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● SkyDrive! --- 第五十八話 ●

 隼人は上から布団の上に体を投げ出した。ベッドの端に足がかかっているため膝から曲げて倒れている体勢になっている。両手を伸ばし、力を完全に抜いた体はところどころ濡れていた。先ほど浴びたシャワーによって濡れた部分を拭ききれていないままだ。

「――はぁ」

 隼人は体の奥に残る熱い空気を吐き出す。自分の中にある思いも全て吐き出して、楽にしてほしいと見えない誰かに頼み込む。当然返ってくる答えはなく、隼人は自然と今日のミックスダブルスの反省に入った。体は疲れていても頭はいつも部活の時と同じように動いて行く。
 隼人はミックスダブルスでの負けの後、今度は真樹矢と月島のシングルスを見た。結果は、真樹矢の勝ち。その中で月島の弱い部分を隼人は指摘して、次の練習でまた見てもらいたいと頼まれた。お互いに自分の弱点を補強するように部活以外でもシャトルを打ち合う。他の仲間達に隠すということはないが、彼らとは離れて月島と会うことに多少の罪悪感を覚えなくもない。
 それでも隼人はこれから先、最低でも夏休みが終わるまでと約束したこの集まりは、続けようと思っていた。力をつけるために。

「エース、か」

 エースという言葉の響き。月島の頭上にある言葉は、しかし隼人のものでもあったのだ。

 * * * * *

 栄水第一高校男子バドミントン部の初練習試合の後、隼人たちは全員で高校から駅に向かう道中にあるファーストフード店に入った。各自で飲み物を頼んでいる間にマネージャーである亜里菜が店内を見回し、隼人たち六人と顧問である谷口。そして月島も含めた九人が座れる場所を見つけておくと次々と席へと押し寄せた。
 全員が席について準備が整ったところで谷口が一つ咳払いをしてから全員に告げた。

「皆。初勝利おめでとう」
『ありがとうございます』

 店内に人はまばらだったが、それでも同時に発せられる感謝の言葉に何事かと振り向く。中心にいるのはジャージをはおっている谷口だが周囲をバドミントンラケットを持った男子が固めているのを見て状況を察したのだろう。周囲の視線もすぐに消えた。
 注目が途切れた所で谷口は改めて言う。

「えー。栄水第一バドミントン部の復活、第一戦は見事に勝利で飾りました。四勝一敗。十分な成績だと思います。一敗も、本来ならおそらくついてなかったからね」

 谷口はそう言って隼人のほうを見る。本来ついていなかった、というのは真比呂の勝利により団体戦での勝ちが確定したことを言っているのだろう。当人たちの練習のために団体戦として決着がついても最後まで試合をすることとした。そのため、隼人の直前で試合をした礼緒の四勝目。最後の隼人の敗北は本来ならばなかった。
 無論、勝てば五戦全勝だったわけだが。

「すみませんでした。俺が勝てれば……よかったんですけど」
「そこは悪くないわね。団体戦で考えれば勝ちだもの。団体戦は皆で勝ちも負けも繋げるのよね。ま、でも。私としては平均点かな」

 谷口の言い方が気になり、隼人はどういうことか尋ねようと口を開きかける。しかし先を制して谷口が言った。

「高羽君は、このチームのエースとして今後頑張ってもらいたいの」
「エース……え、エース?」

 隼人は自分が聞き違いをしたのかと思い、再度問いかける。谷口は再度、同じ言葉で「エースとして頑張ってもらいたい」と答えた。しばしの間、声が出ない隼人の代わりに、亜里菜が小さく手を挙げて発言していいか全員にアピールする。タイミングが多少ずれたが全員が頷いたところで亜里菜は言った。

「あの。えっと……私、このチームで一番強いのは、礼緒君だと思います」

 あっさりと告げる亜里菜に真比呂の顔が歪んだが、隼人は事実を受け入れる。客観的に見て、礼緒が最も実力があるのは全員が認めるところだ。今は反省会であり、表面的に気を使う場所ではない。真比呂もそれを理解しているのか、苦虫を潰したような表情でも口を挟むことはなかった。

