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● SkyDrive! --- 第二十七話 ●

 その瞬間、試合の行方を見ていた部員たち。そして当事者の二人にはどんな光景が頭をよぎっただろうか。隼人のドロップショットがネット前へと進み、その境界線を越えようとした時にシャトルコックが白帯にぶつかった。それはその瞬間に月島の勝利を確信させたのか。
 それとも、ある種の奇跡だったか。

(行け!)

 隼人は、シャトルを打ってからネット前に向かう間の動きがスローモーションになったかのように錯覚する。その、いつまでも終わりが来ないような遅さの中で、隼人はただ叫ぶ。ネットを越えるように。実際には、打った瞬間に決まっているのがバドミントンだ。体育館を締め切り、風が一つもない中で、風を起こすのは自分と相手だけだ。コートで向かい合う選手たちだけが、シャトルの行方を左右する。
 だからこそ、たとえ意味がなくても。
 隼人は自分の思いを乗せて、吼えた。

「いけぇええ!」

 打った瞬間から吼えてそのまま前に走り、入った時のヘアピンに備えようとする。月島もシャトルを取ろうと前に出て、隼人の予想通りヘアピンを打つために構えた。
 そこで、シャトルが白帯へとぶつかる。そのまま、隼人の所へと戻ってサドンデス。
 そう、思われた。

「――あっ」

 息を飲む声。月島は、少しだけ跳ねて自分のラケット面から離れていくシャトルを目で追っていた。
 シャトルコックは白帯に当たり、そこを軸にして月島のコートへと入っていた。そこにラケットを差し出したところまでは良かったが、シャトルの軌道がネットに当たったことで少しだけ変わり、月島の差し出したラケット面の中で当たる位置がずれた。ラケットフレームに当たったシャトルは、月島の顔の横を通ってコートへと落ちていく。最後はこつんという音を立てて、シャトルは動きを止めた。

「……ポイント。トゥエンティワンナインティーン(21対19)。マッチウォンバイ、高羽」

 谷口がため息を付き、何かを成し遂げた後のような笑顔で言う。少しの間、部員の誰もが動けなかった。延長に決まりかけた試合。隼人の叫び。そして、月島のミスタッチ。
 全てが一瞬の間に抜けていき、試合の終わりを誰もが認識できないでいた。当事者たちでさえも。
 ネットを挟んで向かい合う隼人と月島。互いの目を見つめたまま動かなかったが、そこから隼人が先に歩き出した。ネット前まで来たところで、月島もネット前に立つ。そして隼人が手を出す前に右手を差し出した。

「ありがとう、ございました」

 言葉と共に満面の笑み。汗に濡れ、上気した顔に隼人は別の熱が高まって少し目をそらす。すぐに手を握り、上下に軽く振る。

「ありがとうございました」
「ぅううううっしゃああああ!」

 突然の叫び声に振り向くと、真比呂が一瞬で駆け寄ってきて隼人の手を握った。

「いやぁああったなぁああ! 隼人ぉおお!」
「暑苦しいし煩いぞ」

 手を握ってから更に背中に手をまわしてバチバチと叩いていく。その痛みにうんざりして無理やり体を離したが、次には他の仲間たちが押し寄せた。隼人は純、理貴、賢斗、礼緒、真比呂と視線を動かして、最後に右手を高らかに上げた。

「よっしゃああ!」

 栄水第一男子バドミントン部、復活第一戦。初勝利。
 一度は途切れた部が、再び全国を目指す第一歩となったのだ。そのことを真比呂たちの言葉を聞いて隼人は改めて理解し、思わず手を上にかかげた。自分の中から込み上げてくる熱い思いを意識せずにはいられなかった。

「はいはい。嬉しいのは分かったから、まずは整列してちゃんと終わらせなさい」

 喜ぶ隼人たちに鋭く切れ込む声は谷口だ。気づけばネットの向こう側に女子が整列している。純たちに負けたダブルスのうちの片方である田中と、彼女を迎えに行った井上がまだ戻ってはいなかったが、試合を終わらせるようだった。
 隼人たちも整列し、それぞれの対戦相手と向かい合う。真比呂は井上がいなかったためにどこか寂しそうだったが。

「では、3対2で男子の勝ち」
『ありがとうございました!』

 あっさりと告げる谷口の言葉と同時に挨拶をし、改めて握手を交わす。
 女子たちも笑顔で男子の勝利を称えていた。そしてすぐに試合の感想を語り始める。互いに何がよくて何が駄目だったか。自発的に女子が男子にも聞いてきて、自然と純や理貴も話に巻き込まれていく。

