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● SkyDrive! --- 第四十八話 ●

 胸の内からこみ上げてくる歓喜を押えながら、隼人は真比呂が戻ってくるのを動かずに迎える。汗だくになり、ふらつきながらも堂々と歩いて帰ってきた真比呂は、初勝利の余韻に浸っていて、満面の笑みを浮かべている。

「おっしゃー。やったぞ!」

 真比呂は近くにいた礼緒に体をもたれさせながら、皆へと満面の笑みで伝えた。疲れきっていても笑顔を絶やさない真比呂に全員が呆れつつ、感心しつつ応じる。

「大したやつだよなー、お前」

 純が礼緒と逆側に小走りで駆け寄り、大きな身体を支える。そして礼緒に代わって賢斗が真比呂の腕を取り、自分の肩へとまわした。

「次は、小峰君の番……だよね?」

 賢斗の言葉に礼緒はようやく気づいたように周囲を見回す。その顔には困惑がある。隼人はその意味が分かっていた。
 全五戦のうち三勝すれば団体戦は勝利する。既に二つのダブルスと真比呂のシングルスによって栄水第一の勝利は確定した。ならば、残り二試合をする意味は通常ならばない。
 月島の試合を見ていた谷口がちょうどその場に戻ってきたところに、城島が声をかける。

「あの……谷口先生」
「はい。あ、井波君が勝ったんですね。そうなると栄水第一の――」
「えぇ。団体戦はそちらの勝利ということになります。ですが、折角ですので最後まで試合を続けさせていただきたいのです」

 さっきまでの高圧的な物言いはなりをひそめて低姿勢で谷口へと言う城島。その思惑を想像して隼人は次の言葉を予測する。

(だいたい「お互いの経験にもなると思いますので」ってところだろ。で、一勝でもして留飲を下げるってところか)
「せっかくの新チームですからな。最後まで対戦すれば、お互いに経験にもなりましょう」

 隼人が思い浮かべた言葉通りに城島が言うのを聞いて、隼人は思わず笑みを浮かべてしまう。声が漏れたことで城島の鋭い視線が隼人をい抜き、すぐに居住まいを正す。城島は即座に谷口へと視線を戻して「どうでしょう?」と尋ねた。

「聞いてた通り、あと二試合したいって。どうする? こっちは月島の試合がもう終わったけど」

 視線を女子に向けると、握手をして有宮と笑いあっている月島と、二人を少し離れて見ている亜里菜の姿が見えた。女子の方も試合が終わり、残るのは礼緒と自分のシングルス。時間を考えれば、試合をしなくてもいいだろう。しかし、隼人は口を開いていた。

「やりましょう。小峰もいいよな?」
「ん? いいよ、俺は」
「じゃあやるってことで」

 快諾して頷く礼緒に頷き返して、隼人は谷口達に言う。城島は顔を輝かせて礼を言ってから、さっそく次の試合をするように促した。

「明らかに一矢報いたいって感じだな」

 礼緒と共に壁際に歩いていた隼人は、礼緒の口から心底うんざりしたような言葉が吐かれるのを聞いて乾いた笑いをするしかない。

「いいだろ。せっかくの他校との初試合なんだ。全勝で行こう」
「またプレッシャーだなぁ」

 礼緒は嫌そうに嘆息しつつ、ラケットバッグからラケットを取りだして左手に持つ。そしてグリップの握り具合を確認しながらコートへと向かった。

 ◇ ◆ ◇

(俺がプレッシャーに弱いって分かってるのに言ってくるところがな。さっさと克服しろってことだろうけど)

 隼人の言葉には含みはあったが棘はない。自分でもこのままバドミントンを続けていくのなら絶対に乗り越えなければいけない壁だというのは分かっている。女子部との試合で勝利できたことは一つの自信にはなったが、それだけで恐れが消えるほど浅いトラウマでもない。一歩ずつ確実に進んでいくしかないと分かっているから隼人も軽く言うにとどめているのだろう。

