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● SkyDrive! --- 第五十五話 ●

『おぉおおお!』

 叫び声と同時にラケットを振り切る。
 ラケットがシャトルを掴む感覚が、グリップを通して左手に伝わってくれば後は最後まで振り切って前に飛ばすだけ。
 スマッシュを打つ時の感覚はバスケットボールでのゴールにボールが入った瞬間に得るものに似ていた。バスケットボールはダンクシュート以外は基本的に手から離れたボールがゴールへと放物線を描いて入る。入った瞬間に網にぶつかって鳴る音が全身の細胞を震えるほど興奮させる。その興奮に近いものか、それ以上のものが威力あるスマッシュを打った時に体の内側から湧き上がってくる。
 だから真比呂はスマッシュが好きだ。自分の中にある熱い思いを沸き立たせてくれるスマッシュが。
 打ち放ったシャトルが相手のコートに着弾し、21点目をゲットする。そして告げられる試合終了。そして。

「やったぞおらああ!」

 勢いよく起き上がったところで、真比呂は自分が夢から覚めたのだと自覚する。
 ラケットを持っているかのように掲げた左手を見てからゆっくりと下ろし、次に周りを見回す。見えたのは暑さのために開けておいた窓。涼しい風が入ってきて開けた目的は達しているが、念のためにと腹にかけておいたタオルケットは床に落ちていたことから夜は暑かったのかもしれない。
 机の横に置いたラケットバッグからは昨日着ていたシャツがはみ出したままで、まだ洗濯していないシャツから漂う酸っぱい臭いがやってきている。

(早く洗わないと……臭くて捨てることになるな)

 ベッドからゆっくりと起き上がってラケットバッグに向かっていく。傍まできてシャツを手に取ると、昨日の記憶が鮮明に蘇ってきた。
 初めての対外試合。
 初めての他校の生徒との試合。
 そして、初めての勝利。
 更には団体戦としても勝利となった。
 休止していた部を復活させた上で、デビュー戦の勝利。ここまで順調に進むとは。

「俺、明日死ぬんじゃないか?」

 自分でも馬鹿なことをと考えるが、世の中の幸運は総量が決まっているので自分が幸運な分だけ誰かが不幸になるというのを聞いたことがあるようなないような。どこが出典かをしばらく考えていたが、思いつかずに止める。

「もしそうなら、今回あおりを食ったのは、隼人か」

 四勝一敗。唯一の負けは最終試合の隼人だった。
 第三シングルスで二時間を超える死闘の末の負け。相手の方は泣いていて、どちらが勝者なのか分からない。握手をした時に何かを話していたようだが真比呂には聞こえず、その後に隼人からも聞くことはなかった。
 白泉学園高校を出てから帰る前にファーストフードに寄って軽くミーティングをした時も、隼人は勝利したことについて喜んでいた。今回の結果について谷口から初勝利についてよくやった旨を告げられた時、皆と同様に笑みを見せているのを見て真比呂もほっとした。結成されたばかりのチーム、勝利を知らなかったチームが勝利を経験することの効果はバスケをしていた真比呂も分かる。代替わりで新チームとなったすぐ後の試合は実は一番大事で、今まで旧チームで勝っていたメンバーが入っていたとしても、新しいチームでの一勝は重要だった。今回は新チームでの勝利という点は達成でき、更に賢斗や真比呂といった初心者も勝利できた。出来すぎの結果と言える。

(そうなんだけど、やっぱりもやっとするな。隼人が負けちまったから)

 そこまで考えて、真比呂は思考を止めた。過ぎてしまったことは仕方がないと真比呂は思考を区切り、食事をしようと部屋を出ようとする。時計を見ると時刻は午前十一時。時間的に昼食だと自分の言い聞かせて扉を開ける。
 そして、自分とほぼ同じ体格の人間にぶつかった。

「痛!?」
「おお、起きてたのか」

 急な痛みに瞼を閉じていても、声の主は過ぎに分かった。しばらく聞いていなかった自分と似た声。落ち着くことができた声。瞼を開いて相手の顔を見てから、反射的に呟いていた。

