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● SkyDrive! --- 第十八話 ●

「ありがとうございました」

 月島と野島。二人にネット越しに握手をしてから隼人はコートの外へを歩き出す。試合に負けたが、心の中には十分な満足感があった。まだ始めたばかりの賢斗と自分が今の女子のエースダブルスと競った試合ができたのだから、今の時点では十分だろう。
 仲間たちがコートの外から「お疲れ」と労いの言葉をかけてくる。隼人はそれに頷きつつも、視界に広がる別の可能性に胸を膨らませる。
 今後の賢斗の成長度の曲線が、隼人の前にしっかりと映し出されていた。これから先が楽しみになって、隼人は自然と頬が綻ぶ。だが、コートから出たところで、賢斗が後ろをついてきていないことに気づいた。

「鈴風?」

 後ろを振り向くと、一歩一歩踏みしめながら、涙をこらえている賢斗がいた。顔を真っ赤にし、涙を流して目の周りは赤く腫れていた。賢斗の様子に隼人は笑みを消し、ゆっくりと歩み寄る。

「鈴風。悔しいか?」
「悔しい……俺の、ミスで……勝てなかった……」
「そうだな」

 隼人の後ろ。一番近かった理貴が隼人の物言いに顔を強張らせて口を出そうとする。だが、それを真比呂が手で制した。純も何か分かったのか、口を開かない。

「お前がミスしたから負けたのは事実さ。ミスをしなければ勝てたかもしれないな」
「ごめん……」
「でもな、そもそもあんな追いつめられればミスもするさ。ほら、さっさと出ろ」
「うう」

 賢斗は隼人に連れられてコートから出る。女子は次の選手が既にコートに入って準備をしていた。隼人も次の試合に出る純と理貴へ声をかけた。

「勝てなくて、すまん。次は勝ってきてくれ」
『了解!』

 二人は同時に言ってコートへ入る。その様子に隼人は笑った。練習の時よりも更に息が合っている。自分たちが負けたことで初勝利への意欲が増してきたかのようだ。実際、二人ともラケットを軽く振りながら「初勝利!」と叫んでいる。

(実際、似た者同士かもしれないよな)

 高校で初めてコンビを組んだ二人。しかし練習をしていく中で、息が合っていく様子を見て隼人はとても楽しかった。次の相手は一年の田中香奈枝(かなえ)と、森真紀。二人とも中学時代に大会で見かけたことはあった。別の学校だったためにダブルスではなかったが、シングルスでどちらもあまりぱっとしなかったはずだと隼人は思い出す。
 しかし、思考は賢斗の声で中断した。
 涙がおさまったようで、賢斗は何度か深呼吸をしつつ隼人へと言う。

「高羽君は、責めないんだね」

 賢斗の考えていることは分かったが、あえて隼人は分からない風を装って尋ね返す。

「ん? 責めてるとは思わない?」
「うん。事実しか言ってないって感じ」

 目の前では試合が始まろうとしている。ファーストサーバーの純が田中とじゃんけんをしてサーブ権をゲットしていた。隼人はその様子を眺めたままで賢斗へと言う。

「鈴風。ミスしない人間なんていないさ。だから、俺たちは練習する。でも、どうしてもミスは消えない」

 四人がそれぞれの位置につき、審判の谷口がラブオールプレイと試合の開始を告げる。サーブ姿勢を取る純と構える三人。深く息を吸って純は「一本!」と腹から吼えた。
 そして、それとは真逆の静けさでショートサーブを繰り出す。
 シャトルは白帯の上を通ったところでネットに羽がぶつかり、ショートサーブのラインに届くことなくコートへ落ちていた。

「ポイント。ワンラブ(1対0)」
「ドンマイ」

 打った姿勢のまま固まっている純に後ろから理貴が慰める。純はすぐに立ち直って申し訳なさそうに「すまん」と謝った。
 その光景を見ていた賢斗はあまりにあっさりとミスをした純を見て呆然としている。

「失敗するだろ?」
「……うん」

 一点が相手に入って、サーブは森から理貴へと向かう。森は少し固さが残ったままでショートサーブを打った。理貴はラケットを振らずにただ前に押し出すようにしてシャトルを打ち返す。勢いを殺されて落ちていくシャトルに前に出た森も下から打ち上げようとするも角度が足りずにネットにぶつけていた。

「ポイント。ワンオール(1対1)」
「ナイス」
「おう」

 純の言葉に理貴は片手を上げつつ答えた。相棒がミスをした直後にも関わらず、すぐに得点を上げる。そこには何か不思議な空気が漂っている。賢斗はそれを感じ取り、しかし言葉にできずに顔をしかめる。

