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● SkyDrive! --- 第二十三話 ●

「ポイント。イレブンセブン(11対7)。60秒インターバルね」

 谷口の言葉を聴きつつ、小峰はホッと一息をつく。強い相手にリードしてインターバルに入れた。久しぶりのバドミントン試合としては上出来だろうと自分を誉める。西川のほうはシャトルを小峰に打って渡してから何かシミュレーションするようにラケットを振っている。まるで見えないシャトルを打ち返すかのように。

(俺のスマッシュのタイミングを計ってるのかな?)

 できるだけリラックスした状態で打とうと研究して編み出した自分なりのフォームと打ち方。脱力した状態から一気に力を込めて振り切ること。
 基本から逸脱したそのフォームは見た目もおかしく、体力も使うために普通ならば使うはずもない。しかし、自分にとっては緊張こそが最大の敵であり、その敵を攻略するために体力を普通の人より消費してしまうのならば、価値があることだと思えた。
 体の負担が大きくなるため、中盤以降はここぞという時にだけ使うようにした結果、小峰はリードしたまま折り返し地点を迎えることができた。この試合に自分が負ければ隼人たちの負けが決まるという、本来なら緊張する状況でもそこまで気負ってないのは不思議だと思う。

(……まだ他人事だからかな)

 あくまで名前貸し。この試合に出るための参加。まだそんな関係性の薄い試合だから勝っても負けてもいい。
 そんな心持ちだから緊張しないのだと結論付ける。

(でも、やっぱり楽しい)

 試合の中での昂揚感。体を内から突き動かすのは、シャトルを打つたびに溜まっていく熱いもの。相手の思考を予測して、決め球を打つためのショットを駆使する。頭と体の両方使って戦うバドミントンを止められない。たとえ、怖いとしても。

「さあ、ストップ」

 西川の声が届いて、小峰は試合が再開したことに気づいた。想像以上に深く考え込んでいたようだと頭を小突いて反省する。更にそこに西川が言う。

「どんどんスマッシュ打ってきてよ。体格差ある相手からのスマッシュ、取る練習したいからさ」

 どくん。
 その瞬間、小峰の心臓が跳ねた。そこから徐々に鼓動が速くなっていき、痛みが生まれる。
 西川は期待している。自分よりはるかに体格がいい小峰が、強いスマッシュを打つことを期待している。
 相手からの期待。それを感じるだけで、小峰はまるで熱病にかかったように頭が熱くなり、体が震えた。

(なんで……俺……こんなに駄目なんだ?)

 それは小峰自身が思っていた以上の傷だった。
 周りに見かけ倒しと思われ、言われてきた小峰の心は思考を越えて反射的に体を萎縮させる。自分へ向けられた思いを、良いものも悪いものも受け流せない。

「試合再開よ! 小峰君、サーブ打って!」

 谷口の言葉に我に返り、小峰はロングサーブを打った。だが、シャトルは中途半端に飛んで、西川はすぐに追いつきスマッシュを放つ。小峰はストレートに飛んできたシャトルをバックハンドでネット前に返すが、ネットに引っかかってしまった。

「ポイント。エイトイレブン(8対11)」

 隼人たちが「どんまい」とコートの外から声をかける。しかし小峰の耳には留まらず、言葉は右から左へと抜けていく。聞こえてはいても反応できない。その言葉自体が、しっかりやれと自分を責めているように思える。

(そんなことはない。期待されてもされなくても、俺は自分のことをやればいいんだ……)

 ラケットを脇に挟み、顔を両手で張る。乾いた痛みが頬を伝う。小峰は痛みを忘れない間に位置を移し、レシーブ姿勢を取る。西川が「一本!」と高らかに謳いあげ、ロングサーブを放った。シャトルは放物線を描いてゆっくりとコートに落ちていく。コート奥まではいかないため、小峰には絶好球だった。ラケットを持つ左手を後ろに引き絞り、前に飛んで勢いをつけたままスマッシュを打った。

「はっ!」

 脱力からの全力スマッシュではなく、ある程度力を込めたもの。それでも威力は十分だったが、西川は力強く返球していた。シャトルは狙ったように小峰のところまで飛んでくる。小峰はまたラケットを振りかぶってスマッシュを放った。速度は同じで、コースはクロスに。それでも、西川はきちんと拾ってシャトルを打ち上げた。またしても自分の立ったところに落ちるように帰って来たシャトルを見て、小峰はそれが完璧に狙っていることを悟った。

(全力のスマッシュを誘ってるんだ……強い、人だ)