「兄貴……」
「よ。ただいま」

 井波真樹矢。越境入学で家にいないはずの兄が、目の前に立っていた。
 真比呂は自分の頬を一度つねってみて、痛さに涙が浮かばせる。その様子に笑った真樹矢は真比呂の頭頂部を軽く二回叩いた。幼い時からやられている仕草が懐かしく、真比呂は改めて兄に言う。

「おかえり、兄貴」
「おう。ただいま」

 入口から離れて階下に降りる真樹矢について行く。階段を一歩ずつ下りて行く間にも真比呂は聞きたいことを矢継ぎ早に聞いていく。真樹矢も一つ一つ的確に答えていった。

「いつ帰ってきたんだ?」
「昨日の夜遅く」
「いつまでいるんだ?」
「一週間だな」
「もう菜月さんとは会ったか?」
「昨日の夜帰ったばかりだって言ったろ」

 真比呂には、最後の答えだけ一瞬言いよどんだことが分かる。テキパキと答える癖のある真樹矢だからこそ目立つ一瞬の隙。中学時代から付き合い始めた一つ上の彼女である西川菜月。栄水第一高校の女子バドミントン部元部長のこと。
 真比呂もまさか西川が栄水第一に入っていたとは知らず、女子部との団体戦で久しぶりに会った。インターハイも終わり、部活を引退して今は受験勉強をしているはずだ。

「今日、これから会う約束はしてるけどな」
「いいね、ラブラブだなー。羨ましい」

 素直に言う真比呂に照れる真樹矢。いい反応を返す兄がやはり好きだと真比呂は思う。昔から仲が良い兄弟というのは他人から言われなくても思っていた。互いのマイナス面を補ったり、恋路を応援していた。
 西川と付き合おうとした時も、相手は一つ上で別の学校にいた。中学卒業後の進路も、西川に合わせて神奈川県内のところにいくかどうか迷っていた真樹矢に対して、背中を押したのは真比呂だ。真樹矢の中で何が一番大事か振り返って、それに従うようにと。
 結果的に真樹矢は富山の強豪校に行ってしまい二人は離れてしまったのだが、それでもたまに帰ってきては仲睦まじくデートを重ねていた。

「兄貴は真面目だからな。大丈夫だろ」
「そうだなぁ。真比呂も誰かいないのかよ」
「いるけど少し脈は薄い」

 いつしか真樹矢も真比呂も足を止めて話している。階段を降りて居間に入る直前で。いくら家族とはいえ聞かれたくない会話もある。そもそも廊下でするなという話かもしれないが、そのあたりは二人とも割り切っていた。

「それよりも、今はまず上手くなりたいんだ。バドミントン」
「そっか。真比呂がバドミントン好きになるのは嬉しいけど」

 真樹矢はそれまでの和やかな雰囲気に少しだけ緊張を混ぜ、一度言葉を切ってから言う。

「なんで、バスケ辞めたんだ?」
「いろいろやってみたいからだよ」

 真樹矢に対して、真比呂はあっさりと告げる。そのまま真樹矢を追い越して居間に入った。背中に向けられる視線を感じながらも真比呂は気にしないように努める。

(ほんとだよ。もう少し、本格的にやりたかったからさ)

 声に出さずに繰り返してみて、自然と流れる言葉。それは本当の言葉だ。心からそう思っているからこそ、歪まないのだ。
 自分にそう言い聞かせること自体おかしいことだが、真比呂は喉の奥に飲み込んで、真樹矢との会話を終わらせる。食事を食べに起きた真比呂と違って、真樹矢はこれから出かけるところだったのだろう。居間に入ると目に飛び込んできたのはラケットバッグだ。中学時代から使っている少し古い型で、今の真樹矢ならば新しいものを買えるだろうと思って眺めていると、視線に気づいたのか真樹矢は苦笑して答える。

