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● SkyDrive! --- 第二十六話 ●

「ポイント! ナインティーンオール(19対19)!」

 月島のドロップショットがネット前に決まり、隼人は天井を見上げた。
 ネット前に落とす技術。ハイクリアのようなコート奥へと深く返す技量。そしてコートにシャトルを叩きこむスマッシュと、すべてのショットが高レベルの月島についていくには必要以上に頭を使う。その結果、体の動きはまだキレは鈍っていないが思考が鈍ってきているのを自覚する。

(まさかここまで競るとは、思ってなかっただろうな)

 元より自分が勝つ可能性は低いと隼人は思っていた。相手は全国レベルのプレイヤーで、自分は県大会も危ういほど。それでも勝利に続く細い一本の糸を掴み続け、自分の傍に手繰り寄せた。
 それだけに今の結果に一番驚いているのは月島かもしれない。

(シャトル……ぼろぼろだな)

 月島のカットドロップで削られたのか、羽がボロボロになっていた。ラケット面でスライスさせるカットは、鋭く切れ味があるほど羽のほうへとダメージが行く。丁寧に整えればあと数回は持つだろうが、隼人は谷口に交換を申し出た。それに応えてシャトルが入った筒の中を見た谷口は、筒をひらひらと示して中身がないことを二人に伝える。

「ちょっと休憩。取りに行ってもらうから」

 谷口は傍で見ていた一年女子に向けて指示する。少し離れた場所に置いてある筒を駆け足で取りに行く女子の背中を見ながら、隼人は深呼吸して脳に酸素を行き渡らせることに集中した。余計なことを考えてまた酸素を消費するよりは、何も考えずにただ呼吸と頭脳を整えていく。

「取ってきました!」

 時間にしては一分とちょっと。息を切らせた女子が差し出した筒を谷口は手に取り、中からシャトルを一個出すと月島へと放る。

「月島。分かってるわね」

 谷口の言葉に月島は頷く。隼人とは違い、真っ直ぐに前を見たまま微動だにしなかった月島は、もう一度頷いてから隼人を射抜く。綺麗な顔立ちからは想像がつかないほどのプレッシャーが隼人を襲った。咄嗟にコートの外にいる真比呂たちを見たが、隼人の顔を見て頭にはてなマークをはやしていた。唯一、小峰は心なしか顔が蒼い。

(小峰は少し感じてる、か。他は分かってないのか)

 隼人にだけ向けられた見えない圧力。全国への頂に上ろうとするプレイヤーには大体備わっていると言われている気迫を押し出す力。隼人は存在は信じていなかった。単純に実力ある選手が醸し出す雰囲気を体が錯覚しているのだと。
 隼人は前提の知識をとりあえず捨てる。
 現実にあろうとなかろうと、月島から来る『何か』に自分は縛られているのだから。

「一本」
「ストップ!」

 月島の声に反応して隼人も声を上げる。鋭い音と共に高く上がったシャトルに向けて移動し、落下点の少し後ろから振りかぶりスマッシュをストレートに叩き付ける。
 月島は一歩でシャトルに追いついて、バックハンドでネット前に返す。ストレートではなくクロス。隼人の最も遠い場所へと。

(ここまで来ると……流石につらいな)

 フットワークで効率よく移動しても、最後には全力で伸ばした足で距離を稼ぎ、更に伸ばした腕でシャトルを掴む。ラケットの先がシャトルぶつかった瞬間を見極めてラケットを跳ね上げ、コート奥へとロブを上げる。中途半端な高さだと隼人が状態を整える前に月島がスマッシュを放ってくる。それだけは防ごうと動きのなかでも月島を出来るだけ目で追った。
 視界の中で月島はシャトルに追いつき、振りかぶっている。隼人は急な動きでぶれる視界を気合いでねじ伏せて、コート中央で腰を下ろした。そして月島の腕の振り、高さ、タイミングから今日の試合の中で最も近い動きを導き出す。

(こっちだ!)

