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● SkyDrive! --- 第三十七話 ●

「ぅおおおあ!」

 高く上がったシャトルに飛びつくようにして、真比呂はスマッシュを放った。賢斗の右脇腹へと抉りこむようにシャトルが飛び込み、賢斗は上手くラケットを振れずにシャトルはコートへと落ちていた。

「ポイント。トゥエンティエイティーン(20対18)。マッチポイント」

 隼人はカウントを言ってから掌に浮かんだ汗をジャージ下にこすりつける。
 真比呂と賢斗の試合は一進一退の攻防を繰り広げ、これまで二点以上離されることはないままに交互にリードを奪いあった。
 初心者同士が互いに試行錯誤して行った試合ももう少しで終わる。
 真比呂のマッチポイント。あと一点で負けるという状況に賢斗の精神力は持つのかと隼人は様子を伺ったが、すぐに思い直す。

(精神力も気になるけど、体力のほうが問題だな……)

 賢斗は真比呂が15点を取る頃から息を切らせて何度も掌で汗をぬぐい、シャツに擦り付けている。合唱部が体を使う部活とはいえ、持久力に関しては運動系が有利。ランニングのような基礎体力をつける練習をしてきたとはいえ、対戦相手の真比呂はそれまで最も体力を使うようなバスケットボール部だった。おそらく体力だけならばバドミントンをしてきた隼人たちより上かもしれない。真比呂は賢斗の準備が整うまで屈伸や伸脚をするなど動きを止めなかった。まだ体力は余っていると示すように。
 双方の様子を見終えた後で、もう一度隼人は賢斗を見た。

(精神力は体力に左右されるし、ここまで追いつめられたことは鈴風にはないはず。あと一点で負けるってプレッシャーは今までと全然違うはずだ。どう出る?)

 賢斗は体を思い切り起こして息を吐くと、レシーブ位置に立って真比呂に頭を下げた。

「ごめん。待っててくれてありがとう」
「おう。そのあたりはさすがにハンデだな」

 自分でも体力に関してアドバンテージがあると分かっているのだろう。真比呂の言葉に対して賢斗は特に怒るわけでもなく笑って頷く。
 そして、次に出たのは強い言葉。

「あと二点、まずは取る」

 それは賢斗が初めて見せた、明確な強い意志。
 試合の中で真比呂が叫び、賢斗は淡々とシャトルを返していたが、少しだけ変わる。
 微々たるものだが、一つ先に進むために必要なもの。
 賢斗の覚醒に隼人の身体は興奮して震えた。

「ここで、終わらせる! 一本!」

 真比呂が高らかに叫び、シャトルを思い切り打ち上げた。シャトルはこれまでよりも高く上がり、最高到達点から賢斗に向けて垂直に落ちていく。シャトルの下に入る賢斗は真比呂を見てから打つが、その音が今までと異なった。

(――あれは?)

 インパクトの感触が全く違うことに賢斗も気づいたのだろう。シャトルはこれまでと同じように飛んだかに見えたが、唖然とした表情を消せない。真比呂も隼人が見つけた違いに気づいた様子もなくシャトルを追う。

(井波の奴。狙わずにやったか)

 賢斗のショットが上手くいかなかった理由はサーブにあった。
 シャトルはサーブの時に放物線を描く。シャトルコックは打つ側に対して斜めに落ちてくる。そのコックをラケットで叩くことで相手に返す。その角度によってハイクリアやスマッシュ、ドロップなど使い分ける。
 だが、サーブによって飛距離だけではなく高さが出た場合、シャトルコックが自分に向かう角度が小さくなる。完全に垂直になることはないが、そこに近づくことで打てるシャトルコックの面積が減ってしまう。それによりタイミングが良くても力が上手く伝わらない。
 真比呂が気合いを入れてサーブを打ったことで、自然とそのような軌道になっていたのだ。賢斗もそれを知らずに強打したことで異変に気付いたのだ。

「うおっしゃ!」

 さっきまでと異なりすぐシャトルに追いつけたことも賢斗の失敗によるもの。だが、真比呂は気づかずにシャトルをドライブで打ち返した。直線に力強く進むシャトルはコート奥で落ちてインになる軌道。これを取れなければ賢斗の負けとなる。フォアハンド側だけにラケットは背中を向けるくらいに振り被っていられる。あとは、そこまでたどり着けるか。

「うあああ!」

 その時、賢斗は吠えた。力を込めて、咆哮に体を乗せて飛ばすように。
 足を伸ばし、手を伸ばしてラケットを振りぬく。そして、シャトルにラケット面をぶつけて、思い切り振り切った。
 シャトルはストレートに、真比呂が打ったドライブの軌道をなぞるように返された。打ち終わって中央に戻っていた真比呂は同じ軌道に返ってくるとは思っていなかったのか、慌ててシャトルを追って再び振りかぶる。

(――タイミングが、早い!)

