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● SkyDrive! --- 第百十四話 ●

 真比呂は自らシャトルを拾ってサーブ位置へと歩いていく。
 背を向けている間にシャトルを直し、振り向いた時には既に貞安もレシーブ体勢を取っている。ラケットを前に突き出して、前傾姿勢。それはダブルスのサーブを待ち構える体勢だった。

(なんだ? 誘ってる……のか?)

 元々、ショートサーブが苦手な真比呂はシングルスでは当たり前にロングサーブを打つ。
 これ見よがしに前方を警戒されても、後方に飛ばすのは変わらない。
 裏をかいてショートサーブを打つと思われているのかもしれないと考えたが、頭を振って雑念を振り払った。

「一本!」

 迷いをふっきってロングサーブでシャトルを打ち上げる。
 貞安はすぐさま後方へとシャトルを追っていって真下に入り、ハイクリアをストレートに打った。

(俺には、迷ってる余裕なんてないんだよ!)

 真比呂の右後方へと飛んでいくシャトルに喰らいつき、ラケットを上段から振り下ろすと鋭いスマッシュにシャトルが貞安のコートを襲う。ライン際ではなく、貞安がいた後方の位置に放たれたシャトル。ちょうどコート中央に戻ろうとしていた貞安のバックハンドを狙う形になる。

「はっ!」

 気合いの一声と共にシャトルをクロスヘアピンで弾く貞安。ネット前に返ってきたシャトルへと真比呂は飛び込んで、左足で体を止める。だが、衝撃を殺しきれずにふらついてラケットの振りが甘くなった。

「ちいっ!」

 フレームに当たったシャトルは相手コートへと入る。飛距離は中途半端で普通ならばスマッシュを叩き込まれるような危険な状態。しかし、貞安もテンポが崩れたのか追うことができずに、ワンテンポ遅れて追いつくとロブを高く打ち上げていた。
 真比呂の頭上を越えてコートの左奥へと飛んでいくシャトル。アウトとなる可能性は考えずに真比呂は足で床を思い切り蹴り飛ばして後を追う。

「ぉおおおおおおお!」

 絶妙なタイミングで打ち上げられたからか、強引に移動しなければ追いつけない。大きい歩幅で飛ぶように移動し、落下し始めたところで後方へと大ジャンプすると中空でようやく追いついた。

「くらえ!」

 シャトルを高い位置からジャンピングスマッシュで打ちこむ。
 これまで何度か挑戦し、打ってきた中でも最高に近い状態で放たれたスマッシュは、シャトルを貞安のコートに着弾させて羽をばらけさせていた。

「――っ!」

 跳躍から爽快なスマッシュを打ちこんだにも拘わらず、着地で両足をコートにつけると真比呂の足に強烈な痺れが走った。
 背中を通って頭まで電流が貫いて、痛みに動きが少しの間だけ止まる。
 しかし真比呂は痛みに苦しむ様子を外には出さず、すぐに歩き出す。
 サーブ位置に立ってから何度かアキレス腱を伸ばし、足首を回してから問題ないことにほっとした。

(あっぶね……ここで足が壊れたらどうすんだよ)

 冷や汗を拭おうとして、額から流れ落ちる汗がやけに冷たいことに気付く。体力がなくなってきているのは気付いていたが、それでもこれまでの試合と変わったとは思っていない。
 体は真比呂が思っている以上に、限界を感じているのかもしれなかった。

(まだだ……俺で、優勝を決める。そのつもりでやってる。勝つんだ。あの時みたいに、諦めたりしねぇ)

 真比呂の脳裏によぎったのは準決勝の時の試合だった。
 自慢だった体力が限界を迎えて足が動かなくなりかけた時、相手のシャトルが入らないようにと願った。
 いつもならば、どんなことをしても追いついて自分の力でシャトルを相手のコートに沈めるまで諦めないというのに諦めてしまった。
 結果的に真比呂が勝利を掴んだものの、準決勝が終わっても真比呂自身は自分が勝ったということを自分の中で昇華しきれなかったのだ。

