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● SkyDrive! --- 第五十四話 ●

 互いのシャトルが何度もコートを往復する。ハイクリアとドリブンクリアを打ち分けつつ、お互いに隙が生まれるのを待つ。
 最初にバランスを崩したのは隼人。三鷹が生まれたスペースに向かってスマッシュを叩きこむが、自分が作り出した隙を理解していた隼人はスペースにラケットを突き出すように鋭く振るった。大きく跳ね返すことはできないまでも、ネット前にギリギリ落とすことは可能。跳ね返ったシャトルの先端がネットの白帯に当たり、シャトルコックを支点にしてくるりと一回転して三鷹側のコートへと落ちて行った。

「ポイント。ナインティーンオール(19対19)」
「しゃあ!」

 隼人は高くラケットを掲げた後、すぐに俯いて両膝に手をついて体重を乗せた。試合が進んでいくと共に重くなる体は重力に逆らうことができなくなってきていた。ワンプレイが終わる度に自分で支えて、少し時間を置かなければ動くことさえできない。疲労に霞む目を三鷹に向けると同じように疲れてはいたが、まだ余裕はあるようだった。
 自分で覚悟して臨んだ長期戦。こうなることは十分予測していた。そして、出来れば今の状態に陥る前に終わらせたかった。

(終わらせる実力がなかった……それだけだ)

 隼人は胸の内から生まれてくる弱い気持ちを切り捨てて、体を起こす。三鷹は隼人が復活したことを見てからシャトルを打って渡してきた。受け取ってから遅れたことを詫びて次のサーブ位置へと移動し、ゆっくりと足元を踏んでから身構えた。

(まだ動く。一回一回気合いの入れ直しは必要でも、動く)

 足は震えていても試合が始まればフットワークの速さは変わらない。三鷹が打ったシャトルに合わせて足は動き、追っていく。上半身も腕が上がらなくなっていても実際にハイクリアやスマッシュを打つ時は上がるし、ドロップは綺麗に弧を描く。あと二点を先にとれば、全てが終わる。

「一本!」

 自らを奮い立たせてシャトルを打ち上げる。コート中央で腰を下ろすと一気に重力がかかったようになり、鉛のように重くなる。歯をくいしばって耐えたが、隙ができてしまい、三鷹は左前方にカットドロップを放ってきた。

(くそ!)

 まるで数キロ単位の重りが足首についているかのような感覚。それでも強引に右足を前に出し、シャトルを追う。前に滑り込んでバックハンドで取りに行く間、隼人は横目で三鷹の動きを確認する。
 三鷹が前に突き進んで隼人のヘアピンに備えようとしているように見えたため、急きょロブを上げようと右手を鋭く上に動かした。

「はっ!」

 自分自身、スマッシュを打つようなイメージで力を込めてシャトルを跳ね上げた。三鷹は前に突き進んでいた状態から足を踏み込んで体を止めた後に後ろに飛ぶように移動する。合間に隼人もまたコート中央に戻って今度は膝は軽く曲げた状態で待った。

(くそ。もう腰を落とせないか)

 腰を深く落とすことの効果は、相手のスマッシュへの目線をできるだけ低くすることだ。人間の眼は水平には強いが上下の落差に対応するのが難しい。距離感が捉えにくいため、できるだけ腰を落として相手のスマッシュへの目線を平行にするのが効果的だった。特にダブルスで効果を発揮する構えだが、シングルスでもある程度必要なもの。あまりに深くし過ぎるとコート奥へと返された時の負担があるため、シングルス時はまだ浅くなる。
 しかし、今の三鷹のスマッシュを隼人が取るためにはダブルスと同レベルの構えが必要だった。
 試合の合間に徐々に深くなるスマッシュには更に追加される。

「はあっ!」

 シャトルを追っていった三鷹が飛びあがり、高い打点からスマッシュを叩きつけてくる。威力も角度も十分な一撃は隼人の立つ場所の目の前に落ちていた。真正面にもかかわらず、隼人は反応できずにラケットを差し出そうとした状態で止まっていた。

「ポイント。トゥエンティマッチポイントナインティーン(20対19)」

 遂にマッチポイント。試合時間は二時間を超えて、応援する者たちも集中力を乱してはいけないと黙りこんでいた。その死闘に終止符を打つための扉に先に手をかけたのは、三鷹。この時ばかりは白泉学園側も歓喜に沸く。ラスト一本! の声の下で三鷹にエールを送る。
 一方の栄水第一側も黙るように言われてフラストレーションがたまっていたのか、真比呂が隼人に向けて怒鳴るように言葉を送った。

「隼人! まず一点取って延長戦だ!」

 真比呂の言葉を中心に据えて周りに純、理貴、賢斗、礼緒。更に亜里菜も寄り添うように声を出す。全員の声を聞くだけで体の内から力が湧いてくる。

(井波のやつ。ルール覚えたからってすぐに使ってきやがって……)

