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● SkyDrive! --- 第六十一話 ●

 弱まった日差しの中を隼人は一人進んでいた。
 自転車をこぐ自分の前方から吹いてくる風の涼しさに隼人は一度深呼吸する。肺の中を埋めていく冷たい空気は、すに全身を冷やしていき、細胞を新しく作りかえるかのような錯覚に陥った。

(実際に作りかえられてるんだろうな)

 日々、細胞は生まれ変わっていくのだと生物の授業で習ったよう習わないようなと曖昧な知識に触れる。あるいは、テレビ番組で流していたかもしれない。何かしらの情報源から人間の肉体の神秘に触れたような気が隼人はしていたが、わざわざ外からそんな知識を得なくても隼人自身は体のつくりが変わっていくというのは経験しているためそこまで驚くことではない。
 自転車のペダルをこぐために踏み出す感覚は四月の頃とさほど変わらない。しかし、実際に回されたペダルは自転車を以前よりも更に遠くへと運んでいた。過去と似たような感覚でより強く力を運用できるようになったのならば、意識して更に力を注ぎこめばより強く動かせる。
 肉体はしっかりと改造された結果を出しているのだ。

(十月、か。もう半年経つんだな)

 高校に入学した四月から半年。季節は春から夏になり、秋が来て隼人を取り巻く世界は少し落ち着いている。インターハイが春から夏の間に行われ、秋は国体や新人戦等のイベントがあるが隼人たち、栄水第一バドミントン部は国体には縁がなく、新人戦も出場しないことに決めた。一回戦負けだとしても、出ることはマイナスにはならないはずだったが、谷口に今回は見送るよう諭された上で、部長である真比呂が改めて高らかに宣言し、全員が納得してしまったため見送ったのだった。

(あいつも、徐々に部長らしくなってきたか)

 初心者だった真比呂も半年もするとかなり打てるようになってきた。元々、運動神経は良いほうでしかも室内競技で鍛えた下半身の力もある。ラケットの振り方を覚えれば一気に上達するだろうとは隼人も考えていて、その通りに加速度的に上手くなっている。
 上達は自信になり、気合いだけが空回りしていた頃から一歩も二歩も成長したのだ。
 自分もうかうかしていられない。そう考えつつペダルを回すと、目的地である市民体育館が視界に映った。直前の信号が赤になったために止まると、ジーンズのポケットから携帯電話を取り出してメールを開く。真比呂からのメールがあり、そこには『既に全員が集まっているぞ』という言葉が書かれていた。提案したのは隼人と理貴だというのにまるで自分が言い出したかのようだ。それくらいの強気は悪くはない。ムードメーカーとしてチームに必要な逸材に育ちつつある真比呂をもう少し見守ってやろうと思い、隼人は苦笑しつつ信号が切り替わるのを待った。
 待っている間に、数日前のやり取りが思い出された。

 ◇ ◆ ◇

「市内大会に出る?」
「そう」

 男子部員六人全員の視線を受け取って、教卓の後ろに立つ谷口と亜里菜が頷いた。夏休みの間に初の他校との試合を経験し、夏休みも終わる間際にはリフレッシュもできた。ならば次はステップアップとしていよいよ公式戦、というところで隼人たちは新人戦を狙おうと考えていた。しかし、谷口は首を横に振り、市内大会の道を告げたのだった。

「もう少し、公的なところに出るには準備期間が欲しいかなって思うのよね」
「まだ同世代との試合で勝てる見込みが薄いってことですか?」

 白泉学園高校との試合で隼人以外は勝ち、実力的には戦えるのではないかという自信は各部員の中に育っている。隼人個人は自分なりに弱点を補強して強くなるしかないが、他の面々、特に純と理貴については今でも市内を勝ち上がれるレベルではあると思える。だが、谷口はまた首を振って言った。

「新人戦は男子部の目標の選抜大会と同じように、最初から県大会になるわけだけど。復活したばかりで特にスター選手もいない君たちは第一シードと一緒とかになりそうだし。そうなると積めないのよ、経験が」
「経験、ですか」
「そう。今の男子バドミントン部に必要なのは、勝利の経験」

 隼人は全員の顔を見まわす。谷口の言いたいことは何となく理解している。他のスポーツもそうだろうが、経験を積むことは練習の他に試合でも有効だ。試合の中でしか積めないものもあると隼人は考えている。
 ならば、試合の中でしか積めないものとは何か。全力で相手に勝利することが筆頭に挙げられる。

「今の君たちなら、最低でも白泉学園高校に近い実力の相手と当たったなら、勝てるかもしれないけど。やっぱりもう少し着実に勝利を重ねさせたいの。そうすると、新人戦はちょっと不安なのよね」
「市内の大会なら、問題ないと?」
「市内は四校だけ。二回勝てば優勝。多分、白泉学園と同じくらいの強さしかないわ。冷静に戦えれば、勝てる」
「そっか。まあ、そこで油断せず勝って気分良くってのもいいですよね!」

