●● SkyDrive! --- 第百十八話 ●●
シャトルが脇腹のすぐ傍を突き抜けていく時に、咄嗟に体を横へと流した隼人はラケットを辛うじて打ち返す。
あくまで緊急避難のような反応で強く返せなかったが、何とかネットから浮かずに続けてのプッシュを受けることはなかった。三鷹はプッシュを狙って掲げていたラケットを倒し、ヘアピンを打つ。打ち終えたばかりの隼人では反応しきれないタイミングであっても、隼人はその光景を『見ていた』ためにラケットを前へと突き出してシャトルを捉えた。
「ふっ!」
シャトルを手首のスナップを利かせて打ち上げる。シャトルはふわりと三鷹の頭を越えて背後へと落ちていくが、隼人のそのショッを把握していたかのように背後を振り返って駆け出す。
「はあああ!」
咆哮を上げながら走り、そのままラケットを振り抜く。
正確に打たれたシャトルは高く上がってお互いの体勢を整える時間が生まれる。
隼人は落としていた腰を解放し、シャトルを追って落下点へと立った。
(ここで……ドロップ!)
気合いを入れてスマッシュを打つ気持ちを持ったまま、ドロップを放つ。
ラケット面をシャトルに対して斜めにして腕を振り抜くと直線にスマッシュが突き進むように残像が生まれたが、実際には斜めの軌道でドロップが放たれていた。
三鷹はその場から動かずにシャトルへと視線を向けていたが、それが精いっぱいだった。
シャトルはコートへと無事に落ちて、軽く音を立てる。同時に、二校の間で明暗が分かれた。
「ポイント。トゥエルブナインティーン(20対19)。マッチポイント!」
『ナイスショットぉおおおお!』
『ドンマイ! 十分取り返せる!』
栄水第一側は隼人への歓喜を。そして白泉学園高校側は一点を取り返しての延長戦に向けての激励を互いの代表へと送る。
隼人はいつしか止めていた息を吸い、ゆっくりと吐いた。
心臓は高鳴り、体中から汗が噴き出てくるのは蓄積していた疲労が一気に噴き出しただけではない。試合の時間が積み重なっていく中で溜まっていった緊張も最高へと達している証拠だった。
(……あと一点、なんて考えてる余裕はないな)
隼人は審判から新しいシャトルを受け取り、何度も深呼吸しながらサーブ位置に立った。そして、ネット越しにわざと焦点をずらして三鷹を見た。
(あと一点くらい、すぐ取り返すって思ってそうだ)
隼人はこれまでの試合展開を振り返る。こうしてマッチポイントを迎えるまでの苦しさに顔が歪み、ふらついてしまう。一度ラケットを脇に挟んで右掌で顔を拭い、ハーフパンツに擦り付けると再びラケットを手に取って構えた。
「一本」
少しでも体力を温存するためにサーブを打ちあげる。
シャトルはいまだに綺麗な弧を描いてコート奥へと落ちていくが、三鷹は飛び上がって落下までの時間を早めるとラケットを振り抜いた。
「はあああっ!」
試合終盤とは思えない威力を放ったシャトルは、サイドのシングルスライン上へと落ちていく。
右と左。どちらかと迷った挙句にバックハンド側を取った隼人の予想はあたり、ラケット面に痺れを与えながら打ち返した。
第二ゲームが始まってから隼人と三鷹は常に一点を取りあってきた。
隼人が一点目を取ればすぐに二点目を。
二点目を取れば二点目と、隼人の一歩後ろをひたすら追ってきた。
隼人はプレッシャーを受けながらも、ミスをしないように着実に点を重ねていく。そうしてやってきたマッチポイントは試合の流れからすれば、三鷹が二十点目を取る順番であり、二点差がつくまで行われる延長戦が始まる。
ただ、今回もこれまでと同様に一点を取れるかは三鷹の精神力にかかっていた。
取れば続き、取れなければ負けるというこれまでと異なる状況に三鷹が耐えられるかどうかが試合の分かれ目。
三鷹がラリーを制すれば、延長。隼人が取れば隼人の勝利――そして、栄水第一の優勝が決まる。
おそらくは、栄水第一の誰もが考えていたに違いない。隼人ならば、次の一点を確実に取れると。その安定性を知っているからこそ白泉学園高校の面々も三鷹に対して必死に緊張の糸を切れさせないように後押ししていた。
それだけ隼人の力を恐れている。
「うらああああ!」
「――!?」
ただ一人、三鷹を除いては。
空気が爆発したかのような音が轟き、一瞬だけ光が走ったような錯覚を誰もが見たような錯覚に陥る。
そして、錯覚から解放された時には隼人のコートに転がるシャトルを目にしていた。
