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● SkyDrive! --- 第二十四話 ●

「うらああ!」

 小峰が放ったスマッシュは西川の顔面に向かう。速度に驚きながらもラケットを眼前に掲げて弾き返す西川だったが、返ってきた衝撃に目を閉じてしまう。その隙にシャトルへと向けて飛んだ小峰は西川の胸部目掛けてスマッシュを打った。連続して取り辛い個所への攻撃に、西川は取りきれずシャトルはコートの外に弾かれていった。

「ポイント……トゥエンティテン(20対10)」

 谷口が自分が言う言葉を信じられないかのように言いよどむ。
 小峰が12対10でサーブ権を奪ってから、スマッシュを叩き付けられて得点となるというパターンが止まらなかった。あからさまに「怒り」をシャトルに込めてスマッシュを打ち続ける小峰。そのスマッシュは西川が返すたびに速度が上がり、最後には弾くか触れないままコートに着弾するという結末になる。最初はスマッシュを打ってくるようにロブやハイクリアを打つなど誘っていた西川だったが、あまりの苛烈な攻めに耐え切れなくなり、途中からヘアピンなど駆使してスマッシュを打たせないように戦術を切り替えようとした。だが、流れを変えようとして打ったヘアピンを小峰が怒声と共にプッシュでコートへ叩き付けたことで一気に西川は萎縮してしまう。流れを力技で自分へと引き寄せた小峰を逆転する力は西川にはなかった。

「ラスト一本!」

 シャトルを高く上げてコート中央に戻る小峰。全力でスマッシュを打っており、更に大声を張り上げている以上、西川よりも体力を消費しているはずだった。しかし、小峰は息を多少切らしているだけで疲労は見られない。あるいは、忘れているか。
 豹変した小峰を見ながら隼人は真比呂を見てげんなりしつつ、言うことは言う。

「試合終わったら、謝れよ」
「……逃げていい?」

 理貴も純も小峰の豹変に言葉も出ず、ただ試合を見ている。豹変はまだしも、スマッシュだけでここまで押せる小峰の力にも驚いているために視線を外せなかったのだが。

「多分、大丈夫だよ」

 真比呂へと言ったのは賢斗だ。その眼は小峰の動きを追っていて、更に頭の中で何かを考えているようにせわしなく動いていた。言葉を発しても、真比呂や隼人のところは見ないままだ。

「小峰君。最初は怒ってたかもしれないけど、今は演技だよ。怒って見せたほうが相手も萎縮するかもしれないし、気合い入れるのに大声出すのも怒ってると思われたら大目に見られるかもしれないってことなんじゃないかな」
「……あれが、演技?」

 賢斗の言葉を疑おうと思えば疑える。だが、疑わないとすれば、ほぼ全員をだませるような演技とやりとおす度胸は隼人にとって尊敬に値する。

「しゃ!」

 西川のヘアピンをロブで飛ばすと、西川は何とか追いついてハイクリアでコート奥にシャトルを返した。小峰もまたシャトルの下に来るとラケットを持った手をだらりと下げる。そのまま勢いよく振りぬいて、スマッシュを西川へと向けて叩き込む。もう十度をとうに越えた回数狙われているために、西川も体を咄嗟に横に移動させてサイドストロークで返した。
 頭と胸のあたりはラケットの最も内側で、シャトルを返すのが非常に難しい。手元に引き寄せ、更にラケット面をシャトルに向けて打ち返すということをしなければいけないからだ。
 西川は今まで自分へと放たれたスマッシュを何とか返しつつ、時には体で受け止めつつ、感覚を掴んでいった。
 その結果、終盤でようやく軌道を把握できてきている。

「ストップ!」

 シャトルを小峰が打つ前に声を差し挟む。小峰が振りかぶり、更に西川は腰を落とした。なんとしてでもこのゲームを取り、試合を終わらせる。一点取られれば負けるという厳しい状況だが、一点取り返せばまた流れが変わるはず。
 西川は決意を固めてスマッシュを取りきろうといつでも反応できるようにシャトルへ意識を集中した。
 そして。

「はっ!」

 小峰が放ったシャトルは床と平行して進んでからゆるりと曲がり、コートに落ちていた。
 鋭いスマッシュとは逆に、勢いが完全に殺された綺麗なドロップは、ネットを過ぎたところを通って落ちたのだった。

「……え」

 谷口も、女子部員たちも。そして隼人たち男子も、目の前の結果が何を意味するのか全く理解できなかった。しかし小峰が「ありがとうございました」と言った瞬間に谷口は気を取り直して言う。

