モドル | ススム | モクジ

● SkyDrive! --- 第二十二話 ●

 隼人たちも、いましがた負けて帰って来た真比呂も固まった。
 次の第二シングルス。エントリーは小峰礼緒。そもそも谷口が小峰を入れなければ団体戦は無効と言ったために、説得しつつも名前は既に入れていた。説得は今日までに成功したとは言い難い。それでも来ることを信じて場を繋いできた。
 それも遂に限界に来る。

「あー、えーと。小峰はまだ来てないっすね」
「そもそも仲間に引き入れてないってことじゃないの?」

 谷口が目を細めて真比呂を睨みつける。怒りをあからさまにすることで威圧してくる谷口に、真比呂は数歩後ずさる。真比呂だけではなく、隼人や他の男子も谷口から発せられる圧迫感に完全に飲まれていた。

「まさか! ちゃんと了承しましたって。なにやってんだろうなぁ。ちょっと今、電話してみます」

 真比呂は谷口に焦って言うとラケットバッグに入れておいた携帯電話を取り出して電話する。隼人は冷や汗をかきつつコートにいる西川菜月を見た。考えるのはまた別のことだ。

(小峰が来たとしても……この状況であいつが実力を出せるのか)

 身体的に恵まれている小峰は、中学時代から自分の実力以上のものを期待されてきた。それに応えられなかった結果、ピンチの場面に萎縮し、力を出せなくなるようになってしまっていた。そんな自分はもうバドミントンをできないと隼人たちの勧誘を断っている。
 それでも、話した時は何度か押せば足を一歩、踏み出してくれると思っていた。真に嫌っているわけではないと伝わってきたから。
 だからこそ期待もできたのだが、遂に時間切れらしい。

「あの……小峰が間に合わないとして、代わりの選手が出るのは駄目ですか?」
「駄目ね。全員が来なければ不戦敗、あなた達の負けね」

 隼人の問いかけに谷口から予想通りの答えが返ってくる。
 もし不戦敗になったとしても、先に二勝していれば何とかなったかもしれない。だが、真比呂が負けた時点でその選択肢も消えた。
 隼人と賢斗が月島のダブルスに勝つ可能性の方が低かったために、可能性がある純と理貴で一勝。そして真比呂で一勝に賭けた。
 それが敗れただけのこと。

(負けたくないけど……仕方がないか)

 賭けに敗れたなら、素直に負けを認めるべきか。真比呂はずっと電話を鳴らしている。その様子に進展がないと分かり、谷口はため息交じりに言った。

「私の言ったことを守れなかったのなら仕方がないわね。不戦敗で――」

 がらり、と体育館のドアが開かれた音が響き、谷口の言葉を遮った。
 扉の方向に顔を向けた全員が、呆気に取られた。必死に電話を鳴らしていた真比呂だけはタイミングが遅れ、自分以外が体育館の入り口を見ていることに気づいてから顔を向ける。そして、そこに待ち人の顔を見つけて呟いた。

「小峰……」

 少し息を切らせた小峰礼緒が、そこに立っていた。
 小峰は自分が注目されたことで顔を少し俯かせ、早足で駆けてきた。そして隼人たちの傍まで来て谷口の方を見ると頭を深く下げる。

「遅れてすみませんでした……いろいろありまして」
「色々何があったかは、まあいいわ。相手はもうコートで待ってるから準備運動して。時間はそうね……十分でお願い」
「はい」

 谷口はコートに入った西川に十分待つように言うとコートから離れた。女子たちも少し休憩ということになったのを悟り、各自休み始める。逆に小峰はラケットバッグを置いて体を捻ったり屈伸したりと体を温め始めた。

「高羽君。基礎打ちの相手頼んでいい。あと、ルール説明も」
「……分かったけど、一つだけ。どうして来た?」

 隼人の問いかけに「んー」と体を捻りながら、小峰は答えた。

「俺が来なかったら困るだろ?」
「そりゃそうだけど……」
「あとは、少し谷口先生にも言われたんだよ」
「え?」

 そこまで言うと小峰はラケットを左手にコートへと入る。
 時間は一分も無駄にしてられないということか。隼人は基礎打ちのためにコートを挟んだ向かいに入り、同時に理貴へルール説明を任せる。
 隼人はネット前に立って小峰が打つドロップを返すことにした。そして理貴はドロップを打っている小峰の横に立ち、今回のルールと状況を説明する。