「ポイント。ツーワン(2対1)」

 審判から新しいシャトルが渡されて、真比呂はサーブ体勢を取ってから深呼吸を繰り返す。数回だけでも体の中の空気が入れ替わり、頭の中がすっきりとしていった。
 頭は熱で浮かされていたが、冷たい空気が入ったことで明瞭さを取り戻した。ネット越しに見える貞安の表情は冷静で、今の状況に全く動揺していない。ダブルス二つを取られて、自分が負ければ団体戦の負けが決定する。そんな状況でも貞安は冷静に真比呂だけを見ていた。

(自分が勝てばいい。そんな感じ……だよな)

 貞安の考えは分からないが、真比呂は自分の中で納得させてラケットを振る。
 シャトルはコート奥へと飛んでいき、貞安はフットワークも軽やかに移動した末に構えを解いてシャトルを見送った。
 シングルスの後方ラインよりも数個分の余裕を見せて、コートの外へとシャトルは落ちていた。

「ポイント。ツーオール(2対2)」

 ドンマイ、と仲間から声がかかることに右手を上げるだけで謝罪し、真比呂はすぐにレシーブ位置に立つ。ラケットを掲げて構えてから貞安の動きを一から観察していくと、サーブ体勢を整えるまでの動きに感嘆する。

(冷静にシャトルを見てるし、動きも全然滑らかだ。余裕もあるのは、体力があるから。なら……俺の方が不利か)

 シャトルがショートサーブで前方に落ちてくると、真比呂は遠慮なくロブを上げる。
 ヘアピンを打てるようになったとはいえ、まだ苦手な部類だ。
 相手も前方に打ったのだからヘアピンを警戒しているに違いないと、真比呂は一瞬で判断して奥へと飛ばしていた。
 その判断は間違ってはおらず、貞安は跳ねるようにして後方へと移動する。そして、またしてもシャトルを見送った。
 シャトルは貞安に二点目を与えた時と同様に、コートの外へと落ちていった。

「ポイント。スリーツー(3対2)」
『ラッキー!』

 審判のコールの後に白泉学園の生徒や監督が声援を送る。
 真比呂のコートの外にいるために、貞安へと声をかけるだけでも真比呂の精神的なプレッシャーになる。それを見越しているように声を出し、貞安の背中を押すように吼えていく。真比呂は横目で一瞥してから次のレシーブ位置に向かって両足を踏みしめるとラケットを掲げた。

(今のアウト……さすがに想定外だな)

 原因は分かっている。真比呂は力を入れて遠くへ飛ばそうとしていたために、手打ちになって加減が効かなかった。足を踏み込んで腰から押し上げるようにシャトルを飛ばす。しっかりとしたラインを体の中に描かなければ、シャトルは都合よく飛んではくれない。

「よし、ストップ!」

 貞安の状態も確認し、自分の体調も見ることができたため、真比呂は改めて気合いを入れる。ファーストゲームを取ったアドバンテージがあるとはいえ、貞安にいつ挽回されてもおかしくはない。貞安も真比呂の考えと同じなのか、ここが点の取りどころだというように声を上げた。

「一本!」

 力強い声と共に高く上がったシャトルは、綺麗な弧を描いて真比呂がいるコートへと落ちていく。
 真比呂は落下点に移動してから振り被り、スマッシュをストレートに放った。
 ジャンプしてではなく、ただのスマッシュ。それでも十分な威力と角度を持ってシャトルは貞安のコートを侵略し、シングルスライン際に落ちそうになる。
 だが、貞安は追いつくとクロスのドライブを放つ。鋭く真っ直ぐに飛んだシャトルは斜め上に進んでいき、真比呂が咄嗟にラケットをだしたことでどうにかネット前に落とすことができた。
 貞安の反応は素早く、ネット前に落ちていくシャトルにラケットを差し出してヘアピンで返す。真比呂も前に踏み出したが、その動きが一瞬止まってしまった。

(ぐっ……!)

