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● SkyDrive! --- 第五十六話 ●

 隼人と月島の試合は、月島の勝ちで終わった。月島が放った最後のドロップはネットを通り過ぎてから急角度で落ちて行き、を隼人は取ることができなかった。隼人が片膝をついて伸ばしたラケットを床にぶつけてしまうのを見て、真比呂は月島の力を改めて思い知る。部内の練習試合で隼人と月島が試合をして、その時は隼人が勝った。だが、それはあくまでその時だけの、運が良かったことなのだと思うとほっとする。隼人が勝てなければ男子バドミントン部はもう少し本格始動が遅れただろうから。

「お疲れさんー」

 真比呂は戻ってくる隼人へと声をかけた。だが、表情を見て真比呂の中に違和感が生まれる。隼人は悔しそうにぶつぶつと何かを呟いて、全く周囲が見えていない。足取りはまっすぐだったが、やがて視界に真比呂の足が見えて我に返ったように視線を真比呂の顔へと向けた。

「あ、ああ……。疲れたよ。さすが先輩だ」
「隼人がこの前勝てたのはまぐれだったな」
「それは百も承知だよ。百回やれば九十回は負ける。残り十回のうち一つを練習試合にもってこれればよかったんだからな」

 受けた違和感を横に置いて真比呂が話かけると、隼人はいつものように現状を分析してあっさりと真比呂に告げた。それは普段と変わらないの隼人に見えたが、真比呂は心に小さな棘が刺さったように思えた。

(何か分からんけど……隼人も本調子じゃないのかもしれないな)

 思いだすのは一つしかなく、白泉学園高校との練習試合のこと。口を開こうとした真比呂だったが、その前に真樹矢の言葉によって場の空気が流れた。

「じゃあ、次はミックスダブルスやらないか?」
「ミックスダブルス?」

 真樹矢の言葉に始めに口を開いたのは月島だった。真比呂は言葉の意味がピンとこないため、周りに説明を求めるようにきょろきょろと視線を動かす。真比呂の視線に唯一反応したのは隼人で、ため息交じりに真比呂へ教えた。

「ミックスダブルスってのは、男女混合でダブルスすることだよ。高校では公式な試合はないけど、社会人の大会とかだとある」
「はー。なるほどな。で、やっぱり兄貴と西川さんか? じゃあ月島先輩は俺――」

 月島とは自分かと言いかけた真比呂の口を塞ぐのは、真樹矢の言葉だった。

「俺と西川。月島と高羽でやろう」
「……兄貴ぃい!」

 真比呂は抗議の声を真樹矢に向けるが、意にも介さずに真樹矢はコートへと足を向けた。同時に三人もコートに向かっていくことで真比呂は一人で後ろをついていくことになる。

「当たり前だろ。元々この四人でバドミントンするつもりだったのにお前が来たんだから。それに、まだお前じゃ俺らとまともな試合はできないだろ」
「ぐぐ……そりゃそうだ……」

 兄弟だからと言って遠慮がない真樹矢の言葉。そして、事実だけに特に反論もない真比呂。それでも真樹矢は寂しそうな真比呂に気を使ったのか、ふっと頬を緩めて言葉を続ける。

「だから、審判やってくれよ」
「審判……分かったよ」

 表面はしぶしぶと従うものの、真比呂に異論はない。初心者は経験者の邪魔はするべきではなく、やることは一日でも早く邪魔にならないように力を上げること。つまりは練習することだ。ならば経験者の動きを見ることはプラスになるはずと気を取り直す。
 真比呂より先に歩いていた四人がコートに入る。真樹矢の提案に異論はなかったのか隼人と月島、真樹矢と西川という組み合わせでネットを挟んで向かいあう。真比呂はネットを張っているポールの前に立ち、二組を視界に収めた。

(この二組なら凄く上手そうだな……純と理貴とやったらどっちが勝つだろう)

 自分が今まで見たことがあるダブルスは、賢斗と隼人。そして純と理貴のペアだ。特に純と理貴は部内でも女子に勝ち、練習試合でも勝った。彼ら以上に強いダブルスは存在するのだろうが、真比呂にはまだ想像できない。その意味では、目の前の二組は可能性を見せてくれそうだった。

「真比呂。審判はできるよな」
「兄貴。俺ももう試合を二回やってるんだぜ。分かるよ」

 自信満々に答える真比呂に笑みを浮かべて頷くと、真樹矢はシャトルを一度真比呂に渡した。そして前に一歩出て手をネットの上に掲げる。相手のファーストサーバーとして隼人が前に出てじゃんけんをすると、隼人が勝った。サーブ権を取った隼人にシャトルを投げて、真樹矢にコートはどうするかと尋ねる。それだけで「分かってるじゃないか」と満足そうに頷く兄に照れて、ぶっきらぼうな口調で返した。

「そこでいいんだな。えーと、あと。一ゲームでいいんだろ?」
「ああ。それでいいよ」
「じゃあ、ラブオールプレイ!」

 真比呂のコールに四人が「お願いします」と口にして頭を下げる。次に隼人はバックハンドでサーブ姿勢を取り、真樹矢に向けてすぐシャトルを打った。次の瞬間、隼人の動きは真比呂の知っている知識から外れていた。

(あれ……)

 隼人はショートサーブを打った後ですぐに後ろへと下がった。逆に後ろにいた月島が前衛へと出る。真樹矢はロブを上げて後ろに下がったが、西川はサイドバイサイドの陣形を取るために横に広がるわけではなく、前に出た。ちょうど月島と向かい合うように。

(ローテーションが、知ってるのと違う?)