 隼人が動くのと月島がクロススマッシュを打つのは同時だった。移動後の多少無理な体勢から、クロススマッシュを放つ。堅実なプレイヤーだと選ばないようなコースを月島はあえて狙ってきていた。そのショットの精度や速度が高いために隼人はなかなかシャトルの動きを見切れずにいたのだ。それがここまで競ったことで逆に隼人の中にイメージが固まる。

「はっ!」

 クロスに追いつけた分、隼人が狙うのはストレート。月島も着地してすぐに中央に戻って次のショットに備えようとする。
 ストレートに打つならば、それでも間に合ったかもしれない。
 隼人はストレートドライブを打つように思ったままラケットを振っていた。そして打つ直前に急きょコースを変えるためにラケットを止める。急制動に右腕がきしむ。それが功を奏して、シャトルはクロスヘアピンとなって月島が今までいた側のネット前へと落ちていく。
 ストレートと思い、逆サイドに行きかけていた月島は方向転換してシャトルを拾おうとしたが、コートに落ちるのが早かった。

「ポイント。……トゥエンティナインティーン(20対19)。マッチポイント」
「ナイスショットだ! 隼人ぉお!」

 真比呂から声が届く。それは今までで最も大きく気合いが入っていた。真比呂に続いて男子部員が隼人にあと一点と声援を送る。
 あと一点。
 全国レベルの月島に、勝利まであと一歩まで自分が近付いている。月島の顔を見ると、この試合が始まって初めての表情が浮かんでいた。
 どうして自分がここまで攻められるのか。
 序盤は一時、10対5と差を広げられたこともあった。だが、月島が一点取る間に二点とるなど、徐々に追いついていき、十九点目で一度逆転した。そこからまた得点が並び、今はマッチポイントまで来ている。

(弱点……なんだろうな、やっぱり)

 隼人は月島から返されたシャトルをゆっくりと手に取った。羽が少し崩れているのを整えながら試合を軽く振り返り、自分の中の情報を整理する。
 隼人が気づいたこと。それは月島の攻撃が時間が経つと共に単調になってくることだった。更に言えば、月島には元々、攻撃のバリエーションが少ない。
 カットドロップ、クロスカットドロップという二大武器を中心に組み立てているのは分かったが、それを生かすための戦略が圧倒的に足りない。いくら鋭いドロップと言えども、読まれてしまえば取られることはある。
 そして、そのバリエーションが少ないパターンが、ラリーが長くなっていくと更に減り、ほぼ一つに収まってしまう。意識をしているのかしていないのか。意識しているならば間違った使い方をしているのか、隼人には分からない。しかし、おそらくは全国で隼人のように対応できるプレイヤーが出てきた時点で、彼女は負けていたに違いなかった。

(谷口先生が指摘してそうだけど……何か理由があるのか? っと……余計なことは考えない)

 月島の事情を推察したくなった隼人だが、頭から追い出す。今の自分にはそんな余裕はない。先にマッチポイントを迎えたからといって引くようなプレイヤーではない筈だった。月島はレシーブ位置で隼人を見ている。発されるプレッシャーは今まで以上に隼人を縛る。必ず、二十点目を取ってサドンデスに持ち込むという気迫。

「一本」

 静かに自分の決意を告げる。
 隼人としてはまだ、サドンデスに持ち込めるという優位はある。しかし、その思いは捨ててここで決めようと意志をしっかり保つ。

(まだ後があるって思ったら持って行かれる。ここで負けたら、俺の負けだって思うくらいじゃないと)

 隼人の頭はいかに効率よくシャトルを打っていくかを考えるため、回転速度を増していく。
 肌を火傷させるようなプレッシャーと、自分を縛る緊張感。その中で焦らずにただ一点を取るためだけに思考錯誤する。この瞬間の恍惚に隼人は自然と頬が緩んだ。

(辛い。厳しい。でも)

 心の中で叫びながら、隼人はシャトルを高く打ち上げた。

(面白い!)

 今まで打ち上げた中では最も高く上がっていくシャトル。月島は真下に入り、隼人がコート中央に戻ったのを見てストレートハイクリアを打った。隼人は追って行きながら月島の立ち位置がコート中央よりも少し左側にずれているのを視界に収める。

「はっ!」

 ストレートにスマッシュを放ち、月島が前に落とすのを予測する。その通りにシャトルがネット前に返されて、隼人は手首だけで打ち、ロブを上げた。ネットにあまりに近くプッシュできなかったこともあるが、月島の動きも隼人が思ったより速かった。

(月島さん……自分の弱点を分かって戦略に組み込んできた、か?)