 シャトルはラケットヘッドの先をわずかに掠って、コートに落ちた。

「ポイント。フォーツー(4対2)」
『ナイスヘアピン!』

 喜びの声を上げる白泉学園高校の選手達。貞安も自分のヘアピンに腰だめのガッツポーズをした。
 対して真比呂は天井を見上げて瞼を閉じ、深呼吸を繰り返した。

(逃げるわけには……いかないか)

 何度呼吸しても、皮膚の毛穴から体力が抜けていくようだった。それでも、真比呂には引くという選択肢は浮かばない。
 体力がないならないなりに、やることはある。

(といっても。隼人ならきっといい案があるんだろうが……俺には思いつくのはこれしかないな)

 自分でも成長したと思っているが、やはりバドミントンを始めて一年も満たない。バスケットと異なって身についている技術以前に戦略も足りない。それでも、真比呂なりにやれることを見つけて、そこを一点突破するしかないのだ。
 シャトルを返してからレシーブ位置に戻る前に、足首を回しながら両足の状態を確認する。体力は落ちていてもまだ限界ではないと判断すると、振り向きざまにラケットを掲げて吼えた。

「ストップだあ!」

 これまで以上に大きな声と共に吹き荒れる闘志の渦。真比呂は自分の中にある勝ちたいという思いを、すべて貞安へと叩き込む。
 吹き荒れる渦も何もかもが想像の中のことだったが、真比呂には視線の先にいる貞安の表情がより引き締まったように見えた。

「一本!」

 真比呂の声に呼応するように、大きく咆哮する貞安。自ら発した気合いを受け流すようにして、シャトルをショートサーブで運んでいた。
 前にきたシャトルをロブで跳ね上げてから、すぐにコート中央に戻る真比呂。
 腰を落とすと肩から一気に重さがのしかかり、歯を食いしばる。似たような感覚は準決勝でも味わった。しかし、今と異なることはある。

(この試合に全てを注げる!)

 あと一ゲームとってしまえば今日の真比呂の試合は終わる。しかも、自分たちの勝利という最高の特典付きだ。
 全国優勝を目指すと最初に掲げたのは真比呂自身であり、まだ夢に近い目標だった。いくら真比呂でも一年目で行けるとは思ってはおらず、三年生のインターハイで達成できれば最高の結果だと考えていた。
 しかし、今は勝てば全国というところまで来ている。集まって一年未満で最高の結果。おそらくは、ここで全国にいけなくても誰も責めはしないだろう。

(だから、勝つんだ……ここで、行くんだ。次なんて考えている余裕なんて俺達にはないんだ!)

 真比呂が打ち上げたシャトルに追いついた貞安は、ストレートのスマッシュをシングルスライン上に落ちるような軌道で打つ。真比呂はバックハンドに持ち替えて左足を踏み込み、逆サイドへとドライブを打ち抜いた。
 シャトルは力強く返っていくが、下から上に飛んでいく軌道上に貞安のラケットが差し込まれる。力ではなくただ打ち返しただけでネット前に落ちた。

「おおおおおおあああ!」

 自分を奮い立たせるように吼えて、前に出る。
 真比呂はシャトルの下にどうにかラケットを差し込むと、覚悟を決めてヘアピンを打った。
 既にネット前にいる相手に対してヘアピンを放つ。自分の実力ではクロスヘアピンで貞安から離れるように打つことは出来ないため、真正面にあえて返す。貞安はラケットを縦に持ち替えて軽く弾いたが、シャトルはネットを越えてすぐにひっくり返ったために貞安も強打はできない。
 真比呂はとっさに背後に移動していて、胸元近くに飛んできたシャトルをバックハンドで打ち返した。