(そうか……これが、栄水第一の強さの一つかもな)

 各々で試合の感想を言いあう。それは自分たちでちゃんと考えて試合をしていなければできないことだ。漫然と打っていたり、あまりに必死すぎて何をしていたか覚えていないとなると、試合を振り返ることもできない。試合に勝っても負けてもそれぞれ反省し、次の試合に生かすことが上達の秘訣。谷口は、それを重視して選手に実践させているのだろう。

「高羽君」

 賢斗には野島が今後に何が必要になるかなどを話し始めている。隼人もそれに参加しようとしたが、月島が呼び止めていた。

「私もシングルスの反省したいんだけど、お願いできる?」

 月島の雰囲気は試合とは全く違う。誰とでもすぐに話ができるような、そして相手も月島の空気に吸い込まれそうな錯覚に陥るほど、柔らかな空気。隼人は頬が赤くなるのを自覚しつつ、一度咳払いをして応じた。

「はい……月島さんは、追い込まれると攻めのパターンが単調になるんです」
「単調、に」

 月島は少しだけ目を伏せる。その動作に隼人は次の月島の言葉を予想して先に口に出した。

「やっぱり、って感じですか?」

 隼人の言葉に月島は驚いて今度は目をはっきりと開ける。その変化がまた隼人の中に不思議な感覚を浮かび上がらせて、顔が赤くなるのを自覚する。その様子に気づいたのか月島が首を傾げて「どうしたの?」と尋ねてきた。隼人は頭を振って熱を逃がしつつ「なんでもないです」と口にしてから、話題を変えるように言った。

「女子部の人はこうやってすぐ、反省しますから。多分、公式戦で負けてもそうなんだろなって。なら、月島さんが負けた時に誰かしら指摘してると思うんですよ。少なくとも、谷口先生なら分かったかなと」

 視線を向けると、谷口もちょうど月島と隼人を見ていた。その顔には笑みが浮かんでいて、二人を微笑ましく思っているという体だ。
 隼人は視線を月島に戻して続ける。

「月島さん。意外と頑固ですよねきっと。だから、今まで負けた原因で指摘されても、まさかって思って気にしてなかったんじゃないかなって今、思ったんですよ。だからちょっと言ってみました」
「……そうなんだよね。私、意外と頑固なんだ。でも、後輩の男子に負けたらさすがに直さないとなって思った」
「もしかしたら、谷口先生が狙ってたことかもしれないですね」

 そう考えると、この団体戦はいろいろな思惑を谷口は込めていたことになる。
 男子部立ち上げに対して身近な目標を立てさせたこと。
 女子部にも最初は男子を見くびっているところがあったことから、おそらくは気の引き締めの部分もあっただろう。
 更には公式戦の前に各自の課題を指摘しやすい環境を作った。
 特に月島奏に対しての指摘は、同じ女子部の面々では勝つこと自体稀で、ほとんどできなかったのだろう。月島自身にも、油断があった。その性格を読んで、男子の「後輩」に負けてほしかったのかもしれない。

(いや、別に俺が負けても良かったのか。それを達成できなかったら……それはそれで同じように俺は指摘するだろうし)

 それでも、勝てた方が月島を説得できる確率は上がるだろう。ならば自分は今回、谷口の考えに対して十二分に応えたことになる。それが少しだけ勝利に彩を添えた。

「……うん。実際、目が覚めたよ。ありがとうね」

 月島が差し出してきた手を、隼人はゆっくりと握る。
 試合の後で握った時は勝利の余韻で意識しなかったが、改めて握るとその柔らかさにどぎまぎする。

(何だこれ……試合での疲れが今頃来たのか……?)

 緊張と共に掌が汗で滲むような気がして、隼人は手を放そうとした。だが、月島は手を離さずに真っ直ぐに隼人を見てくる。その視線の強さに隼人は気圧された。

(何だ? 月島さんは……)

 月島が隼人の思考に対して答えを発しようとした時。

「隼人! おおおまえ! 月島さんの手を!」

 大慌てでやってきた真比呂が隼人と月島の手を掴み、一気にはがす。二人とも呆気にとられて真比呂の顔を見上げた。
 真比呂は掴んだ手をわなわなと震わせた後で離し、悲しそうに隼人を見て言った。

