●● SkyDrive! --- 第百十五話 ●●
真比呂が足を痛めて途中棄権する少し前。
礼緒と龍田は互いに点を取りあうシーソーゲームの様相を呈していた。
得点は10対10と全くの五分。ラリーが続かずに互いに四、五回打ち合ったところで互いのスマッシュがコートに沈むという展開を繰り返している。
総得点の多さの割に時間が短い理由だ。
「はっ!」
龍田は鋭く気合いを吐いてラケットを力強く振り切る。
左奥から右奥へと長い距離を貫いたシャトルに、礼緒のラケットはギリギリ届かず空を切る。シャトルはアウトにはならずに、後方のライン上へと落ちて外へと跳ねていた。
「ポイント。イレブンテン(11対10)」
得点したことにも龍田は反応せず、白泉学園高校の他の面々も息を呑む。
実際に、リードしてもしていないようなもの。
すぐさま礼緒に得点を返されて同点になるのだから、実際はイーブンに見える。だが、礼緒は深く息を吐いて内心で状況を整理すると、声に出さずに心の中で呟いた。
(これは……まずいな)
龍田のサーブから始まったファーストゲーム。先行して点を取ったのは龍田だった。そこからは、後に続いて礼緒が得点するということを繰り返している。
これまで何度か礼緒から仕掛けて点数を奪おうとしたが、いずれもいなされてもう一歩が出ずに現状が変わらない。こうなると、二十一点目を取るのは龍田ということになる。
(その前に延長になるだろうけど……それでも同じことだ)
バドミントンのルールとして、20対20となった場合は先に二点先行した方が勝つ。二点差がつかない場合は、先に三十点に到達したプレイヤーの勝利となる。
どちらの場合でも、このままいけば礼緒が不利だ。
(下手に仕掛けて今の均衡を崩すのも……な)
礼緒はラケットを掲げて龍田のサーブを待つ。十一点を取られている相手の姿を改めて観察しても、練習試合の時の面影はあまりない。
髪の毛は藤井と同様に切られて坊主頭となり、礼緒のショット一つ一つに追いついて的確に打ち返してくる。練習試合の時はムラがあり、礼緒と明らかに技術レベルに差があったが、半年程度の間に鍛え上げてきたのがよく分かった。
(俺に野次を飛ばしてくることもなくなったし)
練習試合の時は、礼緒はでくの坊だと馬鹿にしてきて精神を乱そうとしてきた龍田。しかし、今はむしろ礼緒のことを意識していないかのようにシャトルを打ちこんでくる。
まるで壁にシャトルを打っているように。
「一本!」
高らかに吼えた後でシャトルが上がる。綺麗な弧を描いて落下してくるシャトルの真下についてからクロスのハイクリアを打ってコート中央へと移動すると、腰を落として相手の出方をじっくりと見る。
(悪くない……はずなんだけどな)
龍田が放った右サイドへのストレートスマッシュに対して、礼緒は遅れることなく反応してクロスヘアピンを放った。鋭い軌道でネット前に飛んだシャトルは、白帯を越えたところで落ちると龍田が追いつく前にコートへとついていた。
「ポイント。イレブンオール(11対11)」
「ナイスショット!」
純の声が聞こえて、礼緒は軽く視線を向けてから笑みを浮かべる。
亜里菜も理貴も真比呂の方へと声をかけていて、隼人は体力を回復している。
これまで二連勝できたのだから、ここで真比呂が勝てば優勝が決まり、もし負けても礼緒が勝てば優勝ということで栄水第一の圧倒的有利は変わらない。
ただ、礼緒自身は自分のプレイに違和感を覚えていた。
それは礼緒の試合が始まった時に純が感じ取った不安と同じ物だ。
(龍田が強くなったのは分かったけど、俺の動きもおかしい)
原因で思いつくとすれば体力の低下だろう。これまでシード校のエースとシングルスで激戦を繰り広げてきたのだから、体力が減るのは当たり前。それは覚悟の上でこの舞台に立っている。しかし、自分の考える限界と体の限界がどこかずれているような気がしていた。
「一本」
受け取ったシャトルを持って身構えてから、間髪入れずにシャトルを上げる。
龍田がコート奥へと駆けていき、ストレートのハイクリアで礼緒をコート奥へと追いやる。
左利きである礼緒にはチャンス球となりえるが、龍田は気にすることなく礼緒を奥へと押しやることだけに集中して打ちこんでくる。礼緒は相手の立ち位置を見ることなくストレートにスマッシュを打ちこんでから前に出ると、シャトルは返し損ねたのか低い弾道で前方へと返ってくる。
「ふんっ!」
ネット前のシャトルに対してプッシュを打ちこむ。
だが、想定よりもシャトルに角度がつかずに、強烈な一打でも龍田は追いついてロブを上げた。
すぐさまシャトルを追いかけた礼緒は、一瞬だけ足に走った痺れに動きが鈍る。
(くっ!)
