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● SkyDrive! --- 第三十八話 ●

 その日、隼人が体育館に足を踏み入れると雰囲気が違っていた。夏の締め切った体育館の中ということで熱が逃げず、ただ立っているだけで汗が流れて来るような不快感が先立っていたのだが、どこか空気が柔らかい。正確には不快感はあってもあまり気にならない。その雰囲気がどこから来ているのかと視線を巡らせると、女子たちが一か所に固まっているのが見えた。

(あれは……)

 一年と二年の女子部員が集まっている。その中心にいるのは、月島奏だった。隼人はそれに気づいて自然と口から苗字を口に出そうとする。しかし、言葉にしたのは後ろから来た真比呂の方が早かった。

「あー! 月島さん!!」

 声に押されるように前に出た隼人をすり抜けて真比呂が体育館の中へと入る。そのまま壁際にラケットバッグを置くと女子の一団の方へと飛んで行った。女子たちは真比呂が来たことで口々に罵声を浴びせかけているが真比呂は気にせず月島のほうへと進もうとし、押し問答が繰り広げられた。

「そうか。インターハイが終わったんだな」
「そうみたいだな」

 次に入ってきた純の言葉に隼人は頷き、真比呂のバッグの隣にラケットバッグを置き、ラケットを取り出して準備運動を始める。脳裏にあるのは世代交代のこと。これから月島がインターハイの成績を部活前に報告し、今年度の挑戦が一通り終わる。これで女子は月島奏を中心とした部に完全に移行することになる。

「それにしても月島さんって可愛いな」
「外山まで井波みたいなこと言うとは思わなかった」

 唐突に呟いた純の言葉に驚きを隠しきれず、隼人はひきつった顔を向ける。手を振りながら「そうか?」と隼人の反応を不思議がりつつ、純は続ける。

「別に恋愛対象とかじゃないけど。可愛いってのは思うよ。井波はストレートに好きって伝えてるのと同じように。でも俺はてっきりお前は惚れてるかと思ってた」
「俺が月島さんに?」
「ああ。井波は憧れだけど、お前は惚れてるからバドミントン始めたのかと思った」

 反論をする前に、隼人は腕を組んで考え込む。自分の中でもう一度整理しなければ純を納得させられないと思ったからだった。

(月島先輩は確かに、可愛いけど。バドミントンもフォームが綺麗だったのは認める。あれを見れたから……俺にも可能性があるって思えたんだ)

 コースを狙えるだけで、威力のあるショットがあるわけでも素早いフットワークがあるわけでもない。でも、自分の目指す先にあった理想のフォームを月島に見た。自分が到達できないのは力不足以前に存在していないからではないのかと迷っていた場所が存在していると月島が証明してくれた。そのおかげで隼人の中では一つの目標となったのだ。

(そう考えると、やっぱり憧れ、なんだと思うけどな。でも井波も外山も。多分他の奴らもそう思ってない感じはあるな)

 隼人は腕を解いてため息を付いた。徐々に説明していくしかないだろうということと、その労力を思って。
 だが、説明に口を開こうとしても第三者が遮った。

「よーし、集合!」

 ちょうどよく、谷口の声が響いた。
 谷口の号令に従って隼人と純は女子が集まっているところへと向かう。横目に理貴、賢斗、礼緒と順番に入ってくるのが見えた。三人にジェスチャーで集まるように伝えると結果を見ずに早歩きで進む。
 内心では視線の先に三人がそろっていることにホッとしていた。

(鈴風は……ひとまず大丈夫か)

 真比呂との試合の後に隼人も説得に加わったが、結局「考えさせて」と帰っていった賢斗。やはり辞めるという答えが出てくるかもしれなかったが、次の練習時からも姿を見せて、特に何も言ってこない。表面上は普段と変わらず会話も続けていて、辞めようと思っていることなど少しも感じさせなかった。

(いい方向に行けばいいけどな)

 人がスポーツを好きにすることは強制できない。だが、真比呂の六人で全国優勝を目指すという思いも、隼人が賢斗は上手くなるといった言葉も嘘偽りない真実。その言葉を受けて辞めることを踏みとどまったと今は思うしかなかった。
 思考を切り替えて視線を前に向けると、女子達は既に二列で並んでおり、真比呂はその隣で手持無沙汰の様子で佇んでいた。隼人達が追い付くと水を得た魚のように元気になり、話し始める。

「遅いぞ! いやー、月島さん久しぶりに見たらやっぱり美しい」
「お前のそのブレなさは凄いよ」

 女子たちが真比呂に対して敵意を向けてくる。月島は彼女たちの中でも特別視されているように隼人には見えていた。女子部の中では唯一全国を狙える選手。今回も全国大会に挑んできたのだから、特別視するのは当然かもしれない。

(でも、三年がいたころは何とかなったけど。これからはそんなんじゃ月島さん自身の練習が上手くいかないかもしれないな)