(まずは目の前の勝利、か)

 意識を目の前に向けると、相手コートにも城島に怒鳴られながらも歩いてきた男が一人。お互いにネットの前に出て、握手をする傍まで近づいたところで、相手から声がかかる。

「お前、あの木偶の坊じゃん? まだバドミントンしてたんだ」

 見上げてくる男は握手で掴んだ右手を強く握っていた。体に比例して手も大きい礼緒にとってはそこまで痛くはなかったが、むしろ言葉のほうが胸に突き刺さる。隼人とは違って、含みはなく棘がまんべんなく突き出た言葉だ。

「俺のこと覚えてないか? お前に中学時代、勝ったんだぜ。なんかあっという間にお前負けちゃってさ。自信になったよ。またよろしくな」

 言いたいことを言い終えた後で手を離した相手は、そのままじゃんけんをしてくる。慌てて出した手で負けてしまい、相手はサーブ権を取る。審判がコートをどうするかと聞いてきたところで少し悩んだ末に逆サイドを指名した。
 真比呂に続いて礼緒までコートチェンジ。本当に逆のコートに何か問題があるのかと白泉学園の面々がコートを見たり天井の照明を見たりと慌ただしくなる。その様子を横目に悠然とコートに入り直して、礼緒はレシーブ位置につく。

(何もないさ。井波の真似だ)

 相手がサーブ位置についたところで審判が試合の開始を告げる。

「オンマイライト、龍田。オンマイレフト、小峰。トゥエンティワンポイントスリーゲームマッチ、ラブオールプレイ!」
『お願いします』

 静かに呟いて構えつつ、礼緒はようやく相手の名前を思い出す。龍田という名前に聞き覚えはあった。確かに自分を倒した相手だ。
 中学の間に自分を倒した相手の苗字だけはしっかりと覚えていた。顔はおぼろげだが名前だけはしっかりと。試合中も終わった後も自分の情けなさに相手の顔を見る余裕がなかっただけ。いじめを受けた時に相手の行為を忘れないことと似ていると考えたこともあった。今では不自然な思考ではあったが。

(そうそう。龍田、か)

 高らかに「一本!」と叫んだ龍田は高くシャトルを打ち上げる。ゆっくりと真下に入り、構えた後で礼緒は適度に力を込めた腕を鋭く振りぬいた。
 次の瞬間には、龍田の足元にシャトルが叩き込まれていた。

「……え?」

 シャトルがコートに落ちた音が空気中に霧散したところで、龍田は下に視線を向ける。自分の右足の傍に転がっているシャトルをしばし見つめた後で拾い上げた。

「ポイント。ワンラブ(1対0)」

 審判の声に我を取り戻したかのようにシャトルを打って礼緒へと渡す。受け取った後で再度羽を整えて、構えると静かに口にした。冷静に、威圧感を与えるように。

「一本」

 礼緒の言葉に慌てて身構え、気合を入れる龍田。その様子を見てから、礼緒の視線はコート全体に向かっていた。そして頭の中で戦略を決めるとゆったりとした動作でサーブを打ち上げる。一連の動作はそのなめらかさに反して加速していく。高く遠くに飛ぶシャトルを追って龍田は移動して、真下に移動してから礼緒の位置を確認するとバックハンド側となる右側へとストレートスマッシュを打ち込んできた。

(――遅い)

 ラケットをより前に突き出して、バックハンドで的確にシャトルを捉える。バックハンドはコントロールや力の加減が難しいため相手からも狙われるが、十分に追いついていれば脅威ではない。正確にコントロールされたシャトルはネット前すれすれにふわりと浮かんで落ちていった。前に飛び込んできた龍田は落ちる前にラケットですくうようにしてヘアピンを放つ。礼緒に負けずとも劣らない軌道。逆に厳しいシャトルを打たれた形になる礼緒だったが、前にラケットを出して、手首を一瞬だけぶれさせる。それだけで、シャトルはクロスヘアピンで龍田から離れるような軌道でネット前を通過してコートへと落ちていた。