飛び上がってシャトルに追いつき、ストレートのハイクリアで時間を稼ぐと共に中央に戻って攻撃を待ち受ける。
痺れが走った左足で軽くコートを踏みしめると、痛みはなかった。確認直後に龍田がスマッシュを放ってきたところにも足を踏み出して追いつき、またヘアピンで前へと落とす。龍田は弾丸のように前へと詰めてシャトルを打とうとしたが、止まりきれずにネットにラケットが当たってしまった。
「ポイント。トゥエルブイレブン(12対11)」
ざわつきが周囲に広がり、礼緒も全身をぶるりと震わせた。
龍田とのファーストゲームが始まって半分が過ぎたところで、遂にリードを奪ったのだ。得点のサイクルが逆転したことの意味を誰もが理解する。
まだ一点差。それでも、均衡を最初に崩したのは礼緒。
(……これでいける、って思いたいけどな)
礼緒は片足ずつつま先を立てて足首を回す。その後に屈伸から膝を伸ばして、アキレス腱も伸ばす。一通り足の様子を確認してからサーブ位置に戻ると、返ってきていたシャトルを拾いあげてサーブ体勢を取る。
脳裏に浮かんだのは一つの事実。
(足……どこまで持つかな)
自分の足が限界に近付いていることを、礼緒ははっきり自覚していた。
まだ龍田にそのことがばれたとは思えないが、続けていけばいずれはっきりと分かるだろう。
礼緒が取る手段は、足が限界を越える前に試合を終わらせるか、棄権するか。
(……今のペースを上げるしかないってことだろうけど……準決勝の井波みたいに)
準決勝、横浜学院戦で真比呂は各上の相手に対して最初から最後まで全力を出すことでかろうじて逃げ切った。
その代償に唯一の取り柄だった体力をほぼ奪われた末に、今も試合をしている。礼緒も同様にエースをギリギリ打ち負かしたことで、体力が枯渇していた。
決勝開始から自分の出番までの間にある程度回復は出来たが、一日目から蓄積していた疲労がここにきて一気に噴き出そうとしている。
試合に完全に集中してしまえば疲労も忘れるだろうが、その集中が切れた時には一気に襲いかかってくるだろう。
(これで勝てば、優勝。井波がまだ分からないけど、もし負けたら、第三シングルスか)
自分の後に控える隼人のことを思い返そうとして、自分がサーブ体勢を取ったままでしばらく時間が経っていたことに気付く。審判を見ると、警告をしようとしていたのか口を開いていた。
咄嗟に礼緒は頭を下げて、深呼吸をしてから吼える。
「一本!」
シャトルを高く遠くに上げる。練習の間も、この大会の間も繰り返してきた行為。サーブを上げる姿勢はほぼ変わらないが、足にかかる負担が一気に増したように左足がだるくなった。
(くそ。意識したからか……集中!)