 特別視による練習への弊害。それが脳裏に思い浮かんだところで谷口が手を叩き、自分へと意識を集中させた。女子も隼人も真比呂も。追いついてきた男子の面々も。みんなが谷口を見る。

「はい。じゃあ練習を始める前にインターハイの結果を報告してもらうわ。月島さん」
「はい」

 月島が立ち上がり、女子たちが憧れの視線を送る。その視線に曖昧に微笑みながら月島は前に立った。その顔は、どこか寂しく申し訳なさをたたえている。その意味を隼人が考える前に月島の口から語られた。

「インターハイの私の成績ですが、二回戦負けでした」

 その一言で女子たちのざわつきが止まる。男子もその言葉にかすかに気配を変化させたのが隼人に伝わった。全国に行くだけでも十分凄いが、それでも二回戦負けという言葉は祝って良いものかと思わせる。月島はそれを良しと思わなかったのか、頭を下げる。

「皆にも期待してもらったのに。応えられなくてごめんなさい」

 そんなことない、と二年女子の何人かが声をかける。それに対してどう返答したらいいか分からないような、困った表情となった。どうにかして何かを言おうとしている月島を制して、谷口は口を開いた。

「はいはい。月島も困ってるでしょ。なんにせよ、全国から選ばれた100人くらいの精鋭の一人ってことなんだから十分凄いわよ。だから二回戦負けとかでも十分。月島もそこまで卑下しない」

 谷口がフォローして月島も笑みを取り戻す。女子たちも引き下がり、場はひとまず落ち着いた。
 そこから改めて谷口が部活の引き継ぎ式の日程を告げて、それまでは普段通りの練習となると言ったところで集まりは終わった。月島も含めてすぐに練習に入り、男子も一緒にフットワークの練習から入る。全員が壁際に寄る中で、隼人は月島の姿を横目で見ていた。インターハイで二回戦負け。谷口の言うとおり、全国で強い選手100人くらいのなかで、一回戦を勝ち抜けたというのだから半分の50強くらいにはなっているはず。学力で例えるなら全国模試で五十位以内に入るようなものだ。そう考えれば、特におかしい戦績ではない。
 それでも隼人の中には少し引っかかっている部分があった。しかし、その引っかかりも練習の中で消えていく。目の前の練習の辛さをしっかりと受け止めて反省し、反復しなければ強くはなれない。余計なことは考えず、集中する。そう隼人は切り替えた。


 * * *


 月島への引っかかり。
 隼人はそれを練習が終わるまで忘れていた。最初はたまに脳裏をよぎっていたが、女子と一緒にする練習が終わった後は自分達で組んだ練習をこなしていくのが優先されて、頭の中から消えて行った。何しろ経験者で、総合的に練習内容を決めているのだから、各個人の内容を見たり、進み具合を把握する必要がある。時間管理はマネージャーの亜里菜が行っていたが、隼人はその日の練習を全員の調子を見て多少変えていた。その判断をするのは、あくまで隼人だ。
 人間の体調はその日その日で異なる。機械のように一定ではないし、調子の関係で前回できたことが今回できていないということもある。そういった些細な違いを常に図りながら、練習内容を変えたりしていた。基本は、基礎打ちやノックだが、効率が悪いとなれば試合形式の練習で気分を紛らわせつつ必要なスキルを磨かせたり。
 そう言った判断に複数の意見が入るのは決断を鈍らせるため、参考程度に亜里菜に意見を聞く以外は隼人が自分で統括する。そうなると、他のことを考える余裕などなくなり、自分の疲労も大きくなった。
 だからこそ、部活が終わった後に月島が傍に歩いてきた時は、なぜ近づいてくるのか分からなかった。

「高羽君。ちょっといいかしら」

 月島は前髪を軽く触りながら隼人に話しかける。男子も女子も何事だと二人に視線を向けてきた。その視線に居心地の悪さを感じて、隼人は早めに要件を済ませてもらおうと先を促す。

「ど、どうしたんですか?」

 隼人は急かしたが、逆に月島は「うーん」と呻ってこれから口にする言葉をどう言おうか悩んでいるようだった。言いづらい言葉なら先に決めて来てほしいと思いかけたその時、月島が動く。

「あのね。今日、ちょっと一緒に帰ってほしいんだよね」
「……は?」

 月島の申し出は隼人が全く考えもつかなかったこと。どうして自分が誘われるのかと思い、周囲を見回す。
 真比呂は隼人を睨んでいた。亜里菜は複雑な視線を向けて来て、他の四人は冷やかし交じりの視線。女子はほぼ全員興味深そうに見ている。誰からも自分を助けてくれそうな答えはもらえそうにないと思い、隼人は内心ため息を付いて頭を振った。自分のことは自分で解決するしかない。

「分かりました。どっか、寄っていくんですか?」
「うん。あのね。近くに美味しいイチゴパフェの店が出来たんだよ。学校からも近いし、帰る方向には多分影響ないから。少し付き合ってくれる?」
「はい、分かりました。でもそこに行くことが目的じゃないですよね」
「うん。ちょっと言いたいことがあったんだ」