 真比呂の言葉に谷口は嘆息しつつ首を振る。何も分かっていないという思いを隠されずに態度で示されて、真比呂は首をかしげた。そこに口を出したのは賢斗だった。

「練習試合とは違っていろいろと緊張するかもしれないってことだと思うよ。冷静に戦うってことが一番難しいんだから。それって、僕より他の人のほうが分かってると思うけど」

 賢斗もまた夏の練習試合の後から発言が少し強くなった。初心者コンビ二人には練習試合が他の部員たちよりも糧になったらしい。それだけに、谷口も慎重に事を運びたくなったのだろう。
 準備期間は出来るだけ長く。しかし、チャンスは逃さずに。

「そうだな。じゃあ、先生の案に賛成ってことで。いいだろ? 俺たちの目標は、団体での全国制覇だからな! その足掛かりで、市内大会をまずは制するぞ!」
『異議なし』

 真比呂が決をとる時にはもう結論が決まっている。そんな気配も隼人には分かるようになってきた。
 絆が深まっている感触を感じて隼人は頬を緩める。だが、すぐに引き締め直して谷口に向けて気になっていることを告げた。

「市内大会に出るとして、やっぱり団体戦と単複があるんですよね?」
「ええ。エントリーはどうするの?」

 隼人は仲間たち全員を一瞥してから口を開く。自分の意見はあくまで過程のものだというように。

「今年だけは、団体戦だけでいきたいと考えてます」
「理由は?」
「できるだけ全国に出る可能性を高くするためです」

 谷口もある程度答えが分かっているようだが、あくまで隼人の口から全員に説明させる魂胆のようだ。だからこそ、どう言えば隼人が話しやすいかを考えて言葉を選んでくる。隼人は椅子から立ち上がって谷口の隣に並ぶと残り五人に向けて言った。

「俺たちの目的を確認しておく。俺たちは、全国に出て、全国優勝を目指そうとしている。最終的に無理だとしても、その時はその時。今から二年後に残念がってるってこと。それは、いいよな?」

 以前、真比呂が言っていたことを改めて確認するつもりで全員に投げかける。当の本人である真比呂は勢いよく頷き、賢斗は自信がないながらもしっかりと頷いた。他の面々も同様。全員の統一意思を固めた所で隼人は次に告げる。

「先生も言った通り、勝ち続けることで経験を積める。だから今回も市内で終わる大会だけど、全力で優勝を目指す。他の高校は手を抜いてくるかもしれないけど、その時は自分らでいろいろ考えて条件付けたりとかな」
「いいねいいね。隼人熱い」
「茶化すなよ井波。で、だ。勝ちぬく中で一番大事なのはなんだと思う? 井波」

 注意された後にいきなり話題を振られて困惑する真比呂だったが、隼人の真剣なまなざしを受けて腕を胸の前で組んで目を閉じる。ほんの数秒だけ考えた後で真比呂は目を見開いて言った。

「体力だな」
「そう。俺らには個人戦と団体戦両方やる体力なんてないってこと。少なくともこの一年は体力強化のほうがメインだと思う。高校レベルに追いつかないとな」
「それでも間に合わない分は出る場所を減らすってことだね。確かにいいかも」

 隼人の回答に純が肯定する。理貴や賢斗、礼緒からも特に異論は出ない。隼人は内心で「やはり個人戦は出たい」という意見が出ると思っていたので少し拍子抜けだった。

(でも、出ないのも分かる気がする)

 女子たちと、白泉学園高校との二回だけだったが、団体戦で培った経験は自分たちの中で大きかった。逆に個人戦は、応援はもちろんしてもらえるが一人や一組で戦うもの。無論、団体戦も個人競技の延長でしかないのだが、気分的に全員一丸となって戦うという意識を強く持てる。まだまだ部活として、チームとして結成されたばかりの自分たちに必要なのは、より深い絆。個人戦は二年目以降でも遅くはないはずだ。

「じゃあ、団体戦のみにエントリーってことでいいわね。でも。ちょっとだけアレンジさせて?」

 谷口は隼人たちの意見を尊重した上で案を修正してくる。

「井波君と鈴風君だけは個人戦にエントリーしたらいいと思う。二人はやっぱり体力以前に経験不足だから。体力温存以前の問題ね」
「なるほど。二人はどうだ?」

 谷口の言い分も尤もだと、隼人はすぐに真比呂と賢斗に振る。真比呂は元々試合をすること自体が好きなのか、それでもいいと言ってきた。

「体力に自信ないけど……頑張るよ」
「試合までに体力強化を第一だな」

 賢斗からも肯定の返事をもらい、全員が谷口に視線を向ける。男子バドミントン部全員の意思が固まったところで谷口は改めて口にした。

「参加は団体戦と、井波君と鈴風君のシングルスね。じゃあ、これで申し込んでおくから」
『よろしくお願いします!』

 谷口は男子の声に押されるように次の用事がある、と教室から出て行った。隼人たちも今日は練習はなく、帰るだけのため各々が鞄を持って立ち去ろうとした。そこで真比呂が口を開く。

