●● SkyDrive! --- 第六十三話 ●●
隼人は自分の目の前で机に突っ伏している男を見下ろしながら考えていた。何故この男は自分の机で顔を伏せないのかと。目の前の真比呂が机を占領しているせいで、隼人は弁当箱を広げることが出来なかった。同情した隣の女子が「私は友達と一緒に食べるから」と移動して席を譲ってくれたおかげでようやく蓋を開けて中身を見ることが出来たのだった。
「おい、井波。お前の机は目の前にあるんだからそこに顔を突っ伏せよ」
「おいおい。お前はチームメイトが困っている時に手を差し伸べないのか」
「それで俺が困ってるのは助けてくれないのかよ」
突っ伏したままのためくぐもった声で答える真比呂にさらっと返して会話を終える。箸でおかずをいくつか連続で食べてから白米を口に運ぶ。炊きたてだったご飯は流石に冷えていたが十分に美味しい。冷えても美味しく食べられる弁当に親へと感謝すると心に余裕が生まれた。
「で、お前は何を困ってるんだよ」
隼人の言葉に「よくぞ聞いてくれた」という勢いで顔を上げた真比呂は、赤くなっている額をさすりつつ言う。ただ、隼人には半ば予想できていた。真比呂の悩みが今、自分の頭を痛めつつあるものだということに。
「理貴の様子が変なのを何とかしたいなって思ってよ」
やっぱり、という言葉は呑み込んでただ頷く。
『鱈』の練習に参加させてもらってから三日が過ぎたが、その間、理貴はこれまでと全く様子が違っていた。話しかけても上の空で生返事。昨日の練習の時もあまり集中できておらず、危うくダブルスパートナーである純に怪我をさせるところだった。
慌てた理貴は謝るのもそこそこに早退してしまって、今日はまだタイミングが悪く話せてはいない。今日は練習がない日で、かつ『鱈』の練習日であるため全員で向かおうと思ったのだが、前日の様子から見て不参加だろうと隼人は冷静に考えた。
(多分、あの時きたメール、だよなやっぱり)
それまで普通に振る舞っていた人間がおかしな言動を取るのは何かしらのきっかけがいる。そして、自分たちといる間に態度が豹変したというのは練習初参加で疲れていた時しか思いつかない。
「お前にしては珍しく直接聞かないんだな」
仲間を集める時も相手の都合をあまり考えずに突進して行った真比呂を見ているだけに、今回の理貴については直接理由を聞きに行かないのは珍しいと感じる。真比呂は「うーん」と唸った後で静かに呟く。
「俺だって空気は読むさ。こう、聞いても答えてくれないだろうし。聞くのさえはばかられるってのは、ああいうのかもな」
真比呂が自分の特性である強引さを発揮できないというのは相当な問題であるかもしれない。
そんなことを考えていた時、後ろから声がかかった。振り返ると立っていたのは理貴。今、交わしていたいた会話を聞かれたかと一瞬身構える。しかし、理貴は言及せずに変わりに隼人の予想通りのことを言ってきた。
「今日、サークル行くと思うんだけど、休むわ」
「そっか。分かった」
「すまんな」
理貴はそれだけ言うと去っていく。いつもなら教室にいて寝たり本を読んだりしているはずが、今日はそそくさと去っていった。どこかで一人になりたいという気分かもしれないと思っていると、代わりに真比呂が口にする。
「なんか一人になりたがってる気がするよな」
(お前も人の心が分かるようになってきたのか、井波)
心の中で冗談を考えつつ、隼人は現実に目を向ける。理貴の悩みは進んで聞こうとは思わないが、このままだと練習にも支障をきたす。それ以前に、理貴は自分たちの仲間であり、出来る限り助けてあげたいと思っていた。理貴をバドミントン部に誘った時の高津の言葉が隼人の頭の中に浮かんでいた。
『お前に必要なのは俺たちのようにあまり深く関わらない友人じゃない。こいつらみたいに、同じ学校で同じ部活を過ごす、深く関わる本当の仲間なんだよ』
深く関わる本当の仲間。
社会人のサークルでの仲間の距離感と、高校の部活での仲間の距離感。きっとそれは場所だけではなく年齢的な面もあるのだろうと隼人は思う。本やテレビでは十代は特別で同じことに触れても経験することは異なると言っていたが、隼人自身にはいまいち分からない。それでも、狭い学校の中の狭いクラスで一緒で、部活でも一緒である理貴の悩みがあるなら共有はできないまでも支えにはなりたかった。
だが、普段なら率先して飛び込んでいく真比呂がおよび腰であるため動きづらさを隼人は感じる。それだけ普段は真比呂に救われてるのかと気付き、心の中だけで感謝した。
(口に出したらつけあがりそうだからな)
自然と漏れたため息を真比呂は理貴についてと勘違いしたのか、苦悩の表情を浮かべた後で意を決したように眼を見開き、拳を握って言った。
「よし! やっぱり俺が直接聞きに行くしかないな。今日は俺も練習を休む。尾行する!」
