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● SkyDrive! --- 第二十話 ●

「ありがとうございました」

 四人がネットの上から握手を交わす。しかし田中は純と理貴の手を触ることさえ嫌と言わんばかりに一瞬だけ握ってから離して、すぐにコートから去っていく。森が追いかけて左手を掴んで引きとめてから少し怒りを含んだ声色で言った。

「香奈ちゃん。失礼だよ。ちゃんと挨拶しないと」
「……煩い!」

 田中が振り向いて森へ怒鳴りつける。目から涙が溢れだして顔がくしゃりと潰れた。そのまま更に言葉にならない声を森へとぶつけたかと思うと体育館の外へと走り去っていった。扉が勢いよく閉められて残響が響く中、あまりの光景に誰もが反応できなかった。
 一番初めに谷口が何度か両手を叩いて皆の注目を集めた。

「さあ、次の試合よ。準備してちょうだい」

 広がっていた動揺がそれで一気に収まる。
 田中の剣幕で流れそうになったが、栄水第一男子バドミントン部の初勝利だったのだ。純も理貴も互いに拳をぶつけあい、次に隼人たちの前に進んでいった。

「っしゃ! やったな!」
「お疲れさん」
「やったね!」

 真比呂と隼人。そして賢斗の三人が片手を高く上げてハイタッチを求める。純と理貴もそれに応えて連続で打ち合った。更に、真比呂に関しては再度、理貴が打ちつける。

「今度はお前の番だ。しっかりやってこいよ」
「おう! 今までの練習の成果を見せてやる!」

 真比呂は左手に持ったラケットを何度か振りコートへと歩み寄る。理貴が基礎打ちのパートナーとして真比呂の逆側へと早足で向かった。先にコートで基礎打ちを行っていたのは、井上。

「おお、井上が相手かー!」
「よろしくね、井波君」

 理貴がネットの向かいで準備を終えて、基礎打ちを始める真比呂。隣同士になって基礎打ちをしている二人の間は和やかで、これから試合を始める二人とは思えない。先ほどのダブルスの刺々しさとは正反対の試合になるように純には思えた。

「高羽。井波は実際、どれくらい勝算あるんだ?」
「……んー。正直、辛いかな」

 隼人は現状を素直に純へと伝える。

「実際、俺があいつに教えたのはフットワークと一通りのショットの打ち方くらいだ。それを煮詰めるのは到底無理だったしな」
「ダブルスで行くと決めた鈴風なら前衛に特化出来たけど、シングルスでいくしかない井波はどうしても一通り打てないと駄目だし、フットワークもできないと駄目だからな」

 純が察して隼人の考えを引き継ぎ、答えた結果をまとめる。
 真比呂は一通りかじっているが、どれも中途半端でどうなるか分からない、ということだろう。

「相手は井上だけど。あいつも普通に小学校時代からやってるはずだからな。流石に厳しいだろうな。唯一、期待するとすれば」

 隼人は一度、言葉を切る。それを口にするのはデータを重視する隼人にとっては賭けに近いものだろう。だからこそ期待をさせるようなことを言うのに気が引けている。それでも、純は言うように促して、隼人は答えた。

「井波は左利きだ。右利きの相手に井上が慣れていないなら十分、勝算はある」
「……それだけ?」

 純の代わりに賢斗が訪ね、隼人は肯定した。結局は根本的に実力が足りない真比呂が井上に勝つには運を引き寄せる何かが必要だ。
 それこそ、試合中に成長するしかないのかもしれない。

「まあ、あとは。鈴風みたいに試合中に、成長できたら何とかなるかもしれないな」

 隼人の言葉が終わると共に、谷口も基礎打ちを止めるように真比呂と井上へ言った。シャトルを理貴へ渡してから真比呂がエンドを移り、そのままネット前に立って井上へと手を差し出した。
 井上もゆっくりと前に出てその手を握り、軽く上下に振る。

「よろしくお願いします」
「よろしくっす!」

 元気に手を放した二人はそのままじゃんけんをして、井上が勝つとサーブ権を主張する。真比呂はそこで「コートはそっち!」と宣言した。
 あまり使われることがないコートの選択権。谷口もそう宣言されるとは思っていなかったらしく一瞬、次の行動を忘れる。