「とととっ!?」

 背後へよろけた体を支えようと左足で踏ん張ると激痛が走る。
 歯を食いしばって痛みに堪えるだけではなく、真比呂は前へと飛び出した。貞安はシャトルを既に打ち返していて、真比呂がいない前へとシャトルを打っている。真比呂はシャトルだけを視界におさめてラケットを伸ばしながら体を飛び込ませた。そして、ネットの白帯を越えて落ちようとするシャトルに、下から上へヘッドを擦らせるようにラケットを振り上げていた。

「らあっ!」

 シャトルは真比呂の気合いを乗せるように、速度に乗って飛んでいく。貞安も返ってくると思っていなかったのか、体のすぐそばを飛んだシャトルに反応しきれず、着弾を止められなかった。

「ポイント! スリーフォー(3対4)」
「ナイスショット!」

 亜里菜が声を大きくして声援を送る。
 しかし、真比呂はラケットを振り上げた状態のままで動けなくなっていた。

(……ぐ……ってえ……)

 踏み込んだ左足が体から切り離されたかのような激痛が頭へと昇ってくる。次に生まれたのは左足の脹脛の痛み。神経はちぎれてはいないと変なところで安心してしまう真比呂だったが、顔は歪んだまま戻ることはなく、硬直していた体勢から次には蹲って左足を抑えてしまう。

「井波!」

 それまで聞こえてこなかった声に反応して振り向くと、隼人が真比呂の傍まで駆け寄ってきていた。
 賢斗と共に体力回復に努めていたために声援は亜里菜や純が頑張っていて、真比呂もそれを受け入れていた。しかし、久しぶりに見たと思った隼人の顔は焦燥と、怒りに染まっていた。

「お前……足……大丈夫か……?」
「んなもん。大丈夫に決まっ――」

 抑えていた足を離して立ち上がろうとして、真比呂は右膝を床に強く打ちつけてしまう。バランスを崩して前に手をついたことが言葉にしなくても真比呂の状態を示していた。

「すみません。井波。棄権します」
「待てよ、隼人!」
 
 真比呂に肩を貸して起こそうとしつつ、審判へと棄権を告げる隼人。そこに割って入った真比呂は隼人の手を振り払って立ち上がる。痛みに顔をしかめてよろけても今度は倒れることなく言っていた。

「まだ、やれるぜ。勝手に棄権とか」
「いい加減にしろ」

 隼人の言葉はけして大きくはなく、コートの中で騒然とする人々の中では静かな方だった。
 しかし、隼人の視線の強さは簡単に真比呂の心臓を貫き、何も言えなくする。
 二人の間には距離があるというのに、真比呂は押されたような気がして後方へと倒れて尻もちをつく。真比呂の体格に見合う重さが支えもなくコートへと叩きつけられると大きな音を立てて、わずかに場が揺れていた。

「……井波選手。棄権ということで、いいですね?」

 審判の問いかけに真比呂は答えずに、ただ頷いた。
 唐突な試合の終わりに誰もが何も言えずに解散する。真比呂は隼人に肩を貸されてネット前へと歩いていき、向かいにいる貞安と握手を交わした。出すことのできなかった力を込めて握ると貞安も握り返してくる。だが、真比呂は相手の顔を見ることができなかった。

(くそ……勝てない以前に途中で……)

 酷使した体が最後まで持たなかったことが情けなく、悔しさで頭も心も一杯になってしまう。だが、貞安はそんな真比呂へと声をかける。

「絶対、またやろう」

 貞安の力強い言葉に自然と顔が上がる。貞安はかいた汗を拭うこともせずに真比呂をまっすぐに見ていた。顔に浮かぶのは爽快な顔ではなく苦いもの。貞安もまた、真っ向から闘って倒したかったのだと真比呂へと伝わった。

「井波」
「……ああ」

 隼人に言われて真比呂は、改めて貞安を見て手を握る。次にやる時は不甲斐ない自分を見せないようにという決意を言葉に乗せた。

「ぜってー、またやろう」

 手を離す時には、わずかではあるが真比呂の心は晴れていた。
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