「ポイント。ツーラブ(2対0)」
「ナイスショット! 礼緒!」

 試合を終えたばかりなのに座って大きな声で応援する真比呂に向けて、礼緒は軽く手を振る。そして龍田にシャトルを拾うのを任せて自分はサーブ位置へと戻った。シャトルをもらうまでの間に思考が回る。

(井波の成長度は凄い。体格的に近い俺が例を見せたら、もっともっと成長するんじゃないか)

 シャトルを返されて、また羽を直してからサーブ姿勢を取る。龍田は舌打ちをしつつ聞こえるように言う。

「なんだよ。もう勝ちが決定だからって楽に試合できるってか? これがたとえば、負けたらチームも負けってところなら緊張して実力だせなくなるんじゃないのか? 前と変わってないんじゃね?」
「一本」

 龍田の言葉に続けて言う。テンションの低さに自分の発言が効いたと思ったのか、龍田は笑顔で「ストップ!」と叫ぶ。しかし、礼緒の頭にあるのはまったく別のこと。
 シャトルを打ち上げ、スマッシュを打ちごろの高さと距離にする。当然サーブミスと思った龍田は前に出て、スマッシュを打ち込んできた。コースを見計らって、礼緒は更に前に出るとバックハンドでネット前でプッシュを打ち返していた。
 スマッシュを打ったはずのシャトルが、逆にプッシュで返ってくる。それもタイムラグはほとんどない。光景の異様さに白泉学園も、栄水第一も静まり返った。
 その中を悠然と歩いてサーブ位置に戻る礼緒。龍田も正気に戻って打ち込まれて転がっているシャトルを拾うと、羽を整えることもせずに手で投げた。

「おっとと」

 前方で倒れそうになりながらもラケットですくい取り、羽を整えてからサーブ姿勢を取る。さっきまでとは異なり、明らかに顔は焦りの表情があった。

(あいつの言うとおりだろうから、別に腹は立たないんだよな)

 気が弱く、逃げていた自分。実力が出せなかった自分は、たった数か月前の自分だ。今のように勝っても負けてもいいという試合ならば気楽になり、実力が出せる。しかし、チームの勝利がかかった試合なら、緊張して体が動かなくなり、負けていた。本質はそう簡単には変わらないと礼緒は思う。
 ひとりの人間が培ってきた人格がたった数カ月で改善されるわけもなく、大舞台やプレッシャーのかかる場面で緊張してしまうのは変わらない。体格があっても、技術があっても、引き出すための精神力がないならば意味がない。
 そう思っているからこそ、礼緒は笑う。

「一本」

 礼緒の笑みを馬鹿にされていると判断したのか、龍田は顔を怒りに染める。高く打ち上げたシャトルの下に入ると、怒号と共にスマッシュをストレートに打ち込んできた。今までよりも良いスポットに当たったのか、速度は増している。それでも、礼緒には軌跡が見えて、ラケットを軌道上に乗せると今度は勢いよく打ち返した。

「――!」

 渾身のスマッシュを軽々と打ち返されたことにも動じずに、龍田はシャトルを追う。今度は弾道が低く、スマッシュができる状況ではなかったため、ドライブ気味にネットと平行になるようにドライブを打った。礼緒は前に出るとシャトルを丁寧に、包み込むような柔らかさで触るとヘアピンで返し、落としていた。

「ポイント。スリーラブ(3対0)」

 ネット前に転がるシャトルを今度は自分で拾い上げる。コートの奥にいた龍田は自分の打ったシャトルが簡単に返され、コート上に落とされるのを思い起こしているのか、顔が真っ赤になっていた。