 足を踏み出すよりも、ラケットを出す方が速い。追いつくよりも早くラケットが出る、悪い癖がここで出た。だが、真比呂は更に体を投げ出してラケットを振りきった。

「しゃ!」

 打った後で体が完全に流れる。倒れるのは防ぐが、たたらを踏んで完全に背を向ける形になる。シャトルは余裕が無かったのか賢斗の真正面へと届いた。ここで賢斗が真比呂がいないところへ打つことができれば得点できる。
 賢斗はラケットを前に出して押し出すように打った。ドライブをプッシュで返す。シャトルは勢いが殺されて前に向かって落とされる。
 だが、シャトルコックは白帯にぶつかり、そのまま賢斗側のコートへと落ちていった。

「あー!!」

 賢斗の絶叫。それに驚いて隼人が硬直しているうちに、シャトルが動きを止めた。シングルスラインの内側に落ちているシャトル。それを見て少し時間が経ってからようやく隼人は口にした。

「ポイント。トゥエンティワンエイティーン(21対18)。マッチウォンバイ、井波」
「ぅおおおおっしゃぁあああああ!」

 まるで野獣の咆哮のように、真比呂は上を向いて叫ぶ。そこに女子が「五月蠅い!」と叫び、真比呂は慌てて謝った。その様子に呆れつつも、隼人は二人の成長に驚いていた。

(二人とも、三か月でよくここまで強くなったな)

 まだまだ荒はあるが、バドミントンを始めてからの期間からすれば十分以上の実力が付いている。このままいけば三年のインターハイでは全国は夢ではない。そう思えるほどに。真比呂は笑いながら隼人に向かって歩き出そうとしたが、それに気づいた隼人は「握手してからにしろ」と真比呂を促し、賢斗へと視線を戻す。

「鈴風……」

 そこで賢斗が泣いているのに気付いた。大粒ではないが、目に涙を浮かべて体を震わせている。それを見て真比呂はネットをくぐって賢斗の近くへと向かった。

「おーい、賢斗」
「……ありがとう、ございました」

 律儀に言って握手をしようと手を出す賢斗。真比呂はそれに応えて手を握る。そして、すぐに両肩を掴んだ。

「面白かったか! 俺はめっちゃ面白かったぞ! 隼人とか他のやつらだと結構点差付けられて負けるからよぉ! お前と初めてシングルスしたけど、めっちゃ追いつめられたジャン! やっぱりこれくらいギリギリの試合したいよ! お前はどうだった!?」
「おい、井波……」

 勝った相手が負けた方に感想を聞くというのはどうだと言おうとした隼人だったが、先に賢斗が口を開いていた。

「楽しかった……楽しかったよ……で、凄く悔しいんだ。悔しくて涙流すなんて……久しぶりだよ……」
「前に泣いたのは合唱やってた時とかか!」

 真比呂の言葉にこくんと賢斗は頷く。そこで真比呂は何度か賢斗の方を強く叩き、何度も頷く。

「それでいいんだよ! それでな!」

 真比呂の言葉の意味が分からないのか、賢斗は首を傾げる。真比呂は笑って肩から手を外し、離れる。そのままコートから出て自分の荷物の傍にいってタオルを取り出した。

「疲れたから俺と賢斗以外でやってくれ!」
「……始めからそのつもりだよ」

 隼人は嘆息し、続いてコートから出た賢斗と入れ替わりに入るのは礼緒と理貴だった。二人とも試合をしたいのか体をしきりに動かしている。賢斗と真比呂の試合に触発されているのが隼人の目からも理解できる。

「とりあえずしばらく休んでな」
「おう、よろしく。賢斗、水飲みに行こうぜー!」

 賢斗の返事を待たずに真比呂は体育館の外に連れ出した。隼人は二人が出て行ったところを見つつ、内心で呟く。

(さぁ、どうするんだ、井波……)

 ほとんどが不安だったが、かすかに期待もあることを隼人は自覚し、頭を小突いた。

 ◇ ◆ ◇

 前を歩く賢斗に向けて、真比呂は何を言おうか考えていた。試合の前にはいろいろと言おうと思っていた。しかし、終わってからでは何も言葉が見つからない。正確には、考えていたことが全て試合に勝つためにどうしたらいいかという思考に塗り替えられていたために用意していた言葉を思い出すのが遅れているのだ。

「井波君。何を言いたかったんだ?」

 水飲み場までついてから賢斗は真比呂へと言う。その言葉に思わずたじろぐ。自分が試合をすれば分かると言った手前、何かを言わないといけないのだが、その言葉が抜け出ている。少しの間、考えていた真比呂だったがどうしても思い出せず、頭をかいてから言った。

「すまん。忘れた」
「……そうかい」

 賢斗は呆れたように嘆息して、蛇口をひねって水を出す。勢いよく出ている水に口をつけてしばらく喉を動かして飲んでから口を離した。

「ぷはぁ……疲れた……悔しい」

 賢斗は真比呂を睨む。その視線が偉そうなことを言って言葉が出ない真比呂への怒りと感じたのか、真比呂は平謝りで弁解する。

「いやな。俺、言葉が苦手だからバドミントンで語ろうって思ったんだよ。何か伝わるかなーと。でよ、言いたいこともあったんだよ。でもよ、忘れちまってよぉ」
「はぁ。マジでおかしいよなお前」
「そのため息。隼人や理貴とか純にもされてる気がする」
「小峰君もしてるよ」
「そっか……って皆して『しょうがない奴だ』って呆れてるのか!?」
「そうだろうな」