「井波君は一番練習に出なきゃ駄目でしょ」
後ろから教科書の角で軽く真比呂を叩き、俯かせたのは亜里菜だった。
(可愛い顔して荒々しいな……)
内心で思ったことを顔に出さないように苦心しつつ、隼人は亜里菜の次の言葉を待つ。頭をさすりながら振り向いた真比呂が「でもよぉ」と言いかけたところで亜里菜の言葉に言えなくなっていた。
「私が聞いてくるよ。任せておいて」
「……いいのか? 井上」
「うん。隼人君たちは今が大事な時期でしょ。今、レベルアップしておかないと大変だよ」
隼人と共に各個人のスキルを考慮して練習計画を立てている亜里菜だけに、年間を通してのスケジュールはある程度把握している。今の時期の練習は特にラリーが続くようになってきた真比呂と賢斗にとっては大事だ。量をひたすらこなして体に基本を覚えさせた後で、質の高い練習を集中してやることで一気にレベルアップすることは多々ある。そのためにも、初心者二人にはできるだけ練習だけに集中させたいというのはあった。無論、隼人やほかの部員たちにしても同様だ。
「分かった。井上に任せる」
「井波?」
「井上も俺らの仲間だ。理貴を俺たちのところまで連れてきてくれ」
あっさりと引き下がった真比呂を不思議に思いつつ、今は亜里菜に任せるのが一番と結論付けて隼人も頭を下げた。
「よろしく頼む」
「うん。尾行してくるよ」
亜里菜は笑顔で頷き、隼人たちから離れていった。
◇ ◆ ◇
(ふぅ。尾行かぁ)
亜里菜は数十メートル先を歩く理貴を見失わないようにしながら歩いていた。放課後になり、他の五人にサークルに行くように改めて告げてから亜里菜だけは別方向へと進みだした。自転車だと動きが制限されそうだと思い、学校にわざわざ置いて移動している。バドミントン用のノートやラケットが入ったバッグも学校に置いてきた。今の自分は学校指定の鞄を持っているだけの、下校途中の女子高生でしかない。
(話を聞くって言ってもやっぱり尾行は駄目だよね)
真比呂の手前、尾行しなければ納得してくれなさそうだったために開始したが、こそこそと後ろをついていくのは気持ち良いものでもなかった。だからといって途中で切り上げるのも真比呂たちに悪いと感じてしまい、折衷案としてある程度尾行した後で自然と見失う、という流れにしようと心に決めていた。
徐々に開いていく二人の距離。やがて見失うだろうと考えていた亜里菜だったが、どうしてか視界には理貴の姿が残り続ける。角を曲がって、もういないだろうと思って曲がってもかすかに姿は見えており、やがて信号に差し掛かると距離が詰まる。
結局はつかず離れずという距離を保ったままで理貴は公園へと入り、移動を止めてしまった。
(どうしよう……)
歩き続ければ亜里菜も公園へと着いてしまい、理貴と顔を合わすことになる。引き返すなら今だと足を止めた時、彼女にとっては更に悪いことが起こった。
距離はあったが、理貴が周囲を見回し、亜里菜の姿を捉えてしまったのだ。離れていても、お互いの顔は認識できる距離。口を開けて呆気にとられている理貴を見て、亜里菜はため息をつき、申し訳ない思いを抱えたまま理貴の立っている場所へと歩き出した。
「井上。ついてきてたのか」
「ごめんね。悩んでるようだったから、気になっちゃって」
「まさか尾行までするとはイメージ変わったよ」
「はは……」
真比呂の代わりとは言わないでおく。嫌なら最初から尾行などしなければよかっただけのこと。亜里菜は気を取り直して理貴にこの場所にいる理由を尋ねた。
「理貴君。悩みあるなら聞くよ? 男同士には言いづらくても、私には言えたりするでしょ?」
「んー、まあ……な」
歯切れの悪さに続けて尋ねようと考えたが、それは公園に現れた第三者によって阻まれた。
亜里菜の視界にも入ってきた男は理貴をまっすぐに見つめている。理貴の視線にそうように亜里菜も見ると、男は泣きそうな顔をして理貴へと言った。
「久しぶりだな、理貴……」
「彰人。痩せたな」
理貴が寂しそうに呟くのを聞きつつ、亜里菜は現れた「彰人」について考える。どうやら理貴の友達だということは分かったが、どういう関係の友達かが問題のように思える。
彰人は亜里菜へと視線を向けてからすぐに理貴へと目を向けて呟く。
「なんだよ。彼女連れか。こっちでいい子見つけたんだな」
「違うよ。部活のマネージャーなんだ。俺を心配してついてきたんだよ」
理貴は肩をすくめて言う。亜里菜は考えるより先に頭を下げると、相手も続いて軽く会釈する。ただ、どうしてこの場にいるのかというのを不思議がっているように亜里菜には見えた。
実際に、自分はここでは邪魔ものだ。今日、理貴はこの彰人に会いに来たのだろう。同じ高校では見たことがないから別の高校。そこまで考えて、理貴がこちらに中学卒業後にやってきたのだと思いだす。
(もしかして、中学時代のパートナー?)