 目の前に立つ西川菜月を、小峰は心から尊敬する。
 小峰の全力のスマッシュを取れていないのに、そのスマッシュを要求してくる。そのためにはチャンスを潰してハイクリアで同じところに返すなどということもする。どうして勝負に対してそんな強気で行けるのか小峰には理解の範疇外だ。

「はっ!」

 それでも。みすみす相手の土俵に上る必要もない。
 力を思い切り込めてラケットを振る。だが、次の瞬間にはラケットをぴたりと止めてシャトルを打った。勢いをほぼ殺したドロップは綺麗にネット前へと進み。
 ネットにぶつかって小峰側へと落ちた。

「え……」
「ポイント。ナインイレブン(9対11)」

 審判がカウントする間に西川は自分でシャトルを拾った。
 その西川を視界に入れたまま、小峰は自分の手とラケットを見る。前半をスマッシュで押していたため、微妙なタッチを必要とするドロップショットに狂いが生じたのか。西川の言うとおり、スマッシュで押していくのが最善なのかもしれない。考えを切り替えて、小峰はレシーブ位置に立つ。あっという間に二点差。ラリーポイントの怖いところではある。まだラリーポイント制に移行して時間が経っていないため、小峰は違和感を払しょくしきれていない。

(それは……相手も同じはず)

 西川がロングサーブを打つ。小峰は追って真下に入り、ハイクリアでシャトルを飛ばした。スマッシュを確実に決めるために、出来るだけ西川の体勢を崩しておく。スマッシュで押していく戦法は悪くないが、体力がやはり不安だった。小峰も最近まで試合はしていないため、体力は中学時代から下がっているはずだったから。技術は体が覚えていても、体力はそうはいかない。失った分がどれだけあるのか分からない以上、今の状況で一番自信のあるショットを打つ。
 何度目かのハイクリアの後で西川がドロップを打った。小峰は入ると確信して前に出るとラケットを更に前に突き出してヘアピンを打った。シャトルは小峰の予想よりも少しだけ高く跳ねて西川のコートに落ちる。
 その、かすかな予想のずれに、西川の足が滑り込んできた。

(――返ってくる!)

 前にステップしてくる足が視界に見えて、小峰は咄嗟に後ろに下がる。シャトルがネットに付く前に勢いよく飛び込んできた西川のラケットがドライブ気味のロブを打ち上げた。だんっ! と力強い踏み込みで体を止める音を聞きつつ、小峰はシャトルを追う。
 シャトルの下へ強引に体を割り込ませてクロスのハイクリア。斜めに飛び込んできた西川には同じ方向に下がるのは負担がかかり、苦痛と考えたからだ。打つ方向を見ないで感覚だけで打ち返す。着地してすぐにコート中央に戻ってから西川を見る。
 シャトルは無事にコート内に入っていた。西川はコートのほぼ中央でそのシャトルを打とうと身構える。完全な打ち損じ。それゆえに、小峰は集中力を最大にした。ここで止めてこそ、試合の主導権を握れる。
 右か、左か。小峰は体中の神経が足と目に寄っているのではないかというくらいの錯覚に陥る。それほどまで西川の一挙一動を見逃さない。

「――やあ!」

 シャトルへ向けて軽くジャンプしてスマッシュを打つ西川。シャトルは左右どちらでもなく、真正面。
 集中を分けていた目に飛び込んでくるシャトル。それに反応してラケットを上げ、前に出る。スマッシュをカウンターで返して西川の反応より早くコートへと落とす。小峰のイメージはその動きを取っていく。小峰の作業はそのイメージに体を沿わせていくことだけ。理想の動きに出来るだけ近くなるように空間に自分をはめ込んでいく。
 だが、シャトルを遂に打とうとしたところで、綺麗に型がはまらなくなった。シャトルの軌道は予想通り。ならば、はまらないのは。

(――俺の、せいか)

 ラケットがシャトルを、コートの外に弾く。
 シャトルは乾いた音を立ててフロアへと落ち、転がった。
 一番先に拾ったのは隼人。シャトルを軽く西川へと放る。
 その一連のやり取りを小峰は見ていなかった。膝に両手をついて、疲れた体を少しでも休ませようとしている。
 自分の体が想像以上に疲労していたことを今更ながら理解する。久しぶりの試合ということで高揚し、疲労を忘れていただけとも言える。インターバルを挟んだことで集中が一度途切れ、西川の強い思いを受けたことでトラウマも蘇ってきた。いろいろなマイナス要素が一気に噴き出し、小峰の体を蝕んでいたのだ。