「二十一点の、一ゲーム。状況としては一勝二敗で負けてる。次の試合で負ければ、俺たちの負けだ」
「……めちゃくちゃ緊張する場面だな」
「悪いな」

 理貴は軽く頭を下げる。小峰が最も嫌うシチュエーションを任せなくてはいけないということ。まだ正式に部員として勧誘できているわけではないのに巻き込んだこと。隼人が謝りたかったことを理貴は汲んで、謝った。
 小峰は「しょうがないよ」と呟いてドロップを続ける。あえて飛び上がり勢いをつけたラケットに急ブレーキをかけるなど早めに体を温めるように工夫していた。その間に理貴へと言葉を返す。

「負けてもしょうがないって思って、勘弁してくれよ――な!」

 最後はスマッシュ。真比呂と同じく左利きの小峰のスマッシュは隼人の感覚よりも速く感じてタイミングが合わず、ラケットフレームに当たってコート外に弾かれた。基礎打ちが一区切りつくころを見計らって谷口が小峰へと尋ねる。

「もういいかしら?」
「はい。ご迷惑おかけしました」

 小峰は隼人にコートから出るように言う。隼人も真比呂たちと合流して小峰へと言った。

「小峰。勝ってくれ」
「……善処するよ」

 小峰は曖昧に笑って言葉を返し、コート中央へと向かった。既にネットを挟んだ向かい側には西川菜月が立っている。セミロングとショートカットの中間の長さの後ろ髪。左右にピンと跳ねていてる片方を指でねじりながら小峰がやってくるのを待っている。少し釣り目がちな瞳が小峰を視界に収めたことで、チクチクと棘が突き刺さるような錯覚を小峰は得ていた。

「遅かったわね。体冷えちゃいそう」
「すみません。温まってもらえるよう善処します」

 西川の挑発とも取れる発言を躱して、小峰はじゃんけんのために手を出す。西川は肩透かしを食らったようにため息を付いて、同じように手を差し出す。じゃんけんをして勝ったのは小峰。

「サーブで」
「コートはこっちで良いわ」

 谷口からシャトルを受け取り、コートも定まる。あとはお互いがサーブ位置までついて、準備を整えるだけ。
 男子にとってはここで負けると団体戦の負けが決まる。女子にとっては勝ちが決まる。

(小峰……)

 隼人は不安を隠せないまま小峰を見ていることしかできない。
 女子にどれだけの価値がこの団体戦にあるのかは、隼人には分からない。インターハイ前のただの調整の可能性は高いだろう。自分たちにとっては、部としてちゃんと始動するための一つの山。
 今まで仲間を集めて来て、練習をして。
 みんなで初めて挑む団体戦。
 ここまで来れたのは真比呂が火種となり、隼人が何とか形にして、それに純や理貴、賢斗が集まった。
 そして最後のピースがここにある。

「一本だ! 小峰!」

 自分にできること。隼人はプレッシャーになるかもしれないと思っていても、言わずにはいられない。巻き込んでしまったという負い目も本物だが、過去を乗り越えて小峰に勝って欲しいという思いも本物だと信じていた。

「善処するよ」

 隼人たち全員のほうへ顔を向けて口を動かす。小さい呟きだったが、何度か聞いていた言葉のため口の動きから類推できた。

「西川トゥサーブ。ラブオールプレイ」
『お願いします!』

 西川の声に被せるように言う小峰。前に闘志を押し出すようなイメージではなく、どこか包み込むようなもの。西川も今までの男子とは真逆の感触に首を傾げる。それでもプレイはそこまで停滞せずに、ゆっくりとサーブ姿勢を保ち、シャトルを打ち上げた。
 綺麗な弧を描いて飛んでいくシャトル。小峰はシャトルを追っていくと、ある地点で構えを急に解いた。そしてシャトルが落ちていく様子をじっくりと眺める。そのままシャトルは、シングルスライン上に落ちた。

「ポイント。ワンラブ(1対0)」

 打ち気がなさすぎて隼人は呆気に取られる。初めからサーブで放たれたシャトルの軌道を見るだけが目的だったのか。小峰は「うん」と一度頷いてからシャトルを拾い上げた。
 シャトルを西川に打ち返し、小峰は次の位置へと移るとラケットを構えた。前傾よりも背筋を立てて、上に伸びあがるような体勢。身長が180センチということで、167センチと女子の中では身長が高めの西川でも少し顔を上げるほどだ。

「一本!」

 シャトルを打ち上げ、中央に移動する西川。またコースはコート奥のシングルスライン上を狙っている。実力では月島に敵わなくても、十分県大会、そして全国を狙える位置にいることが隼人にも分かった。
 小峰はシャトルを追っていって落下点に入ったところで、またしても構えを解いた。そのままシャトルがライン上に落ちるのを首を動かしてちゃんと軌道を見る。
 本当にただ、見ることが目的であるかのようだ。

