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● SkyDrive! --- 第三十二話 ●

「高羽くーん。ちょっと来て」

 体育館に入ってきた谷口が開口一番、隼人を呼んだ。コートで賢斗に向けてノック練習をしていたところで声をかけられて、隼人は動きを止める。振り向くと谷口が掌でこいこい、と手招きをしていた。隼人はストレッチをしている礼緒を呼んでノック練習を任せると谷口の下へと駆け足で向かった。谷口は隼人の動きを見て移動を開始し、体育館のステージに上る。そこで話をするということだろうと隼人も後を追った。

「ごめんね、練習邪魔して」
「いえ。で、なんですか?」

 ステージの端に荷物を置いて谷口は隼人と向かい合う。隼人の問いかけに対して一度「ごほん」と咳をしてから笑みを浮かべて言った。

「練習試合の相手、決まったよ」
「……早いですね。相談してから一週間くらいしか経ってないじゃないですか」
「ちょうどいい相手がいたのよー。ここ」

 谷口が差し出してきたA4の紙は、相手校のデータだった。谷口がまとめたのか上部に名前。そして次からは簡単な説明と、構成メンバーが書かれている。
 隼人は高校の名前を口にした。

「白泉(はくせん)学園高校……どっかで聞いたことが」
「ああ。それは多分、有宮小夜子がいる高校だからね」
「有宮小夜子って……俺の一個上の全国クラスの」
「そ。今年のインターハイの女子シングルス優勝候補。彼女は有名よね」

 隼人は購読しているバドミントンマガジンの記事を思い返す。
 有宮小夜子は中学時代から全国クラスで活躍しているプレイヤーだ。高校一年のインターハイも学年が上の猛者を蹴散らして準優勝してしまった。更には優勝者も一年で、黄金世代と既に言われている。そして、隼人たちが入学する前の三月に行われた選抜大会でもインターハイと同じ相手に惜敗した上での準優勝。ここ十年ほどぱっとしなかった白泉学園高校の名前は有宮小夜子の入学によって一気に有名になったと言える。
 高校二年となった今年こそ優勝をと期待されている。

「逆に言えば、白泉は彼女以外は大したことないわ。男子は県大会のベスト8だけど。今の高羽君たちの練習相手にはちょうどいいかなって思ったのよ」
「県ベスト8なら十分強豪だと思うんですけど……今の俺らでできるかどうか」
「今の時点でベスト8くらい倒してもらわないと三年のインターハイでの全国制覇に間に合わないわよ?」

 谷口はいたずらっぽい笑みでそう言ってから日時を知らせる。
 練習試合の日はインターハイが終わった後。八月の第四週目の水曜日。夏休みも終わる直前だ。

「じゃあ、よろしく」

 谷口は話を終わらせて、隼人はステージから降りるために歩き出した。
 歩きながらもらった紙を眺めて白泉学園高校の情報を確認する。
 白泉学園高校は二十年前に立てられた高校で、公立。スポーツではバスケットやテニスで全国大会に駒を進めるプレイヤーが毎年いたが、バドミントンでは目立った戦績はない。ここ数年は安定して県大会ベスト8の戦績を残している。逆に言うと、それ以上行った時は資料上存在しない。指導者がどの期間まで同じかは分からないが、選手の実力の伸び率が毎年ほぼ変わらないということだろう。それこそ、有宮小夜子のように最初から突出した才能が入って来たならば、その地力で全国大会に出場できるのだろう。
 一定の実力以上からは各選手のポテンシャルにかかっている選手層。そんなイメージが浮かぶと隼人は谷口が言った「ちょうどいい相手」の意味が分かってきた。おそらく新体制になってもあまり実力の減退はなく、ベスト8並の力を持っているということ。隼人は体制移行でパワーダウンしているところと対戦すれば、自分たちの練習にもちょうどいいだろうと思っていたが、谷口はそうではなかったということだ。

「厳しいなぁ」

 谷口は妥協は許さず、最初から最後まで高い山を用意してそれを突破させ続けるだろうと隼人は考えた。確かにそうしなければ、隼人と真比呂が掲げた全国制覇に高校生活の二年と半分は短すぎる。言葉や気持ちに嘘はなかったが、やはり甘く見ていた部分はあったのだろう。
 改めて気持ちを引き締めつつ、次に構成メンバーを見ていった。
 書かれている名前は主戦力メンバーだけなのか、七人の名前があった。おそらくは団体戦でもこのメンバーで出るのだろうと予想できる。どうやって入手したのか謎だが、そこは谷口の意図を汲むことにしてあまり考えないようにした。誰もが二年生で、隼人も中学時代に一学年上の選手として名前を聞いたことがあるだけの人たちだったが、ひとりだけ一年がいた。
 そして、そこで隼人は動きを止める。

