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● SkyDrive! --- 第二十八話 ●

「おい。おい、隼人!」

 かけられた声のした方向を振り返った隼人の目に映ったのは、真比呂の姿だった。正確には、真比呂の胸部。バスケットと、最近ではバドミントンでも鍛え上げられた胸筋が目に飛び込んできたことで、いつの間にかパーソナルスペースまで踏み込まれていたことに全く気付かなかった隼人は、危機感から後退した。下がったことで真比呂の顔まで見えるようになり、ようやく落ち着いて言葉を発する。

「おい。いきなり来るなよ。驚くだろ」
「いや、四回は言ったね。四回は『おい。おい、隼人!』って言ったね。何回目に気づくか試すのに全く同じテンションで言ってみたね」
「……そうか」

 隼人はため息をついてその場から歩き出す。どこに行くのかとは訊かずに真比呂は後ろをついていく。隼人が向かったのは体育館の壁だった。傍にすぐ入り口があるところ。そこに背中をつけて体育館全体を視界に入れつつ、真比呂の話を聞くことにしたのだ。
 ちょうど部活の最中で二人は休憩に入るところだった。

「で、なんだよ」
「なんだよって分かってるんじゃないのか? 俺の言葉聞こえてなったのも、探してたんじゃね?」

 真比呂の言葉に返答はしない。真比呂もそれを肯定と受け取って、先ほどの隼人に似たような嘆息をしてから最も言いたかったであろう言葉へと続けた。

「井上。なんで来ないんだろうな」

 隼人の中にもそれに対する答えはなかった。
 女子との練習試合から一週間。インターハイの県予選もすぐ傍に迫り、女子部はより一致団結して練習に励んでいる。男子も練習試合で勝利したためにコートの一部を使って練習させてもらっていた。顧問がついた正式な練習は女子部のインターハイが落ち着いたらということにして、現時点では市民体育館を使っていた時と同じように隼人や理貴が骨子を作った練習メニューを純と礼緒がブラッシュアップした上でこなしている。
 今は隼人と真比呂を除いた四人でダブルスの試合をしつつ、賢斗のレベルアップを図っていた。

「なあ、心配じゃないか?」
「心配だけど、俺らが何か言う問題でもないだろ。単純に体調悪いだけかもしれないし」
「でもさあ、俺と試合やった後から来てないってのが気になるんだよなー。俺との試合で何か自信喪失でもしたのか……」
「そうかもな」 

 隼人の言葉に真比呂が泣きそうな顔を向ける。それがうっとうしくなって隼人は少し語気を強くした。

「もしそうだからってお前は相手に遠慮するのかよ。お前がバスケで倒したチームの中にもお前のせいで辞めた奴いるかもしれないだろ」
「あ、いや……さすがに言ってみただけだって。なんかお前、冗談通じてなくない?」

 自分の不安をありえないようなことを言ってなくそうとする。そういうことなのだろう。いつもの自分ならそう言って気にしないのかもしれないと、隼人は真比呂に気づかれない程度に肩の力を抜こうとする。

(やっぱり気にしてるんだろうな)

 そして自分の気持ちに素直になる。
 井上の不在は隼人も気になっていた。心なしか教室で話す機会も減っている気がしている。真比呂や隼人が話しかけると普通に会話はするのだが、バドミントンに関して触れると言葉を濁される。それを綺麗にかわすくらいされたならばもう少し話すことが出来るかもしれないが、あからさまに話しづらそうにするために真比呂も隼人もそれ以上、話し続けることが出来なかった。当人の問題ならば彼女自身に解決してもらうしかない。それでも、隼人は心の奥にあるモヤモヤとした感情を自覚する。

「何か悩みがあるならなんとかしてやりたいよなぁ。井上のおかげで男子バドミントン部もこうして思ったより早く結成できたんだしな」
「ああ。あいつ……頑張ってくれたよ」

 井上の要所要所の協力によってバドミントン部の結成が早まったのは間違いない。井上にしてみれば自分の練習時間を潰してまで手伝ったこともあっただろう。それはもちろん井上の意志で隼人たちは頼んでいないのだが。だからこそ、隼人はどうしても助けたいという気持ちを止められない。

「なあ、隼人にならきっと井上は理由話してくれるって。直撃してみてくれよ」
「なんで俺なんだよ。お前の方がこういうの聞きだすの得意な気がするけどな」
「何言ってるんだよ。井上はお前のことが好きなんだって。だからお前が優しく助けようと思えばきっと頼ってくるって」
「前も言ってた気がするけど違うと思うんだが」