「トウェンティワンテン(21対10)。マッチウォンバイ、小峰」

 あまりにもあっさりとした小峰の勝利。それまでの試合での騒がしさに比べて全く対称的な終わり方。
 小峰はネット前で握手に来る西川を待つ。西川は不服そうな顔をして歩いて前に立ち、小峰を見上げた。

「……スマッシュって言ってなかった?」
「言いましたけど。慣れられたなら、戦法変えるのは当たり前ですよね」

 しれっと言う小峰に西川は更にむっとしたが、すぐに崩した。途中で自分もヘアピンなどでスマッシュを打たせないように動いていたからでもあるし、怒っても仕方がないと思ったのか、ため息交じりに「分かったわ」と呟いて手を差し出す。

「ありがとう。男子の速いスマッシュ、体験できてよかった」
「役に立ったならよかったです」

 小峰もようやく緊張が解けたのか、ほっとして表情を緩めて握手をする。
 そして、すぐに手を放して、隼人たちの所へと歩いていった。
 隼人たちは握手をした時の小峰と西川のやり取りは目にしていた。そのため、賢斗が言った「演技」というのが確信に変わる。
 隼人は改めて小峰に対して感嘆のため息を付いた。どこまでが演技でどこまでが本当なのか隼人にも読めない。意識的か無意識か、小峰は隼人が整理するための情報のうち、印象を強く持たせるものをミスリードで使った。しかも、賢斗の話が本当ならば最初は本当に怒りのままにスマッシュを打っていたのだ。いつからそれが変わったのか隼人には違いが見えなかった。見えなかったというよりも、最初に思い込んでしまったことを真実と決めつけていただけかもしれない。

「何とか勝てたよ」
「ああ……ありがとう」

 隼人はほっとして手を差し出す。小峰も手を上げたところで、真比呂が隼人の手を抑えた。

「どうした?」
「……悪かった」

 隼人の問いには答えずに、真比呂は小峰へと頭を下げる。小峰はきょとんとしたが、それが先ほどの自分への罵声の謝罪だということに気づいたらしい。そもそも、今更気づくということからも、すでに忘れかけていたのだが。

「もういいよ。最初はマジで怒ったけど、試合してるうちにどうでもよくなった。それよりも」

 今度は小峰が頭を下げる。
 俯いたままで謝罪の理由を口に出す。

「遅れてごめん」

 そこから顔を上げて隼人と真比呂。そして傍にやってきた純と理貴、賢斗をしっかりと視界に収めて一言一言を噛み締めるように言う。

「誘われて、断ってからさ……いろいろ考えて。やっぱり諦めたくなかったよ。バドミントン好きだしさ。また弱いままかもしれないけど、俺も、バドミントン部に入れてほしい」
「だーいかんげいさ!」

 誰よりも先に真比呂が手を叩きながら言った。それから小峰の両肩に手を置いて軽く揺さぶりながら続ける。

「小峰……いや、礼緒! お前、中学時代じゃ有名人だったんだろ! な!?」

 最後の「な!?」は隼人へ向けての言葉だ。隼人は顎を縦に振る。それを見てすぐ小峰へと視線を戻し、先を続けた。

「なら、もうお前が『体大きいけど弱い』って大体みんな知ってるだろ! それなら別に問題ないじゃないか!」

 何が問題ないのか、隼人には理解しかねる。しかし、真比呂が言いたいことは分かった。

(気にするなってもう少し普通に言えないかな)

 結局、小峰の心の問題を解決するのは自分自身でしかない。今日は、気にするのを真比呂への怒りで克服していた。その後も冷静さを保ちつつ怒りの演技が出来るほどに。
 つまりは周りを気にしないことが小峰の実力発揮に繋がる。それは中学の頃からも言われていただろうが、改めて真比呂が言う。

「今度はさ、あんな弱かった奴が強く! って言われる番だな!」

 真比呂の言葉は小峰にとってはまだ軽いと隼人は思う。おそらくは似たようなことを今まで言われ続けて、それでも失敗してきたのだ。逆に「当たり前のことを言うな」と言いかえされそうなものだとハラハラする。だが、小峰は笑って答える。

「確かに。そうかもな。だから……そう言われるように強くなりたい。よろしく」

 小峰の言葉に無理は感じなかった。そこから真比呂と小峰の握手している掌に純が先に手を重ね、理貴、賢斗と続いていく。最後に残ったのは隼人。小峰の顔を少し見てから、手を上に置いた。