「それ、で……エースは絶対に負けられない最終的な砦ですし、一番強い人を据えるのがいいんじゃないかなって思うんですけど……先生はどうして隼人君を?」
「私がそのほうがいいなって思っただけ」

 あまりにもあっさりした言葉に亜里菜は呆気にとられて口が開く。純が「井上! 口!」と鋭く言ったことで正気に戻り、慌てて口を両手で塞ぐ。恥ずかしさに顔を赤らめながら周囲を見て、心を落ち着かせるとまた谷口に向かいあう。

「ほんと、それだけですか?」
「それだけよ。このチームのオーダーは、高羽君と中島君で考えたんでしょう?」
「はい」

 理貴の簡潔な返事に満足し、谷口はまた続ける。

「井波君が持ってきたオーダーを見た時、理想的だなって思った。私には第三シングルスに高羽君が入ってる形が一番はまってるって思ったのよ。この形はできるだけ崩さない方がいいなって。だから、エースは高羽君がいいって考えたわけ」
「そんな。ちゃんと実力で選ぶ方が勝てますよ……」
「ただ勝っても仕方がないってのはあるだろ」

 谷口と亜里菜の間に入って来たのは真比呂だった。予想以上に語気の強さに亜里菜も驚いて顔をひきつらせている。自分が脅し過ぎたかと思ったのか真比呂は「すまん」と一度謝り、自分の考えを口にする。

「皆。俺も、隼人がエースがいいと思ってる。理由を聞いてほしい」

 いつになく真剣な表情の真比呂に谷口たちの他に純、理貴、賢斗、礼緒も静かに頷いて真比呂を見た。視線が集中した真比呂はゆっくりと話していく。

「俺と隼人で、男子バドミントン部復活のための部員集めを開始して、皆が集まってくれて、練習していく中で、やっぱり中心は隼人だなーって思った。あいつや皆は俺が部長だって言ってくれたから、俺は精いっぱいやりたい。で、エースが必要ならそれは隼人だと思う。なぜなら」

 一度言葉を切って真比呂は笑みを浮かべる。だが、聞いていた他の面子は呆れ顔で真比呂を見ていた。全員が全員、同じような呆れ顔。

「あ、あれぇ?」
「どうせ『俺がいいなって思ったから』って言うんだろ?」

 真比呂から一番離れた席にいる礼緒が答えたため、文句も言いづらい。後に取っておいて言い残していた言葉を紡いだ。

「あ、ああ……あとは、さっき言ったとおり。ただ勝ってもやだなって。もちろん礼緒に問題は全くないんだけど……俺はやっぱり隼人がエースとして控えていて、もし追い詰められてもそこで勝つっていうのが……一番いいんだ。俺が、一番そういうの、見たいんだよ」
「それ、お前の見たいことだけだろ」

 隼人は頭を押さえてため息をつきながら言う。隼人は亜里菜と同じく勝つための布陣を考えれば礼緒をエースとして中心に添えて、オーダーを組むようにすればいいと考えていた。しかし、真比呂を擁護する声が他からも出た。

「いいじゃん。井波の考えもありだろ」
「おい、中島……」
「理由は二つ。ひとつは小峰はエースにするにはまだプレッシャーに弱い気がする」

 理貴の言葉に周囲が凍りつく。当の本人も申し訳なさそうに体をすくませて小さくなっていた。隼人も確かに、と納得してしまう。

「もしかしたら一年後は何とかなるかもしれないけどな。で、もう一つのほうが本命なんだけど。俺としては小峰は確実に一勝をとれるシングルスとして残しておきたいと思ってる」
「確実な一勝、か」
「そう。だって追い詰められなきゃ第三シングルスの出番なんてないしな。その前に三つ取ればいい。そうなると、第一シングルスとか、第二シングルスに勝利を取れる選手を一人は欲しい。今のところシングルスは高羽と小峰と、井波だろ。なら消去法で小峰になる」
「俺はエースポジションにいるけど二番手ってことか」
「小峰がプレッシャーに強くなった頃に実力を追い抜いてればいいだろ?」