 真比呂が更にそんなことはない、と井上が隼人を好きだという説を主張するも、隼人は既にその言葉は聞いていなかった。
 井上が自分に好意的なものを持っているということは分かる。ただ、それは隼人個人へというよりも隼人の他に真比呂や純など、男子バドミントン部全員に対してのものだ。けして自分個人への感情だけではないと隼人は根拠はないが確信していた。
 それでも、井上は隼人に対して何かの感情を持っているというのは自分で認めているため、他のメンバーよりは動きやすいのかもしれないと考えた。

(井上と話す前に、谷口先生に聞いてみるか)

 練習の後に話を聞くことに決めて、隼人は手にしたラケットを持ち直し、素振りを始める。コートを使っている四人がもう少しで終わりそうだと判断したからだったが、真比呂は隼人の様子に更に井上のことで詰め寄ろうとする。しかし、機先を制して隼人はぴしゃりと真比呂を封じ込める。

「練習は練習。井波の言うとおり、俺が井上と話してみるから、お前はさっさと強くなれって。お前が一番心配なんだからな」

 また強めに言い放ち、真比呂の言葉を封じた隼人は純たちの練習が終わったところを見計らって真比呂を連れて歩き出した。


 * * * * *


「私からは何も言うことはないわ」

 谷口はそう言って隼人から視線を外して机に向かった。部活が終わった後で職員室に戻る谷口についていった隼人は、そのまま谷口の席で井上の休みについて質問をした。何か理由があるのかと。それに対する答えはそっけないもので、淡々と結果だけを伝えている。

「先生からはないってことは、他の一年とかに聞けばってことですか?」
「他の一年からもいい答えは返ってこないかもしれないわね」

 最初の言葉には何の感情も読み取れなかったが、今の言葉からは多少の諦めが含まれている。おそらくは、一度相談には乗って、井上自身の問題であり、解決するのは井上自身でなければいけないということなのだろう。隼人はそこまで考えて、なら自分も無理かと諦めかける。しかし、谷口は続けて隼人へと伝える。

「でも、高羽君ならもしかしたら彼女の悩みを解決できるかもしれないわね」
「俺が……ですか?」
「彼女とあなたは似てるから」

 谷口の言葉を脳内で反芻し、その意味を考える。性格が似てるかどうかは分からない。似てるというのであれば、隼人に考えつくのは一つ。

「プレイスタイルがですか?」
「それは似てるわね。でもプレイスタイルって結局、性格に関わってくるからね。その意味ではきっと人間的にも似てるところはあるんだと思うわ」
「そうですか」
「だから、相談相手にはちょうどいいかもしれない。今まではきっと、自分と違うタイプに相談してるだろうから」

 それで答えが出ないなら、似たタイプと話をすれば悩みを解決できるかもしれない。言外にそう言ってきている。隼人はそう解釈して「うーん」と呻りつつ、次の言葉を考える。だが、先に谷口が笑顔で言ってきた。

「高羽君と話すと、いろいろ言葉を省略できて助かるわ」
「……俺だってエスパーじゃないんですから、ちゃんと言ってくれないと分からない時もありますって」

 自分がいろいろと考えすぎるのだと言外に言われているようでどこかもやもやとした気持ちになる隼人だったが、谷口はフォローのためか言葉を続ける。

「そういう時はちゃんと言うわ。だから、今回は私がちゃんと言わないほうがいって思ってるから言わないだけ」
「……自分たちで何とかしろと?」
「男子バド部の影の功労者でしょ。自分で助けてあげなさい」

 結局は隼人や真比呂。おそらくは他のメンバーも思っている言葉で会話は終わった。隼人は頭を下げて職員室から去ろうとする。その背中に谷口に言葉が届く。

「小峰君の時も言ったけど。納得しないまま周りに流されるだけだと、後から大切なものを無くすわよ。それを忘れないでね」
「……分かりました」

 隼人は振り向かずに呟いて、職員室から出た。
 数歩進んだところで、隼人はラケットバッグを体育館に置き忘れたことに気づく。谷口に話を聞こうとしてうっかり持ってくるのを忘れたのだった。すでに部活は終わって体育館も誰もいない筈だが、鍵は開いているだろうと小走りで向かう。
 やがて体育館の入り口まで来て扉を開けようとした時、中から小さな、しかし聞きなれた音が聞こえてきた。

(シャトルを、打つ音?)

