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● SkyDrive! --- 第三十一話 ●

 扉も窓も閉められて密封された空間の中は、外の日差しによって壁があぶられ、結果として中の空気が暑くなる。空調を効かせたり窓を開けることができれば問題ないのだが、室内競技で更に風に影響を受けやすいスポーツを行っている者たちには許されない。バドミントンに触れてから誰もが毎年体験していることだろうと思うだけで、隼人は気分が少し楽になった気がしていた。

「暑くなってきたなー」
「これから室内競技は地獄の季節だな」

 隼人はスポーツドリンクを飲んでから最初に声をかけてきた真比呂へと答える。七月に入り神奈川県は徐々に夏の気温へとシフトチェンジしていく。六月にはもう暑くなり始めていたが、七月に入れば顕著に夏を主張してくる。このまま八月に入ると、外を歩くだけで汗が溢れてくるようになる。その中で、ランニングなど体力トレーニングをすることになるわけだ。

「お、終わった……」

 体育館の扉を開いてやってきたのは賢斗だ。汗まみれの顔を見ると少し危険を感じて、隼人は自分の持つスポーツドリンクを渡そうと近寄る。

「脱水症状に気を付けろよ。倒れたらやばいからな」
「あ、り、が、と」

 生きる屍のようにがくがくと震えながら、賢斗はペットボトルを受け取って口を付ける。最初は少しずつだった飲み込む量が一気に増えてそのまま最後まで飲み干していた。終わった後も水滴を吸い取ろうと息を吸い、やがて口を離した時には思い切り「ぷはぁ!」と叫んでいた。

「生き返った……ありがとう、高羽」
「助かったなら良いよ」

 隼人は曖昧に笑って立っていた場所に戻る。賢斗は立つのが辛いのか体育館の壁にもたれるとそのまま座りこんだ。そして、目の前で繰り広げられている試合を眺め始める。

「おら!」
「――!」

 理貴が打ったスマッシュを礼緒が丁寧に前に落としていく。軽く飛びながらスマッシュを打った理貴は着地してすぐに前に飛び込んだ。シャトルコックをこするようにヘアピンを打ち、スピンをかけるとシャトルは空気抵抗を受けて不規則に落ちようとする。だが、礼緒が追いついてロブを上げる方が早かった。悪態をつきながらコート奥へと走って行き、何とか追いついた理貴はストレートのハイクリアで礼緒を後方へと追いやる。その間にコート中央へと戻り、次の一撃に備えるため腰を落とそうとした。
 その、隙とも呼べない隙を礼緒は突く。

「はっ!」

 ストレートに放たれたスマッシュは再度、シングルスラインぎりぎりに入る。理貴も頭ではサイドステップで追いついてラケットを振ろうとしたが、腰が落ちるまで次の体重移動をすることができずにその場に留まることになった。構えを終えて横に飛ぶがすでにシャトルはコートについていた。

「ポイントー。トゥエンティフィフティーン(20対15)」
「くっそ。そのスマッシュなんなんだよ」

 悪態をつく理貴に応えて笑う礼緒。隼人は二か月前の姿を見比べてだいぶ変わったと感じていた。
 180センチの身長と程よい筋力。恵まれた体にも関わらず周囲のプレッシャーに弱い性格のせいで負け続けた男。高校に入っても性格は改善できずにバドミントンを捨てようとしていた。だが、今はこうして自分たちとバドミントンをしている。上手い選手が、事情に負けずにバドミントンを続けている。それが隼人にはとても嬉しかった。自分もまたバドミントンを止めようとしていただけに。
 物思いにふけっていた隼人の耳に体育館の扉が開く音が届く。見えたのは一組の男女。男の方はビニール袋にたくさんのペットボトルを下げていて、女子は前を率先して歩いていた。

「お待たせー、みんな。飲み物買ってきたよ」
「サンキュー! ありなっち!」

 真比呂が手を上げて言いながら二人の傍に駆け寄る。目的は男の持つペットボトルなのは明らかだ。実際に真比呂は二人の傍につくと男へと手を伸ばした。

「疲れたろー。持ってやるよ」
「……井波もついてきてくれればよかったのに」
「まーまー、純。筋力トレーニングになったろ」
「じゃんけん弱いのは試合だけじゃないみたいだなぁ」

 男子の中で買い出しの手伝いをするじゃんけんに負けた純は、マネージャーの亜里菜と共にコンビニへと買い出しに行っていた。その間に各々はランニングや試合形式の練習など実施していたのだった。

