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● SkyDrive! --- 第二十一話 ●

「お――らぁあ!」

 真比呂は叫びながらシャトルを追いかけていき、バックにジャンプしながらラケットを振りきった。追いつけていなくても強引に腕を、ラケットを伸ばした結果、手首だけを用いてスマッシュを放つ。それがジャンプした高さと背の高さと相まって、急角度で井上のコートへと落ちて行った。

「――!?」

 井上はラケットを伸ばすも取ることが出来なかった。角度だけではなく速さも十分。真比呂の無理な体勢からそこまで速いスマッシュが放たれるとは思っていなかったのだろう。

「ポイント。エイティーンナインティーン(17対19)」

 井上は膝に手をついて俯いていた。真比呂も肩で息をしながら次のサーブ位置へと向かって行く。井上は顔を上げるとシャトルを拾い、真比呂へと打って渡した。その顔は熱さで赤く染まり、息も切れ切れだ。

「あと四点、か」

 隼人は二人の様子を見て呟く。脳裏には真比呂が勝つためのシミュレーションが働いていた。あまり大きくアドバイスはできないため、最小限の言葉で伝えられるかどうか考察する。だが、隼人はシャトルを取ってからサーブの姿勢まで滑らかに整える真比呂の姿を目の当たりにして息を呑む。
 それは試合が始まった当初の真比呂の動きではなかった。たどたどしかった動きは試合をこなしていく中で徐々に良くなっていく。さっきのように体勢を崩しつつもスマッシュを決めるというのは難しい。中空での姿勢制御、しかも後ろに飛んで追いつくとなると全国でも上の方に入るのではないか。そこまでの精度はないにせよ、真比呂は前後左右の動きにそれぞれのショットの精度は初期とは比べ物にならないほどに高まっていた。

「井波、行けるんじゃないか?」
「ああ……あいつ、試合の中で凄い勢いで成長してるぞ」

 純と理貴は二人でただただ感心していた。
 初心者が、真綿が水を吸うように色々なことを吸収して成長していく様子が目の前で展開されている。元々真比呂はバスケで体は鍛えているため、バドミントンもルールや足の運び方、ラケットワークを学んでしまえばこの成長は想定の範囲内だったのかもしれない。
 しかし隼人は二人ほど楽観できていなかった。

「井波君。大丈夫かな」

 賢斗が、どうやら自分と同じ心配をしていると気づいて、隼人は反応するように口を開く。

「井波の体力もだいぶ減ってる。序盤に無駄な動きをし過ぎたし、スマッシュで押しすぎてる。たまたま、井上もスマッシュをあまり取れてないから気づき辛いだけだ」

 口にして隼人は違和感を微かに覚える。それは真比呂ではなく井上のこと。井上は序盤に真比呂を動かして情報を得た。そこからフットワークの弱さに目を付けたのか、前後左右斜めとおよそ考えられる方向にシャトルを打ち分けて行った。それでも真比呂は負けずにスマッシュ主体の攻撃を仕掛けていき、井上はその内の何割かは取れず得点されていた。
 井上のような分析タイプならば、もう井波のスマッシュのコースは予測して、通用しなくなっていてもおかしくはない。それでも井上は時折取りこぼしている。心なしか顔色も悪いようだった。

(井上をコート中に動かしてる間に自分も体力が減ったのか?)

 中学までやっていた割には体力が少ないと思ったところで隼人は首を振る。今はそれが好都合だ。井上が調子が悪いだけ真比呂の勝率が上がる。

(いつも世話になってるけど……井波に勝ってもらわないと困るからな)

 真比呂に向けて「一本!」と声を出す隼人。真比呂は呼応するように「応!」と声を出してロングサーブを打ち放った。アウトになりそうな飛距離だったが、綺麗な弧を描いて落下する。隼人の目では、ぎりぎりコートに入っているように見えた。井上も一瞬、コートに引かれた線を見て、すぐにドリブンクリアで応戦する。やはりアウトと見逃すには危険な軌道だ。真比呂は低く飛んでくるシャトルにも体を入れてラケットを振りかぶる。ジャンプしながら斜めに仰け反り、ラケットを振りきると角度は鋭さを増してスマッシュとなった。