「よろしく」
『おう!』

 隼人が言った直後に気合いを入れて手を下に弾くように動かす。重ねられた手が一つに繋がり気合いを入れる。
 今が女子との団体戦中なのも関係ない。
 ここに六人目、小峰礼緒を加えての栄水第一男子バドミントン部が本当に集まった。

「っしゃ! じゃあ、最後の試合、隼人やってやれ!」
「簡単に言うなよな。でも分かったよ」

 真比呂の言葉に隼人は床に置いておいたラケットバッグからラケットを取り出す。何度か振って感触を確かめながらコートに入る。背中からは仲間の応援。その中に、礼緒がいる。足りなかったピースが揃うとこれだけ心地よいのかと隼人は踊る心を鎮めるのに意識を集中する。真比呂のような上背もなければ純や理貴のようなダブルスの強みもあるとはいえない。洞察力も賢斗には劣ると分かったし、小峰にはしたたかさやスマッシュ含めたストロークの威力が負ける。
 仲間たちに頼れるところがある。ならば、自分が仲間たちに頼られるところは何か。
 最後の砦。第三シングルス。
 そこを預けられたということは、今時点だと隼人がエースということになる。

「時間も押してきてるから、練習は軽めにね」

 谷口の言葉に頷いて。礼緒に早速基礎打ちの相手をしてもらう。
 互いにハイクリアでコート奥へとシャトルを飛ばしあうことで肩を温めていく。無駄のないフォームを見て、礼緒の実力が分かってくるのを見ると、第三シングルスでも良かったのではと思えたが、それも結果論。
 今のエースは自分。ならば、自分が勝つためにはどうするか。
 月島奏というバドミントンプレイヤーの実力と、高羽隼人というプレイヤーの実力。
 どちらが上なのかは、今の時点ならば明らかだ。今まで集められた情報を総合すると、隼人は勝てない。その未来をひっくり返すものを、試合中に得るしかなかった。

(これで、最後か)

 しかし、隼人の頭には試合のことではなくこれまでのことがよぎっていた。
 中学時代までは試合の時は相手のことしか考えずにどう攻めるかなどシミュレーションしながら基礎打ちをしたものだ。しかし今は試合と言っても部内だけのために心にも余裕があるのだろう。
 バドミントン部の見学で真比呂と出会い、休部状態の部活を復活させようと決めた。
 そこから情報を集めて純と試合をして。理貴は真比呂と試合をして入った。
 賢斗はビラから興味を持って入ってきて。最後に礼緒が一度断ったにも拘らず仲間になってくれた。
 考えてみれば、今まで部を一から作り上げたなどという経験はしたことがない。そんな必要がそもそもなかったからだが、今までなかった経験が隼人の思考を今までと変えているのかもしれない。

(いや。始まりだな)

 胸の高鳴り。それは試合への高揚感もあったが、これまでの試合とこれから続いていくだろう試合に対するものだ。
 隼人にとって。栄水第一男子バドミントン部にとって、この試合はデビュー戦であり、これから続いていくバドミントン部としての活動の一番最初。ここから自分たちの部活が始まる。
 その結末を自分が決めることになるということに、どこか楽しみを覚えた。
 新しい部活を作り上げ、ここまで来た。その積み重ねの工程は何かに似ている。隼人は少しだけ思案して、初めてバドミントンラケットを握った日を思い出した。握り方を覚え、振り方を覚え。更にはハイクリアなど球種の打ち方も覚えた。一つ一つ出来るようになっていくとともに自分の中で形作られていく自信。出来ることが増えていくことで得られる爽快感。それと同じものを今、隼人は感じている。

(俺と鈴風が負けた分を、外山と中島が取り返した。井波が負けた分を、小峰が取り返した。あとは、俺が取るだけ)

 自分のエンドの中央に立ち、同じく中央に立つ月島奏を見る。
 ネットを挟み、さらに遠くにいても月島の圧力は強くなっていた。栄水第一の唯一の全国区。それでも、彼女よりもっと強いプレイヤーはたくさんいる。だが、今の隼人に必要なのは、月島よりもほんの少しだけ強い力。ほんのわずか。二十一点目を先に取るだけの力があればいいのだ。

(勝つしかないなら、勝つ)

 エンド中央からこれも同時に歩き出す。ネット前に立ち、互いに左手を出して握手をした。息がぴったりの様子に周りも驚く。まるでこれから何が始まるのかをすべて把握しているかのようだ。

『よろしくお願いします』

 二人が同時に言う。
 栄水第一男女バドミントン部団体戦。
 第三シングルス、月島奏 対 高羽隼人。
 最終戦、開始。
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