「いろいろと。思い出深いんだよ。このラケットバッグ」
「そういうもん?」
「そういうもんだよ。できれば、お前も何かにそんな思いを持ってほしいがな」

 真樹矢は言って、ラケットバッグを背負う。どこにいくのかと尋ねると、これから西川とバドミントンをしに行くと回答が返ってきた。オフの時期までバドミントンかと呆れた真比呂だったが、真樹矢の次の言葉に納得した。

「バドミントンやらないと、会話のきっかけがないんだよ」

 真樹矢は自分の言葉に呆れながら居間を去り、玄関の扉を開けて出て行った。外に面した窓から姿が見えて、自転車に乗ってかけていく。ペダルをこぐ先には西川がいるのだろう。二人でバドミントンをしている姿を想像して、真比呂は素直に嬉しくなった。

「俺もバドミントンしてぇな」

 初勝利をした感覚を忘れないうちにシャトルを打ちたい。そう思うといても立ってもいられなくなり、昼食を食べるのを止めて部屋へと駆け上った。机の上に置いてあった携帯電話を取りあげて隼人へと電話をかける。
 数度コールしても出る気配がなかったが、黙って鳴らし続ける。
 そして、電話が取られた。

「お、ようやく出たな、はや――」
『高羽君は今、ネットを張ってます』
「……ど、どちらさまで?」

 隼人の電話に出る女性の声。知らない声かと思ったが、どこかで聞き覚えのある声だった。少し記憶を遡っただけで正体にたどり着く。本来ならばすぐに辿り着くはずだったのに思い出せなかったのは、組み合わせが全く考えていないものだったからだ。

「え、あの。なんで隼人の携帯を取ってるんですか? 西川さ――先輩」
『無理して言い直さなくていいわよ。真比呂君』

 真比呂の言葉を肯定するように自分の正体を言わずに明かしてくる西川。真比呂は更に混乱していた。たった今、兄の真樹矢が西川に会いに出かけたばかりなのだ。その相手がほぼ関係ない隼人の電話に出るのだから意味が分からない。

「えーと。なんでです?」

 もう一度同じ質問をしてしまう真比呂に苦笑しながら西川は言った。

『なんでって。高羽君と真樹矢君と、月島と私でバドミントンしにきてるのよ』
「今、行きます」

 即座に電話を切って、まず真比呂はシャワーを浴びに再度階下へと向かった。

 * * *

「お前は、なんで、こんな、一、大イベ、ントを、言わな……いんだ!」
「そんな怒られても、なぁ」

 息を切らせたままで途切れ途切れに言う真比呂に呆れた顔で隼人が言葉を返す。シャワーを浴びて外に出られる状況を整えてから、自転車を全力でこいでスポーツセンターへとたどり着いた。受付で西川菜月の名前を見つけてから急行し、フロアに入って打ち合っている四人を見つけると足が折れそうになるまで走って辿り着いた。時間は三十分ほど過ぎているだけ。四人とも基礎打ちを終えてこれから試合をするかという雰囲気だった。
 真比呂は息が整うまでしばらく黙ったまま座っていた。そこに真樹矢がスポーツドリンクを買ってきて手に持たせる。頭の動きだけで礼を言うと、真比呂は一気にペットボトルの中身を飲みほした。

「――ぷっはぁ! 少し生き返った!」
「人騒がせな」

 真樹矢はため息をついてから、隼人と月島へ言った。

「俺と菜月は後でいいや。二人でまずシングルスやっててよ」
「西川先輩と仲良くやってなよ」
「ほっとけ」

 月島が笑顔で茶化すと、真樹矢は照れくさそうに言う。その穏やかな雰囲気にまた真比呂は悔しい気持ちになるが、すぐに二人は同学年だったと思いだした。

「そっか。兄貴って月島さんと同い年か」
「そりゃそうだろ」

 何を言ってるんだという顔をしながら隣に座る真樹矢に、真比呂は頭を下げてから言う。

「兄貴は西川先輩と話してろよ。久々に会ってるんだし」
「そうしたいところなんだけど、あそこに行っちゃってるんだ」

 真樹矢の指差した先には、月島と隼人の試合を審判している西川の姿があった。真比呂もその行動は理解できずに頭をがくりと落とすが、すぐに意味を悟る。二人の試合が始まり、休日の市民体育館には似つかわしくないシャトルの応酬が繰り広げられる。

