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● SkyDrive! --- 四十五話 ●

 白熱している男子とは別に、女子もまた火花を散らしていた。

 亜里菜は終わった隼人と賢斗の試合。そして現在進行中の純と理貴の試合をスコアシートに収めながらも視線はちらちらと別の場所へと移していた。視線の先に見えるのは月島の姿。純たちの試合が始まるころに時間差で月島奏と有宮小夜子の試合が始まっていたのだ。視界の端にかすかに映るプレイは男子の直線的で荒々しいプレイとは違って流れるようで綺麗だと亜里菜には映る。もっと傍で見てみたい衝動を抑えつつもマネージャーとしての仕事を全うしようとした。
 だがそわそわとどうしても体を動かしてしまう。それに目をつけたのか一緒に試合を見ていた谷口が言う。

「井上。月島の試合見たいの?」
「え……あ、はい……」

 いいえ、と言おうとしたがすぐに思い直して肯定する。別に否定する必要もなく、ただ見たいということなのだから。それでも、男子のマネージャーとして役立つ方が大事だと続けて言って純と理貴の試合のスコアを付けていく。だが、その紙を谷口が横から取った。

「こんなの、私が付けておくからいいわよ。月島の試合、見てきなさい」
「でも……」
「好きな人のプレイを見て勉強するのもいいわよ」

 谷口の言葉に亜里菜は少しだけ顔を曇らせる。膝を痛めてバドミントンをプレイする側を諦めたから、亜里菜はマネージャーとしてかかわることにしたのだ。それでも谷口は言う。

「確かに今は怪我で上手く打てないだろうけど。未来もそうだとは限らないでしょ。まだ十六歳で人生諦めない方がいいわよ。それに」
「それに?」

 一度言葉を切った谷口に向けて亜里菜は尋ねる。谷口はどう言おうか迷ったように一瞬だけ躊躇してから口を開いた。

「別に、オリンピックとか目指してるわけじゃないでしょ? バドミントンが好きなら町内会のバドミントンサークルとかでもいいでしょうし。だから、今のうちから好きなことを簡単に諦めないで?」

 谷口は言いきると手を差し出してスコアを付けていたシャープペンも貸すように促す。亜里菜はゆっくりと手渡してから小さく「ありがとうございます」と呟いて月島のところへと向かった。後ろを一瞬振り返ると、谷口が手を振っている。だが、すぐに視線を純と理貴に戻してシャープペンを動かしていた。

(ありがとうございます、先生)

 亜里菜は早足で女子の試合を行っているコートへとやってきた。有宮を始めとした白泉学園高校の女子バドミントン部の部員たちが集まる中で、月島は一人、存在感を放っている。周囲を囲むように有宮を応援している女子たちに、亜里菜ならば緊張して上手く打てないとはっきりと分かる。だが、月島は周囲の存在を感じていないと言わんばかりにのびのびとシャトルを打ち上げていた。
 月島のシャトルは有宮をコートの最奥へと追い込む。綺麗な高く遠くまで描く、亜里菜の中にある理想に限りなく近い軌道。胸の奥に広がる満足感に頬が自然とほころんでいく。

(自分がやりたいと思っていることが、本当にできるんだって思うから、嬉しいんだよね)

 亜里菜は知らなかったが、隼人が初めて月島のプレイを見た時に得た衝動と同じものだった。
 有宮はラケットを振りかぶってスマッシュを叩きこんでくる。序盤だからといって様子見という選択肢はなく、初めから月島を倒そうとしている。同じ女子かと思うほどに有宮のスマッシュは速く、そして正確にシングルスラインを打ち抜いていた。

「ポイント。スリーラブ(3対0)」
『ナイスショットー!』

 集まったチームメイトの黄色い声に笑って手を振る有宮。期待をかけられることに慣れて、完全に緊張を飲み込んでいることによる余裕。自分ならばあれだけ注目を集められたら緊張して全く力を出せなくなるだろう。

(なんであんなにスマッシュが速いんだろう)

 シャトルを持った有宮はロングサーブを打ち上げる。だが、有宮の動きに亜里菜はどこか違和感を覚えた。自分がしている動きとは明らかに違う。元々自分が未熟だから動きも甘いということは分かっており、亜里菜はどう動けばどういうショットになるか、などをできるだけ分析しようとしていた。その意味では、隼人と似たデータ分析型になる。そうやって常に自分の動きと結果を結び付けてきたために、限界も早く悟ってしまったわけだが。
 有宮から得た違和感を分析しようと二人のラリーへと意識を集中する。

「はっ!」

 月島がお返しとばかりにスマッシュをシングルスライン上へと打ち込む。だが、速度は有宮のほうが明らかに速く、自分の速度に慣れているのか有宮は追いついてネット前にシャトルを落とした。月島は前に出ると無理をせずにロブを上げて体勢を整える。打ちあがったシャトルはコートを形作るテープの後方に落ちていき、後ろで見ていた仲間がかわしていた。