「なー。折角次の試合が決まったことだし、ここで休むってのもあれじゃないか?」
「井波。休むのも体調管理には必要だぜ?」
「分かってる。分かってるんだけどよ」

 理貴のたしなめに真比呂は少し俯きながら呟く。隼人は少しだけ違和感を覚える。理貴がたしなめなくてもバスケ出身の真比呂なら休息の必要性は分かっているはずだ。それとも体力の減りは気合いでカバーするというような人間だったのだろうか。普段の言動からならありえるがと頭をひねったところで礼緒が真比呂に向けて質問を投げかける。

「休むのは大事だけどそれ以上にやりたいってことか」
「そうなんだよな。なんかさ、本気で全国制覇を目指す準備が整ってきたってことじゃんか。焦っても意味ないって分かってるだけどさぁ。じっとしてられないんだ」

 良くも悪くも真比呂は精神状態に左右されるのだろう。最初から全国を目指す。全国制覇すると目標を高く掲げてはいても、現実は甘くないことは分かっていたし、ニュアンスは彼の中では違っていたのだろう。しかし、女子との試合で土台が出来て、白泉学園高校との試合で一つの自信を得た。机上の空論だったものが、かすかでも現実味を帯びたのだから、今は少しでもその影を踏んでいたいということかもしれない。

「じゃあさ、今日は市民体育館にお邪魔するか。あの『鱈』に」
「『鱈』?」

 隼人の口から出てきた魚の名前に首をかしげる亜里菜。そう言えば亜里菜は絡んだことがなかったなということで、説明しようとすると理貴が先に口を開いていた。

「社会人のサークルだよ。俺が男子部に入る前にちょっとお世話になってたんだ。実業団で活躍してた人が主催してて、結構打てる人も集まってる。そろそろ、定期的に練習に参加させてもらうのも悪くないかもな」
「そうだなぁ。経験って言うなら正にそういうのだな」
「今日、ちょうどあっちは練習日だし。頼みに行こうぜ。井上も行くだろ?」
「うん。行ってみたいな」
「っし! じゃあ各自ラケットバッグ持って現地集合しようぜ」

 真比呂が最後に端的に行動を決めてその場は終わった。今日の練習場所は隼人が押さえていて、位置的には隼人が一番遠くなる。亜里菜は理貴と一緒に行くことにして一時解散してから体育館へと向かったのだった。

 * * *

 信号が青になってからペダルを再度こいで自転車を進める。すぐに市民体育館の駐輪場が見えてきて、他の面々の自転車がある場所に止めると入口へと向かった。自転車をこいでいる間にも見えていたが、真比呂たちがたむろして隼人の到着を待っていた。

「ようやくきたかー。理貴が先に中で高津さんと話してるよ」
「そっか。てか、部長のお前が一緒に行かないでどうするんだよ」
「ぐ。す、すまん」
(前言撤回。まだまだ部長らしさはつかないな)

 隼人は苦笑しつつ一緒に中に入る。受付で利用を告げようとすると理貴と高津が共にやってきて、隼人に一声かけてきた。

「おう。久しぶり。金は初回サービスしてやるよ。俺らの仲間ってことで」
「え、それはいくらなんでも」
「まずは今日だけさ。俺らと一緒に練習するならお前らもサークルの一員ってことでやってもらうことになる。でも、そういうのがいいのか顧問の先生にお前ら確認してないだろ? そこでOK出たら、サークル会費もらってやってやるさ。ひとまず顧問には明日聞いたらいい」

 高津に言われて自分も間が抜けていると気付かされる。学外の活動なのだから何かしらのボーダーラインがあるにきまっている。普段の自分なら気付いて谷口に一度確認しに行くくらいはしただろうに。真比呂のことを言えず、全員が舞い上がっていたのかもしれない。

「あの。谷口先生は許可してくれましたよ」

 困惑していた男子六人の視線が亜里菜を向いた。高津は理貴の後ろから不思議そうに一瞥してから「君は」と尋ねる。

「あ、私。男子バドミントン部のマネージャーの井上亜里菜です。よろしくお願いします!」

 亜里菜は頭を高津へとしっかりと下げた後ではきはきと言葉を続けた。

「ここに来るって決まった後で私、谷口先生に聞きに行ったんですよ。そしたら、社会人サークルに入ること自体は禁止されていないから、学校的には問題はないってことでした。ただ、親の許可は取っておく必要があるということです」
「……お前ら。いいマネージャーもったな。っし。じゃあ練習参加しな!」

 本当だ、と隼人はほっとする。自分たちでは舞い上がっていることに気づかなくても亜里菜は一歩引いて問題点を見ようとしているのだろう。隼人は亜里菜へと頭を下げる。亜里菜は、嬉しそうに微笑んで返していた。
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