まだかすかに痛いだけの左足を気にしてしまえば、痛みはより強くなる。
今はとにかく龍田を倒すことだけを考えようと決めて、礼緒は打ちこまれるシャトルを打ち返していく。
二度、三度と打ち合った後でコートへとスマッシュで叩きつけられるシャトル。
再び同点とされても礼緒は流れるようにシャトルを拾って龍田へと放った。そしてリズムを崩さないままにレシーブ位置に戻り、ラケットを掲げて次のシャトルを待つ。
(焦るな。結局は、持久戦しかない)
龍田からのシャトルが飛び、礼緒がハイクリアを打ち、龍田がスマッシュを打ってくる。ヘアピンで礼緒が返すと今度は追いつかれ、クロスヘアピンが綺麗に決まりかける。礼緒はラケットを届かせて辛うじてロブを上げると、コート中央へと戻った。
「おああ!」
龍田の渾身のスマッシュは、礼緒の胸元へと飛び込んでくる。
本来なら最も取り辛い位置でも、礼緒はバックハンドに持ち替えて難なく打ち返していた。シャトルはネット前に落ち、龍田も打った後の硬直から逃れられずに軌跡を見送った。
再び一点リードし、礼緒はサーブ位置に立つ。
龍田からシャトルが返されて礼緒がサーブの体勢を取った、その時だった。
「井波!」
隼人の切羽詰まった声に、礼緒は隣のコートへと視線を移していた。
既に誰も礼緒と龍田の試合は見ておらず、隣で行われていた真比呂と貞安のコートへと集まっている。
中心にいるのは真比呂だった。足を押さえて蹲っている姿が隙間から見えて、礼緒は声を出しそうになった。
(井波……お前……)
試合の開始前、ここにはいない谷口から指摘されたことが脳裏をよぎる。
『井波君と小峰君は、絶対に無理をしないこと』
現状を見れば、真比呂が谷口の言葉を無視して限界を超えたのは明らかだった。
「タ、タイム!」
礼緒と龍田の試合を担当している審判もタイムを宣言する。
無視して試合を続けてもいい場面だが、とても集中できる状態ではない。ただ、礼緒も龍田も自分のコートからは動かないままに真比呂の行方をじっと見守っていた。
真比呂は試合再開をしようという言動を見せたものの、最終的には隼人に諭され、貞安と握手をしてからコートを出た。
大きな体を純と賢斗に支えられて俯き加減で歩いてくる姿を見ていると、少し後の自分のように感じられた。
(俺の限界は……どこまでかな)
真比呂がパイプ椅子に座ると亜里菜が前にしゃがんで足を診ていく。審判は大会の専属医を呼びに行き、試合はまだ再開できる雰囲気ではなかった。
(高羽の顔、酷いな)
亜里菜の傍で真比呂を見ている隼人の顔は、この世の終わりのように青ざめていた。
ダブルスの試合での疲労から試合をちゃんと見ることができなかったために、真比呂に無理をさせたと思ったのかもしれない。
自分がちゃんと見ていれば、途中で真比呂の異変に気付いて止めることができたと。
無理せず自分に回すように、と告げた言葉が裏切られたという辛さも伝わってくる。
「ふー」
体の中に溜まった黒い淀みを一気に外へと吐き出す。
足の調子はまだ悪くない。だが、試合を続けていけば限界を迎えることは明らかだ。それがまだ先なのかすぐそこなのか、礼緒もまだ分からない。
(続けるか、止めるか)
真比呂が一線を越えてしまったところを見ていると、自分も同じ轍を踏む可能性を考える。
これでダブルス二勝。シングルス一敗。礼緒が勝てば栄水第一の優勝が決まることになる。
予期せぬインターバルによって体力は多少回復したが、試合の流れが消えたことで皮肉にも左足の違和感を意識することになった。また屈伸などすれば、違和感を悟られてしまうかもしれない。
「……二人とも、試合再開できますか?」
二人の試合を担当していた審判が声をかけてくる。
真比呂の試合棄権の影響で切れた緊張の糸を再び張れるかという問いかけに、龍田と礼緒は同時に頷く。
審判はあまりにもタイミングが一緒であるために交互に二人の顔を見てから、試合の再開を告げた。
「では、小峰君のサーブから、試合再開です」