「ポイント。フォーラブ(4対0)」
「ちょっと。皆、もう少しコートから離れてくれる?」

 有宮の声は特に怒っているように聞こえなかったが、チームメイトたちは慌ててコートから距離を取った。

「ごめんね。ラケット振るのとか、気にならない?」
「別に。大丈夫だよ。ありがとうね」

 月島はラケットを掲げてレシーブ姿勢を取る。有宮も笑ってサーブ体勢を取ってすぐにロングサーブを打った。また違和感を持った亜里菜だったが、情報が集まってくることによって徐々に秘密が分かってくる。

(そっか……有宮さんは、タメが長いんだ)

 サーブも、通常のショットもラケットの始動に対してインパクトの瞬間のタイミングが微妙に遅かった。
 月島がハイクリアを打って有宮を奥へ押しやってからコート中央で腰を落とす。最も遠くからならスマッシュも取れるかもしれないということだろう。実際、速いが月島なら数回受けたら反応できるようになるはずだと亜里菜は思っていた。

「はっ!」

 亜里菜の予想通り有宮はスマッシュを打ってくる。あとがどうあれ今、有効な武器を使わない手はない。狙い球を絞らせないように様々な攻めのパターンを試して、相手を翻弄するタイプの選手もいれば、自分の得意なパターンで押して押して押しまくるタイプの選手もいる。有宮は後者のようで、自分の武器を生かすスタイルを見せている。
 シャトルは一回目に沈められた時と同じシングルスライン上へのスマッシュで落ちていく。しかし、月島はラケットを伸ばしてシャトルに届かせるとネット前に返した。ネットの白帯からは高く上がってしまったが、一回目に打てなかったシャトルに反応している。

(――でも)

 前に詰めようと動いた月島より先に、有宮がシャトルに向けてラケットを振り上げて突進してきていた。右足の踏み込みの音と同時にシャトルが打たれてコートに叩きこまれる。跳ねたシャトルが右の脛に当たるほどに高くあがったのは、それだけ威力があるからだ。

「ポイント。ファイブラブ(5対0)」

 審判の声に背中を押されるようにシャトルを拾い上げて、乱れた羽を整える月島。その表情は感情を浮かばせてはおらず、亜里菜も心を推し量れない。

(月島先輩……どう思ってるんだろう)

 部では誰よりも強く、全国大会も経験した。あまり良い成績で終わったとは言えないが、善戦したと亜里菜は聞いている。おそらくは同程度の実力を持つ選手と試合になって、負けたのかもしれない。
 だが、今、月島の目の前にいる有宮小夜子は別格だった。高校三年を差し置いて、二年にしてインターハイ女子シングルスチャンピオンとなった力は確かもの。更には、一つ上や亜里菜の同年代には彼女と同格の強さを持った選手がいる。彼女たちを抑えた上でのインターハイチャンピオンなのだ。それを可能にしているものは何か、亜里菜は気づいていた。

(有宮さんの筋肉は、凄く柔らかいんだ)

 有宮のサーブ。亜里菜は自分も脳内でサーブを打つ姿を想像しつつ、有宮の姿に重ねてみた。ラケットが後ろから前に押し出されていく。ラケットの軌道にぶつかるように左手からシャトルを落とし、タイミングよく合ったシャトルが立っている場所の少しだけ前でぶつかり合って飛んで行く。

「はっ!」

 有宮が気合を込めてサーブを打ち上げたところでイメージは霧散する。だが、亜里菜は確証を得る。
 有宮の筋肉はおそらく、普通の人よりも柔らかい。その柔らかさを生かして腕や足のしなりを大きくして、ラケットや動きに転用している。シャトル打つためのラケットならば、腕を水で濡れたタオルのようにして、振り回す間にしなりが生まれるように振る。普通に腕を振れば遅くなってしまうが、有宮はそれを普通の選手と同じ速さで行う。そのために違和感を持っても何が原因なのか特定しづらいのだ。

(よっぽど練習しないと……それこそ、筋力をつけないと扱えないよね)

 女子と言っても、筋肉を十分に鍛えた上で、更に天性の柔らかさを生かしたラケットワーク。あまりに鍛えてしまうと筋肉が硬くなって柔らかさを落としてしまうかもしれないため、きっと境目を見極めて鍛えているに違いない。亜里菜も驚くほどの緻密な管理をしなければ無理だろう。
 有宮小夜子はどこまでの努力をして今の自分を作り上げてきたのか。亜里菜は少しだけ想像して体を震わせる。正確には、どれほどのものか想像することができないと分かったことによって震えたのだ。自分とは別の世界にいると分かってしまったから。

(強い肉体には強い精神が宿るって誰かが言ってたっけ。有宮さんがプレッシャーを感じないように見えるのは、きっと積み上げてきた自信と、もう一つ)