「ミスをしたら、取り返せばいいのさ。シングルスだと自分で返すし、ダブルスならパートナーを信じる」
「なら、俺は高羽を裏切って――」
「あのなー。初心者でも上手く打てるようになったからって調子に乗り過ぎ。そこまで才能あるわけないだろ」

 隼人は呆れた顔で賢斗を見た。口調には気遣うという思いは全くなく、率直な気持ちを乗せる。

「初心者からここまで。普通に凄いよ。だからむしろ出来過ぎ。自分の力以上が試合に出てた。だから、どっかでしっぺ返しを食う。それが、たまたま最後のサーブだっただけさ」
「あ……」
「だから、乗り越えろ。そのために、他の皆の試合をちゃんと見とけよ」

 隼人はそこまで言って話を終わらせた。
 賢斗はまた何かを言おうとしたが、試合を見ることに集中し始めた隼人に何も言えず、試合に目を移した。互いにファーストサーバーの時に得点したため、その場から動かずにサーバーが理貴へと移る。理貴は背筋をちゃんと伸ばして、体の傍にラケットとシャトルを持ってくる。一見打ちづらそうに賢斗には見えたが、そこから理貴は綺麗なロングサーブを打った。シャトルは後方のダブルスサーブラインに向けて飛んでいく。レシーバーになった森が背中を反らしてハイクリアを何とか打ち返す。真っ直ぐに飛んだシャトルは構えていた純の下へ。

「ふん!」

 純は飛び上がってスマッシュを放つ。身長が低いためにそうしなければ角度をつけられない。だが、タイミングが合わなかったのかさほど速度はなかった。

「拾うね!」

 田中が一言断ってシャトルをロブで上げた。サイドバイサイドの陣形に広がり、純たちの次の手を待つ姿勢。再び後ろでシャトルを待ち受ける純は、前に移動した理貴の立ち位置を確認し、シャトルの落下軌道の横へとついた。

「――しゃ!」

 サイドスローでシャトルを思い切り叩く。シャトルはコートを並行に進み、相手コートを抉り切り裂く。シャトルの進む方向にいた森は、ドライブの速さに反応しきれずに、強引に取ろうとしてラケットにぶつけてしまった。シャトが森から更に後方へと跳ねてコートへと落ちていく光景は、純のドライブの威力を物語っていた。

「ポイント。ツーワン(2対1)」

 森は田中へと謝りながらシャトルを拾い、理貴へと軽く打って渡した。理貴は中空でシャトルをラケットで絡め取り、そのまま左手に収める。

「理貴。一本」
「ああ」

 純が理貴の名前を呼び、それに理貴が答える。その姿は賢斗から見ても自然なものだった。二人は高校に入って組んだばかりだというのに、すでに息が合っている。

「二人とも、凄いね」
「ある意味当たり前なんだけどな」

 賢斗の呟きに反応したのは隼人。少しだけ賢斗のほうへと顔を傾けて言葉を続ける。

「外山は中学からダブルスメインで鍛えてきた。何か理由があったか分からないがシングルスしか出てなかったから勝てなかっただけだろ。中島も中学時代にダブルス組んでたやつがいた。二人ともダブルスに慣れてるから、期間が短くても噛み合う」
「いつの間にか名前で呼び合ってるしね」

 理貴のショートサーブを田中が取り、ロブを上げる。純が追いついて再びドライブを打つ。今度は田中の目の前に迫ったが、田中はラケットを咄嗟に掲げて前に落とす。それを理貴が拾ってクロスヘアピンに軌道を変換する。
 森が追いかけてラケットを伸ばし、ストレートのヘアピンを返すと理貴は浮いたシャトルをプッシュでコートに沈めた。追加得点に隼人と賢斗の後ろで真比呂が「うおっし!」と大声を上げた。

「良い調子じゃんな、隼人!」
「そうだな……。でも、名前で呼ぶな」
「いいじゃんいいじゃん! テンション上がってる時くらい!」
「お前はいつもだろ」

 賢斗の隣で話を始める隼人と真比呂。その光景を見て賢斗はようやく笑みを浮かべた。
 自分の中にあった暗い気持ちは完全に消えて、残ったのは強くなりたいという思い。

「高羽君。今は負けたけど、次は勝ちたい」

 賢斗の言葉に真比呂と隼人は振り向く。すると隼人よりも先に真比呂が賢斗の肩を叩いていた。

「そりゃそうだろ。次は勝とうぜ! お前と隼人なら勝てるって」
「どうしたら上手くなるだろ?」
「試合を黙って見てろって」

 隼人が指さしてコートの様子を見るように二人に促す。賢斗と真比呂が見た時には、既に得点が入っていた。
 3対2
 二人が視線をそらしている間に女子が得点したらしい。

