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● SkyDrive! --- 第百十九話 ●

 観客の視線はただ一つ残されたコートに向けられていた。
 予定された試合の終了時間は過ぎ去って、ただ一組の試合の為に閉会式は後へと延びている。それでも不満を言う者などいるはずもない。何しろ、目の前で繰り広げられているのは、誰もが納得させられる試合だったから。

「ポイント。トゥエンティエイトオール(28対28)!」
「やーっ!」

 月島奏の気合いが乗った声がフロアに響き渡る。
 十面あったコートはポールを外され、白いテープも外されて残っているのは一つのみ。
 ちょうどコート中央付近の第八コート。
 一時間半前に始まった試合は、ファイナルゲームの延長戦までもつれ込んでいた。
 選抜バドミントン選手権大会、個人シングルス決勝戦。
 男女のシングルスダブルス共に大番狂わせが起こることもなく進んでいたが、女子シングルス決勝でその異変は起きていた。

「ストップ!」

 月島の得点を止めようとするのは、有宮小夜子。
 女子シングルスの全国トップクラスの実力者であり、彼女と同世代である早坂由紀子と一学年下の君長凛の三人は中学時代から三つ巴の戦いを繰り広げている。そこに割って入るような女子選手はこれまで誰もいなかった。
 だからこそ、神奈川県予選レベルでは苦戦するような試合などないというのが試合前の認識。
 しかし今、県内では無敵であるはずの有宮を追いつめている選手が確かにいる。
 栄水第一高校。有宮の次に神奈川代表として期待されていた女子選手。
 確かに夏のインターハイにも出場はしていたが、有宮の輝きが強すぎてそこまで注目はされていなかった。実際に夏の時はあっという間に決勝で負けていて、話題に上ることもなかった。

「一本!」

 月島のロングサーブでシャトルがコートの奥へと飛んでいく。有宮は試合開始当初とほとんど変わらない速度で追いつくと、体を思い切りしならせる。天性の体の柔らかさを使ったスマッシュの威力は高校生の女子のみならず、女子の世界でも桁違いの速さを生み出せる。そのスマッシュを放たれた瞬間に、月島はラケットをバックハンド側へと差し出した。

「はあ!」

 有宮の傍からシャトルが弾かれて、あっという間に月島のコートをえぐる。
 ラケットを差し出した方の反対側を貫いたシャトルは、コートに難なく着弾していた。

「ポイント。トゥエンティナイントゥエンティエイト(29対28)」

 審判のコールに白泉学園高校の女子選手だけではなく、男子までも湧きたつ。男子にしてみれば、団体戦で優勝を取られたのは栄水第一の男子なのだから当然とも言えた。

「……ストップです、先輩」
「隼人。声出てないぞ……」

 遠目で見えなかったが、副審判が得点ボードをめくるのが分かる。
 次に点を取られれば月島の負け。何とか粘ってもらおうと、隼人は栄水第一のスペースで椅子に座ったまま、月島への声援を送った。
 だが、声は全く出ずに虚空へと掠れた声が消えていく。
 隣に座っていた真比呂もまた隼人と似たような音量の小ささ。
 体の力が抜けて椅子から立ち上がることもできずに、遠くから月島を見ることしかできない。

(先輩……もう少し……もう少しです……)

 声にならない言葉を胸の中で発する。
 その声が届いたのか、届かないのか、有宮の高速スマッシュを今度は月島が弾き返す。だが、前に飛んだシャトルに向けて飛び込む有宮の動きに迷いはなく、最後のプッシュでシャトルがコートに叩きつけられた。
 湧き上がる歓声。白泉学園高校の選手たちが有宮の勝利に声を上げる。
 その後、他の高校から拍手がコートの二人へと送られた。

「どっちも、凄かったな」
「そうだな……月島先輩も、有宮さんも強かった」
「……終わったなぁ」

 真比呂のため息交じりの言葉に隼人は視線をフロアから移す。完全に緩み切った顔には穏やかな笑みが浮かんでいて、全てを出し切った男の表情をしている。

「お前。そんな感じで大丈夫か? 閉会式」
「んあ? 優勝カップもらうのは隼人だろ? お前がしっかりしてればいいさ」
「そりゃそうだけどな……って俺も人のこと言えないな」

 隼人はゆっくりと立ち上がろうとして、体の震えを止められなかった。

「試合が終わったのは昨日だってのにな。今日ここまで怠いとは思わなかったよ」
「俺も。バスケの試合でもこんな疲れたことないぜ……まして足痛めるとかなぁ」
「そのあたりはちゃんと責任取ってもらうからな」

