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● SkyDrive! --- 第五十七話 ●

 声をかけるのに遠慮はいらなかった。
 真比呂は帰ろうとする男子の前に回り込むと、口を開いて大きな声で言う。

「一緒にバドミントン、やらないか!?」

 真比呂は今でもその時の隼人の顔を覚えている。何を言っているんだと呆れが表情のほとんどを占め、かすかではあるが熱い感情が残っている、そんな顔。自分とは違うが、何か空回りして現状に満足していないように見える表情に、真比呂は直感的に当たりだと考えた。その場では隼人は特に乗ってこないで去っていったが、それでも真比呂は諦めずにアプローチしてみることにしたのだった。
 次の日に同じクラスだと気づいた時には申し訳なさと共に、やはり一緒にバドミントン部を作りたいという気持ちが優っていた。

「なあ。バド部作ったとして。目標はどこなんだ?」
「そんなもの、全国制覇に決まってるだろ」

 バドミントン部を再建するとして、目標はどこなのか。隼人に言われて咄嗟に全国制覇という言葉が出てきたことに真比呂は表情に出さないようにしつつも内心では「しまった」と後悔の念が湧き出てくる。まだ、隼人がそこまでやる気なのか分からない。最初から目標を高く遠くにしてしまうと、せっかく部を作ることにのってきてくれたのに離れて行くのではないか。
 そんな真比呂の不安は隼人の次の言葉に消える。

「……お前、そんなに強いのか、バドミントン」

 全国制覇という言葉。その重みに対して気遅れしていないのか、あっさりと言った真比呂がジョークを言っていると勘違いされたのか。どちらかは分からないが、真比呂は横に置いておいて、素直に告白する。

「いや。中学時代はバスケ部。兄貴がバドやってるけど俺はラケット触ったことも無い」
「へぇ……ってじゃあ全国制覇なんて夢のまた夢じゃん」
「夢だから掲げるんだろ。現実にするのにさ」

 ここまで来て、真比呂も本心を隠すつもりはなかった。たとえ一人ででも、初心者でも、全国制覇は目標だ。努力も結果も大事ならば、目標を高く持たなければ努力しなくなってしまう。
 もちろんねがっても努力しても、叶わないことはたくさんある。だからこそ、やりきった時に価値があるはずだ。
 冗談に聞こえたとしても、本気で語る。
 瞬間、思い出したのは中学時代のチームメイトの姿。自分の熱さに逃げて行くかもしれない隼人の姿。

(駄目だ。やっぱり、嘘はつけない)

 正直に自分の熱さを出そう。そう決めた真比呂に対して、隼人は少しだけ表情を崩して言ったのだ。

『分かったよ。俺はめんどくさいから、メインではお前が動けよ』

 隼人の言葉の裏に確かなバドミントンへの思いがあることに真比呂は気づく。言葉はあくまで照れ隠し。
 共にバドミントン部について協力してくれるだろうと素直に思えた。
 月島のプレイで繋がった隼人との出会い。そして、バドミントン部の再生。真比呂は久しぶりに感じる、内から沸き起こる衝動を抑えるのに必死だった。
 隼人と二人でバドミントン部を作ることを決めてから、真比呂には驚きの連続だった。兄の動きを簡単に見ていた程度だが、思うように打てないラケット。簡単そうに見えてコツがある。ボールをゴールに入れる技。相手の動きを先読みしてディフェンスする技術を全て横に置いておいて、真比呂は一からバドミントンの技術を学ぶ。その結果、バスケで培ったことも糧になっていたことを知る。
 一人、また一人と自分より上手い仲間が増えて行く。そして、自分より下手な真比呂が言う「全国制覇」という言葉を大きいと言いつつも否定せずに信じる。
 自分が気合を入れて応援しても、隼人はいつも呆れながらでも反応する。他の仲間たちも全て受け止めて、前に進む。
 練習試合まで終えて、本格的に動いてきたバドミントン部と集ってくれた仲間に真比呂は感謝してもしきれない。もちろん、真比呂のために集まったわけではないのだが。

(俺も、もっともっと強くなる)

 気合いを新たにしたところで、シャトルがまたコートへと突き刺さった。

「……真比呂。ボーっとしてるなよ。審判なんだから」
「あ、ごめんすまん兄貴」

 真比呂は笑ってごまかして、そのあとで得点がどうだったか尋ねた。真樹矢含めて全員がため息をついた後で、隼人が「15対15だよ」と告げる。まだ試合が始まったばかりだと思っていたのに、自分はいつまでボーっとしていたのかと真比呂は背中から汗が湧き出てくる。気にしていない風を装って得点をコールして試合を続けさせた。

(俺はいいとして……やっぱり隼人がおかしくなったのは、練習試合の後、だよな)

