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● SkyDrive! --- 第三十話 ●

「……高羽君、酷過ぎね」

 隼人が去った体育館で、亜里菜は一人ため息をついた。別に、最初は相談に乗ってもらう気などなかった。どういうアドバイスを貰おうと、自分がどうしたらいいかなんて分からない。決める気がないことに対して針が振れるわけでもないのだから。
 ただ、隼人ならば自分のぐちゃぐちゃの気持ちを整理してくれるだろうと期待したのだ。ただ、聞いて、いくつかの道を示してくれるだろうと。
 結局、自分自身が考えた道しかなかった。
 バドミントンをこのまま惰性で続けること。
 試合には出られないだろうが、基礎打ちや部内の練習試合などシャトルを打つことは出来るだろう。自分の足の痛みと相談しながら、三年のインターハイが終わるまで続けることは出来るはずだ。
 ただ、他の部員が試合に出てギリギリの戦いをするところを見続けているのは辛くなるだろう。部活に参加していても、最終目標である公式戦に出るということは叶わなくなるのだから。ただ、バドミントンを続けていくことが高校三年間の目的になってしまう。
 逆にバドミントンをこのまま辞めて、新しい趣味を見つけるなら、バドミントンを自分の思い通りにできない苦しさからは解放されるだろう。そして、新しい趣味に没頭していけば、いずれバドミントンの記憶は風化していって思い出すこともなくなるはず。
 自分がバドミントンを好きになって、積み重ねてきた時間が、全て消えてしまうことに耐えられるか。
 あるいは、マネージャーとして、別の形でバドミントンに関わることも選択肢の中には存在する。女子よりも男子バドミントン部に。復活したばかりで個々人のレベルアップが第一であろう男子部で、他の様々な雑用を兼用していくのは大変だろう。隼人も亜里菜を必要としていることを伝えてきた。ならば、この提案にのって協力すればバドミントンから離れなくても済む。
 しかしそれは、プレイヤーではない。最初に考えた案と同じで、他のプレイヤーに嫉妬してしまうだろう。
 膝が治るまで安静にするというものもあるが、治る可能性が100%じゃない以上、休んで何もしなかった期間が無駄になる可能性は十分ある。
 どの路を選んだとしても、何かしらの後悔が残る。ただ、その後悔や未来へのリスクを恐れていてはとどまったままだ。
 亜里菜は立ち上がって壁に立てかけてあった鞄を取ると、扉へと歩いていく。そして自分の道を開くように、扉を開けた。

「あら、井上。いたの?」

 開けたタイミングが同じだったのか、扉の向こう側にいた谷口に全く気づかなかった亜里菜は、唐突に出てきたように見えた谷口に驚いて後ろに数歩下がってから何とか口を開こうとする。

「あ、あの、先生」
「一人? それとも高羽君と一緒だった? 夜の体育館で男女が二人きりは今後は止めてね。危ないから」
「高羽君はそんな人じゃないです」

 谷口の言葉に真っ向から否定すると、谷口は笑って亜里菜の肩を軽く叩く。それは分かっているというジェスチャーだろう。

「高羽君からマネージャーの誘いでもあった?」
「……先生が、高羽君に言ったんですか?」

 谷口は体育館の中へと入り、後ろ手に扉を閉める。それはもう少しだけこの場で話をしようという谷口の意志表示。亜里菜も従って、数歩後ろに下がる。

「私は言ってない。ただ、あなたのことを一番分かりそうなのは高羽君だと思ったのよ。プレイスタイルも似てるからね。悩みも近いんじゃないかって」
「いろいろと的確にアドバイスされました。私がどうしても、後悔するって」
「分かってるじゃない」

 谷口は再度、亜里菜の肩に手を置いて優しく言葉をかける。それは母親が子供に諭すような柔らかさ。

「誰も井上の辛さの本当のところは分からないだろうし。バドミントンから離れても、このままやっていても辛いだろうし。どうしても後悔は残るんだから、あなたくらいの歳なら、その後悔した気持ちにやきもきしながら先に進みなさい。愚痴なら友達がいくらでも聞いてくれるわよ。私が言えるのはこれだけ」
「先生」

 何度か肩を叩いてから谷口は背を向けて扉を開く。谷口の背中を見て、亜里菜は言いかけた言葉を胸の中に押し込んだ。亜里菜に向けて言っているようで、どこか谷口自身へも言っていたのではないかと思えたが、その感覚を質問とするには時が足りなかった。

「さすがにもう学校自体閉めるから、帰るわよ」
「はい」

 谷口の後をついて体育館を出る。その瞬間、何かが自分を通り過ぎたような気がして亜里菜は中へと視線を向けた。
 そこには何もない。しかし、その何かに対して、亜里菜は頭を軽く下げて、自分から扉を閉めた。
 ゆっくりと、大きな音を立てずに。
 しっかりと、隙間を無くすように。

