モドル | ススム | モクジ

● SkyDrive! --- 第六十話 ●

「花火大会?」

 隼人は真比呂が口にした言葉を繰り返した。
 夏休み最後の日の部活は少し早目に切り上げられ、谷口は明日の始業式に備えるようにと言って去った。残った部員たちは体育館を掃除していたが、隼人から見たらいつもよりも動きが鈍い。どうしたのかと思っていたところに、真比呂からの言葉。そこから連想して、部員たちも部活の後に花火大会に行くのだろうと考える。

(夏休みも終わりだもんな……流石にだらけるか)

 夏休みは練習漬けに他校との練習試合。更に、練習がない日も個人で月島や真比呂の兄、真樹矢との練習もできた。夏休みの前と後で自分の中に蓄積された経験は確かに自分を成長させたと思う。まだ少しだけ、胸の奥に痛みがあったが。
 物思いにふけって返答が遅れたことで、真比呂は改めて隼人に言った。

「だから、俺らも行こうぜ」
「俺らって……この六人で?」
「私もいるよー」

 真比呂の隣には亜里菜の姿。少し後ろから理貴も頷いている。更に賢斗と礼緒も体育館で汗を拭いてTシャツを変えていた。私服に着替えないままに行くつもりなのかもしれない。

「皆、行くんだし、隼人も行こうぜ」
「んーまあ、そうだな……行ってもいいかもな」

 そう言っても隼人は乗り気ではなかった。自分がスランプだということは分かっていて、最近になってようやく調子が戻ってきたと思えたところで夏休みが終わる。これからは学生生活もこなしつつ部活もするという毎日になり、シャトルに触れる時間が減る。学生の本分ではあるが、どこか水を差されたようになっていて皆で花火という気分にはなれなかった。

「井上は浴衣とか着ないのか?」
「私は着ないけど、月島先輩は着てくるって言ってたよ」

 月島という単語に隼人は一瞬体を硬直させる。しかし、隼人の反応は真比呂の大声でかき消されていた。

「つ、月島先輩が、浴衣!?」

 浴衣姿を想像したのか真比呂は顔を真っ赤にして頭を手で押さえる。同年代の浴衣姿をほとんど見たことがない隼人には想像さえできなかったが、少しだけ期待している自分がいる。

(現金なもんだな……まあ、いいのか)

 もしかしたらバドミントンだけしているから調子が戻らないのかもしれない。そんな思考に今、急に変わったのは間違いなく月島の浴衣姿を見ていたいという気持ちに左右されている。呆れたものだが、隼人は自分に甘くしてみることにした。

「眠いけど行くよ。途中で寝ないようにしないとな」
「よっしゃ、そうと決まったら時間つぶそうぜ!」
「じゃあ、私は着替えてから合流するね」

 亜里菜は先に更衣室へと去り、真比呂を中心に男子六人も着替えに向かう。既に準備は整えていると言わんばかりに、礼緒と賢斗は玄関に向かっていった。

「今回も井波が考えたのか?」
「いや、今回は実は理貴なのさー!」

 意外な人物の名前が出てきて隼人は素直に驚きの声を上げる。

「へぇ。中島っぽくないな」
「俺も自分でそう思うけど」

 照れくさそうに笑いつつも、理貴ははっきりと口に出していた。

「こういうのも、いいだろ。夏休みの最後なんだし」

 夏休みの最後。そう言われて隼人ははっとする。
 いつの間にか夏休みも終わり、また学校が始まる。インターミドルが終わり、女子バドミントン部も代替わりをした。他の部活もそうだろう。男子バドミントン部を復活させてから考えることや、やるべきことがたくさんあり、毎日があっという間に過ぎていく。着々と時は過ぎて行く。
 四月に真比呂と部活を作り始めてから今まで、ノンストップで駆けてきたのだ。その結果、対外試合に勝つくらいまでになった。
 今後は初の公式戦。そして、全国へと向かっていく。
 常に意識を張りつめて進んでいくといつ緊張の糸が切れるか分からない。

「確かに。少し息抜きしても罰は当たらないよな」
「そうそう。あたらねーよ! 行こうぜ!」

 真比呂に背中を押されて、隼人は頷く。高校に入って初めて部活の仲間たちとバドミントン以外で外に出る。新しい経験に小学生のように嬉しくなる自分を隠すようにわざと無表情を装った。