礼緒は再びサーブ体勢を取ってちらりと横を見る。
真比呂の前には専門医がやってきていて、足を見ていた。そこには亜里菜がつき、残る男子は全員礼緒の方を見てくる。特に隼人の視線には必死な光があり、思わず頬を緩ませた。
「一本!」
緩んだ顔のまま吼えてシャトルを打ち上げる。相手コート奥まで飛んだシャトルに龍田は追いついて、スマッシュを打ちこんでくる。そのシャトルに、礼緒は即座に飛び込んでプッシュを叩き込んでいた。
「何っ!?」
スマッシュを打ち終えた体勢のままに驚く龍田に対して、礼緒は不敵に笑った。
「ここから、一点も取らせない」
礼緒の突然の豹変と共に、得点の均衡が更に崩れる。
二点リードとなった礼緒はサーブ位置に立つと、空いている手でシャトルを催促する。挑発するような行動に龍田も眉を顰めてから、シャトルを拾いあげて礼緒へと渡した。受け取ったシャトルの羽が折れているのを見ると、審判に向けて軽く打ち、替えを要求する。
新品のシャトルを受け取ってから気合いを入れると、礼緒はサーブを力強く打ち上げた。
高く急な弧をえがいたシャトルは照明の光に隠れながら落ちていく。龍田は眩しさに目を細めながらもハイクリアを打った。礼緒はシャトルを追っていくと、龍田の位置を確認しないままストレートのスマッシュでシングルスコートのライン上を狙った。
「はあああっ!」
渾身の力を込めたスマッシュにより、シャトルは鋭く空気を斬り裂いて着弾した。これまでより数段速いシャトルに龍田は反応できない。鮮やかな十五点目に純と理貴、賢斗は声を上げて礼緒に声援を送る。
ただ一人、隼人だけは心配そうに視線を向けていた。
(高羽は気付いてる、かな)
礼緒はシャトルを取り、龍田がレシーブ体勢を取った瞬間に打ち上げる。
シャトルは変わらずコート奥へと向かい、龍田がスマッシュを打ちこんでくる。だが、シャトルはネットを越えたところで礼緒のラケットにからめとられると完全に勢いを無くしてネット前に落ちていた。
「ポイント。シックスティーントゥエルブ(16対12)」
礼緒の動きは、龍田の軽く二倍以上の速さで動いていた。
読みの速さと動きの速さを駆使して、シャトルが放たれた瞬間に合わせて動いている。
これまで同点を繰り返してきたことで、ある程度蓄積した感覚から次に龍田がどこに打つのかを予測し、素早く動く。
もしも予測が外れてもどうにか挽回してハイクリアを打てるくらいの余裕を持った速さは、まるでターボがかかったかのよう。
「小峰!」
「一本!」
隼人の声をかき消すように礼緒は吼えるとシャトルを打ち上げる。龍田がハイクリアを打ち、礼緒はクロスへスマッシュを放つ。ライン上を的確に狙ってくることで龍田も防戦一方になり、最後にはコートに着弾するという光景が続いていく。
連続得点は止まることはなく、龍田が何を打っても礼緒は一発でシャトルを沈めていく。
これまでの遅い展開が嘘であるかのようにファーストゲームの最後までやってきていた。
「ポイント。トゥエンティゲームポイント、トゥエルブ(20対12)」
八連続得点の末に辿り着いたファーストゲームのゲームポイント。
礼緒は右足を前に出して隼人の視線を背中に受けながらもロングサーブを放つ。最後までぶれないシャトルに龍田はやけくそ気味にストレートにドライブを放つ。気合いの空回りを示すように、シャトルはネットにぶつかって礼緒のコートに来ることはなかった。
「ポイント。トゥエンティワントゥエルブ(21対12)。チェンジエンド」
ファーストゲームの終わりが告げられ、龍田が悔しそうにラケットを一度振るとコートから出ようとする。
だが、礼緒の方を見て眉を顰めて立ち止った。
「審判。すみません」
礼緒は言葉を一度区切って、隼人を一瞥してから再び口を開いた。
「この試合、棄権します」
その言葉に、迷いはなかった。
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