「よし、じゃあ一回休もう」
『賛成!』

 隼人の声に五人の声がハモる。息のぴったりぶりに嘆息すると亜里菜が口に手を当ててクスクスと笑う。

「井上も笑うなよ」
「ごめーん。でも、大分みんなと打ち解けてきたよね、隼人君も」
「名前で言うなって。なんか緊張する」
「そう?」

 亜里菜はいたずらっぽい笑みを浮かべて隼人から離れると、各自にペットボトルを配っていく。コンビニで買ってきたのは自販機に打っていない1リットルサイズのもの。出来るだけペットボトルを買いに行く頻度を下げて練習に集中したいという隼人の提案に乗って買ったものだ。夏場は特に水分補給に気を付けなければならないため、多くて損はないはず。

(でも、井上の言うとおり、打ち解けたよな、皆が皆)

 1リットルペットボトルの口を開けて片手で傾けつつ、周りを見る隼人。
 男子バドミントン部として男子六人。そしてマネージャとして亜里菜を迎えてから二か月と少し、時が過ぎていた。インターハイに挑む女子のサポートをしつつ、隼人を中心にメニューを考えて地道に体育館で練習をこなしていく期間を二か月を過ごすと、仲間内でも性格など分かってくるものは多い。
 真比呂は相変わらず皆を名前で呼びながら、細かいことは隼人に任せて部長という立場を何とかこなしている。月に一度部長会議に顧問と共に出ているがその堅苦しい雰囲気が苦手という愚痴を二度聞いた。次は三回目だろうと隼人は思う。
 亜里菜はその真比呂を真似てか、彼女なりに男子に近づいてマネージャーとして頑張ろうとしているのか、全員を名前で呼んでいた。ただでさえ真比呂に名前で呼ばれることに抵抗がある隼人には気苦労が増しているが、他のメンバーには好評らしい。ノックなど練習の手伝いをしてもらっているが、特に役立っているのは各個人の得手不得手をデータ化してまとめてくれているところだった。
 亜里菜も隼人とほぼ同じ、相手のデータから戦略を組み立てるタイプなだけに六人が何が得意で不得意かをある程度データ化し、どういう練習をすれば何が伸びるのか、ということを隼人と共にまとめていた。二か月はそのデータ集めと体力を含めた地力の向上がメインだったが、これからは弱点の克服と得意分野のレベルアップを練習に組み込むことになる。

(井上が一番心配だったけど……楽しそうで良かった)

 膝が完治しないことで、自分が望むプレイが出来なくなり、バドミントンを止めようとしていた亜里菜を隼人が何とか引き留めた。自分と同じような力を一緒に役立てたいと。その時は強引だったかもしれないが、この二か月、亜里菜とデータをまとめるために二人で会話することが多かった。そこでは生き生きとした彼女を見ることが出来て隼人も胸をなでおろしていたのだった。

「純! ダブルス練習やろうぜ」
「今帰ったばかりだけど……いいよ、理貴」

 礼緒と共に一番変わったと隼人が思える男は、理貴だった。ダブルスパートナーである純に対してはいつの間にか呼び捨てにし、隼人たち以上にフレンドリーに接している。入部当初は全員に対して一歩引いて、誰かが暴走しようとしたら抑える役目に自然となっていた。今は歯止め役は変わらないが、ずっと隼人たちに馴染んでいる。入部の経緯で仲間の重要性を問われたことが、十分に生きていた。
 純も真比呂と共に部内のムードメーカーの立ち位置にいる。練習に集中している他の男子や、亜里菜へと気さくに話しかけて練習での疲れを少しでも癒してくれていた。

「高羽君。あとでいいんだけど、フォーム見てくれる? またおかしくなってる気がするんだ」
「ん? おっけ。分かったよ、鈴風」
「ありがとう〜」

 賢斗は合唱部から転身したことからか、五人の中で最も練習を数多くこなしてきた。基本のフォームを体に染みつけるための素振り。フットワークの練習。ノックでシャトルに追いつくための反応速度を上げること。
 運動をするには少し太めの体が二か月の間にシェイプアップされていく。肉体が改造されていっても声の良さ、歌の上手さは変わらず、たまの休みで遊ぶ際にいくカラオケではいつも隼人は歌を堪能していた。すでに男子バドミントン部だけではなく女子も賢斗の歌は期待しているようで、一緒にカラオケに行きたい女子が増えているとのこと。

(カラオケ上手いだけじゃなくて、あの素直な性格がいいんだろうけどな)

 バドミントンは頭を使った、意地が悪い者が勝つと言われている。相手の嫌なところに躊躇なくシャトルを叩き込むことが必須のスポーツだからなわけだが、その意味では賢斗は意地が悪いわけではない。それでも上手くなるために必要な素直さ、誠実さがあるからこそ成長度は他の五人より明らかに上回っている。