 隼人の思考に迷いが生じる。今まで得点を重ねていって隼人は足りない情報を補い、試合を進めてきた。その結果、マッチポイントを先に取っている。
 だが、それは月島が一試合を使った作戦だったのではないか。あえて単調になるようなラリーをして隼人にイメージを刷り込むことで、最後の数ポイントで巻き返すつもりかもしれない。

「やっ!」

 月島がハイクリアで隼人をコート奥へと追いやる。隼人は追いついてから次のシャトルを打とうとするが、今よぎった思考が邪魔をする。
 タイミングを外し、ひとまずハイクリアで様子を見る。月島の左サイドへと向かったシャトルをストレートで返され、更に隼人はストレートに打つ。コートの片方のサイドを使った打ち合い。三回、四回と打たれていくうちに互いにいつ仕掛けるかという探り合いになっていく。

(リバースカットがいつくるか……来る前に、打つか)

 月島のフィニッシュショット。それを打つタイミングを予測して。
 隼人はひとつ前でクロススマッシュを放った。

「はっ!」

 シャトルへと素早く反応する月島。得意なショットを打たせずに、勝負をつける。不安要素があるからこそ、隼人は今までのデータをもとに勝負をかけた。今までが自分からタイミングを外すための作戦だったとしても、隼人が更に早くしかければ問題ない。
 シャトルを打ち上げて体勢を整える月島を前に走らせようとストレートドロップを打ち、出来るだけ中央に走りこむ。そこから月島なら高確率でクロスヘアピンを打ってくるはずだった。だが隼人のドロップはそれまで打ってきたものよりも更に鋭く落ちていく。月島はクロスへ打つ余裕がなくなったのか、ストレートにロブを上げた。

(くっ……届け!)

 シャトルを追って移動する隼人。先読みして前に詰めていた分だけ遅れたが、追いつけないほどではない。スマッシュを打つには角度が足りなかったため、ドリブンクリアで月島を走らせた。

「一本、取る!」

 自然と口から出た気合いの声。それに重ねるように真比呂たちが吼えた。

「一本だ! 行け! 隼人!!」

 男子全員が口々に隼人へと言葉を贈る。それに対抗するように女子も月島へと声援を送った。

「月島さん! ファイトです!」
「勝てますよ!」

 お互いが体勢を整えるため、そして相手を崩すためのドリブンクリアの打ち合い。今度は正面ではなくクロスへと打ち合う。コート中央から左右の後ろへと斜め移動が続き、次のタイミングを計る。

「やっ!」

 今度は、月島の方が早かった。左奥へと追いやられた時に放たれたリバースカット。終盤にきて最も切れ味があり、隼人も慌ててラケットを伸ばす。いつもより更に早いタイミングで打たれたそれはしかし、苦し紛れの一発だと読んでいる。

(苦しい時だから、自分が一番頼りにしているショットに賭けたんだ!)

 シャトルはギリギリネットを越えて落ちていく。隼人は無理せずにシャトルを少し押し上げるだけ。ネットを越えて返っていくシャトルを見送りながら、隼人は立ち上がってラケットを掲げた。飛び込んでくる月島を見下ろすように。そしてロブを上げる時のコースを出来るだけ塞ぐように。そうなると月島は無理な体勢からヘアピンを打つか、ロブを打ち上げるかという選択をすることになる。

(どちらを選んでも……あなたなら!)

 出来るだろう。
 隼人の思惑通り、月島はクロスヘアピンを打った。前に立ち塞がる隼人のプレッシャーをはねのけ、更にラケットを伸ばして移動から急ブレーキをかけるという難しい状況から完璧にラケットをコントロールした。
 ネットを越えたシャトルをプッシュできず、隼人はロブを上げてまたコート中央へと戻る。
 数回違うラリーを展開しては、また元に戻る。自然と、ひとりずつ声援を止めていく。男子もまた、月島と隼人が繰り広げるラリーを息を飲んで見守っていた。

(これで決める!)

 そう思って打っても、スマッシュは決まらない。月島の防御を貫けず、返ってくるシャトルをヘアピンで打つか、ロブを上げるか。二つに一つ。
 ここにきて隼人も単調な攻めを自覚する。

(人のことは、言えないか)

 ドリブンクリアで飛んだシャトルを追う。いつもならば、ここでストレートスマッシュを放つ。それを月島が拾ってクロスへと打つ。そしてそれを――
 一気に数手先まで見える。そしておそらくは、月島も見えている光景。
 自分が単調となる月島の攻めに対して返すシャトルも、また単調となること。それは隼人が気づいた、隼人の弱点。弱点さえも、戦略に組み込む。

「うぉおお!」

 隼人は、そこで攻めを変える。自分からの変化。相手のショットを読んでそれに対して対策をするという受動的なものではなく、能動的なものへ。声と共に直前で動きを止めたラケットから、ドロップを打つ。
 ストレートに進むシャトルは、白帯の部分にシャトルコックをぶつけていた。
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