 真比呂がようやく体にも馴染んできたローテーションは、基本的にロブを上げればサイドに広がり、スマッシュを打てば前後になる。よりシンプルに考えれば、相手の攻撃には横の陣形になり、攻撃する時は縦になる。だが、今、目の前で繰り広げられているのは両方とも前後の陣形で向かいあうダブルスペアの姿。シャトルを上げられた側である隼人は、シャトルに追いついて当然スマッシュを放つ。狙うのはスペースが空いている両サイドのどちらか。真比呂でも迷うことなく打つだろう。そのシャトルを、西川は全く取る気配がなく見逃し、後ろにいた真樹矢がラケットを伸ばしてインターセプトする。
 ネット前へと返ってきたシャトルに反応したのは月島だった。
 月島はラケットを立ててシャトルに触れさせるだけでネットに落とす。西川は前に詰めたがネットギリギリを落ちて行くシャトルに触れることができず、コートに落ちるまで見送るしかなかった。
 シャトルが転がってから少しして、真樹矢が真比呂へと「カウントは」と問いかけたことで真比呂も硬直が解けた。

「ぽ、ポイント。ワンラブ(1対0)。なあ、ちょっと聞いていいか?」
「なんだ、井波」

 定位置に戻ろうとした隼人へと真比呂は問いかける。試合がちょうど中断したところとはいえ、隼人以外の三人も真比呂がなんのために問いかけているのか分かっていない。多少の居心地の悪さを真比呂は感じたが、自分なりに納得したくて続きを口にする。

「なんか俺が教えてもらったローテーションと違う気がするんだが、どういうことだ?」
「あー。それはな」
「ミックスダブルスは基本的にローテーションをしないのよ」

 隼人が説明をする前に、月島が口を開いていた。解説をするとは考えていなかった隼人は真比呂から月島に視線を移す。
 当の本人は隼人を一瞥してウィンクしてから真比呂へと説明を開始した。

「ミックスダブルスは女子が前衛に入るトップアンドバックの陣形で固定して試合をするの」
「ど、どうしてですか?」

 真比呂の問いにはどうして月島が答えるのかということも含まれていたが、次に続けたのは月島ではなかった。

「一つは男女の攻撃力の差の不利をなくすためね」

 視界の外から西川の声が聞こえてきて、真比呂は慌てて視線を向ける。自分のほうに視線を急に向けられて西川は一瞬驚いたようだが、口を再度開く。

「男子のスマッシュはやっぱり強いから、女子だと取れないことが多いの。だから男子はできるだけ後ろにいてスマッシュやドライブとか打てた方がいい。それで、自然とトップアンドバックで固定になるのよ」
「その分、男子の守備範囲は広くなるわけだがな。ミックスダブルスはいかにシャトルを上げないようにするか。できるだけ男子にシャトルを触れさせないようにするかっていう戦略があるわけだ」

 最後に真樹矢がフォローして話は終わり、真比呂は素直に頭を下げて「ありがとう」と口にしていた。

「隼人にだけ聞いたのに……みんな、なんで」

 疑問点を口にすると四人は首をかしげて同時に真比呂を見る。

「だって、初心者なんだから教えるのは当たり前だろ」

 代表した形で隼人が言ったが、他の三人も同意して試合を再開する。真比呂は一度咳払いをしてから試合を再開させ、シャトルの行方を追った。心の中に生まれる暖かいものに、自然と笑みがこぼれる。

(こういうの……いいな……)

 暖まり、緩んだ心から過去が噴きだした。

 * * *

 コートを駆け抜けて視線を背後に向けると、自分に向かって一直線に向かって来るバスケットボールが見えた。自分の頭よりも数段高い位置へと飛んでいくボールを真比呂は飛んでから両手で掴み、そのままゴールへとレイアップシュートで入れる。着地で踏ん張ってからガッツポーズをすると仲間たちも自分に「ナイスショット」と笑っていた。

「ナイッシュー、真比呂」
「そろそろダンクできんじゃね?」
「今年は全国行けそうだな」

 真比呂がいたバスケ部は毎年全国大会に出ているような強豪ではなかったが、県内では安定して強かった。入学当初から真比呂のバスケットプレイヤーとしての力が強かったこともあるが、真比呂に引っ張られるように周りも実力が上がったことにもよる。
 今年こそは全国を狙える。そんな期待に部内のモチベーションも上がり、雰囲気が良くなっていく。
 だが、真比呂は、どこかしっくりこないものを抱えていた。