 過去回想の海から戻って真比呂が最初に思ったのは、隼人への違和感だった。この試合の前に見た月島との試合も、このミックスダブルスも。真比呂の中には常に違和感があった。
 いつも通りのプレイをしているように見えて、どこかずれている。らしくないプレイを要所要所で行っているような感覚。
 隼人のことは高校からでしか知らないが、バドミントン部の中では一番フォームが綺麗ということで見ていることが多かった。何も事情を知らない第三者が見れば気持ち悪いと思われそうなほどに。自分でも思い出してみると引きそうだ。
 それくらい見ていたことで、隼人のプレイスタイルやフォームというのは何となく感じ取れた。理論的にはなく、イメージで見ているためにどこがどうとはっきりとは言えないが、練習試合の前と後で異なっているように見える。
 練習試合で負けたことがショックであるのならば、まだ理由がはっきりしていてよいが、負けたことにもショックを受けている素振りは見せない。

(でも、少し違うんだ。やっぱり。なんだろうな)

 隼人のスマッシュが西川の顔の横を抜けてコートに突き刺さる。真比呂は思い返そうとしながらもミックスダブルスの続きに意識を集中した。


 * * *


 隼人は月島の頭の横を通り抜けるようにシャトルを打つと、ちょうど前衛の頭がブラインドとなって西川の反応が一瞬遅れた。ラケットを振ってシャトルを捉えた直後には月島のラケットがシャトルを打ち返している。それも、後ろに控える真樹矢がとれる範囲ではなく西川の背中近くへと落ちて行く。絶妙な打ちこむ場所に隼人は後ろから見ていて感嘆のため息を漏らした。最初会った時と変わらない綺麗な、崩れないフォームから放たれるシャトルは正確に相手の急所へとシャトルを運ぶ。十六点目に落胆しながら西川はシャトルを拾って月島へと渡した。ちょうどサーブは隼人の番で、月島の腕が伸ばされるとシャトルを受け取りに隼人も手を差し出す。

「落ち着いて。一本行きましょう」
「はい」

 アドバイス通りに声も冷静に月島が伝えてくる。声を聞くだけで隼人は肩の力が少し抜けた。一声かけるだけで安心感を得られるのは、月島のイメージがなせる技だろう。隼人は背中からの月島の視線を感じながら、ショートサーブを打った。
 斜め前で取るのは真樹矢。真比呂の兄にして、インターハイにも出場している別の県の有力選手。冷静に考えてここにいる四人では最も強いだろう。月島も強く、全国で名前が知られていないが、真樹矢は正真正銘、誰もが高校在学中は忘れないところまで実力を上げている。今回のミックスダブルスで互角の戦いを演じているのは、特有の制約と、パートナーの差だろう。
 真樹矢のペアは西川が。隼人のペアは自分自身が、もう一人の実力を抑えている。即席では仕方がないが、隼人は自分の弱点ということで勝利への道筋を探していく。

(できるだけ井波先輩へシャトルを打たないように――)

 サーブは仕方がないにしろ、できるだけセオリー通りにシャトルは男子へと打たない。ミックスダブルスの経験は隼人にもほとんどなく、戦法も頭の中のデータベースにはない。情報が少ない場合はとりあえず定石に従おうと考えて、シャトルの打つ先は西川やスペースへと絞る。
 しかし、考えれば考えるほど。意識すればするほど気になる方に打ってしまうのは普段の生活もバドミントンも変わらない。ネット前の攻防を終えて後ろに下がった隼人はシャトルが自分へと飛んでくるのが見えて、チャンスと左サイドライン際のスマッシュを打った。
 だが、そこには既に真樹矢の姿。隼人にはいつ移動したのか全く見えなかった。考えられるのはシャトルを打とうと前方から視線を外した時。その僅かな隙を狙って、真樹矢はドライブを隼人の顔面へと放っていた。

「はっ!」

 顔面を狙って来る軌道は想定内であるため、ラケットを押し出して出来るだけ前の方で打ち返す。コートの中央付近からのドロップショットは西川の目の前に落ちて行く。しかし、月島が西川の前へと立ちふさがってラケットを掲げると西川が打つコースが極端に減った。急激にコースが消えたことでに、どこに打とうかと悩んだ結果、シャトルをネットへと引っかけてしまう。得点は17対15となり、徐々に隼人たちの勝利が近づいてくる。

(月島さん、流石だな)

 ここにきて要所要所でいい場所を侵略し、逆に西川のコースを封じている。追い詰められても逆転の手はあるものだが、月島にかかると一気に潰されてしまう。

「高羽君。この調子でもう一本行こう」
「は、はい」

 再び言葉で冷静になり、隼人は月島から視線を前に戻す。今度は西川へのシャトルだが油断はできない。

(月島さん。もしかしたらダブルスのほうがいいんじゃないか?)