「……え?」

 右から左に名前を読む。一度目を話して、再度読む。
 三度読んでも字面が変わるわけでもなく、知っている漢字がそこに並んでいた。
 三鷹守(みたかまもる)。
 中学時代に同じバドミントン部だった男の名前だった。

(あいつ……そうか、白泉に行ったんだっけ)

 中学の卒業式後に集まってさよならカラオケ大会を実施した際に、三鷹は白泉に行ってバドミントンを頑張ると言っていたのを思い出す。部の中でくらいしか接点がなかった隼人はいつか対戦しようと誓い合ってから連絡はしていなかった。インターハイの県予選時は女子部の応援のついでに男子のほうで知ってる名前がないか確認したが特になかったために、自分の部の仲間だった男たちの登場は来年だと思ったのだ。
 そこで見つかる、三鷹の名前。

「確かに、登場は来年、か」

 新体制の中、二年生の中で一人だけある一年生の名前。
 再度名前を眺めて、嬉しくなって顔がほころぶ自分がいた。
 男子の練習しているところに戻ると、ちょうどノックが一段落したところだった。隼人の代わりにシャトルを打っていた礼緒と、シャトルを手渡していた亜里菜が散らばったシャトルを片付けている。賢斗は自分が打ち損じたシャトルを拾って、シャトルを集めた籠の傍へと打っていた。
 純と理貴は真比呂に対して二対一でフットワークの練習を施していて、それも真比呂が「限界だー」という声を上げてコートに四肢を投げ出したところで終えていた。そのタイミングを見計らって、隼人は全員に集合をかける。

「男子と井上、集まれー!」

 良く響く声に反応して六人が隼人の前に集まる。隼人は谷口にもらった紙を広げて見せながら言う。

「練習試合試合の相手と日程が決まった」

 それから谷口に言われたことを復唱するように、相手高校の情報と練習試合の日時を知らせる。
 八月四週目。夏休みが終わろうとしている時期。
 大体、三週間くらいの練習期間と想定して、どれだけのことができるかこれから考えなくてはならないと伝えると、真比呂が嬉しくてたまらないといったように拳を握り締めてから突き上げた。

「……いよっし! いっそ景気よく勝って俺たちの伝説を始めようぜ!」
「言い方大げさだけど賛成」

 真比呂に同調して純が言う。理貴も礼緒も明確な目標が決まって燃えてきたのか静かだがやる気が漲っていた。その様子に隼人は笑みを浮かべて、今後の練習計画を立てないと、と頭を切り替えようとする。
 そこで、ひとりだけ憂鬱な顔をしている賢斗を視界にとらえた。

(……鈴風?)
「じゃあ早速練習だな!」

 賢斗に憂鬱の理由を聞こうとした隼人だったが、真比呂の勢いにかき消される。賢斗も真比呂に乗ってコートへ向かったこともあり、隼人は尋ねようと開いた口から声を発せられずに止まってしまった。
 何度か口をパクパクとさせてから閉じる。

(……時間ある時に聞いてみるか)

 嘆息するとそれを見ていた亜里菜が「隼人君」と声をかけてくる。

「賢斗君。ちょっと憂鬱そうな顔してたね」
「ああ。あんまり深刻そうじゃないんだけどな。初めての対外試合だから緊張してるのかな」
「そうかもしれないね。真比呂君はスポーツ経験者だけど、賢斗君は元々文科系だからね」
「合唱部は文科系っていうほど文科系じゃないけどな」

 亜里菜に苦笑して返してから、隼人もコートに向かう。
 今はひとまず練習を再開し、徐々に練習試合用の練習へとシフトしていく。その中で賢斗にもう一度憂鬱の理由を尋ねる。
 そう決めて、隼人は練習へと戻って行った。

 * * *

「ぷはぁ」

 賢斗は手洗い場の水を喉を鳴らしながら飲んでいく。その回数が六回を越えたところで大きく声を出して口を離した。背中も前も汗がだらだらと流れ落ちていき、体の中に溜まった熱を外に放出しようとしている。真夏になろうとしている時の体育館の熱さが自分の想像以上だということが分かって、賢斗はくじけそうになる自分を自覚する。

(でも……自分で変えようって思ったんだから。変えないと。自分で新しいことしようって決めたんだから)

 水が垂れてくる口を手で拭いて、練習に戻ろうとする。ちょうどそこで、見知った顔と遭遇した。
 二人とも学生服で細身の体型。しかし、自分よりも良く、張りのある声を出せる男二人。二人も賢斗の姿を見て「あ」と呆気にとられた顔をしたが、すぐに声をかけてきた。