「やっ!」

 打った直後に逆サイドに移動していた井上はラケットをシャトルに当てて少しだけ前に出した。振り切りはしなかったことでシャトルはネット前にゆっくりと向かい、越えたところですぐ落ちた。真比呂は雄たけびをあげながらラケットを出してシャトルを取りに行くが、追いつくことができなかった。

「ポイント。トゥエンティマッチポイント、セブンティーン(20対17)」

 遂に井上のマッチポイント。天井を見上げて目を閉じ、破顔する。ここまで苦しんだ後でたどり着いたからだろうか。
 その様子を見て隼人はコートに近づいて声をかけた。

「おい、井上。大丈夫か」
「え!? あ、高羽君。何が?」

 急に声をかけられて慌てた井上は、隼人が心配そうに見つめていることに気づくと笑って顔を振った。なんでもないというジェスチャーに対して更に聞こうとした隼人だったが、試合を長らく中断しておくわけにもいかず、コートから離れた。

「どうした?」

 理貴が隼人へと声をかけるが、隼人は「なんでもない」と言葉を濁して試合観戦に復帰する。体力低下での試合は怪我に繋がりやすいが、井上はそこまで体力がないとは思えない。しかし、体調が悪いように見える井上に試合をさせてて良いものか。審判をしている谷口は動かない。今の状態でも特に問題がないという判断か。

「ラストいっぽーん!」

 シャトルを持ち、サーブ体勢を取った井上が声を高らかに上げてシャトルを飛ばす。その後すぐにコート中央へと移動して真比呂のシャトルの行方に網を張る。
 シャトルは中央寄り。真比呂は落下点まで移動すると一瞬だけ井上の方を見た。隙がある部分を見つけてスマッシュを打ち込むつもりだろう。

「しゃあ!」

 そして、真比呂はスマッシュをストレートに打ち込んだ。
 井上の真正面に。

「!?」

 ストレートのサイドライン付近を狙うと予想していたのか、バックハンドで構えていたのが井上には幸いした。シャトルが胸部に到達する前にラケットヘッドを引き寄せて防御。結果、シャトルは力を殺されてネット前にふらふらと飛んでいく。先ほどの展開に近いもの。スマッシュをヘアピンで返されて、さっきは全く取れなかった。だが、今回は真比呂の動き出しが速く、シャトルがネットを越えたところでラケットヘッドを叩き付けることができた。

「らあ!」

 右足を思い切り踏み込んでラケットを止める。ラケットはネットを揺らすことはなく、シャトルを井上のコートへと落としていた。

「ポイント。エイティーントゥエンティ(18対20)」
「ぅううっしゃ!」
「井波君。煩いから、もう少し抑えなさい」

 歓喜の雄たけびを上げた真比呂に谷口から指導が入る。どんな競技でも熱くなれば声が出てしまうのは自然だが、行き過ぎれば騒音になる。自分だけではなく他の選手も試合をしており、自分の気合いの鼓舞が他人の集中を妨げているのかもしれない。

「っと、すみません! うし。とにかくあと二点で、延長だな」
「……そこまでに、終わらせるよ」

 真比呂がシャトルを拾って顔を上げると、井上が微笑みを浮かべて呟いていた。その呟きがあまりに世間話をするような自然な言葉だったが、内容を聞けば挑発。真比呂は井上がそうすることが意外に思えて、思わず笑ってしまった。

「――ははっ。じゃあなんとしてでも勝つ」
「勝負!」

 二人は笑いあってお互いの初期位置に戻る。
 シャトルを手に取った真比呂は何度か深呼吸をして落ち着く。気合いを前面に押し出している真比呂だが、こうしてクールダウンは忘れない。熱くなってもどこか冷静な部分を残しているのはやはりスポーツをしているからか。

「一本!」

 シャトルをロングサーブで打ち上げて、真比呂は中央に腰を落とした。すでにその姿は様になっている。これでバドミントンを始めたのが四月からと言うと信じる者は少ないはずだ。
 しかし隼人は冷静に戦況を分析する。
 流れは真比呂にあるように見えるが、急成長の代償で体力を異常に消費している。これ以上続けると怪我に繋がる可能性も出てくる。最も、それは井上も同様だったが。
 相手が力尽きることも試合の中ではありえるかもしれないが、不確かなものに頼るのはやはり不確実。