 ついこの前まで得点の数え方も何点ゲームかも分からなかったのに。いまや十分に戦力になるまでに成長した。第一シングルスは負けると思っていたのに、評価を覆して勝った。

(こっちには延長戦を戦う体力なんてないってんだよ)

 シャトルを拾って羽のほころびをなくしてから三鷹に返す。シャトルを受け取る時に三鷹の顔が不思議なものを見たように眉が上がり、首をかしげた。隼人は自分の顔に何か付いているかと触り、頬が上がって微笑んでいたことを知る。不利な状況にも関わらず、笑っている理由は何なのか。

(楽しいから、なんだよな)

 頼もしい仲間たちが後ろにいること。今まで勝ってきた仲間たちの前で無様な試合を見せられない。

「一本だ!」

 延長戦のことは考えない。まずは追いつくこと。追いつけばまだ試合は続き、何とかなるのだ。

「ラスト!」

 隼人とは逆に三鷹は最後の得点ということを強調する。三鷹もまた隼人ほどではないにしろ辛いはずだ。ならば絶対に心は折れないと隼人は誓う。

(最後は気合。勝つまで、負けない!)

 レシーブ姿勢を取ったところですぐに三鷹はシャトルを打ち上げた。ショートサーブを打たれるよりも、高く遠くにしっかりと飛ばされるシャトルのほうが体にかかる負担は大きい。それを知ってか知らずか、終盤に来て今日最高レベルのサーブを三鷹は放っていた。

「うぉおおお!」

 隼人は吼えて両足に力を込める。右手を振りかぶり、足を前に勢いよく出しながらスマッシュを放った。力強く放たれたシャトルは鋭く三鷹の真正面へと突き進む。同時に前に出てヘアピンに対応すると共に、プレッシャーをかけてロブを上げさせることで攻撃の主導権を引きこもうとしていた。

(ここでロブを上げるようなら、このまま攻撃を続けてやる!)

 だが隼人の思惑とは裏腹に、三鷹はネット前にシャトルを落としていた。前に隼人が来ていると分かっているのに、それでもプッシュを打てないようなギリギリのヘアピンを返してくる。

(予想してたけど……な!)

 無理してプッシュをしてネットに触れた瞬間に試合は終わる。だからこそ隼人はラケットを前に出してスピンヘアピンを打った。不規則に回転して落ちて行くシャトル。しかし三鷹は前に出てシャトルに追いつくと、今度はロブをしっかりと上げた。角度がなかったにもかかわらずしっかりと上空へと舞うシャトルはコートの半分以上を越えていく。隼人は動くと共に重くなっていく体を引きずるように移動して、真下で構えた。

「はっ!」

 クロスのドリブンクリア。遠くに打つため時間はあるが、ドリブンクリアで軌道をさげているために、ジャンピンぐスマッシュを打つには高さが足りないはず。

(これからは、ジャンピングスマッシュを封じるのが先決だ。普通のスマッシュなら、取れる)

 普通のスマッシュでもリスクはある。それでもジャンピングスマッシュを封じることは隼人の読み通り効果はある。三鷹はジャンピングスマッシュを放とうしてタイミングが合わなかったためそのままドリブンクリアを放った。ハイクリアより鋭い軌道で隼人自身のところに返ってくるシャトル。隼人はジャンプしないで最も高い場所でシャトルを捉えてストレートに返す。種類は迷うことなくドリブンクリアだ。
 それから互いにドリブンクリアを打ちあう。ストレートとストレート。クロスとクロス。互いに自分の次の一手を打つためのタイミングを計っているのだと、周りにも理解できるほどの攻防。
 そして。隼人の十度目のドリブンクリアがクロスに飛び、三鷹が真下に入った時にそれは起こった。

(――!?)

 コート中央に移動しようとした隼人の足が滑り、バランスを崩す。倒れる前に左手をついて立て直したことで大事には至らなかったが、隼人からすれば致命的な隙。

「はあっ!」

 三鷹もまた隼人の隙を見逃さずにストレートにスマッシュを放った。それまで温存しておいた体力を全て使ったかのように勢いよく、力を込めて。シャトルは鋭くまっすぐに隼人のコートへと落ちて行く。
 コントロールもほぼ完ぺきで、シャトルはシングルスのサイドライン上へと落ちようとしていた。シャトルに追いつかなきゃいけない隼人にとって現状最も遠い場所へとシャトルが落ちる。
 落ちてしまえば、試合は終わる。

(ここだ――!)

 隼人は自分の理想通りの展開に内心喚起しながら、前に飛び出した。
 バランスを崩したのは確かに予想外の出来事。だが、スマッシュでシャトルがサイドのシングルスライン上に落ちて行く軌道は、自分が思い描いた「最高のリターン」を打つには絶好の軌道だった。
 今まで二時間以上試合をしてきた中で、三鷹の打ったシャトルを打ち返したことはもう何十回にも上っただろう。その間に打ちやすいシャトル。打ちづらいシャトルとパターンは分けられていた。隼人も脳内で、どういった角度でどこに打ち込まれ、どういう体勢で打てば上手く返せるのかというのを分析していた。
 その結果は、今、自分のコートに打ち込まれようとしているシャトルの軌道は最もコントロールして打ち返せる軌道に重なった。

(俺ならできる。届けば、制御できる!)