 ぽーん、ぽーんとシャトルがガットに当たって飛ぶ音。定期的に鳴っていることから、おそらく誰かがシャトルを上に打ち上げているのだろう。隼人は思うところがあって出来るだけ音をたてないように扉を少しだけ開き、中を覗いた。
 そこには思った通りの光景が広がっていた。

(……井上)

 薄く開かれたドアの先には、シャトルを上に打ち上げている井上の姿。制服のままで、靴は内履き。手に持つラケットは隼人のもの。その場にとどまりながら何度も何度も、シャトルを打ち上げている。表情は上を向いているために見えづらいが、少しだけ笑っているように隼人には見えた。
 意を決して扉を開いていくと井上の動きが止まる。そのままシャトルは井上の横を通りぬけてコートへと落ちていた。
 井上は普段通りの口調で隼人へと話しかける。それに答える隼人もまた、いつもの通りに口を開いた。

「高羽君。ラケット借りてるよ」
「ああ。見てた。井上、部活の時間は終わってるぞ」
「うん。久々に打ってみたくなったから戻ってきちゃった」

 今日の部活前にも、井上が学校から出るところは見ていた。校内に残っていたのではなく、部活が終わったところを見計らって戻ってきたのだろう。

(別にバドミントンを嫌いになってるってわけじゃないな。良かったな、井波)

 隼人はゆっくりと体育館の扉を閉めて、自分のラケットバッグへと向かう。そしてそこから一本取り出してからネットが張られていないコートへと向かう。

「もうそろそろ出ないと怒られるだろうけど、少し打とうぜ」
「え、いいの? 制服だよ?」
「お互い様だしな。ネットもないし、軽くだよ。軽く」

 隼人は井上の立つ場所と逆について、構える。井上は一つ息をついてからシャトルを拾い上げ、ロングサーブを打つ。

「ただ漫然とハイクリア打とうぜ」

 隼人はそう言ってハイクリアを打つ。できるだけ井上を動かさないように。

「漫然って何よそれー」

 井上は笑いつつもハイクリアを打ち返す。その軌道はきちんと、隼人のいる場所へとシャトルを落とす軌道だった。ハイクリアを打ちやすいような。
 二度、三度と続けても互いにほとんどその場所から動かない。ただハイクリアを続けていく。ハイクリアを打ちやすいような軌道で互いにシャトルを送り届ける。漫然と、と言いつつもいろいろと考えてながら打っている自分に隼人は苦笑する。シャトルの感触から、井上も同じように思考錯誤しながら打っているのだと分かった。

(やっぱり井上も俺と似たタイプ、なんだろうな)

 相手の望む様な場所に打ち込む。それは望まない場所を分析して打ち込むのと表裏一体。だからこそいろいろと考えて分析していく。その作業を苦としない。隼人は中学時代に周りにいなかったプレイヤーを前に、単純に嬉しくなった。
 最初は悩みを聞く場繋ぎとして提案したラリーだったが、すぐに純粋に楽しみだす。だが、十を越えたあたりから疑問が湧いてきた。

(これだけ打てるなら……なんで井上は休んだんだろう)

 真比呂との試合で足を怪我したのかもしれないと考えたが、それは授業の体育で運動をしている姿を見たことで消えている。
 いつ会話を切り出そうか。そう考えた時に、井上からのシャトルが途絶えた。

「井上?」

 視線は井上を捉えていたから、何が起こったのかは分かった。
 井上が構えたところで急に体勢を崩し、その横をシャトルが落ちていった。現象はシンプルだが、その理由の方が気になる。少し待っていたが、うずくまって立ち上がらない井上に駆け寄ろうとした隼人だったが、そのタイミングを狙ったように井上は右手を上げて制する。

「ごめん。大丈夫。ちょっと痛んだだけだから」
「……やっぱり足、怪我したのか? 井波との試合で?」
「違うよ」

 井上はゆっくりと立ち上がってシャトルを拾うと隼人のほうへと近づいてくる。その歩幅は一定で、確かなもの。特に痛めているようには見えない。やがて隼人の前にたどり着くと、シャトルを手渡した。
 それから井上は隼人の目をじっと見つめてくる。そこに言葉はなく、ただ目を見てくるだけ。隼人は次にどう動こうかと考えるが思考が安定しない。何とか言葉をひねり出そうとしたところで、一歩だけ井上が下がった。

「井波君は悪くないよ。ただ、私が勝手に諦めようとしているだけなの。でも……駄目だね」
「井上……」

 井上の目からこぼれてくる涙を見て、隼人はまた言葉を失った。
 しゃくりあげて、顔を悲しみに歪ませて。何とかこらえようとしても嗚咽が漏れる。隼人のラケットをゆっくりと床に置いてから両手で涙をぬぐい始めた。

「ごめん、ね……わけわからないよね」
「ああ。正直、分からない。だから、話してくれよ、井上」

 隼人の言葉に井上は一度だけ頷いた。
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