 * * *

 合流するのは夜の七時。夜が街を覆い隠す頃になった。直接会場に行くことにした隼人たちは駅のロッカーにラケットバッグを入れてから移動する。電車で六駅行ったところが河川敷で、毎年花火大会が行われる。駅に降り立つと既に花火を求めて人が集まっていた。

「うう。汗臭い」
「これだけ人いるとやっぱり熱気がすごいよな」

 顔色が悪い賢斗と、苦笑いの礼緒。純は賢斗のために自動販売機にペットボトルの水を買いに行っていた。隼人と理貴、真比呂は地下鉄の壁に出来るだけ寄って人波をやり過ごす。

「ごめんー」

 純と一緒に戻って来たのは亜里菜。少し遅れて同じ一年の田中がいる。純と理貴のダブルスに負けたペアの片方であり、今でも敵として見ているのかきつい視線を純へと向けている。純はそれをかわすように視線を合わせず、人波を縫うように歩いて行って賢斗のところへと辿りついていた。

「えーと、後、くるのは誰なんだ?」

 隼人が亜里菜に尋ねると、指を顎に当てて考え込んでから答えた。

「あとは月島先輩と野島先輩かな。他の先輩たちは、個人できたり彼氏と来たりするはずだね」
「……バドミントンやっててよく彼氏できるよな」
「隼人君も頑張ればできるよ」

 笑った亜里菜につられて隼人も笑みを浮かべる。だが、両脇を同時に真比呂と理貴が拳で突いたために咳きこんだ。

「うぇほ!? な、何するんだよ二人とも……」
「いやー、でっかい蚊がいてよ! な、理貴!」
「今回は井波に同意だよ」
「二人とも何なんだよ……」

 隼人たちのやりとりを見て亜里菜は満面の笑みで笑う。その場にいられることが、ただ楽しいというような笑み。その後ろでは田中がぶすっとしつつも、口元は緩く笑みの形にしていた。
 ひと通り笑いの波が静まったものの、人の波は途切れることはない。花火の開始まで三十分を切ったところで、改札を見ていた真比呂が大きな声を出して手を振った。

「おーい! ここです! 月島さーん!」

 周りの人々が真比呂の声量に驚いて流れを乱した。隼人は危ないなと思いつつも叱るタイミングを逃してしまった。すぐに波は通常通りに流れて行き、その波に乗って月島が現れた。

「ごめんねー。遅くなっちゃって」
「二人とも浴衣着てたら遅くなっちゃた」

 改札から隼人たちのほうへ来たのは月島と、ダブルスでのパートナーである野島密だった。女子にしては背が高い方の月島に比べて野島は150センチと標準から少し小さめだ。男も女もたくさんいるここまでの道のりは辛かっただろう。前が見えない状態で人波に揉まれるというのは体力を削られる。それでも野島は笑顔を絶やさなかった。小さな体に愛らしい笑顔で隠れファンクラブが存在するほどの野島。そして公式に他校にファンクラブがあるという月島。二人の登場で周りの空気が一気に華やいだ。
 月島は水色が基調の花柄の浴衣。野島は白が基調の、同じような花柄。まるで姉妹のように隼人には見える。

「なんか、姉と妹みたいっすね」

 気が緩んでいたのか、隼人は感じたことをそのまま言ってしまう。次の瞬間には野島の拳が隼人の腹にめり込んでいた。

「高羽君。なかなか言うじゃない。殴るよ」
「殴ってから……言わないでください」

 ここにきてから殴られてばっかりだと内心で思いつつ、隼人は痛みを散らすために何度も深呼吸する。落ち着いたところを見計らったのか、理貴が真比呂に向けてそろそろ行こうと促した。

「うっし。じゃあ、行こうぜ! 賢斗! 礼緒も純も!」

 離れたところにいた三人も同意して動き出す。隼人たちは人波から女性陣を守るように自然と取り囲むように歩き始めた。改札に近い側には真比呂。先導するように隼人。そして後ろは理貴がいた。三人に囲まれる形で月島と野島。亜里菜と田中は進んでいく。男子の自然な心遣いに亜里菜は「ありがとー」と素直に言って、田中も不服そうにしながら礼を言った。
 残り三人と合流すると更に囲いは強固になる。女性陣を守る男性陣という構図で歩いて行くと、自然と隼人は亜里菜の隣になった。