 真比呂の足にはテーピングがしっかりと貼られていて、隣には松葉杖まで置かれている。実際にはそこまで重症ではないが、痛めているところに負担をかけないようにするための松葉杖。真比呂は面倒さにすぐ使わず立ち上がろうとするが、隼人が見張ってすぐに使わせている。

「さ、閉会式だ。皆で行こうぜ」
「……その皆はどこにいるんだ?」
「既に行ったみたいだな」

 男子四人は少し離れた場所でそれぞれ試合を見ていたが、終わったところで移動していったらしい。隼人たちに声をかけることなく。女子たちも徐々に移動し始めていて、既に閉会式へと気持ちを切り替えている。その流れに隼人と真比呂は上手く乗れずにいた。

「二人とも、どうしたの?」

 戸惑い、どう動こうか悩んでいた二人の背後から声をかけたのは亜里菜だった。ジャージ姿の亜里菜はいつも通りの笑顔を二人に向けている。ふと、隼人はどれくらいこの笑顔に支えられてきたかと思い返す。

「井上。ありがとう」
「え?」
「あ?」

 隼人の口から洩れた礼の言葉に、亜里菜と真比呂が連続して声を上げる。二人の反応の一度咳払いをして、支えている足にしっかりと力を込めてから再度告げる。

「お前もだよ、井波。二人がいなかったら、栄水第一の男子バドミントン部はなかったよ」
「そんな……私は何も」
「俺だって、お前がいたからだろ、この部は」

 二人の言葉に思い出される光景がある。

『一緒にバドミントン、やらないか!?』

 男子バドミントン部がなかったことで、卓球部の見学に来た時にかけられた言葉。まだ知り合いですらなかった真比呂は次の日から男子バドミントン部を創ろうと声をかけてきた。
 その非常識さに呆れつつも、とてつもないパワーに引っ張られてきた自分を素直に認める。
 そして、最初から常に一緒にいて、サポートしてくれた亜里菜。

『私は、バドミントンをやるために部活に入ったのに! もう、自分のやりたいバドミントンが出来ないの!!』

 膝を痛めて、自分の理想に追いつくことができないと悟った時の亜里菜の絶望を受け止めた時、隼人にできたことは手を差し伸べることだけだった。
 男子バドミントン部の為に力を貸してほしいという思いは、自分勝手かもしれない。それでも、亜里菜にバドミントンを諦めて欲しくないという思いが自分を突き動かした。

『俺たちと一緒に男子バドミントン部を支えて欲しい』

 そう告げた自分の思いに応えてくれた亜里菜。そして、自分に思いを託してくれた真比呂。

「俺たち三人で、始まったんだよな」

 隼人の言葉を聴いて、亜里菜は涙ぐみ、真比呂は鼻を啜る。
 二人の顔をもう一度しっかりと見てから隼人は力強く言った。

「いこう」

 声をかけられた二人は無言で頷く。口に出してしまえば、零れ落ちてしまう嗚咽を無理やり口の中に抑え込んで。

 * * *

 時間が遅れていても、閉会式は時間を短縮することなく行われた。
 大会委員長の言葉から続けて団体戦の優勝チームと、個人戦の優勝者と準優勝者の表彰。全国大会での活躍を期待されて滞りなく終わった。
 久しぶりの出場からの優勝をさらった栄水第一の男子バドミントン部は、男子選手たちの視線を一身に受け止めた。雑誌の取材も受けて疲労困憊の体は更に打ちのめされたものの、谷口の配慮で何とか乗り切ることができた。

「……疲れた」

 閉会式が終わり、フロアも閉鎖されて選手たちは軒並み体育館の入り口の空間に集まっていた。
 各々の学校が先取りした場所でミーティングを実施していて、いろいろな言葉が聞こえてきた。中にはすすり泣く声も混じっていて、個人戦の準決勝で敗れた選手たちだろうと隼人は考える。

「高羽」
「……三鷹」

 かけられた声に振り向くと、立っていたのは三鷹だった。前日に激しい試合を繰り広げた三鷹は今日も個人戦に出場していたが、成績は振るわずにベスト16で終わっていた。栄水第一の男子は誰も個人戦に出ていなかったため、個人戦が始まった頃には選手たちが栄水第一の名前をプログラムの中に探して見当たらず困惑するという光景があちこちで見られた。
 団体優勝チームなのに個人戦には出ないという選択肢を取ることが信じられないのかもしれなかった。