 さらりと実力を上げろと言われて、隼人はしかし嫌な気分ではなかった。自分は実力重視のパターンで考えようとしているのに、周りは感覚で「何か良い」「その方が美しい」と良いイメージで物を語ってくる。
 ただ、それは中学時代もそういうことはあった。合理的なものよりカッコよさを取ったことなど何度もある。今回もそれの一つなのかもしれない。

「とりあえずまとめだけど。高羽君がエースってことで今後は負けられないってことになると。今が実力足りなくて、自分が思うエースの条件を満たしていないなら、練習して満たしなさいってことでいいわね」
「……はい」

 谷口が見事にまとめたことで釈然としない隼人。しかしやるべきことが決まると自然と落ち込んでいた気持ちも霧散した。

(負けたけど収穫はあった。さっきまで暗い気持ちだったのに晴れた)

 仮であろうがエースとしての責任を全うできなかった。それだけに、まさか自分がエースに選ばれるとは考えてもみなかった。しかし、全員が認めてくれるならば、頑張るしかない。早く認めてもらえるように。

「はい、じゃあもう少し細かいことは部活の前にミーティングでも開いて言うわね。皆のプレイで何が悪いとかだいたいまとめたから。今はさらっと休んで帰りましょう」

 谷口に了解の返事を返し、隼人は頼んだコーヒーを飲んで脳を回転させ始めた。これからどうしたら成長できるのか。どれくらいの速度で成長できるのか。
 仲間達と会話を続けながらも隼人は最後まで考え続けたのだった。

 * * * * *

(とはいっても。今日の調子だとまだまだ遠いな)

 自分の分析は過去を思い出すと共にほぼ済んでいた。一番の理由は、エースという言葉に自分は怯えていること。
 エースとは、チームがピンチの時には絶対負けられない存在。
 エースとは、後ろに控えて絶対的な守護神としての存在。
 例えばダブルスで二敗したチームのシングルスの選手はこう思うだろう。
『第三シングルスに回せば勝てる』と。だから自分は何としても勝って、後に続けようと奮い立たせられる。すべては第三シングルスへの安心感がもたらすもの。

(そうだ。俺が月島先輩から受けた安心感。この人といるだけで勝てるって思わせられる雰囲気。それでもダブルスは俺のせいで負けてしまったけど)

 自分が勝とうと思って逸り、ミスを連発した。最初の月島とのシングルスも、ミックスダブルスもそれが原因だった。本来ならばデータに基づいてラリーを続けていき、最終的に相手が取れないというのが隼人の戦法だった。しかし、途中まで相手の動きを分析してラリーを続けるものの、バランスが崩れてきたら焦ってスマッシュを放つ。すると相手は体勢が崩れていてもシャトルを取り、逆に自分が無理なタイミングで打ったために取れなくなる。あるいはチャンス球を上げてしまうというミスをしてしまった。
 それだけ勝ちたいという気持ちが前に出た。
 勝ちたいというよりも「早く」勝ちたいだろうが。

(遅くても勝ちは勝ち。俺は今のままで行くなら忍耐力が必要だな。あとは、忍耐力を支える体力、か)

 小峰に対して軽々しくプレッシャーに勝てとは言えなくなったと隼人は思う。今、隼人が感じているのは男子五人と亜里菜、谷口の期待だ。それだけで辛いのに小峰は見ず知らずの人にまで大きな体から勝手に期待されたのだ。

「頭が働かんなー。どうしようか」

 シャワー後の気だるさと、分析を済ませたことで脳が休憩を促しているのか、考えようとしてもピースがバラけて行く。もう考えるのは明日に回せということだと判断して、隼人は一度目を閉じた。思考のリセット。残るのは導き出した結果だけ。間の思考回路は極力消す。消すと言ってもイメージのみのことで残っているのだろうが。