(結局、井波はもう一回ミスしただけで負けなんだ。思い切り攻めていくしかない)

 井上がドロップを放ち、ネット前にシャトルを落とす。真比呂はそこにラケットを伸ばして追いつくとヘアピンを打った。偶然か必然か、シャトルは綺麗な弧を描き、井上のコートへとほぼ浮かずに落ちる。それを取ることができず、シャトルはゆっくりと落ちて軽い音を立てた。

「ポイント。ナインティーントゥエンティ(19対20)」

 遂に一点差。ここで更に得点すれば、サドンデスに突入する。
 場の空気は真比呂の逆転劇に向けて加速していく。純や理貴。賢斗。女子も井上が追いつめられているように見えているのか消沈気味だった。同じ一年の応援する声が響くがその声は弱々しい。

「よーし! ラスト一本だ!」

 まだラストでもないのに叫ぶ真比呂。その顔には自分がその場を支配しているという余裕が見受けられた。試合の中の流れ。それはバスケでも大事な要素だったのだろう。その流れを掴むことに真比呂は慣れているようだった。シャトルを受け取り、ゆっくりと羽を整えていく。その動作はもういっぱしのプレイヤーだ。
 だからこそ、隼人は押し黙る。
 視線は真比呂、ではなく井上を向いている。体力がなくなり、俯き加減で限界を迎えているように見える。
 それでも、髪の毛の隙間から見えた井上の瞳は力を失っていなかった。

(……井波)

 油断するなと言うのは容易い。しかし、あえて隼人はアドバイスしなかった。

「しゃ! 一本!」

 真比呂は羽を整え終わり、サーブ態勢を取る。
 井上もゆっくりと移動して、ラケットを上に構えた。立ち位置は少し前気味。真比呂はそれを見て何かを思ったのか笑みを見せて、ラケットを思いきり振りかぶる。
 隼人はそこで井上の狙いに気づいた。

(――まさか、そんな不確実なこと……!!)

 隼人ならとらないであろう、運任せの戦術。終盤の井上の行動は全てこの時のための伏線だったのだろう。
 真比呂が叫びながらサーブを打ち上げる。シャトルは勢いよく昇っていき、落下する。井上は滞空時間に合わせてゆっくりと移動し、落下点に入るとハイクリアの体勢を取って構えた。延長戦に突入か、井上が二十一点目を決めて終わりか。
 その場の空気が一瞬固まる。
 そして。
 井上は構えを解いて、コートに落ちていくシャトルの行方を最後まで眺めていた。

「ポイント。トゥエンティナインティーン(21対19)。マッチウォンバイ、井上」

 真比呂の放ったアウトになるロングサーブ。
 試合開始時にも打ったもの。それ以降は多少力を弱めて打っていたが、スマッシュで押す試合展開の中で徐々にその感覚を忘れて行った。
 加えて体力低下。
 支える体力がなくなったことで力の制御ができなくなっていたのだろう。
 最後に、サーブ時の井上の立ち位置。
 隼人はそこで初めて、ラスト何点かはサーブごとに立ち位置を変えていたことに気づいた。
 井上は真比呂の戦力分析をする中で今のシナリオをどこから描いていたのか。最後に前方に立つことで自然と真比呂の思考を後ろへシャトルを飛ばすように仕向けた。
 どこまでが偶然でどこまでが必然か。
 どちらにせよ、井上は狙い通りの展開で勝利を掴んでいた。

「……ありがとうございました」
「くっはぁああ! 負けた! ありがとうございました!」

 ネット前に歩みを進めた真比呂はさっぱりとした表情で井上と握手を交わす。表情だけを見ればどちらが勝者か分からない。真比呂はやりきったという顔で隼人たちのほうへと戻っていく。そして井上は真比呂の背中をしばらく見た後でため息を付き、コートを出た。

「先生。田中さん、迎えに行ってきます」

 先の試合で体育館から出た田中を追って井上は小走りで体育館を出て行った。負けた真比呂をねぎらう中でその姿を隼人は目にとめる。

(なんかあったのかな)

 井上のプレイスタイルが自分に近いと分かったことで、気に留める。
 だが、それも次の谷口の言葉でかき消された。

「じゃあ、第二シングルス始めるわよ。選手は準備して」

 隼人も含め、男子全員が硬直した。
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