「お前ら初心者なんだから、試合を見て少しでも考えろよな。どうしてそこに打ったのか。どう打ったら相手はどう打つのか。バドミントンは、考えたやつが勝つぞ」
「うっし! 考えるのは得意だ!」

 真比呂はそう言って隼人と賢斗がいる場所とは反対方向へ歩き出す。コートに近寄らないように動いて、反対側の女子の傍へと。
 女子たちは真比呂に対していろいろと言葉をぶつけていたが、真比呂は「勉強のため」と相手側に陣取った。

「違う方向から見て勉強になるのかな?」
「それはあるけど、あれは、月島さんの傍にいたいからだな」

 コートの向かい側。少し奥で女子が田中と森を応援している。
 その中に月島がいた。他の女子の熱を帯びた応援とは少しだけ違い、冷めているような空気をまとっている。隼人からそう見えているが、周りからはどう見えているのか。

(月島さん、か)

 ダブルスとして相手にしていた月島と、今の月島。
 隼人には確かに雰囲気が異なっているように思えた。
 試合モードと観客モード。
 その違いというには違和感が残る。

(女子部の中でどういう位置づけなんだろうな)

 三年を差し置いて栄水第一女子バドミントン部のエースとして活躍している月島奏。まだ普段の月島を見ていない隼人には、立ち位置が想像できない。

(……と、今はそれより、試合だ)

 このまま仲間たちが頑張ってくれれば、第三シングルスで月島と再戦する可能性が高い。オーダーから考えて現在の自分達ではどういう展開に持ち込めるかと想定すると、自分まで回ってくる光景が自分達が勝てる唯一の可能性だと考えた。勝負は時の運ということもある。今の純と理貴の試合の他、真比呂の試合。そして、来るか分からない礼緒の試合。
 残りの試合でどういう展開になるかは隼人にも予想は出来るが確証はない。隼人の出番に回る前に試合が終わる可能性の方が本来ならば高いのだ。でも、もしも自分の出番になった時、準備が万全でなければ後悔する。
 だからこそ隼人は試合の応援と同時に頭の中で月島の動きをイメージして試合をシミュレートし始めた。現実の試合とリンクして、隼人の中には素早くコースを狙ってくる仮想月島が映っている。ロブを上げればドロップ。ヘアピンをすればロブで打ち上げる。こちらがスマッシュを打てば低い弾道でレシーブされる。
 隼人の頭の中で素早く展開が処理されていった。


 ◇ ◆ ◇


(高羽君は……何か考え込んでるみたいだな)

 賢斗は黙って試合を見ている隼人の横顔を見てから、また試合へと視線を戻す。
 先ほどと同じように、純と理貴が押している。このままいけば十分勝てる試合だ。それでも、隼人はきっと油断しないと賢斗は思っていた。隼人が非常にいろんなことを考えて試合をしているというのは、ダブルスでコンビを組んで分かった。
 自分も合唱部時代は物事の二つ先三つ先を考えて行動している自信はあった。そもそも合唱も、自分の声の音量や息継ぎのタイミング、装飾記号の再現など、自分が歌う旋律の二つ三つ先を考えて考えて歌わなければ遅れてしまう。体の使い方が異なるだけで、バドミントンもそうした知的スポーツだということを以前テレビの特集で見たことがあったことが、賢斗がバドミントンをやろうとした理由の一つだった。
 だからこそ、隼人がどこまで考えて試合を動かそうとしているのか。その思考が追い切れないことに悔しさを覚えた。

(そのあたりは、やっぱり経験なんだろうな)

 経験がない自分が勝てるというのはやはり難しいのだろう。しかし、賢斗は自分の目の前にある高い山が見えていた。けして太刀打ちできないわけではない。自分が今のまま成長していけば必ず乗り越えられる。そう信じることができた。

「……一本!」

 だからこそ、この団体戦は勝ちたいと願った。
 仲間たちと友に勝つ快感を、合唱部で味わっているからこそ、バドミントンでもまず経験したい。勝つために。
 賢斗の思いにこたえるように、純のドライブによって打ち込まれたシャトルが田中のラケットから弾かれてコート外へと出ていた。
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