理貴を部活に引き入れる時の顛末は隼人たちから聞いていた。理貴も特に隠すことではないと言っていたが、名前は特に聞いていなかった。亜里菜の顔を見て思うことがあったのか、理貴は亜里菜に向けて告げる。
「井上。こいつ、俺の中学の時のバドミントンのパートナーで柿沢彰人」
そして理貴はあっさりと言葉を続けた。
「今、膝を痛めて部活休んでる」
理貴があまりにもあっさりと言ったために、亜里菜は最初聞き違えたかと思った。しかし、彰人の顔を見るとしかめている。今も痛んでいるのか、あるいは肉体ではなく心が痛いのか。どちらにせよ彰人がダメージを受けているのは明らかだ。
「あの、私……外そうか?」
「いや。せっかくだしここにいろよ。俺も、二人きりだと辛い」
理貴の言葉に含まれる弱音に亜里菜は足が止まる。彰人はため息をついてから理貴の傍へと歩いていき、あと数歩進めば握手を交わせる位置に立つ。しかし、それ以上は近づいてこなかった。
「どうした?」
「すまん。これ以上は、近づけない」
彰人の声が震えている。涙は流れていなかったが、亜里菜には彰人が泣いているとしか思えなかった。秋の気配を多く含んだ風が三人の間を抜けていく。理貴も亜里菜も言葉を発しなかった。一分ほど沈黙した後で、彰人は確認するように言った。
「俺の膝、ちゃんと治るか分からないってよ。ほんと、笑っちまうよな」
「笑わないさ」
本当に笑えるわけでもないとは二人とも分かっているに違いない。それでも、軽口と真面目な返答と、お互いの役目を果たさなければこの場にいることが耐えられないに違いない。亜里菜には二人の間で流れた年月は無論、正確には分からない。しかし、バドミントンのパートナーとしても友人としても深く互いに繋がっているのだろうということは想像できた。
「お前とさ、今度は全国大会でって約束したのにさ。だから俺、必死になって練習した、んだよな……」
「分かってるさ。お前は、悪くない」
「すまん」
頭を下げる柿沢の様子に亜里菜は違和感を覚える。確かに理貴も全国大会で出会うことが目標だった。栄水第一に男子バドミントン部がなかったことや自分の実力から考えて、同じ大学に行って改めてダブルスを組むということに考え方を変えていたようだが、結局は男子バドミントン部に入り、高校の間に全国大会で戦うということに目標を戻した。
その約束を破ってしまうという後悔は十分に亜里菜にも伝わったが、それだけではないように思える。もっと、深いところで柿沢は理貴に対して負い目を感じている。
「練習して膝を壊すなんてさ……不幸だけど、ある、ことさ」
言い淀んだ理貴の視線が一瞬だけ自分を向いたことで、気を遣ってくれたのだと悟る。どういう顔をしたらいいか亜里菜は分からず、曖昧に笑って見せた。少なくとも、理貴は柿沢を責めているわけではない。柿沢も理貴と同じように全国を目指して練習していた。その気持ちに淀んだものがないのは、謝罪する姿勢に現れている。しかし、柿沢は自分を許さないようだ。
(理貴君に負い目があるんだわ、きっと)
自分が知らない範囲での『負い目』は、逆に聞いてはいけないことだろうと考えて、やはり自分は咳を外そうと口にしようとする。しかし、理貴は先を読むように言葉にする。
「別にいいだろ。お前は一般入試で藤沢東に入ったんだし」
「でも……俺は、お前と一緒に入ろうって言ったのに」
「入れなかったのは俺の……まあ、俺達の、力不足さ。だから俺はこっちで頑張ろうって決めたし、お前は勉強して入って、スポーツ特待生じゃないまま頑張ったんじゃないか……だから、怪我したんじゃないのか?」
理貴の言葉に含まれる悲しさは亜里菜にも伝わった。
おそらくは、柿沢にはもっと多く胸を貫いているだろう。スポーツに力を入れている所に一般入試で入って、というのは立場的に辛いと聞いている。あくまで聞きかじった知識ではあるが、実力がある者が推薦やそちらの方面で受験し、合格している中で水準に足りていない人が入れば、状況は厳しくなるに違いない。
少しでも実力の差を狭めるために過剰な練習を続けた結果の故障。亜里菜は自然と自分の左膝に意識を集中していた。
最近は痛みはなく、負担もかけてはいないはずだったが、二人を見ていると痛んでいくような気がしていた。
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