「うし……と、メール?」

 自分の中で処理完了としたところで、携帯が震えた。マナーモードのバイブレーションはメールが届いたことの震え。画面を見てみると、月島奏の文字があり、心臓が跳ねた。

「な、なんだ。なんで先輩から?」

 思わず独り言を言ってしまったが、咳払いをして落ち着いている風を装う。誰にも見られていないのだが、体裁を整えずにはいられなかった。隼人はメールの中身を読む。タイトルに『元気ですか?』とあり、中身は自分を心配してくれるような内容だ。

『月島です。今日、前と違って動きが鈍かったから練習試合の疲れが長引いちゃったかな? つき合わせちゃってごめんね。でも、私も少しずつコツが掴めてきたので、今後も練習に付き合ってくれると助かります。高羽君ももし悩んでることがあったら、アドバイスできるところはします』

 月島の声が脳内で再生される。隼人は心の内側が暖かくなり、頬がうっすらと赤くなった。無論、自分には見えないが頬が赤いのだろうと理解できる。

(なんか悔しいけど)

 自分を制御できないのは悔しい。実際に会っている時よりも動揺している気がする。想像力の勝利かとため息をついて、再度、文面を読んだ。最後に目に留まったのはアドバイスという言葉。今、悩んでいる自分にうってつけのものがある。
 隼人は返信ボタンを押して文面を打った。

『今、ちょっとだけ電話していいですか? アドバイスが欲しいことがあるんです』

 素早く打ち終わってから送信する。そして、すぐに後悔した。部屋の時計を見ると時刻は夜十時。女子と付き合いの機会は少なかったが、それ以前にあまり電話してはいけない時間帯ではないか。男子でも遠慮した方がいいかもしれない。送ってしまったものは仕方がないと覚悟を決めるまでの時間で、携帯がまた震える。今度はさっきとは違う震え。はっとして携帯電話を取ると、月島から着信している。

「は、はい。こっちからかけますよ?」
『いいよ。すぐすむんでしょ?』

 ちょっとだけ、という感覚が月島にはどれくらいなのか把握していないため、隼人は一般的にありそうな時間で終わらそうと決める。

「分かりました。解決しなくてもいいんで、ちょっとだけアドバイスください。エースに、ついて」
『エース……試合の後に言われたこと、やっぱり気にしてたんだ』
「はい。今日も、エースなら勝たないとって思って自爆してました」

 電話越しから月島の「んー」という声が聞こえる。遠くになっていることから少し、口元を離して今日のことを思い出しているんだろう。この間に「ちょっと」が過ぎないか隼人は不安になった。

『そうだね。ミスってたね』
「はい。だから月島さんはエースとしてどうふるまってるのかなってふと思いまして。何か心がけていることとか――」
『ないなぁ』

 月島に一瞬で切られる。隼人が想定していたことは本当に一言で否定されていた。月島が悪いということではなく、感覚で話すゆえに分からないのかもしれない。

『私、自分の試合は単純に勝つって思って試合してるし、特別、他の人のために最後の砦に、なんて思ってないんだよね。先生が言っていたことは事実だろうし、自覚することで変わることもあるかもしれないけど……私は苦手だからふっきったというか』
「そ、そうなんですか」
『でもよく安心するとか言われるね。だから意外と、高羽君がやってきたことと同じく、試合に勝とうって思って試行錯誤していけば自然とエースになっていくんじゃない?』

 月島の言葉を自分の中で反芻する。その間に電話口で「ごめんね。もう切るね」と少し慌てた月島の声が聞こえてすぐに電話が切れた。反射的に「ありがとうございました」ということは忘れずに、隼人は携帯電話を布団の上に落として考える。

(今まで通りの、俺か……)

 結局、隼人は深夜零時を過ぎるまで考え続けていた。
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