「ポイント。テンイレブン(10対11)」

 同点まであと一点。もしこのまま何もできずに同点となれば、この後は一気に持っていかれる。小峰はそう思うと隼人達への申し訳なさが積もってきた。

(やっぱり、試合出ただけじゃ……駄目だったかな? そもそも気にする必要なかったか……やっぱり、こなくても)

 小峰はゆっくりと顔を上げて位置を移す。体のだるさを自覚しつつ、ラケットを上げてサーブを待ち受ける。といっても、ロングでもショートでも打てるか分からなかった。まだ怪我するほど体力を消費しているわけではないだろう。
 だが、ここに来て分かったのは、成長していない自分。
 勝手な期待に押し潰されて、逃げ出した男は、帰ってきてもやはり逃げていく。ピンチではあるが負けてはいない。諦めなければ勝つかもしれないが、そうそうと手放そうとしている自分。

(あと十一点。試合はするが怪我をしない程度にやって終わらせよう。それで、終わりだ)

 この試合を最後にバドミントンラケットを握ることはもうないだろう。そう思った瞬間だった。

「お前、いい加減にしろよこのでくの坊!」

 あまりの大声に周りは完全に止まった。サーブを打とうとしていた西川はシャトルから手を放していたため、フロアにこつりと落ちる。
 声を出した男――真比呂は指をわざわざ突きつけて先を続けた。

「腑抜けた試合やってんじゃねーよ! もっとまじめにやれ! そんなでかいなりしてればスマッシュばんばん打ったりこう……なんかもっとできるだろうが!」

 先ほどまでは黙っていただけに、この豹変ぶりに誰もついていけないようだった。その間に真比呂は自分が言いたいことを言っていく。

「強引に出てもらって悪いなーって思ったから言わなかったけどよ! でかい図体でそんなガラスハートとか! 最近の草食系かよ! もっとどしん! ばん! って打てよ! 絶対勝てよ!」

 言った自身も疲れたのか、真比呂は肩で息をした。そしてひときわ大きく息を吸い、吐き出す。
 息を吐ききってまた軽く吸うと「すみませんでした!」と謝って隼人の後ろに隠れる。体が大きいために全く隠れていなかったが。

「……気を取り直して。テンイレブン(10対11)」

 谷口が仕切りなおしてポイントを告げる。西川もコートを何度か踏みしめてから構えを取る。
 その様子を一通り眺めて、小峰は身構えた。そこで西川は眉をひそめる。小峰自身から発せられる感情をなんとなく感じているのか。小峰はそれを思うと顔が少しだけにやけた。

「ストップ!」

 それは怒号と聞き間違うような声。声に力があるのなら、間違いなく周りの部員達を吹き飛ばす。
 小峰は内にある黒い感情を声に出して打ちだし、深く息を吐いた。空気を吸い込んでもう一度西川を睨みつける。その迫力に気圧されつつも、西川はサーブを打ち上げた。
 その真下へと向かった小峰は、息を止めるとスマッシュを力いっぱい打ち込む。脱力は使用しない、通常のスマッシュ。
 しかし、打ち返す西川の表情には先ほどの余裕は感じられなかった。返って来たシャトルをまた小峰は強打する。今度は西川も取ることが出来ず、コートにシャトルが跳ね上がった。

「ぽ、ポイント。トゥエルブテン(12対10)」

 小峰は声こそ出さなかったが、誰もが分かるくらいにオーバーアクションで右拳を引いた。渾身の一撃が決まったことへの喜びもあるだろうが、それよりも怒りが大きいと誰もが思った。
 小峰の表情が鬼のように変わっているのを見て。

(井波……あとで殴る。好き勝手言いやがって)

 小峰を動かしたのは、単純な怒りだった。情けない自分を自分だけならば諦めてしまう。しかし、他人に思い切り外見のイメージを突き付けられ、それにそぐわないなら否定される。その理不尽さを、単純に許せなかったのだ。今までは仕方がないと諦めていたのに。
 そうなると、考えだしてドツボにはまっていた思考が、その袋小路ごと破壊されたように、小峰の心の檻を破壊する。
 その先に見えるのは、自分が切り開いていく未来になる。

「西川……さん、だっけ! いいよ。お望みどおりにしてやるよ」

 小峰の豹変ぶりにまだ唖然としている西川は小峰の声に慌てて反応する。だが、言葉を返される前にすでに小峰が口を開いていた。

「もう、俺はスマッシュしか打たない! スマッシュであんたを抑え込む!」

 小峰の宣言が響き渡っていった。
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