「井波は少し熱すぎるからなー。もう少し楽でもいいんじゃね?」
「そうそ。別にプロになるってわけでもないんだし。精一杯青春として打ち込めばさ」

 いつも井波はそう言われて肩を叩かれていた。力が入りすぎているからリラックスしろということだとは分かっている。真比呂自身も、少し熱くなりすぎる傾向があるのは理解していた。
 相手とワンオンワンになった時も、気迫で相手をかわす。
 練習で疲れて倒れそうになる時ほど「もうひと頑張りだ!」と自分を鼓舞する。
 青春に汗を捧げるなどと考えたことはなかった。ただ、目の前のバスケットボールに対して、全力を注ごうと考えていただけ。その上での行動に、ほんの少しだが周りの部員との間に溝ができた。それは意識せずともすんなりと跨げるくらいの溝ではあるが、不意に躓いて倒れそうになる。自分が倒れる時は支えるが、誰か他の友達が倒れそうになった時、真比呂は自分でその溝を消した。

(全力ってのも、人それぞれだからな)

 自分の全力に他の人がついていけないのは困る。バスケットボールはチームプレイであり、周りと息を合わせなければいけない。
 だからこそ自分だけが突出しているのならば全員を引っ張ると同時に自分を抑えないといけないと、真比呂は自分を少しだけ封印し、発言も控えた。
 不真面目なわけでもない。
 ただ、真比呂の熱量が少しだけ大きかっただけ。
 結局、真比呂たちが中学三年生の夏に全国大会に出場したものの、一回戦で彼らの夏は終わった。
 全国大会で敗退が決まり、真比呂は涙を流した。部員たちも泣いていた。努力の結果、全国まで出られて、それが一回戦で途絶えた。これまでの自分たちへの労いと、続かなかった先への悔しさが混ざった涙。
 それでも、真比呂は思ったのだ。

『もう少し、自分が抑えずに、もっと自分が皆を引っ張り上げればなんとかなったのではないか』
『一回戦より上に行けたのではないか』

 たった一人では変わらないと分かっていても、真比呂はどうしても思ってしまう。
 そして、真比呂はバスケットボールから、というよりも集団競技から離れることにしたのだ。
 漫画やアニメの熱血馬鹿のように、他者に自分の熱気を押しつけて、そのまま感化させられるような人間ならば良かったのだが、真比呂自身は自分が暑苦しいとしても、他者に押し付けようとはしなかった。
 自分が熱いのは邪魔させない。ただし、相手にも押しつけない。
 特にそのことでいじめを受けたということはなく、単純に集団スポーツを経験していく中で理解していた。
 自分の性格では、同じような熱気を持つメンバーが五人集まらなければバスケットボールはできない。他の集団スポーツもそうだろう。
 ならば、高校は違うスポーツにしようと真比呂は考えた。
 それでも、団体戦も好きで全員で勝ちあがる高揚感を得たいと思った。
 春休みの間にそうした条件をどうクリアするかと考えた真比呂は、兄が選んだバドミントンへとたどり着く。
 バドミントンならば基本的に個人戦だ。自分がいるコートで、自分が思う存分やる気を出せる。団体戦も個人戦の積み重ねで、チームワークを乱すということはないだろう。何しろ、シングルスならば一人が、ダブルスならばそのペアの熱量が保たれていればいいのだから。
 そして真比呂はバドミントン部に入ろうと決めて、春休みを終えた。誤算だったのは、高校はバドミントン部が休部していたということ。バスケットやバレー、サッカーなどと同等で、どこの学校にもバドミントン部はあるだろうと考えていたために調べることもしなかった。知識ではバドミントンはマイナーだと分かっていても、自分の兄がバドミントンをしているということで実感がなかったのだ。

(まさかバドミントン部自体がないなんてなぁ)

 どうしようかと思いながら、女子部の見学だけでもしようと体育館に足を運び、真比呂は出会った。
 月島奏と高羽隼人に。
 ジャンルは違えどスポーツをしている真比呂にとって、月島のフォームの美しさは胸に突き刺さる。ちょうどよく鍛えられた筋肉からくる安定した型。それだけでも尊敬に値するのに、綺麗な顔立ちに一目ぼれだと公言できる自信はあった。女子としてだけではなくスポーツ選手としても尊敬できる。
 傍で、バドミントンをしていたい。
 そう考えたところで、男子バドミントン部を作ろうという構想は得た。あと必要なのは実行する力。初心者である自分が集めようとしても誰も見向きもしないだろう。経験者で、バドミントン部を作るのに協力してもらう人間が必要だった。
 だからこそ、自分と同じように月島に見惚れている隼人の姿が目に入ったのかもしれなかった。
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