 月島は団体戦ではダブルスを組んでいたが、個人戦もシングルスとダブルスを両方出て、ダブルスでは西川と組んで県三位まで進んでいた。西川とのダブルスとしての完成度がどれくらいなのか分からなかったが、冬の選抜では別のパートナーと組むことになる。そのパートナーも、今、自分が感じている安心感を得るのかもしれない。

(安心、か)

 安心という言葉で再生される映像。
 隼人は試合中に余計な事を考えまいと頭を軽く振ってイメージを霧散させる。更に自ら吹き飛ばすように「一本!」と叫んでショートサーブを打った。少し浮いた軌道だったが、西川はシャトルを軽くプッシュしただけで威力はなかった。前に出た隼人には打つ余裕がないため今回は自然と月島に任せる形になる。
 パターン的に後ろに飛ばすか前に打つか。どちらにせよ、隼人は左側に場所を取っているために、そのまま後ろに下がると言外にアピールした。後ろが見えない前衛プレイヤーを正として、後ろは動く。シャトルが乾いた音を立てるのを聞いて、隼人はすぐ後ろへ下がる。隼人の隣を月島が切り裂くように駆けて行き、前衛につく。隼人はコートの中央より少し後ろに下がったところで腰を落とす。

(この安心感は、やっぱり『エース』だからなんだろうな)

 月島奏。
 栄水第一高校女子バドミントン部の二年生エース。三年生がインターハイを終えて引退したことで名実ともに女子バドミントン部の顔となった。部活内で主要なポストに就くということは聞いていない。後輩や部のことは他に任せて、バドミントンに打ち込めるようにと今の二年生が話し合って決めたという。
 月島もまた、自分をバドミントン部のエースだと自覚した上で行動しているように隼人には見えた。

(でも、俺も……エースにならないと)

 そう思った時、隼人のラケットが振られる。シャトルが月島の防御を抜けて後ろに飛んできた所を狙って振り抜いたが、甲高い音を立ててシャトルは真上に上り、真下へ落ちて行った。シャトルが自分の足元まで落ちたところで、隼人はゆっくりとラケットで拾い上げる。

「す、すみません」
「仕方がないよ。さ、ストップしよう」

 月島に頷いて、隼人はシャトルを相手に渡す。だが、意識は上の空で体を覆う違和感にどこか納得できなかった。

(また、目測がずれた?)

 試合中に何度か、シャトルを打とうとして失敗する場面があった。自分ではシャトルの軌道を読んで目測も問題ないと判断した上でラケットを振っているのだが、結果的にミスしてしまい得点を献上している。自分が足を引っ張っていると考えた原因。練習試合が終わった後に初めて打つが、試合の疲れが残っているというわけでもない。

(いつもの自分なら……ミスはしないだろう。つまり、俺は今、いつもの状態じゃないってことか)

 状況分析は普段とあまり変わらない。ただ、体調が日々左右されるなどあり得る話だ。そのたびに「調子が良かった頃」を基準にして現状に対応できなければ意味がない。隼人は小さく呟きながら頭の中を整理していく。自分に起こっている変化が何で、どうすればいいのか。

「一本!」

 考えがまとまる前に真樹矢からのシャトルが飛ぶ。力を込めてスマッシュを放つと、速度は十分だったがコースが良くなかった。シャトルはラインぎりぎりではあるが外側に着弾し、真比呂がアウトと声を上げる。

「すみません!」

 月島に大丈夫、と言われる前に謝る。緊張はほぐれているはずなのにコントロールがいつもより定まらない。体調が悪いということもない。ならば、月島と組んでいることが緊張するのか。それも、ありえない。メインで組んでいるのが賢斗であるため、ローテーションも自分のペースで運んでいける。

(駄目だ。結局、原因が分からない)

 隼人は重くなる頭に手をやりながら、考えることを止めた。
 その後、隼人たちにサーブ権が戻らないまま逆転を許して、そのまま真樹矢と西川のペアに軍配が上がった。握手をして隼人を見た真樹矢は満面の笑みで口にする。

「いや、強かった。俺の弟、強くしてやってくれ」
「は、はい。俺ができるだけ」

 満面の笑みが真比呂と被っていると分かるとやはり兄弟と思える。合わせて笑う隼人だったが、心の中は晴れなかった。
 練習試合に続けてまた負けてしまった自分。上手く動かない体に抗議するように左手で軽く腰を叩く。

(やっぱり疲れてるんだよ。だから、気にするな。今日は、休むんだ)

 自分に言い聞かせて隼人はコートから離れる。その背中を心配そうに見つめる月島の視線には気づかなかった。
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