「先生」

 そして、前を行く谷口に亜里菜は再度、口を開いた。


 * * * * *


「隼人! 説得できたのかよ! いないじゃんか!」
「名前で呼ぶなって」

 二日前と同じ光景。体育館の壁に寄りかかり、隣に立つ真比呂からの声を迷惑に感じながら体育館を一通り見回す。
 いつも通りの部活。同じようなメンバー構成。
 そして、亜里菜の姿はやはり見えなかった。
 話をした時に言われた足を休めているだけ、ということは伝えていても、やはり真比呂は自分との試合で再発したという思いが強く、不安らしい。
 言葉を選んでも落ち込むのを止められなかった。

「しょうがないやつだな……お前、小峰のこと言えないんじゃないか?」
「うう……礼緒にも謝っておく」

 項垂れる真比呂から視線を逸らし、コートでダブルス練習している四人を見る。賢斗も動きが二日前より格段に良くなり、一回一回の部活での成長が見て取れた。そのことに隼人は嬉しくなる。
 そんな高揚感を味わっていたところに、谷口が近付いてきた。

「高羽君。井波君。ちょっと話いい? って、井波君は何を落ち込んでるの?」
「なんですか? こいつは放っておいていいです」

 真比呂を置いて前に出て、谷口に向き合う。谷口は手に持った書類を差し出してきた。そこには部活の申請ということでいくつか記入する項目がある。

「一応顧問と、あと三役は書かなくちゃいけないのよ。部長と副部長二人。あと、復活ってことなので部員を一通り書いておいて」
「これって最初の時に出さないといけないんじゃ」
「そこまで厳密なものじゃないわよ。でも、そろそろ出しておかないとね。これから活動を活発化させるし。みんなで決めてね」

 隼人は紙を受け取り、コートで試合をしていた四人を呼び寄せる。谷口はすぐに去って女子たちの指導を再開したようだった。何事かとやってきた四人に隼人が手早く意図を説明すると、純が首を傾げつつ言う。

「部長って、高羽がやるのかと思ってたけど」
「へ? 俺?」
「そうだよ。お前が一番動いてたじゃないか」

 純に続いて理貴も言う。視線を向けると賢斗もまた頷いていた。賢斗に関しては確かに、隼人のメールアドレスに入部すると連絡をしたのだから、窓口イコール部のまとめ役と考えてもおかしくはない。

「小峰はどう思う?」
「俺は最後に入ったから、やっぱり結成しようとした高羽で良いと思うけど」

『結成しようとした』という言葉に、隼人は自分の中の違和感の正体を知る。

(そうなんだよな。俺は乗っかっただけだ。バドミントン部を作ろうとしたのは)

 隼人はまだ下を向いて俯いている真比呂を揺さぶって意識を戻させた。

「おい、井波」
「……おっと。どうした、隼人」

 隼人は紙を目の前に突き出して、今までのやり取りを説明する。すると真比呂もまた隼人が部長でいいのではと提案した。

「だって、隼人は練習メニューも考えるし、オーダーも考えるし、部のまとめにはちょうどいいじゃん」
「……んー、まー、そうなんだけど。俺はお前がいいと思ってるんだ」
「俺が?」

 隼人は頷いて、真比呂以外の四人にも説明するように口を開く。

「俺は最初、バドミントン部が休部になってたってことで諦めていたんだ」

 隼人は四月の初めの頃を語り始める。
 バドミントン部があれば入るつもりだったが、中学までの自分のバドミントンに限界を感じていたこと。部活が休止しているからと言って改めて部を起こす気もなく、別の趣味を見つけようとしていたこと。
 手始めに卓球部の見学に行って、月島奏のプレイに魅了されたこと。
 そこから真比呂に誘われて、バドミントン部を結成するために手を貸したこと。
 隼人はひと通り語り終えて、一度咳払いをしてから言った。

「俺一人じゃ、やっぱりやる気は起きなかった。井波は初心者だし、確かに今は俺がメインで練習メニュー考えたりしてるけど。俺は、部長ってのに必要なのは皆を引っ張る力なんじゃないかって思うんだよ」
「……あぁああはは。照れるぜ」

 真比呂は隼人の言葉に照れを見せる。自分のことを誉められるのに免疫がないのか、動揺する姿に思わず笑ってしまう。

「その後から外山や中島、鈴風や小峰が入ってくれて。その中で俺は、やっぱりバドミントンが好きなんだって思って。どんどんやる気が出てきたんだ。俺はさ、人に影響されるけど人に影響させるような力は、あんまりないと思うんだ。だから、俺は部長より……副部長とか、そのあたりで部長を助ける方がいいかって思うんだよな」
「だから、井波が部長のほうがいいってことか」