「あ、ええ。じゃあエンドチェンジして」
「はーい」

 真比呂は意気揚々とエンドを換わる。周囲もどうしてそこまで嬉しそうなのか察しきれない。唯一、隼人は何か分かったらしくため息をついて真比呂を見ていた。

「高羽。何か分かったの?」
「いや。あいつ、ただやりたかっただけだろうな。今までやった人を見たことがないから」

 呆れてはいるが、隼人の顔が嬉しそうなことに純は気づく。その気持ちは分かった。真比呂は本当に楽しそうにバドミントンをする。中学までバスケをしてきて、いきなりバドミントンに転向したことで、日々の練習が新しいものばかりなのだろう。それは隼人や理貴、そして純にはない新鮮さ。続けている人間には見えない何かを真比呂や賢斗は見ているのだろう。

(ここであいつが成長したら……一気に強くなるかもな)

 真比呂のポテンシャルは十分ある。あとは基礎的な練習に、実践的な練習。二つを積み重ねていけば一気に化ける可能性がある。
 それが、この試合の間にあるのか。純は期待して試合に集中した。

 団体戦第一シングルス。
 井波真比呂と井上亜里菜の試合が開始された。

「一本!」

 井上が大きく声をだし、ロングサーブを放った。真比呂は足取りは少したどたどしくも落下点に移動する。右手を掲げてシャトルを捉え、ラケットを背中へと持っていく。タイミングを取るように軽く右足でコートを叩いてから少しだけジャンプする。

「おりゃ!」

 左腕が解き放たれてラケットが振り切られる。ラケットはシャトルを面の中央で捉えて相手コートへと突き進ませた。
 そして井上の隣を風を切る音をさせながら通過して、コートに着弾した。

「……え?」

 一瞬の出来事に井上も思わず呆気にとられた声を出してしまったらしい。審判の谷口もカウントを取ることを忘れていた。隼人が「先生」と声をかけてようやく我に返り、ポイントを告げる。

「ポイント。ワンラブ(1対0)」
「しゃーい!」

 ポイントが告げられるのを待っていたのだろう。真比呂にとっては練習以外で行う初めての試合。そこでの初ポイント。当人として納得のできる展開で取りたかったに違いない。その意味で、自身のスマッシュでというのは理想的だろう。

「あいつ。あんなにスマッシュ速かった?」

 隣で純が驚いている顔は、隼人にはまさしく「鳩が豆鉄砲を喰らっている顔」になっているように見えた。傍から見れば自分もそうかもしれない。そういう思いで答える。

「いや。今のは、今まで見た中では一番速い」

 シャトルを井上から受け取り、羽を丁寧に整える。真比呂の顔は自分がやること一つ一つに輝いている。おもちゃを与えられた子供のように。

「ほんと、試合やるのが楽しいんだな」

 練習で試合形式をやることはあった。特にこの試合の数日前からは。しかしそれは、あくまで練習の中であって本当の試合ではない。事実上、これが真比呂のデビュー戦。
 バスケからバドミントンへと転向して、そのきっかけとなった月島のいるステージと同じ場所に立っている。

「あいつはテンションで化けるタイプってことだな」

 丁寧にしすぎて谷口に警告を受けた真比呂は平謝りした後で構える。サーブの姿勢も一度型にはまるようにゆっくりとしてから、息を大きく吸って、吐き出す。

「一本!」

 腹から吼えてシャトルを思い切り打つ。下から上に大きく弾かれたシャトルは、高く遠く飛んでいく。井上が後を追っていくが、すぐにその動きを止めた。
 シャトルはコート奥のラインを軽々と越えて落ちていた。

「ポイント。ワンオール(1対1)」
「いっけねー!」
『馬鹿野郎!』

 純と理貴。そして隼人の声が重なった。
 隼人達の怒声に真比呂はまた謝ってレシーブ位置に着く。シャトルを取ってサーブ位置に着いた井上もその様子を見て頬を緩めていた。

「井波君。いくよ!」
「お、ごめんごめん!」

 井上の声に真比呂は構えなおす。井上は「一本!」と高らかに言って、ロングサーブを放った。先ほどスマッシュエースを決められた時とほぼ同じ軌道。真比呂は同じように決めようとしてか、左手をしならせてスマッシュを放つ。

「おらあっ!」

 シャトルは再び空気が破裂したような高い音を立てて突き進む。しかし、今回は井上のラケットがシャトルを的確にとらえていた。勢いを完全に殺してネット前に向かって落とす。真比呂は撃った直後に硬直してしまい、シャトルに追いつくのが遅れてしまった。ラケットを前に出しながら取りに向かうが、数歩距離が足りなかった。