 賢斗はまた水を飲み、口を拭う。それから真比呂の隣を通って体育館に戻ろうとする賢斗の腕を真比呂は掴んでいた。

「ちょい待ち……辞めるのか?」
「勝ったら辞めるとか、そういう勝負じゃないって最初に言ってたろ。普通に戻るだけだよ」
「いつか辞める、のか?」

 真比呂の声にこもる真剣さに賢斗はその場に立つ。もう離れる意志がないことに気づいて、真比呂は手を離して面と向かった。その間に真比呂は頭の中で言いたいことを組み立てていく。それは賢斗を留めたいということよりも、単純に自分が思っていることを伝えようというもの。ただでさえ、考えを口にするのが上手くないのに、試合が終わったばかりで火照った脳では深いことは何も考えられない。

「俺はさ。この六人で全国を目指したいんだ。後輩が入ってきてもさ」
「それは前に聞いた」
「ああ。だからな……ぶっちゃけ、行けなくても仕方がないと思ってるんだ」
「――全国にか? 井波が全国行こうってみんなに焚き付けたんじゃないの?」

 賢斗が驚きに目を見開くのを視界に入れて、真比呂は更に言葉を連ねる。

「もちろん行くのを目指してる。でもよ、よくよく考えてみろ。全国大会あるような部活でそこを目指してないところなんて、あるのか?」
「……ないかも」

 賢斗の言葉によって真比呂の言いたいことが引き出されていく。それを感じて小気味よく言葉を続ける。最終的に理解されなくても、自分の考えている思いは伝えたい。それだけはしておきたい。そう思って真比呂は言い募る。

「俺はもちろん本気で目指してる。隼人や、他の奴らも。それでも届かない時は届かない。でも、全力出してたら届いたってあとで言われたくないんだよ」
「誰に言われるんだ?」
「『三年後の俺』にだよ!」

『三年後の俺』という言葉は賢斗にはすぐに意味が分からなかったらしかった。しかし、徐々に焦点がまとまっていくように、真比呂の言葉を脳内でまとめて自分の中で翻訳していっているのが真比呂には分かった。

「自分ってことか、単純に」
「俺はさ。全力でできる時に全力でやりたいんだよ。そして、俺自身に負けたくない! だから全力を出すために目標を掲げてるんだ」

 ようやく言いたいことをまとめられて、真比呂は嬉しくなって笑った。自分の言葉だが、賢斗との会話で引き出してもらった。そうしたことでも、賢斗が他の四人と同じく特別な仲間だと感じることが出来て、一層一緒にやっていきたい思いに駆られる。

「賢斗。一緒に全国目指そう!」
「……前にも言ったけど、俺は足を引っ張りたくないんだよ。みんながたとえ俺を引っ張ってくれると言っても、俺は引っ張られたくないんだ」

 賢斗の言葉に真比呂は口ごもる。賢斗もけして嫌でバドミントンを辞めようと言っているのではない。むしろ、負けて悔しくて涙を流すほどのめりこんでいる。
 あくまで本当の理由は迷惑をかけたくないということだけ。
 だが、真比呂にはもうかける言葉が見つからなかった。

(あと、一押し何かがあれば……)

 それでも何かを言おうと口を開きかけた時、第三者の声が届いた。

「お前が迷惑をかける根拠って、力を付けるのが間に合わないって自己判断だろ?」

 二人で振り向くと、そこには隼人が立っていた。

「今日、試合見たけど。鈴風は上手くなるよ。このペースでやってけば。気休めじゃないぞ? 少なくとも、小学生からやってる俺から見て、だけど」
「……そう、か?」

 隼人は賢斗の傍にきて、言う。真比呂よりは淡白に。しかし、一つの意志を持って。

「別に高校生の時しかやらなくてもいいし、全国に行けなくても仕方がない。でもな、俺も井波と同じで、この六人で目指してみたい。せっかく集まったんだしな」
「……高羽君はそれでいいの?」

 自信なく見る賢斗に向けて隼人は即座に頷く。

「いいよ。それでも辞めるなら寂しいけど仕方がない」
「……考えさせて」

 賢斗はそう言って体育館へと戻っていく。その背中を見送ってから隼人は水飲み場で水を飲む。終えたところで真比呂は慌てて隼人へと言った。

「いいのかよ。あれで。引き留めなくて」
「辞めるのも自由意志だよ。辞めんなって言えるもんじゃないだろ。部活なんだし」

 淡白に言う隼人に更に言おうとした真比呂だったが、隼人の言葉に遮られる。

「あいつの意志に任せよう」
「……分かった」

 もうこの話題は終わりという意志が込められた言葉に真比呂は引くしかなかった。
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