(潜在能力なら小峰とかより上だよなきっと)

 真比呂と賢斗は最低一年は戦力にならないと考えていた隼人だったが、その予想は大きく短縮されそうだと感じる。このままいけば、来年の三月に開かれる全国バドミントン選抜大会に出られるかもしれない。
 一つ一つ積み重ねていけば、目標が具体的に見えてくる。
 最初に掲げた全国制覇は、雲の上にあって全く見えなかったが、今は雲間からちらっと見えるようになった。次はそこに向けて飛び始める段階。そのためには――

「あ、そうだ。女子のインターハイ県予選の結果って聞いたっけ」
「聞いてないぞ。教えてくれ!」

 隼人が考えをまとめようとしたところで、亜里菜が言い、真比呂が反応する。
 真比呂に続いて男子全員が亜里菜に注目する中で、携帯を開いて結果を読み上げた。どうやらメールで亜里菜へと連絡が来ていたらしい。

「まず、団体は準決勝で負け……残念だったね。で、個人戦は月島さんが優勝。ダブルスでは月島さんと部長の西川さんのダブルスが三位。全国は、行けなかったみたい」
「おお! 月島さん! 流石だ!」

 憧れである月島奏が全国に行くというのが余程嬉しいのか、真比呂は飛び上がって叫ぶ。着地して床が重い音を立てて、周りにも多少伝播した。しょうがない奴だと思いつつも隼人も嬉しさを隠さない。
 隼人も真比呂と同じように、自分の理想のプレイをする先輩が全国に行くのは、嬉しかった。

「じゃあ、女子も次には世代交代が始まるんだな」
「そうだね。三年生はこなくなるかな……少しさびしい。お世話になったし」

 理貴の言葉に寂しさを隠さずに亜里菜は答える。短い間とはいえ部員として練習に参加し、いろいろと教えてもらったことを思い返したのか、表情が徐々に曇る。
 しかしそれは当たり前の別れ。一年から三年までの間で、決められた時間の中で精一杯のことをして、時期が来れば引退する。そうして短いスパンで変わっていくからこそ、変化を受け入れて頑張っていくのだから。
 亜里菜の寂しさを紛らわせられればと、隼人は言葉を続けた。

「引き継ぎとかいろいろあるのか?」
「うん。多分、インターハイの全国大会が終わって、月島さんが帰ってきてからかな」
「そっか。じゃあ、その後でも、やりたいな」
「何を?」

 亜里菜に聞き返され、皆の意識が集まったところで、隼人は言った。

「練習試合」

 少しの間、場が静まり返り、次には『おおお!』と同時に声が上がる。最初に隼人に組みついたのは真比呂だった。

「練習試合か! いいなそれ! 女子とじゃなくて他校の男子と遂に練習試合!」
「ああ。インターハイが終わった後なら、他の学校も新体制に移行するだろうし、全国に行けなかった高校なら、更に早く世代交代してるだろ。そうなると、次の公式戦の前に一度新世代の実力を試したくなると思うんだよな」

 隼人が一度言葉を区切ると「なるほど」と理貴が会話を繋ぐ。

「俺らは今年復活したばかりの部で、しかも実績はあまりぱっとしない。調整としての練習試合の相手にするには不足はないってことか」
「そういうこと。俺たちくらいだと強豪校は相手にしないだろうが、そういう全国に行ってないチームにとって『丁度いい練習相手』になるんじゃないかって思うんだ」

 理貴と隼人のやりとりを聞いていた真比呂は考え込み、やがて顔を不快さに歪める。二人の会話の意味がようやく分かったといわんばかりに「えー」と不満げな声を上げた。

「俺ら、舐められてるってことか」
「舐められてるも何も。誰も大会で凄く良い成績なわけでもなく。お前と鈴風は初心者だからな。メンバーも六人しかいないし、チーム力は最低ランクって考えていいぞ」

 隼人たちに不満を吐き出した真比呂の背中を叩いて諭したのは純だった。真比呂は受け入れがたいと顔をしかめたものの、最終的には納得して唸り、すぐに顔を明るくして言った。

「よし。なら、その練習試合が終わる頃には相手を愕然とさせてやろうぜ!」

 真比呂はあまり意味もなく「うぉおお!」と叫ぶ。隼人はやれやれと首を振りながらも聞こえないように呟いた。

「お前のその切り替えの早さが、大事なものだよ」

 誉め言葉と呆れた言葉。両方の意味を込めた言葉は空中へと消えていった。
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