「ポイント。ツーワン(2対1)」

 真比呂はあちゃーと顔を歪ませてシャトルを拾い、井上へと返す。そこに隼人が声をかけた。

「井波! 打った後はすぐ真ん中戻れよ!」
「難しいけどやってみるわ!」

 難しいという言葉とは裏腹に笑って真比呂は次の位置に着く。そして井上はロングサーブを打って再びコート中央に入った。真比呂は三度同じ体勢になり、スマッシュを放つ。井上はまたシャトルを捉えて前に落としていく。だが、先ほどと違うのは。真比呂が即座にラケットを伸ばして前に飛び込んできていた。

「おら!」

 ネットを越えて落ちるシャトルをラケットで受け止めて、ヘアピンで返す。井上も同じように前に出てロブを上げた。後ろに飛んでいくシャトルに真比呂は必死に追いかけ、ハイクリアで打ち返す。
 無理な体勢だったにも関わらず、シャトルは井上のコート奥に返っていた。今度はコート内に収まっていたため、井上もしっかりと真下に入り、クロスドロップを打った。
 自分のコートを斜めに進んでいくシャトルは白帯に当たってしまい、真比呂のコートに届くことなく落ちていた。

「ポイント。ツーオール(2対2)」
「ラッキー!」

 真比呂はコート中央からシャトルの所に突進してきたところに止まっていた。隼人の忠告を守ってコートの中央にまず戻ってからの移動。まだ流れはたどたどしいが出来てきている。

「井波のやつ。いい感じだな」
「ああ。それより……」

 純の言葉に同意して、隼人は井上の方を向く。その視線に気づいたのか理貴が「どうした?」と会話に参加してきた。

「いや……井上ってもしかして井波を成長させようと打ってるのかもしれないなって思って」
「それって、毎回同じようなシャトルを打ってたりするってところ?」

 今までずっと試合を見ていた賢斗が口を開く。視線は試合に向けられたままだが。隼人もそれを分かっていて、特に賢斗の方を見ずに話を続ける。

「ああ。あいつの打つの見てると、俺に似てるからな。出来るだけ同じことをやろうと思ったら同じように打つ。最初のスマッシュを決められたのはそれまで全然データがなかったからだろ。次からは井波のスマッシュが同じコースに来ると予測してラケットを置いていたから取れた」

 最初のスマッシュの後、方向は違えど同じような軌道でサーブを打った。真比呂は当然、同じようにスマッシュを打とうとする。すると、一回目と同じように一番自分が打ちやすい軌道を選んでくるはず。そう読んでラケットを早めに置いていたために、シャトルを捉えることができた。いくら速くてもコースが読めるならば取れないことはない。

「俺がアドバイスしたことを実践させるために、ネット前に落とすところまで同じにした。その後のドロップのミスは……きっと普通にミスったんだろうけど」

 隼人はラリーを続ける真比呂と井上を見る。
 今回のラリーは先ほどまでとは変わって、ハイクリア合戦になっていた。
 真比呂と井上は交互にコート奥を左右に移動して、ハイクリアを打っていく。時にはクロス。時にストレートを用いて。ドロップやスマッシュをすればいいものを、井上が打たないことで勝負を挑まれたと解釈したのか、真比呂はスマッシュを打てそうなシャトルでもハイクリアで押した。
 最終的にはかすかに後ろのラインをオーバーしてアウトとなり、井上へと得点が入る。

「……いや、違うか」

 隼人はため息交じりに自分の先ほどの発言を否定した。純と理貴。賢斗は何も言わないが隼人の次の言葉を待っている。それに応えるように隼人は少し下がってから言った。コートの傍で話しているため、真比呂に聞えるかと思ったからだ。

「井上のやつ。井波がどれだけ打てるのかって情報を引き出すために打ち分けてるんだ」
「確かに。スマッシュにフットワーク。ヘアピンやハイクリア。順番に打たせてるようにも取れるな」
「間違いないな。あいつ、俺と同じようなタイプだ」

 相手をできるだけ観察していくスタイル。隼人はそこに自分を重ねていた。

(あいつも、何か壁にぶつかったりしたのかもしれないな)

 隼人の内心の思いを余所に試合は進んでいく。
 3−2で井上のリード。 
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