「お前! 俺も月島さんの手を握りたかった!」
「……お前は欲望に素直だなぁ」

 更に呆れて真比呂を見てから月島を見ると、彼女も顔を少し赤く染めていた。すぐに元に戻って真比呂の方を見たために、その意味は隼人にも汲み取れなかった。

「井波君。井波君も凄かったね。さすが井波さんの弟なだけあるかも」

 月島の言葉に隼人の記憶が引っかかる。
 真比呂の兄がバドミントンである程度以上の活躍をしているプレイヤーだということ。そうであれば、月島も知っていておかしくない。しかし、月島の言葉の中にはただ知っているだけではない何かが含まれているように思えた。

「あー、はい……でも、兄は兄で、俺は俺で! 俺は月島さんに憧れてバドミントン始めたんです! 今後もよろしくお願いします!」

 真比呂はそう言って月島の右手を両手で握った。上下に勢いよく振りながら自分がいかに月島へと憧れているかアピールしていく。月島がそろそろ困るというタイミングで出ようとすると、先に真比呂は耳を掴まれていた。

「いたたた!?」
「真比呂君。月島が困ってるんだから、離してあげなさい」

 真比呂の耳を掴む主は、西川だった。そのまま真比呂の大きな体を曲げさせて引っ張っていく。その迫力に隼人はなにも動けず、月島は笑いをこらえきれずに微笑んでいた。

「西川部長ね。井波君のお兄さんと付き合ってるのよ。だから井波君のことも知ってるんだ」
「そんなことあいつ、一言も言ってなかったですよ」
「多分、今日初めて気づいたんでしょ。栄水にいるってこと知らなかったのか、井波さんが行った富山の高校にいると思ってたか」

 連れていかれた先で解放された真比呂は、西川に対していろいろと謝っていた。隼人には声は聞こえなかったが、おそらくは月島が言っていた諸々のことで謝っているのだろう。
 その様子が楽しく、隼人も笑みを浮かべる。周囲を見回すと、大体の会話が終わって場の雰囲気も緩くなっていく。時刻を見ても今日はもう部活を終えて次以降から男子部が復活ということになるだろうか。そう考えていると谷口が号令をかけて皆を自分の前に集める。

「皆、今日はお疲れ様。これからもう少し女子は練習してもらうけど、男子は明日からでいい?」
「はい。今日は……」
「打ち上げしてます!」

 隼人の声を遮って真比呂が答える。他、純や理貴。賢斗と礼緒も特に異論はなく、頷いている。隼人はしょうがないというため息を付きつつ、最後には自分も笑顔で頷いた。

「じゃあ、明日からよろしく頼むわね。男子バドミントン部、期待してるわよ」
『はい!』

 そこから男女は分かれて解散となる。女子はコートに残り予定されていたらしい練習を再開していた。それを横目で見ながら自分たちが帰るということに抵抗感がないわけではない隼人だったが、女子部もインターハイに向けて練習日程を組んでいた中に自分たちとの練習試合を組み込んだのだから、無理はしていただろう。その中で、自分たちが何を得て、女子たちに何を与えることが出来たのか。それはこれから先に分かること。そして、これから先にずっと繰り返していくことなのだろう。

(今日がその一歩、か)

 男子全員が更衣室へと向かったのを後ろから見ながら歩いていく隼人は、体育館と通路を隔てる扉を開いたところで井上に遭遇した。自分が手をかけた扉が急に開いた形になったのか、井上の顔には驚きが多く含まれていた。

「あ、悪い」
「高羽君……試合、終わったんだね。見れなくて残念」

 その言葉に、井上はダブルスで負けた田中を追って体育館の外に出ていたことを思い出した。田中の姿がないことから、引っ張ってくるのは失敗したらしい。

「ああ。何とか月島さんに勝てたよ」
「そ、そうなんだ……月島先輩に勝てるなんて、凄いよ……ほんと、おめでとう」

 井上の顔に浮かぶ笑み。その笑みは隼人の頬を熱くする。反応は月島の時と同じで同様したが、些細な違いにすぐに気を取り直す。

「井上。ありがとう。お前のおかげで、男子バドミントン部を作れたよ」

 隼人は素直に感謝の気持ちを表す。井上はしかし、隼人から視線を逸らして、横を通り過ぎた。

「井上?」
「私はなにもしてないよ。おめでと」

 隼人の言葉に感情を込めない言葉で答えた井上は、そのまま体育館の扉を開き、中に入っていった。

(……井上?)

 隼人はよく分からない不安を抱えたまましばらく体育館の扉を見つめることしかできなかった。

 次の日から、井上亜里菜は部活を休むようになった。
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