「隼人君。楽しみだねー、花火。花火って行ったことある? 実は初めてなんだよね、私」
「井上。いつになくテンション高いな……」

 隼人が思うとおり、亜里菜はそろそろ始まろうとしている花火に心を躍らせていた。言葉の通りに始めて花火大会にきたのだろう。その感覚は隼人にも分かった。
 小学校の頃はたまたまだが、中学の頃はバドミントンが理由だった。夏休みは思う存分バドミントンができるため、三度の飯よりバドミントンという時代。夜は体力回復に努めるか、たまった宿題をするくらいしかしていなかった。亜里菜もきっと似たようなものだったのだと結論付ける。

「隼人君も。これから頑張ればいいから、今は元気出してね」

 亜里菜の言葉に含まれる優しさに隼人は胸が高鳴った。顔が火照り、視線を思わず反らしてしまう。

(やっぱり、気を使ってくれてるんだな)

 スランプ自慢をするつもりは全くないが、練習試合の後からのスランプは目についてしまうのだろう。それについて悩んでいる姿は自体はできるだけみんなの前では見せてはいないつもりだが、滲み出るものはある。それでも自然体でいてくれる亜里菜に心臓が鼓動を早めるのを自覚せざるを得ない。

「ありがと。分かったよ」

 抑揚をつけずに呟くだけが精一杯だった。
 亜里菜がうんと頷いたところで、流れていた人の列が止まる。

『そろそろ花火大会が始まります! ここから更に人の列を整理しますので、お手数ですが指示に従ってください!』

 隼人は例年、テレビで花火大会の事故のニュースを見ていたことを思い出す。冷静に従おうと決めたところで、人の流れが一度遮られた。

「あ」

 後ろから聞こえた声は真比呂。並んで歩いていた真比呂と純。礼緒は野島と田中と共に分断されてしまった。慌てて戻ろうとした隼人だったが既に封鎖は済んでいる。どうやら花火を見るための場所には二か所入り口があり、一か所から流れるのを防ぐための措置のようだった。
 自分たちのように友達と無理やり分断されたらしい男たちも怒って作業員に組みかかるが、警察の姿も見えて大人しく引き下がる。

「ったく。花火大会も物騒だな」
「仕方がないよ。例年死者が出てるくらいだし」

 それまで一言も話していなかった月島がため息交じりに答える。月島もまさか後輩たちばかりとまとまるとは思っていなかったのだろう。確かに隼人たちも普段の月島はあまり知らないため、何を話したらいいか分からない。話すとしてもバドミントンのことしか思い浮かばない。

(流石に今日くらいはバドミントンからは離れたいよな)

 結局は、人の波に逆らわず、隼人と理貴に賢斗。月島と亜里菜は誘導に従って河川敷に降りた。さすがに人が多く、川の傍には行けなかったが配置的には悪くない場所へとたどり着く。横一列に並ばなければいけなくなり、進んでいた順番通りに隼人、月島、賢斗、亜里菜。そして理貴の順番になって止まった。

「ようやく落ち付けたね」

 人が多いために満員電車の中にいるような状態になって、隼人は隣の月島の表情がよく見えなかった。しかし、声の調子は落ち込んでいる。浴衣でしかも草履で来たためにこの中を歩くのは辛かっただろう。それでも周りの女性は浴衣が多い。それだけ特別なものなのだろう。

「大丈夫ですか? 座れたらいいんですけど……」
「ごめん。ちょっと、我慢して?」

 そう言われた瞬間に、隼人の左腕に加重がかかった。半袖による生身の腕に着物の袖がぴたりと付いた。
 月島が隼人の左腕をつかんで寄り掛かっている。隼人は心臓が高鳴り、頬が熱くなった。

「え、月島さん……」
「体力回復させてくれる? ほんの数分でいいから」

 疲れ気味の声に懇願されては隼人も従うしかない。声を出すと裏返ってしまいそうで頷くだけにする。月島に見えたかは分からないが、そのままの状態で時間が過ぎた。やがて、三分ほど経つと月島は隼人から体を離す。

「ありがと、高羽君」

 そうやって礼を言うと月島は腕から手を離して立った。その頃になると周りも落ち着いてスペースを空ける余裕ができたらしい。人に支えられるような状態から、隙間が生まれて周りを見ながら体を動かす程度の余裕が生まれた。
 そして。