「ポ、ポイント……トゥエンティオール(20対20)……」
あっという間に追いついた三鷹にも、追いつかれたことが当然と言わんばかりにシャトルを拾い、平然と打ち返した隼人にも審判は驚愕の表情を抑えることができない。
それぞれの学校の生徒たちも同様だった。
(さあ、あと……十点以内。間に合うか)
隼人はレシーブ位置に向かい、ラケットを掲げる。
レシーブ体制が整った瞬間を狙ってなのか、三鷹はショートサーブを打ちだした。
丁寧に前へと落ちていくシャトルを隼人は気合いで打ち上げて、シングルスのサイドラインと平行に飛んでいくシャトルを見ながら中央に腰を落とした。
(ここで、スマッシュ)
隼人の思考に重なるように声を上げた三鷹はストレートにスマッシュを放つ。隼人はバックハンドに持ち替えた上でクロスにドライブを打ち上げた。
(横っ飛びのまま、強引にラケットを振り切ってスマッシュ)
隼人の脳内での想像と同様に、三鷹はラケットを振り切ってスマッシュを打ちこむ。体勢が崩れていてもシャトルの威力は収まらず、コントロールも途切れない。隼人のコントロールに強化されたスマッシュというスタイルだった三鷹の力は、隼人の想定以上だった。
小さい時から繰り返してきたコントロールの強化には及ばない。
しかし。それでも試合を優位に運んでいるのだ。
「ふっ」
隼人は取られるのを覚悟で前に出る。シャトルがネットの白帯へと当たり、相手側へと落ちていく。三鷹は苦い顔をしながらシャトルを打ちあげたが、既にそこには隼人のラケットが置かれていた。
「はっ!」
プッシュが綺麗に落ちて、二十一点目が隼人に流れる。本来ならば試合が終わっていたはずの得点にも隼人は特に気落ちすることなく受け止める。サーブ位置に立ってシャトルが軽く打たれてきたのを捕まえてから羽を整える。
(……あと、九点以内に終わるのか)
隼人は試合の残り時間を思い返す。
公式戦でも練習でも、実は延長戦に入ったのは初めてではないかと考える。実際に、試合では接線での勝ちだとしても二十一点以内。こうして飛び出すのは高校では未経験。思い返す限りでは中学生でもないだろう。
「一本!」
シャトルを打ちあげて落ちていく様子を見ながら腰を落とす。
三鷹は飛び上がって高い位置からシャトルを打ち下ろしてきた。
真比呂と変わらないジャンピングスマッシュ。それでも真比呂の方が速いとラケットを振り切ったが、タイミングがずれてシャトルはコートの外へと飛んで行った。
「ポイント。トゥエンティオール(21対21)」
二十一回目の同点。飛んだシャトルを拾ったのは賢斗で、そのまま三鷹へと飛ばして渡した。
三鷹は軽く頭を下げてからサーブ位置に立ち、準備ができた隼人へとロングサーブでシャトルを打ちあげる。
今度は隼人も落下点から斜め後方へと陣取り、前へと飛びながらシャトルを打ち放つ。
力強く三鷹の胸部を貫く軌道で飛んだシャトルを、今度は三鷹が自分の仲間たちが立つ方向へとシャトルを飛ばしてしまう。自分のところに飛んだシャトルを、ため息交じりに隼人へと打ち返すのは貞安だった。
真比呂を倒してもなお不服そうにして打ち返してくる表情に、隼人は負けず嫌いの血を感じ取る。
(全員が、戦ってるのか)
今はもう、隼人と三鷹の試合というレベルを超えていた。
全員がコートに自分の意識を置いていて、隼人と三鷹に託している。
既に体力は限界が近く、汗も大量にかいていてどれだけ時間が経っているのかも分からない。
セカンドゲームでもし負けたとしたらファイナルゲームを戦えるかと問われたなら、隼人は間違いなく首を横に振るだろう。それでも、試合を止めるとは言わないと思った。
真比呂に向かっては無理せずに申告しろと言っておきながら、ここまできて試合を止める理由を隼人は見つけられない。
「一本!」
三鷹はシャトルを気合いの声と共に打ちあげる。隼人はハイクリアで打ち返してからコート中央へと腰を落とす。だが、膝にかかる重さが突如倍になったかのように感じて、動けなくなった。
そして三鷹は隼人の隙を突き、スマッシュではなくコートの奥隅を狙ってシャトルを放った。スマッシュくらいの速さでコートの真ん中付近ならば腕を伸ばしてヘアピンに変えることは出来ただろう。しかし、三鷹も試合の中で何度もやられてきたパターンをもう喰らうわけではない。ラケットに掠ることなくシャトルはシングルスコートの端へと吸い込まれた。