「よう、久しぶり」
「バドミントン部、慣れたか?」
「うん……そっちは?」

 中学まで合唱を一緒にやっていた仲間だった二人は、今の賢斗の様子にも特に何も言わない。あくまで現状を確認するだけ。
 賢斗も、自分が過剰反応していることは分かっている。高校に入った直後の選択で、別に一度合唱部に入ってから辞めたわけではない。何も問題はないはず。それでも、心のどこかで気にしていた。
『どうしてバドミントン部に入ったんだ?』と言われないかと。

「俺らも六月に定期演奏会やったからさ。三年が引退してコンクールだよ。珍しいよな、コンクール前に三年が引退するのって」
「そうなんだ……ごめんな。部活忙しくていけなくて。誘ってくれたのに」
「いいよ。お前はお前で大変だろうから。たまにはカラオケ行こうぜ。お前の歌聞きたいし」
「ありがとう」

 そこで二人は賢斗から離れていった。その後ろ姿を少しの間見送って、賢斗は体育館へと戻る。
 合唱を続けていた中で出会った仲間。大切な仲間と高校でも合唱部に入ろうと思った。しかし、それを止めてバドミントンをしている。そのことで責められないかと最初の方は怯えていたが、最近は大分楽になっていた。
 しかし、不安は完全には消えていない。

(未練はあるんだ……やりたいけど。自分が二人いればなぁ)

 自分の体が分裂して二人になって、同じ時間に二か所にいられればこんなことにはならないのに。賢斗はそう願わずにはいわれない。
 バドミントンを続けていくうちにその思いは更に強くなった。
 合唱を続けたいという気持ちが改めて自分の中に見えてしまった。
 悶々とした気持ちで体育館に戻ると、コートでは試合が行われていた。
 隼人と真比呂。理貴と純が組んでの試合。自分から見れば明らかに上手く、スピードもパワーも違う。そんな四人がコート全てを使ってシャトル一つをコートへと叩き付けようとしている。審判は礼緒が行っており、席を外していた賢斗は一人残る形になる。

「あ、賢斗君。戻ったんだ」
「井上さん」

 体育館に入ってきた賢斗を見つけて亜里菜が近付いてくる。
 その手にはラケットとシャトルを持ち、これから打とうという状態だ。

「しばらく実戦形式の練習するから、賢斗君は私と基礎打ち続けてって」
「井上さん。足は……」
「基礎打ちレベルなら大丈夫。あんまり無理はしないからさ。それに、私もたまに打ってないと皆のプレイ見ててストレスたまっちゃうの」

 マネージャーの仕事だけじゃストレスが溜まる、と素直に言う亜里菜に苦笑して、賢斗は壁際に置いてあった自分のラケットケースからラケットを取出し、亜里菜の後をついていく。四人が試合をしているコートの横。更に女子が練習を続けているコートの間に位置するスペースに強引に余っているネットを引っかけて打つスペースを作っていた。その半分を使って、余った人間で基礎打ちする。
 ハイクリアやドロップ、ドライブにスマッシュ、プッシュ、ヘアピンとバドミントンの基本的なショットはこの二か月でなんとなく打てるようになってきた。まだまだ荒くても良くなっている実感はあった。

「じゃあ、ハイクリアからねー」
「分かったよ」

 亜里菜のロングサーブで飛んだシャトルの下に入り、自分の体の動きを一つ一つ確認していく。左腕を掲げて掌でシャトルをロックオンし、右手はラケットを背中に持って行き、体重は後ろに下げた右足に。タイミングを合わせてラケットを振ると同時に前方へと体重移動させて体が前に出る力も加えてシャトルを打ち抜く。前のめりになる体を右足を踏み込んでしっかりと支える。
 真っ直ぐに打ち返したつもりだったが、ラケットの軌道が斜めだったのか、左側へとずれていく。亜里菜はそれを追って行き、下に入るとまた賢斗のいる場所へとシャトルを打った。

(井上さんも高羽君に似てコントロールがいいんだよな……)

 ハイクリアを打たせるためにちょうどいい位置へとシャトルを打つ。足の怪我がなければ選手として現役で練習していたに違いない。
 そこまで行くのにどれだけの練習を積んだのか。分野が違えど技量の修得に時間がかかることが分かる賢斗にはなんとなく想像できた。だからこそ、気分が徐々に暗くなっていく。

(このまま続けていいのかな)

 賢斗は暗い気持ちのまま基礎打ちを続けて行った。
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