「あ」

 月島の声につられて前を見た時、空に上がる火種が見えた。
 続いて広がる火花。濃い藍色の上に広がる色とりどりの花。基本的な形である円が二重、三重と広がっていく。周りから「たーまやー!」「かーぎやー!」と花火に向けて声が上がった。少し離れたところからもよく通る声が広がる。

「……今聞こえて来てるの、井波か?」
「井波君の声は本当に通るよね」
「ほんと、あいつは五月蠅いです」

 隣にいる月島が笑い、隼人は同調する。しかし、月島は笑顔を絶やさずに隼人を見る。視線にはすぐに気付いたが照れくさくて振り向くことが出来なかった。数度の花火の破裂の後でゆっくりと息を吐いてから視線の意味を尋ねると、月島は嬉しそうに答えた。

「高羽君。井波君を突き放してるけど、大事にしてるって分かるからさ。そういう信頼関係って良いなーって思って」
「信頼ってそんな。あいつはうるさくて人を巻き込まなきゃ気が済まないだけで、俺は振り回されてるだけですよ」
「でも、男子バドミントン部を作るのに参加できたことは感謝してるでしょ?」

 月島の言葉に隼人は何も言えなかった。いくら上っ面で否定しても深いところにある真実は変わらない。確かに自分は真比呂に感謝していると分かっている。
 いつも名前を呼ばれては名前で呼ぶなと否定するやりとりも楽しくなってきていた。
 自分の日常の中に男子バドミントン部の面々が息づいてきた証拠。真比呂が作ろうと誘ってくれなければ、今頃自分は卓球部にも入らず、帰宅部として日々ぼんやりと過ごしていたに違いない。

「せっかく再開した男子バドミントン部だもの。皆を大事にして、皆と解決していけばいいと思うよ。悩んでるでしょ、いろいろ」
「特に隠していないですけど……分かりますよね」
「うん。私との練習でも最近は物足りないしね」

 隼人と月島は夏休みの間という期限で個人練習をしていた。真樹矢が参加していた頃からだが、お互いのレベルアップのためにやることにしたのだ。しかし、最近は隼人の不調の影響で思うようにいっていなかった。

「いつか、エースについて聞いてきたよね。高羽君なりの答えは見つかった?」

 隼人は少しの間、口を噤む。分かったか分からないかと言われれば、分かったかもしれない。意を決して月島へと伝える。

「多分、強いだけじゃなくて皆を引っ張れる選手ってことでしょうね」
「そう。高羽君はすでに皆を引っ張ってるし、エースになれてると思うよ」
「……絶対負けない柱じゃないですよ」

 脳裏によみがえる三鷹との試合。自分だけ負けてしまったことに後ろめたさを感じ、それでもエースとしてバドミントン部を背負っていくように言われたため、重圧に調子がくるっていた。
 それが調子が狂ったことの理由。理由が分かったのなら、あとはどうすればいいかで調子は戻るはずなのだが、どうすればいいか、が分からない。

「高羽君は大丈夫。女子部のエースが言うんだから」
「そんな非論理的な――」
「たまには理屈とかどうでもいいじゃない。そういうので、いいじゃない。練習試合のリベンジも、試合で返せばいいよ。それで解決。シンプルにいこうよ? スランプにしているのは、高羽君自身だと思うよ」

 隼人の考えすぎの故に陥った迷路を、月島は力技で破壊しようとしている。それだけで、隼人は今まで悩んでいたことが馬鹿らしくなる。それもまた月島の魅力のなせる技かもしれない。

(リベンジか……そうだな……)

 いつしか三連発や五連発。アニメのイラストの形をした花火などさまざまなバリエーションが空を彩る。一つとして同じものはない。夜が深くなり、花火は形を変える。隼人もまた今までと同じではない。少しずつ進んでいるのだ。ふがいない自分を変えるために。

「そうですね……なにか、きっかけがあれば……もっと……」

 呟いた言葉は隣にいる月島にも届かないだろう。それでも隼人は良かった。たくさんの人が空を見上げて夏の終わりをかみしめる中で、新たな季節に思いを馳せた。
 

 花火が終わると共に、新しい季節が始まる。


 ――SkyDrive! 第二部・完
モドル | ススム | モクジ
Copyright (c) 2015 sekiya akatsuki All rights reserved.