「へぇ。二人とも、上手いな」

 一つ下の男子の隼人と、同い年の月島。二人のプレイに真樹矢は眺めるというよりも監視しているようだった。実績からすれば二人よりも上である真樹矢が感心するのだから、やはり凄いのだろうと真比呂は単純に二人の実力の高さを信じる。
 隼人が打ったドロップを打ち上げた月島は後ろに下がろうとして足を止める。その動きを見たからか、隼人はドリブンクリアで後ろへと飛ばした。急加速して追いかけて行った月島は低い軌道でストレートに打ち返す。隼人はバックハンドでインターセプトして前に落としたが、完全に読んでいたのか月島がクロスヘアピンを見事に決めていた。
 見事な打ち回しに感嘆の息が漏れる。

「月島はなんで全国で有名じゃないんだって感じだよな」
「そうなんだよ。月島さんはほんと凄いんだ!」

 本人に聞こえるかもしれない大声で言う真比呂。しかし、日ごろそういった話題で盛り上がれる相手がいないために、話題ができそうな真樹矢が魅力的に映った。実際に真比呂の発言を肯定した上で真樹矢は言う。

「多分、試合に入ると調子が崩れるタイプなのかもな。あるいは集中力が切れるとか」
「そういうところ、あるとしたらどうしたら治るんだ?」

 真樹矢の言っていることが本当であればどうにかしてあげたい。そう思った真比呂は頭を下げる。

「頭下げるなって。俺にも分からんさ」

 真樹矢の言葉に残念に思いながら頭を上げる真比呂。だが、真樹矢は視線を隼人の方へと向けていた。

「でも、あの高羽だっけ。あいつは何とかしようとしてるみたいだな」

 真樹矢の言葉の意味が分からずに真比呂は隼人の方を見る。隼人はエースを決められそうなシャトルでも、ヘアピンやハイクリアできついところに打っていた。月島は方々に飛ばされるシャトルを必死になって追いついて、打ち返していた。隼人が遊んでいるのかと思ったがそうではない。隼人の表情は真剣そのもので針の穴にシャトルを通すかの如く気合いを入れていた。

「月島は余裕がなくなると、攻めが単調になったり集中力が切れやすいみたいだな。ある程度強いプレイヤーにはあったりするみたいだぜ」
「どんな様子になるんだ?」
「諦め癖がつくというか。競り合いをして勝てる気がしなくて、諦めるってことさ。もうあと半歩伸ばしていれば届いたかもしれないのに」
「強いからこその理由、か」

 真比呂にも経験があるために真樹矢が言っていることは分かった。初心者で最初は六人の中で一番お荷物だった。基礎打ちも空振りの日々が続き、悔しい思いをしてきた。
 しかし悔しさの中から這い上がることで、下手なりに勝てるようになるところまで辿り着いた。それは周りの自分より強い仲間達のおかげ。
 だが、月島には自分と同じくらいの相手がいない。あの西川も劣るのだろう。

「勝つか負けるか分からない相手とギリギリの戦いをしていけば、きっと飛躍的に上がると思うぞ。あの高羽も」
「隼人は強いからな」
「お前、あいつに勝てよ。仲間だろ?」

 おう、と頷くだけにする。隼人は初めての仲間であり、おそらくは同じ志で部活を立ち上げたパートナーだ。だからこそ最も信頼しているし、いつまでも目標なのだ。

「あの高羽も。中学時代になんで出てこなかったってやつだな」

 真樹矢のため息交じりの声にただ頷くだけの二人。
 そのまましばらく隼人と月島の試合を眺め続けた。
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