「龍田。早く構えろよ」

 サーブ位置についたところでシャトルを持った礼緒が話しかける。基本、試合を止めることは許されないため、龍田も駆け足でレシーブ位置につくしかない。

「ストップ!」

 荒々しく言う龍田を見ながら、礼緒は自分の中に冷えた塊が現れるのを感じていた。試合をしていく中で体も心も熱くなっていくが、どこかでいつまでも冷えている塊がある。冷静に考えるということとも違う。頭は冷静になって試合の展開を俯瞰する必要があるが、氷の塊は心にある。熱い部分と冷たい部分。二つの相反するものが存在している。
 その正体にも、礼緒は気づく。

(やっぱり、悔しかったんだろうな)

 自分を負かした過去の対戦相手。龍田の怒りのボルテージが上がると共に、礼緒の中の氷も徐々に溶けていく。顔を出すのは、中学時代の試合。そこで倒される自分と、倒した龍田の顔。
 その顔が現実と重なる。

「龍田!」
「……なんだよ」

 急に大きな声で呼びかけてきた礼緒に龍田はぶっきらぼうに返事をする。返事に混じる不快感に追い打ちをかけるように、礼緒は言い切る。

「この試合、ラブゲームでいくわ」

 最初は礼緒の発言を龍田は理解できなかったらしく、口を開けたままぽかんとした表情になっていた。しかし、時間を置くと言葉の意味が浸透していき、怒りのボルテージが一気に上がる。
 サービスポイント制だった頃のバドミントンならば、サーブ権があるほうにしか得点が認められないため、相手を0点に抑えるラブゲームというのは有り得た。しかし、ラリーポイント制となるとミスを一度しただけでポイントになる。その状況では、まずラブゲームは生まれない。昔のラブゲームは、今は10点くらいというのが通説になっていた。
 だが、可能性としてはあり得る。
 即ち、お互いの実力差が桁違いの場合だ。

「小峰! 言うじゃねぇか! お前、そうやって自分のハードル上げておいてラブゲーム出来なかったら恥ずかしいぞ!」
「そうだな」

 礼緒はそれだけ言ってシャトルを構える。龍田はレシーブ姿勢を取り、殺気がこもった視線を礼緒へと向けてきた。溢れてくる気合いを受け流さずに受け止めながら、礼緒は思う。

(俺は、まだプレッシャーに弱いままだ。あの、女子との団体戦の時みたいな場合でも、力を出せるようにならないと)

 精神力を鍛えるために何をすべきか。自分で何ができるのか。
 そう考えた時に思い浮かんだのがラブゲーム宣言だった。
 実際には不可能に近いであろうラブゲーム。それでも、宣言して目指すというところに緊張感を持たせる。
 一度離れたバドミントンに再び戻ってきた今、全国制覇を信じるには力が足りない。でも、全国出場くらいならば自分が進むべき道筋は見える。目指すためには無駄な試合はできない。たとえもう勝ちが決まっている練習試合でも、自分が掴めるものは掴まなくてはいけない。

「一本!」

 ロングサーブの勢いをシャトルを打った瞬間に完全に殺して、ショートサーブへと変換する。勢いに思いきり後ろに下がっていた龍田は前に出ることができずにシャトルを見送る。シャトルは、前方のラインを少し過ぎたところに落ちた。

「ポイント。フォーラブ(4対0)」

 ラブゲームを宣言した直後のショートサーブ。ネットに引っかける可能性も、サーブが入らずにアウトになる可能性もロングサーブより格段に高くなるというのに、それでも礼緒は打った。龍田の顔は怒りの赤を通り越して、青くなっていく。
 自分と礼緒との実力差にようやく気づいたかのように。

(俺は俺で、一つ一つできることをして、弱点を潰す)

 礼緒は打ち返されたシャトルを受け取り、羽を整えてからサーブ姿勢を整える。先ほどから変わらず続けている動作。

「一本」

 静かに紡がれた言葉に、龍田は体を震わせていた。
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