 隼人としてはイチゴパフェを食べに行く――デートと思われるようなことではなく、何か相談事があるから誘われるんだと強調させたくて尋ねたのだが、月島の言葉は誤解を生みそうな表現にとどまり、逆に周りの視線が強まった。隼人は自分の失敗を悟って、頭に手を置く。月島は「じゃあ、後でね」と手を振って去り、女子の輪に入ってから一気に話しかけられていた。それを見送って隼人も男子が使った部分の掃除を再開する。

「おい。隼人。お前、月島さんに何を、した?」

 言葉を区切って尋ねてくる真比呂に隼人は首を振って否定する。どうして急に誘われたということに答えは持っていない。隼人は素直に「分からん」と否定したが、真比呂は胸ぐらを掴むのをこらえながら口にする。

「う、ら、や、ま、しい。お前、変われ」
「井波に言って解決する内容なら変わるよ。月島先輩に聞いてみるか」
「冗談だよ」

 真比呂は手をワキワキと指を曲げ伸ばししてから、隼人の傍から離れる。その後ろ姿の寂しさに隼人はよく分からない罪悪感がこみあげてきた。

(あいつは本当に月島さんが好きなんだろうな)

 素直に自分の想いを口にできるのは短所でもあるが長所でもある。それだけに背中に軽く謝って、隼人は後片付けをやりきった。
 一通り掃除を終え、着替えも終わってから体育館の外に出ると、月島が玄関に立っていた。先に帰っていく女子部員達に手を振りつつ、隼人が来るのを待っているのかたまに玄関の中へと視線を向ける。そこで姿を見つけたのか、今度は隼人へ向けて手を振った。
 それだけで気恥ずかしくなった隼人は俯き加減で自分の下駄箱まで早足で辿り着くと、すぐさま外履きと履きかえて玄関に出た。

「いこっか」
「……はい」

 急に緊張がこみあげてきた。
 月島に先導されて自転車乗り場に行き、そこから目的地へと漕いで行く。その間、月島が何度か声をかけてきたが隼人は内容をほとんど覚えていなかった。
 同級生の女子ともそこまで一緒に過ごしたことはないのに、上級生の女子と共に喫茶店に行くとは一気にハードルを何個も飛び越えたかのようだ。

(素振りちゃんとできないのにスマッシュ入れろとか、それくらいだよな)

 頭の中でバドミントンに変換される自分の思考に少しだけ余裕が出来る。月島の先導で目的の場所はすぐにたどり着けた。最近出来た喫茶店『桃華堂』の入り口の前には『イチゴパフェ10%オフ』の文字が。パフェを食べる月島を想像して、何かおかしくなる。

「何かおかしい?」
「いえ……なんでも」

 抱いたイメージというのは思考を狂わせると隼人は改めて思う。バドミントンの試合の時は先入観をできるだけ捨ててデー分析をするが、こういう日常に応用はなかなか難しい。自転車を止めて月島の後ろについて店内に入り、適当な椅子に座って膝を突き合わせる。店員に隼人は紅茶。月島はイチゴパフェを頼んで下がらせると、月島深く息をついて俯いた。

「どうしました?」
「ごめんなさい」

 隼人の問いかけへの答えなのか曖昧な、月島の声。すぐに顔を上げて月島が隼人の目を見つめ返してくる。見つめられて心臓が高鳴るのを抑えようと視線をそらし、話を続ける。

「な、何がですか」
「私。自分の弱点を克服できなかった。高羽君にせっかく教えてもらったのに」

 月島の言葉に隼人は記憶を手繰り寄せる。女子との練習試合で月島と試合をした記憶。おそらく十回中九回は負けるであろう試合。最後の勝利する一回をその時に手繰り寄せた。月島の弱点――試合展開が苦しくなった時に攻め方が単調になるという点から軌道を予測し、シャトルを叩く。試合の後に克服のためのアドバイスをしていた。
 意識を月島に戻すと、心底悔しそうに顔を歪めていた。テーブルの下に回った手は、膝の上で震えている。何がそこまで悔しいのかと思考を巡らせるが思いつかない。次を頑張ればいいのに、と口を開きかけて閉じる。

(そうか。次はないかもしれないよな)

 次があるという感覚は、余裕を持つには大事だが時に油断を誘う。月島の次の言葉を予測したわけではなかったが、結果的に月島の考えを読んだことになった。

「私、やっぱり心の中で油断があったんだ。高羽君に指摘された通りに。そこで自覚したはずだったのに。試合で、実戦で使えなかった……それが悔しくて、高羽君に申し訳なかったんだ。だから、謝りたかった」

 月島がどうしてそこまで自分に申し訳ないと思うのか、隼人には意味が分からなかった。しかし、それを言っても月島が自分を責めているのは変わらない。ならばと隼人は素直に自分の思っていることを言おうと、口を開いた。

「練習試合が終わったら、特訓しましょうか」

 月島の目が驚きで大きく開くのを、隼人はじっと見つめていた。
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