「あれだけ試合したのに次の日も試合とか、よくやるな」
「それで勝てなかったんだからまだまだだろ。勝ち逃げされたか」

 三鷹は笑いながら手を差し出してくる。その手を何の迷いもなく隼人は握り返した。右手同士がしっかりと握られて、互いの熱が伝わってくる。

「勝ち逃げっていうけどな。あと二年は俺らの試合は続くぞ。バドミントンしてる限り」
「そう、か。そうだな。全国、頑張れよ」
「クジ運悪くなければな」

 隼人の言葉に笑ってから三鷹は手を外し、白泉学園高校の集まっている場所へと駆け足で去っていく。その後ろ姿を見送って、隼人もまた自分の高校の面々が集まっている場所を探す。ちょうど外靴と中靴を履き替える境界線付近にいたのを見つけて近づいていくと既に全員がそろっていた。

「高羽。大丈夫か?」
「まだ疲れてる……か? あれだけ試合したもんな」

 純と理貴が連続して問いかけてくるのに対して、否定の首振りをする。疲れているのは確かだが、倒れる心配をされるほどではない。

「大丈夫さ。それに、二人も十分昨日は頑張っただろ」
「……俺は迷惑かけたから、次は全力で最初からやるよ」
「当たり前だろ。期待してるぜ、相棒」

 決勝で勝てたことで純の中にあったであろう罪悪感が消えていると隼人は思う。誰でも調子が悪いこと。どうしても動けない時はある。そこで隼人も、仲間たちも純が復活するまで待つという選択をした。その結果を受け入れた純ならもっと強くなれる。そう確信する。

「高羽。ありがとう」

 次に声をかけてきたのは賢斗だ。バドミントンを始めて、最初は全国を目指すという気概を持った部に対して負い目を感じていたが、今は隼人の目から見ても堂々としたバドミントン選手に見える。
 ダブルスを最も多く組んだ隼人は傍で賢斗の成長を見てきた。素直にバドミントンに打ちこむ姿に、隼人も支えられたと思う。

「あの時……バドミントンを辞めないで良かった」
「俺も、お前と一緒にバドミントンをやれて嬉しいよ。全国も、やるぞ」
「うん!」

 隼人が差し出した右腕に自分の腕を合わせて、賢斗は笑った。

「お疲れ」

 背後から肩を叩いてきたのは礼緒だった。真比呂ほどではないが足を痛めていた礼緒は、かろうじて松葉杖ではないが動きは遅い。今も隼人より先に来ていたのだろうが、トイレに行っていて戻ってくるのに時間がかかっていた。

「小峰がいなかったら、俺らは全国行けなかったよ」
「……そんなことはないって言おうと思ったけど、そうだよなきっと。シード校のシングルス倒すの大変だったんだからな……」

 大きく肩を落とす礼緒を見ながら賢斗と隼人は笑う。
 恵まれた体格を生かせる精神力がなかった礼緒。
 心の弱さが力を押し込めていて、負けることでプレッシャーがさらに強くなってと繰り返していた礼緒はもうない。
 次々とシード校の強いシングルスプレイヤーを撃破していったことで、優勝を決めた隼人よりも雑誌記者の中では注目されていた。その見立ては間違っていないと隼人も思う。
 栄水第一の中では、礼緒と、おそらくは真比呂が高校の間に名前をとどろかせるに違いないと考えていた。

「随分自信ついたよな。お互いに」
「ああ。お互い心弱いコンビも解消だな」
「そんなのいつ組んだ?」
「今思いついたから、結成から解散まで1秒だな」

 隼人を尻目に会話を続ける二人もまた、今だからこそ見られる光景だ。
 軽口を叩けるようになった礼緒と賢斗というのもまた、自分たちの時間がちゃんと成長しながら過ぎていったことの証。
 ここは終わりではなく途中だとは分かっていても、隼人は込み上げる物があって涙を流しそうになる。

「はーい、ミーティング始めるわよ!」

 手を叩きながら栄水第一の集団に近づいてきたのは、谷口だった。全員が続けていた会話を切り上げて谷口へと視線を集中する。皆が見える位置に立ち止ってから谷口は切り出した。

「まずは皆、今日までお疲れさま。若干、無事じゃない子もいるけど、だいたい無事に終わって嬉しいわ」

 谷口の言葉によって視線が真比呂に向く。女子の視線に突き刺されて照れたのか真比呂は逆方向に顔を移した。

「改めて成績を発表するわ。まずは女子シングルス準優勝、月島奏。女子ダブルス準優勝、月島、野島組」

 名前を呼ばれた月島と野島が女子たちの祝福の拍手に囲まれて頭を下げる。
 シングルスでもダブルスでも全国に出場することになった月島は、過去と異なって雑誌の取材を大量に受けていた。もはや有宮小夜子の二番手ではなく「月島奏」という存在を認識させるには十分なパフォーマンス。実際に、インターハイからこれまでの伸びを示すように、月島は男子バドミントン部とは別に存在感を表しながら勝ちあがっていったのだ。