 横へ飛ぶように足を伸ばしながらラケットも腕を伸ばして目一杯届かせようとする。出遅れても飛ぶように動けばきっと間に合う。試合の最中でも完璧な形でシャトルを追えたわけではなく、体勢を崩したところから強引に動いて追いついていたのだから。

「うおおお!」

 自分を奮い立たせて前に体を押し出す。ターボがかかったような感覚があり、前に進む。シャトルが落ちようとしている寸前にラケットを軌道に挟むことに成功した。

「いけ!」

 シャトルを打って力加減を確認する。かかる負荷は今まで通り。シャトルを打ち返すのに、ラケットを離れた時も今まで知った感覚の通り。
 自分にできる最高のリターンを打ち、隼人は次の瞬間に右足を踏み込んで体が流れるのを止めた。隼人が打ったシャトルはスマッシュの勢いを完全に殺した上でネットに向かって進んでいく。三鷹は全力でスマッシュを打ったからか、着地してバランスを崩していつもより前に出るのが遅れていた。隼人の視界に映るシャトルと三鷹の位置関係からすると、おそらく三鷹は間に合わない。このままシャトルが三鷹のコートに入れば、取られることはない。
 隼人の眼にはシャトルの軌道と三鷹の動きはスローモーションに見えていた。自分の動きもまた遅く、自分の感覚が周りを追い越している。

(……まさか)

 はっきりとシャトルと三鷹の動きが見えたことで、隼人は結末が見えた。
 シャトルがネット前まで来たところで、白帯にシャトルコックがぶつかっていた。思い通りのレシーブができたと思っていたのに、少しだけ上への距離が足りなかった。それでもシャトルはシャトルコックを視点に動こうとする。十九点目を取った時のように。
 だが、隼人には結末が見えていた。スローになって動かない体。ただ、結末だけをゆっくりと見せつけられていく。

(……スマッシュ、か)

 シャトルは途中で動きを止め、そのまま隼人のコートへと落ち始める。そこで一気に動きが戻り、三鷹が前に飛び込むと同時にシャトルが隼人のコートへと落ちた。隼人は自分の体を支えた位置から動かずに、シャトルと三鷹をずっと見る。
 傍にきた動かない隼人を、真比呂たちはただ見ているだけ。
 そして時間が流れ出す。

「ポイント。トゥエンティワンナインティーン(21対19)。マッチウォンバイ、三鷹。白泉学園」

 審判が勝者を告げて、相手の監督の城島が吼えた。今まで負け続けただけに一矢報いたことが嬉しくてたまらないといった様子だった。すぐに三鷹に駆け寄ろうとしたのを他の部員に止められる。まずは選手同士で握手をして第三シングルスの試合を終わらせなければならないというのは選手が分かっている。
 三鷹が先にネット前に立つのを見てから、隼人は深く息を吐いてゆっくりと近づいて行く。もう少し速く移動したくても、足腰が限界でふくらはぎもいつ攣るか分からなかったためゆっくり歩くしかなかった。
 亀のような歩みでも、やがてネット前には辿り着く。そこで隼人は三鷹が泣いていることに気づいた。

「お前、なんで泣いてるんだよ」
「……だってよぉ。お前にようやく勝てたんだぜ」
「大袈裟だって」

 隼人から握手のために右手を差し出すと、しっかりと右手で握られる。互いに死力を尽くした後で内側からの熱が放出されている。

「お前に勝ちたいって思ってて。ようやく勝てた……練習試合だろうとなんだろうと。変わんないよ。嬉しさは」
「……そっか。俺は、悔しいよ」
「ほんとか。よっしゃ!」

 悔しいという隼人の気持ちに喜ぶ三鷹。だが、厭味とは思わなかった。練習時代だからといって手を抜いたということではないのだから。それを素直に言いたくなくて、悔しいと言ったことに三鷹もすぐ気付いたのだ。このあたりは中学時代の仲間だけに話しやすい。

「今度は、公式戦で対戦しよう。そこでも、勝つ」
「今度は、俺が挑戦するさ。勝って公式戦では負けたことにならないようにする」

 休めたことで少し回復した体力を使い、握っている右手に力を込める。三鷹も反応して力を込めた。互いに力を込めあった後に話して、後ろに下がる。
 そのまま各チームのメンバーがコート上に並び、向い合う。
 整列したことを確認して、審判役の生徒が言った。

「四対一で、栄水第一高校バドミントン部の勝ちです」
『ありがとうございました!』

 全員が体育館が震えるほどの声で礼を交わす。

 こうして、栄水第一高校バドミントン部の初の他校との試合の幕は閉じた。
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