「なー、小峰の奴はなにやってるんだ?」
「……なんだろな」

 隼人は小峰の意図を考える。最初の二点を失っていったい何を見ているのか。ラリーの中で相手の得意なショットや苦手なショットの分析のために何点か捨てるというのは十分ありえる作戦だ。しかし、サーブの軌道を読むだけではそんなことは分からない。隼人の眼には単純に点を失っているだけのように思えてならなかった。

「もしかしたら、意味はあるかもしれないよ」

 考え込む隼人に言ったのは賢斗だった。試合の邪魔にならないようにということか、声を潜めて隼人にだけ聞こえるように言う。近くにいた真比呂も二人の傍に近づいて耳を傾けた。
 賢斗は自信はないけど、と一言置いてから説明する。

「外山君と中島君がダブルスの間に同じ動作してたでしょ。ルーティンっていうやつ。それで試合への集中を高めるっていう。もしかしたら小峰君のもそれかもしれないよ」
「……やっぱり、緊張してるのか?」

 賢斗の言葉に真比呂は心配そうに小峰を見る。しかし賢斗は小峰を見たまま首を振って真比呂の言葉を否定した。

「小峰君はあまり緊張してないよ。なんとなく、分かる」

 賢斗の言葉の理由を真比呂も隼人も分からない。だが、何故か正しいと感じていた。

「一本!」

 西川の三本目のサーブ。
 二度はそれぞれ打ち上げただけで終わっていた。三度目はどうか。西川は腰を落としてシャトルを待ち構える。小峰は落下点までシャトルを追いかけて行ったが、移動を終えたところでまたラケットを下げかける。
 誰もが三度同じように打たないと思った次の瞬間だった。

「はっ!」

 急に小峰はラケットを振りきり、スマッシュが西川のコートへと叩き込まれた。

「……え?」

 その場で試合を見ていた全員が呆気に取られていた。小峰は右手を下げ、左手の振りだけでスマッシュを打ったことになる。その速度は速く、西川は反応できていなかった。
 反応できていないというのならば、小峰の打ち気が消えていた状態からのショットへの移行に、誰もが反応できていない。

「ポ、ポイント。ワンツー(1対2)」

 谷口が気を取り直してポイントを告げる。その声に背中を押されたように西川も我を取り戻してシャトルを拾うと小峰へと渡した。小峰は乱れた羽を直すとすぐにサーブ姿勢を取る。西川はロングサーブに備えて引き気味に構えていた。小峰は肩の力を抜くためか「ふー」と誰にも聞こえるように息を吐いて。
 息を吐き終えた瞬間にショートサーブを打った。
 西川が息を呑んで前に慌てて詰めたのが隼人にも伝わる。西川はラケットを届かせてロブを上げたが、ダブルスプレイヤーに勝るとも劣らないショートサーブだったためにラケットの先がギリギリ届いた程度。結果、ロブは低い弾道で小峰のコートへと入る。

「はっ!」

 シャトルがネットを越えた瞬間には、小峰のラケットがシャトルを叩き落としていた。威力は十分で、コートに叩きつけられたシャトルが強く上に跳ねあがる。
 そしてまた落ちた音が、周りに響いた。

「ポイント。ツーオール(2対2)」
「ナイスショット! こみ……いや、礼緒!」

 真比呂が名前を呼んで激励する。それに曖昧な笑みを返しつつ応える小峰。隼人はそんな小峰の動きを見て素直に驚く。

(凄いな……あれだけリラックスした状態からの打ち分け。打つ瞬間まで脱力して、その時だけ力を入れる。そうすると爆発的にショットが速くなるってことで、経験者は気を付けてる。でも小峰のはそういうレベルを超えてる。本当に脱力しきったところから打ってるみたいだ)

 無論、完全に脱力するとラケットを持っていられないため、あくまでも『ゆったりとしている』だけだろう。だが、その振れ幅が明らかに隼人たちと違う。
 更に西川が打ったロブに飛び込むスピードと、ラケットをシャトルに当てる動体視力。反応速度。
 客観的に見て、今の自分たちの中では一番上手い。

(これが小峰の実力、か)

 中学時代に見ることが出来なかった小峰の実力。それが今この場で見ることができる。
 隼人は身震いするのを止められなかった。
モドル | ススム | モクジ
Copyright (c) 2013 sekiya akatsuki All rights reserved.