(試合見たかったけど……仕方がないよな)

 自分たちの試合で手いっぱいであり、次の日も起き上がれずに集合時間に遅れたのだから仕方がない。谷口も怒ることなく受け入れていた。

「じゃあ次。といってもこれで最後だけどね」

 谷口は一度間を置いてから男子の方を一瞥する。隼人を含めて六人が姿勢を正したところで、谷口は笑みを浮かべて告げた。

「男子団体戦、優勝。栄水第一男子バドミントン部!」
『わあああああああああああ!』

 女子が上げる黄色い声援と拍手の嵐に、隼人は顔が赤くなるのを感じていた。これだけの声援と祝福を受け取るのは経験がない。地区予選でも県大会でも一位を取ったことはなく、常に二番手や三番手のままで試合を終えてきたのだから。
 見てみると他の男子も似たようなもので、いつもビックマウスの真比呂ですら動揺している。

「男子の団体と月島のシングルス。月島・野島のダブルスで三月末の全国大会に挑むわ。私は明後日から、この子らを集中的に鍛えるから、他の女子部員も協力してほしいの」

 谷口の言葉に加わる熱は女子の心を動かすだけではなく、隼人もこれまでとは異なる印象を受けた。

(引き気味だった先生が……踏み込んでくるみたいだ)

 顧問を担当するということを言いつつも、深く関わろうとしていなかったように見える谷口がはっきりと鍛えると告げた。視界の端に映った礼緒の顔がどこか安心したように見えたが、すぐに喜びの表情に戻ったために隼人はそれ以上何かを思うことはなかった。

「これから、よろしく頼むわね、みんな」

 谷口静香の言葉に隼人も真比呂たちも力強く頷く。
 言葉を交わさずにあくまでも感覚だけだが、男子全員が感じ取っていた。
 ようやく、顧問も含めて栄水第一男子バドミントン部が完成したのだと。

「さあ、じゃあ今日は気を付けて帰って、ゆっくり休みなさいね。明日はじっくり休養して、明後日からバシバシ鍛えるわよ。じゃあ、解散!」
『はい! ありがとうございました!』

 全員で挨拶をしてからその場が解散となる。
 女子たちが先に靴を履き、外に出ていくのを男子は後方から眺めていた。結果的にレディファーストになっているが、単純に誰もが動かなかっただけ。

(……そうだ)

 隼人は男子にトイレに行くと告げて歩き出す。歩いている間に携帯電話を取り出して、メールを手早く打ってからポケットにしまった。トイレは玄関から離れた場所にあり、死角となる場所もある。そこに身を潜ませてから少し時間を置いて、軽い足音がやってきた。

「隼人君。どうしたの?」
「井上……ちょっと言っておきたくてさ」

 隼人は呼び出した亜里菜に面と向かって立つ。
 既に他の学校の選手も去っていって、この場には二人しかいない。待っている仲間たちに怪しまれないためにも、すぐに要件を告げて戻ろうと意を決して口を開いた。

「俺、答えが出た。月島先輩が、好きだ」
「……そっか」

 唐突にも思える告白にも亜里菜は少し驚いた後で整理をつけたのか、瞼を強く閉じた後で開くともう緩やかな表情を向けていた。

「バドミントン部は、井波と、井上と俺で始まった。でも、根本のところで月島先輩がいたから、俺はバドミントンを高校でも諦めなかった」
「うん」
「……きっかけだったかもしれない。でも、一年過ごす中で、アドバイス貰ったりする中で、俺の中で大きくなっていったんだ。月島先輩が」
「うん」
「井上にも……たくさん支えてもらった。感謝してる……でも……」
「うん。大丈夫だよ」

 亜里菜は笑顔を崩さないままで会話を終わらせる。隼人は「そうか」しか言えなくなり、少しの間黙り込んだ。沈黙を先に破ったのは、亜里菜。

「ありがとう。はっきりと教えてくれて。私は、応援してる。隼人君のこと」
「……ありがとう」
「じゃあ、行こう? 皆、待ってる」

 差し出された手を隼人は一瞬躊躇した後に握り、歩き出す。引っ張って歩く亜里菜の顔は見えなかった。



 一つの目標に向かって立ち塞がっていた山を越え、一つの想いに言葉が付いて決着した。
 次の日から新たな山が立ち塞がり、新たな思いが生まれる。

 選抜バドミントン選手権大会神奈川県予選は、こうして終わりを告げた。

 そして――時は過ぎる。
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