 理貴の言葉に隼人はしっかりと頷く。そうだな、と一言前置きして理貴は続ける。

「俺も、井波の熱気にあてられた口ではあるからな」
「……俺も最後に入ろうと思ったのは井波からの誘いだったしな」

 あとに続くのは礼緒。二人は特に真比呂との繋がりでバドミントン部に入った。その事からも隼人の言葉に説得力があるのだろう。

「うん。俺もそれで異議なし」

 純と賢斗も頷いて隼人の提案を受け入れる。あとは、当人だけ。

「……じゃあ、分かった。俺が部長やるわ。皆! 俺についてこい!」
「早くルール覚えたり、実力つけろよ」

 皆を鼓舞しようとする真比呂に対して鋭く突っ込みを入れる理貴。それに笑いつつ隼人は紙とペンを手渡して部長の欄に名前を書かせる。
 副部長には隼人自身と理貴でどうかと皆に言って、同じく異議なし。三つの欄の名前が埋まる。
 残るのは部員と。

「マネージャー枠あるんだな」
「運動系だしな。任意って書いてるし、いなくてもいいよ」

 隼人が書き終えたところで、真比呂が覗き込みつつ言う。それに言葉を返した隼人だったが、そこに『井上亜里菜』の文字があればいいとふと思う。

(やっぱり期待しすぎだよな)

 今の自分に言えるだけのことは言ったと隼人は思っている。
 谷口からのアドバイスもあり、その場でマネージャーについては押し切りはしなかった。それでも強引とは思うが、やはり場の雰囲気でOKを出させても意味がない。
 今、この場で来てくれないかと思うだけ。
 そう考えているうちに、残りの純、賢斗、礼緒が名前を書き終える。

「終わったぞ。あとはこれ、先生に出せばいいんだな」
「ああ……そうだな」

 隼人は紙を改めて眺める。
 これから一緒に全国優勝を目指して戦っていく仲間たちの名前。
 ぽつりと空いたマネージャーの欄を再度見て、軽く息を吐く。
 最後に残った躊躇いをそれで捨てて、隼人は一歩踏み出した。
 その時、体育館の扉が少し大きな音を立てて開いた。

「……井上」

 隼人よりも先に真比呂が口を開く。息を切らせて立っていたのはジャージ姿の亜里菜だった。
 髪を縛り、眼鏡をコンタクトに変えて、運動をする準備を整えている。その背にはラケットバッグ。そのまま、女子部の部活に参加しにいくような恰好。
 しかし、亜里菜はバッグを体育館の壁に置いて、隼人たちの傍へとやってきた。

「高羽君。みんな……あの、話があります」

 亜里菜の言葉に全員が頷き、話を聞く体勢に入る。亜里菜は一度深く息を吸ってから、勢いよく吐き出した。それから目を開き、隼人たち男子バドミントン部全員を見る。

「男子バドミントン部のマネージャーを、やらせてください!」

 勢いよく言って、頭を下げる。その声が大きかったのか、何人か女子が隼人たちの方を向いた。その中に谷口もいる。隼人はその様子を見てから亜里菜の頭を見て言った。

「ああ、やってほしい。みんなも、いいだろ?」
「いいじゃないか! 女子マネージャー! 燃えてきた」
「俺らだけだとテンパることあるだろうし、サポートしてもらえると助かる」

 真比呂や理貴がそれぞれの思いを口にして、更に純や賢斗も賛成する。何の障害もなく受け入れられたことに逆に呆気にとられたのか、亜里菜は頭を上げて隼人に「いいの?」と呟く。
 隼人は紙とペンを亜里菜へと突き出して言う。

「いいんだよ。よろしくな、井上」
「……うん!」

 亜里菜は紙を受け取り、空いているマネージャーの欄に自分の名前を書き入れた。それを隼人に手渡して「よろしくお願いします!」と元気に答える。
 隼人は申請書を眺めた。
 顧問の所にはすでに谷口静香の名前。
 部長は井波真比呂。
 副部長に高羽隼人、中島理貴。
 部員に外山純、鈴風賢斗、小峰礼緒。
 マネージャーに井上亜里菜。
 新生栄水第一男子バドミントン部のメンバー。
 根拠もないのに、湧き上がる自信に隼人は震えた。

(ここから、始まる)

 栄水第一バドミントン部の。
 隼人たちの挑戦が、ここから始まる。


 ――SkyDrive! 第一部・完
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