「ポイント。トウェンティツートゥエンティワン(22対21)」
一瞬の静寂の後に歓喜の声を上げたのは、白泉学園高校側だった。
隼人は背後に歩いていってシャトルを拾おうとしたが、勢い余ってコートから出たシャトルを拾ったのは亜里菜。隼人に向けて目でレシーブ位置に向かうように告げると早足で審判の近くまで行ってから三鷹に向けてシャトルを放る。
そこから再度、視線を向けてきた時には瞳に「負けないで」という想いが込められているように隼人は思えた。
(……あと、一点、か)
セカンドゲームが始まって、初めての連続得点だった。しかも三鷹の側がそれを達成したということが場の空気を異質なものにしている。
そのままの勢いであと一点を取らせるために吼える白泉学園高校の選手たちと、声は発せずに真剣なまなざしを向ける栄水第一。真比呂でさえも黙っていることに苦笑した隼人は深呼吸で息を集めた後で、叫んだ。
「ストップ!!」
重く圧し掛かる『敗北』の二文字は、コートから完全に霧散していた。
隼人の咆哮には負の要素は全くなく、次の三鷹の攻撃を確実に防ぐという安心感まで周りに伝えてきた。それは白泉学園側も同様だったらしく、コートの外にいるメンバーや監督は口を噤んだ。
「一本!」
静寂が訪れた中でも三鷹は一人吼えて、ロングサーブでシャトルを解き放つ。コート奥へと飛んでいくシャトルを追っていった隼人は、脳裏に閃くものがあって構えを解いた。コートの外から騒然とする気配が伝わってきたが、隼人は自信を持ってシャトルを見送る。
そして、シャトルはシングルスラインを超えて床に落ちていた。
「アウト……ポイント。トウェンティツーオール(22対22)」
線審が両手を広げてアウトを宣言したのを見届けてから審判も告げる。隼人はゆっくりとシャトルを拾いあげて羽を整えながらサーブ位置へと向かった。真比呂や理貴が隼人へと声をかけようと口を開きかけたが、何も告げられない。
いつしか、決勝戦のコートは外部から声が聞こえることはなくなっていた。
「一本!」
高らかに吼えた隼人はロングサーブの勢いでショートサーブを打つ。これまで数回騙された三鷹も今度はシャトルへと追いついてクロスヘアピンを打つ。際どい軌道をたどるシャトルに隼人もヘアピンで勝負する気にはなれず、ロブを上げて時間を取る。
三鷹は後方へと移動しながら飛び上がり、腕の振りの残像が残るほどの速さでスマッシュを叩き込む。
隼人はかろうじて腕を伸ばしてシャトルを打ち返したが、バランスを崩したことで次のプッシュに対抗できない。三鷹は決め球であるスマッシュを囮にしてチャンスを作り、最終的には隼人のコートへとシャトルを沈めた。
「ポイント。トゥエンティスリートウェンティツー(23対22)」
再び三鷹のマッチポイント。しかし、白泉学園高校からはラスト一本、の声は出てこない。栄水第一側も隼人を後押しするような声は出てこなかった。
(……静かだな)
隼人には、まるで三鷹がすぐ傍にいるように思えていた。
ネットを挟んで遠くにいるはずの相手がする呼吸音がすぐ傍に聞こえるような錯覚。
それだけではなく、体を動かす時になる筋肉の軋む音までが聴こえるよう。
シャトルがショートなのかロングなのか。打つ瞬間には見分けられていて、ラケットが追いつけばその場の最適解を自動的に導き出すように、シャトルを打つ軌道も何もかもを決められていた。
「はっ!」
プッシュでシャトルを打ちこみ、跳ね返されたシャトルをドリブンクリアでストレートに運ぶ。
スマッシュがやってきたところで逆サイドに上げるフェイントをかけてストレートに飛ばし、反応が半歩遅れたスマッシュを今度こそ逆サイドへと飛ばす。
遅れが一歩半まで広がったところで隼人はスマッシュをコートへと叩き付けて、再び同点とした。
(見える……感じる……判断できる……今までの経験と、三鷹の情報が)
三鷹の動く癖も打つショットも考えるよりも先に感じていく。
第二ゲームの終盤になって三鷹がスマッシュで力押ししてきて、少しパターンが単調化し始めたことも原因かもしれない。
しかし、どんな理由であれ今の隼人はシャトルと相手の動きを同時に把握して、何を打てばラリーの終わりまで繋げられるのかという道が見えていた。
一点取られれば負けていたギリギリの状況で、相手のサーブがアウトになるのを見分けられた時がスイッチとなり、集中力の蓋を開けた。隼人の覚醒を仲間も理解したために声をかけて集中力をそぐことを恐れたのだ。