 有宮のスマッシュが月島の胸部へと叩きこまれてスコアは7対0まで進んだ。思考の海に沈んでいる間にいつしか試合が進んでいたことに驚かされて亜里菜は、はっとして顔を上げた。シャトルを返す月島の表情はまだ動かない。何か手を寛がているのか、まさか何も考えていないのか。亜里菜にも読めないのだから有宮にも読めないだろう。

「どしたの? もう少し強いと思ったけど」
「……練習だし、いろいろやってみたいのよ」
「それもそうね」

 有宮はシャトルを持ってラケットを構える。月島が構えればすぐに打ち上げられるようにスタンバイしながら口を開いた。

「私も、もっと強くなるためにいろいろ試してみないと。だから有宮。練習台になってくれる?」
「喜んで。ライバルが増えるのは歓迎するわ」

 笑みを浮かべながら言う有宮に、背筋から這い上がる悪寒を亜里菜は止められなかった。

(有宮さんに一番プレッシャーを与えるのは、いつも自分自身なんだ)

 常に上を目指している。どこまでも遠くに、自分の確かな理想を描き、そこへの道を突き進んでいる。周囲はおそらく、インターハイチャンピオンとしての有宮に休息を促したり、勉強は抑えてもよいと言ったり、最も得意なものに集中させたほうが体調管理の面からもよいのではないかと思う。
 しかし、有宮が望んでいるのは自分自身の進化だ。
 自分が今の自分よりもより良い自分になるために、常にハードルを越えていこうとする。そのためには自分を使って成長をしようとする人をサポートもするのだろう。

(常に理想を目指し、越えていくって……私の中だけで考えたことだけど……的を得てるかな)

 人物分析ができたところで試合の攻略法があるわけではない。ようは、今の月島には勝てる要素はなく、亜里菜自身には逆立ちしても勝つ見込みなどないということだ。

(でも……だからって、諦めるの?)

 勝てないと思ったから、負けるのか。諦めたら終わりということは分かっているが、諦めなければ何かが起こるのか。亜里菜は自分の右膝へと視線を移す。もう激しい運動はできなくなった膝。バドミントンも、ワンセットなら可能かもしれないが、フルセットは厳しく、一日に数試合も不安となる。試合の中でも激しくなれば、一試合を持たずに痛めてしまうだろう。そんな爆弾を抱えてしまったために、亜里菜はプレイヤーとしては自分に見切りをつけた。でもバドミントンから離れたくなくて、頑張っている隼人たちの応援をするためにマネージャーとなったのだ。

(諦めて、新しい道が見えるのかな)

 自分でも分からないうちに泣きそうになっている自分に混乱していてまた試合から目を離した時、スマッシュが打ち込まれる音が耳に届いた。

「ポイント。ワンセブン(1対7)」
「え?」

 反射的に顔を上げると有宮がシャトルを拾って羽をほぐしているところだった。そしてぼろぼろの羽がもう使えないと替えのシャトルを求める。手にしたボロボロのシャトルを打ってコートの外に出すと同時に、審判をしていた部員が新しいシャトルを月島へと渡した。

「いいスマッシュ持ってるじゃない」
「有宮のフォーム、真似してみたのよ。ハイクリアで様子見ながら、自分なりにアレンジして。何とかできそうだったからスマッシュをやってみたのよ」
「……真似するって言って真似できるものでもない気がするけど」
「いろいろ何とかしようとしていると、見えるものもあるのよね。それが、今までの私に足りなかったもの」

 月島は笑ってサーブ体勢を取る。有宮も月島が歯ごたえのある相手だと感じたのか、プレッシャーの質を変化させたように亜里菜には見えた。自分自身に向けていたプレッシャーを、相手へと放出するかのように。気配を感じ取れたのか、亜里菜の視界に移る何人かはコートから離れるように後ずさる。向けられている先の月島はそれでも笑顔でサーブを打ち上げていた。最初に見た時と全く変わらない綺麗な軌道で。

(月島先輩も、自分の弱いところも、相手の強いところも分かってて、それでも何とかしようとしてるんだ……)

 現在を分析するのは諦めるためではなく、打開するため。分かっていても、まだどこかで逃げていた自分を自覚する。有宮の力を見極めて、自分で何かできないかと試行錯誤し、一つの答えを出した。すぐに有宮はさらに追い込みをかけてきたが、それさえも月島は乗り越えようとしている。自分がどうだから。周りがこうだからということを知って止まっていては、自分は何も成長できない。

(マネージャーとして入ったのも、辛さから逃げたかっただけじゃなくて、何か前を見ようとしてるんなら……私にも、もっとできることがあるかもしれない)

 バドミントンから離れたくなかったからマネージャーを選んだのだとしても、もっともっとできることがあるはず。自分の特技を生かしたものが。

(そうですね、先生……諦めないで、私は)

 月島と有宮の試合を見ながら、亜里菜は胸の奥から湧き上がってくる衝動にまた体を震わせていた。
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