柿沢へと近づいていく。隼人は一瞬呆気にとられたが、すぐに後をついていった。

「よう。楽しんでるか?」

 高津の言葉に会釈する柿沢は笑みを返したが答えなかった。その様子を見て隼人は少しだけ認識を改める。これまでも柿沢は笑っていたのだろうが、隼人はそれを笑みだと認識していなかったのだと。表面だけ笑顔の形を作っても、伝わりはしない。逆に表面でしか笑えないということだ。

「俺は高津ってんだ。このサークル『鱈』の代表をやってる」
「……なんで鱈って言うんですか?」
「好きだからな」

 特に深い意味はないと豪快に笑い、傍に近づいて肩に右腕をかける。先ほどまで基礎打ちをして汗をかいているはずで、柿沢には汗臭いかもしれない。しかし気にした様子もなく高津は柿沢を更に引き寄せて耳元で言った。

「お前、膝、重いんだろ?」

 高津の言葉に身をすくませる柿沢。怪我のことを言われてというよりも、重いという言葉に反応しているように隼人には見える。実際、スポーツをしている以上怪我の危険は付きまとうのだから。問題は治るか治らないかによる。

「俺もさ。膝、やっちまったんだよ。高校で試合中にさ」

 高津はそう言って右膝を掲げる。サポーターを着けてはいないが、かすかに手術痕が見える。じっくりと見てはいなかったために気づかなかったが。

「前日によ、違和感があるのは分かってたんだけどよ。因縁のライバルがいてな。そいつをぜってー倒したかったんだ。中学時代からの約束さ」
「中学時代?」

 亜里菜が間に入ることで話に間が生まれる。高津は「ああ」と短く言ってから続ける。

「それで次の日に試合をして、俺はやっちまったんだ。右足で踏み込んだらごきりってな。あの時の音はトラウマでよー。今でもたまに思い出して夜中起きるんだ。で、右膝を確認するんだ」
「……そんな思いしてるのにサポーターつけないなんて……」
「試合が近くなって最終的に追い込むって頃には流石につけるな。今の時期はまだ無理はしてない」

 柿沢の表情は明らかに歪んでいた。自分の現在を思い起こさせる高津を不快に思っているのか、膝にサポーターをつけないことでバドミントンが出来る今を大事にしていないように見える今の高津を責めるように尋ねるも、高津はあっさりと返す。
 高津は実力の何パーセント出しているのだろうと思った隼人だったが、それを聞くのは止めておいた。

「そっから必死になってよ。勉強したさ。怪我をしないように食生活や生活習慣から見直して。最新の注意を払って足は怪我させない。更に怪我をしない肉体を作り上げた。結果、復活したって感じだな。サポーターはめんどくさいけどよ。本気出さなきゃ問題ないくらいにはなった」
「……だから、今は諦めろって言うんですか?」
「そうだな。頭の回転いいな」

 柿沢は高津が話をしたことの本心を見抜いて先に口にする。

(というか、いきなり膝のことを話して自分も怪我したって話せばそりゃ分かるような)

 そう考えていると亜里菜と目が合う。視線の先の表情は、おそらくは隼人と同じものだろうと理解できた。

「怪我したからって後悔してる余裕なんてないって、恩師に言われたんだよな」
「後悔してる余裕」
「そうだ。怪我したら俺はいろいろ思ったさ。高校の間に復活できるのかとか。ライバルとの決着をどうするかなとかな。でもよ、悶々としてた時にこれまた恩師が『止めるか続けるかどうする』って言ったんだよ。まずはその二択しかねぇんだよ。おそらく、お前が悩んでるのは『前みたいな動きが出来ない』とか『中島と戦えない』とかそういうことだろ?」

 柿沢は無言で頷く。高津の圧力に負けているのか隼人には幾分、素直になっているように見えた。腕で肩を引き寄せられているんだから逃げられるはずもないが。高津の圧力はネットを挟んだだけでも強いのに、今はすぐ隣にいる。そこまで考えて隼人は思った。

(そうか。それだけ本気で言ってるんだな)

 試合で向き合う時、高津は全力で相手をする。正確には、試合直前とそれ以外で実力に差はあるのだろうが、おそらくは今、出せる全力を隼人たちに向けている。その時と変わらない気迫を持って会話に臨んでいるのは、それだめ真剣なのだ。

「ひとまずな。まず認めるのは『怪我したのはお前が悪い』ってことだ。それを認めないからそうやってうだうだと考えることになる」
「ちょ――」

 高津のあまりの言葉に隼人は口を出そうとしたが、亜里菜が逆サイドから目線だけで止めてきた。普段の亜里菜にはない目力に隼人も動きを止めてしまう。

「自分の誤りは自分でしか解決できない。中島と試合できなくなったのはお前のせいさ。だから、中島と高校時代にやるのは諦めろ」

 はっとして高津を見る柿沢。視線を真正面から受け止めた高津はにやりと笑って背中を叩いて腕を話す。

「お互い諦めなきゃいつかは試合できるだろうさ。今はそう思えないだろうが、そう思うしか、お前はバドミントンを続けられないぞ?」

 高津の言葉に押されるように、柿沢はその場からゆっくりと離れていく。荷物は置いてあるところを見ると帰る気はなさそうだが重荷を背負ったような背中は見ていて痛々しくなる。体育館のフロアから完全に出た所で隼人は高津に問いかける。

「高津さん。その、ライバルって人と試合できたんですか?」
「いや。できなかったぞ。俺が一線を退いたからな」
「は?」

 隼人は呆気にとられて口を開けてしまう。高津は苦笑いしながら真実を告げた。

「俺が怪我をしたのは実業団でバリバリやってた頃だ。高校生に合わせて時期だけ変えたんだよ。他は同じだが……だからこそ、ライバルとは戦わないまま終わった。次勝てばいよいよってときにさ」

 言葉を終えた高津の顔に宿る一瞬の寂しさ。それは隼人が経験したことがない年月の先にあるものなんだろう。
 時期だけが嘘ということは、中学時代から高津とライバルは戦うことがないまま実業団までプレイをし続けたということ。そしていよいよ叶うという時になって高津のほうが駄目になった。
 後悔しないわけがない。それでも高津は前に進んだのだ。

「俺の言葉なんてあいつには辛辣にしか聞こえないだろう。だから、俺は手助けするだけだ。後はお前らで何とかしろ」

 高津の真面目な表情は心の底から支えてやれと告げているように隼人には思えた。
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