三鷹の力押しのスマッシュの軌道も理解できる。だが、分かっていてもラケットを出すのが遅れて甘い球が返ってしまうのは隼人の体力も限界にきているからだった。
「ポイント。トゥエンティスリーオール(23対23)」
これまで決勝も含めて、ダブルスとしてシード校とも戦って勝ってきた。決勝戦も体力を温存させようと奮闘する賢斗に心打たれて、二人とも全力で動いて勝利をもぎ取った。
「ポイント。トゥエンティフォートゥエンティスリー(24対23……トゥエンティフォーオール(24対24)……トゥエンティファイブトゥエンティフォー(25対24)……トゥエンティファイブオール(25対25)」
スマッシュ攻勢で隼人の返球を甘く誘い、最後まで力でシャトルを押し込む三鷹に対し、数多く返球してシャトルをコントロールしていく中で、少ないチャンスをものにしてコートへとシャトルを沈める隼人。
セカンドゲームの終盤で完全に力と技に別れての点の取り合いに、シャトルを打つ音とバドミントンシューズが床を蹴る音だけがコートに響き渡る。
コートの傍にいる仲間たちも、観客席から見守る他の選手たちも声一つ発せずにひたすら二人のラリーを眺めていた。
自分が声を出してしまえば壊してしまうほどの、繊細な世界を見るかのように。
「――ポイント。トゥエンティナインオール(29対29)」
放っておけば永遠に続くかもしれなかった試合。しかし、ルール上の終わりは存在する。
二点差をつけるまで終わらない試合は、遂に先に一点取れば終わるという次元までやってきた。三十点目を取った方がセカンドゲームの勝者となる。
三鷹が勝てばファイナルゲームに勝敗は持ち越され、隼人が勝てば自分の勝利と、栄水第一高校の優勝が決まる。
(……肩が重い)
もう顔に出さない努力は諦める。息は切れ、肩も上下して体力がとっくに底をついているのは隠せない。それでも一回一回のラリーに最後の一滴まで注ぎ込んでかろうじて繋いできた。
その苦労も、このラリーで終わる。
(このゲームで取れないと終わるな)
冷静な自分が顔を出す。セカンドゲームを取れなければファイナルゲーム。
しかしわずかなインターバルで回復するわけもない。隼人にとっては崖っぷち。三鷹にとっては、どうか。そう考えだすとシャトルを持ってサーブ体勢を取ることすら辛くなる。
誰もが声を出せないその場所。隼人はゆっくりと三鷹の方向を見る。
そして、先の観客席に月島がいるのを見つけた。
(……月島、先輩)
月島は試合を終えた直後のユニフォーム姿のまま立っていた。
一人でそこにいるのは、隼人に自分の姿を見せるためだろうとすぐに理解する。
月島は拳を掲げて、隼人に突き出した。
「一本」
静かに呟いて、隼人はサーブ体勢を取るとすぐにサーブを打ちあげる。
シャトルがたどる軌跡はなぜか光っているように見えた。
(これ……この奇跡は……)
三鷹が追いついてスマッシュを打っても、隼人は一歩で追いついてバックハンドでクロスに返す。
シャトルがキラキラと光の雫を落としていくような綺麗な軌跡を描いて相手コートを侵略すると、わずかずつ三鷹の動きが遅れていく。
無駄な力を込めて動く余裕がない体そのものが最小限の力を使うようにシャトルに追いつき、打ち返す。体力が減ると共に力が抜けて、隼人は三鷹の強打を完全に相殺して打ちまわしていく。
(少しは、先輩に追いつけました、か?)
相手を分析して打ち分けるくらいだった自分のプレイ。
粗削りながらも、光の軌跡が見えるのは憧れた月島のショットと似ていた。
「うおあああああああああああ!」
劣勢を挽回しようと、半ば無理矢理シャトルを打ち、前へと飛び込んでくる三鷹。隼人は右に伸ばしたラケット面をほんのわずかだけ上へと傾けて、シャトルを打ち返す。
弾き返したシャトルは三鷹の頭上をわずかに超えて、触れられることなくコートへと落ちた。
軽く音を立てたまま転がったシャトルが動きを止めたところで、審判は口にする。
「ポイント。サーティーントゥエンティナイン(30対29)。マッチウォンバイ、高羽。栄水第一」
力が抜けて手放したラケットが床に落ちる音と共に、試合は終わりを告げた。
全国選抜バドミントン選手権大会 神奈川地区予選。団体戦決勝。
栄水第一、優勝。
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