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● SkyDrive! --- 第百十三話 ●

 シャトルを追っていき、真下に入ってから飛び上がる。
 ラケットを伸ばすとちょうど最高点でシャトルに当たり、あとは振り切ってコートへと叩き込むだけ。狙う場所は相手の姿がない場所。今、立っている場所から最も離れたところへと叩き込む。スマッシュだからといって、急角度で落とさなければいけないわけではない。真比呂はこれまでの自分の試合や他人の試合を見ていても、そうした例をたくさん見てきた。自分から入った世界だからこそ、他の選手がやっていることは真似してみることに損はないはずだと、真似することに抵抗はない。

「らあ!」

 だから今回も、真比呂は相手コートの右奥へとスマッシュを放った。
 長い滞空時間のまま突き進むシャトルを追っていくのは貞安。
 練習試合で、まだバドミントンを始めたばかりの真比呂が辛うじて勝利を拾った相手。
 でも、真比呂の中に全く油断はない。

(今の俺も、あいつもあの時とは違う)

 日頃の発言の大きさに反して、真比呂は自分をけして過大評価しない。
 高校からバドミントンを始めた者として、自分よりも先に努力を続けている者への敬意は忘れずに、自分はいくら強くなってもまだ年数は経っていないのだと理解している。だからこそ、強くなってしまったが故の油断もない。
 あくまで練習試合は練習試合。そこから成長を重ねた中で、自分の成長が貞安より上回っている確証などない。もし得られるとするならば、このゲームで勝利を掴んだ時だと考えていた。

「ふっ!」

 貞安はシャトルに追いついてバックハンドでドライブを放つ。
 フォアハンドから打たれたと見間違うほどに力強く、真比呂は自分がバックハンドへと持ち変える余裕をなくして中途半端な状態で打ち返した。ただ、それが功を奏してかネット前へとふらふらと落ちていき、貞安が前に飛ぶようにやってきたところでシャトルがラケットに触れることはなかった。

「ポイント。トゥエンティシックスティーン(20対16)。ゲームポイント」
「っしゃあ!」

 審判の言葉に真比呂は右拳を振り上げる。ただ、すぐに周囲の視線に気づいて拳を下ろしてから貞安へと頭を下げた。貞安は一つ頷いただけでシャトルを真比呂へと渡すとレシーブ位置へと歩いていく。引きずられるようにサーブ位置に立った真比呂はシャトルの羽を指で整えながら深呼吸を繰り返す。

(こういう、ラッキーなヘアピンが決まったのは四回目。運が俺に向いてるのは確かだ。こういう流れっていうのは乗らないと一気に持って行かれる。ここでファーストゲームを取るんだ)

 バドミントンは高校からだが、中学まで続けていたバスケットボールで培った試合勘が告げてくる。
 試合を続ける中でお互いにやってくる「流れ」を掴むことができれば、試合を優位に運ぶことができると。バドミントンのようなラリーポイント制のゲームならば、勢いに乗って連続得点できれば一気に勝利へと繋がる可能性も高い。

「一本!」
「ストップ!」

 貞安もまた真比呂と同様に、ここでの得点がファーストゲームの流れを左右すると感じたのか気合いを込める。実際に、真比呂がラリーを制すればファーストゲームは終わるが、ここで失敗してもその後、貞安が二十点目を取るまでに真比呂が得点すればファーストゲームは終わる。
 その「二十点目を取るまでに一点取る」ができないかもしれないと真比呂も考えた。

(それにしても……貞安。あんな雰囲気だったか?)

 ネットを越えてやってくる気迫。緊張感に真比呂は身に覚えがなかった。かつて対戦した時はどこか気だるげで、少なくとも真比呂の背筋に汗を流すほどの緊張感を放つような男ではなかった。それもまた、一回目の対決当時と事情が違うということなのかもしれない。
 真比呂は体中にまとわりつく重圧を振り払うようにラケットを下から上へと振り切った。シャトルは高く遠くへと飛ぶが、シングルスのゾーンからは出ることなく落下していく。貞安も最初からアウトとは思っていないのか、落下点に入ったところですぐにスマッシュの体勢に入る。膝を曲げて体を落とし、全身のばねを使って一瞬で飛び上がる。落下してくるシャトルへと自分から接近してラケットを振りきると、シャトルは強烈な音を立てて真比呂のコートへと切り込んできた。

「なろお!」

 真比呂のフォアハンド側へと放たれたため、シャトルを取るのは容易。
 しかし、どこに打つかという選択肢を決める前にもう打たねばならないところまで領域を侵食されている。
 咄嗟にラケットを振るとシャトルはストレートに飛んでいた。スマッシュを打った貞安に対して真正面にぶつける方法。結果的に悪くはなく、貞安も次の行動に繋げられずにハイクリアで逃げていた。逃げるといってもシャトルはしっかりと奥まで返されて、真比呂は全力でシャトルを追いかけるしかない。大会の初日ほどのキレは出ないが、まだスムーズに動いてシャトルに追いつくと、飛び上がってラケットを身構える。

「しゃあおらっ!」

 気迫と共にラケットを振りきる。真比呂の理想では弾丸のようなスマッシュが急角度で貞安のコートを襲うはずだった。しかし、次の瞬間に響いたのはラケットのフレームに当たる甲高い音。シャトルはふらふらと飛んで、それでも相手コートの中へと入っていく。貞安は虚を突かれたもののすぐに接近して、プッシュで真比呂の真正面へと打ちこんできた。先ほどやられたことを繰り返す。真比呂ができることも貞安と変わらず、シャトルをしっかりと上げることだけ。
 胸元に飛んできたシャトルをバックハンドに持ち替えたラケットで、無事に相手コートへと打ち上げていた。

(っぶねー! こんなこと続けてたら……痛っ)

 コート中央に戻って腰を落とすと同時に左足に痛みが走る。ほんの一瞬だけだったが、真比呂の意識を貞安から向けさせるには十分な大きさ。心当たりがあるだけに無視できない。

(昨日の試合の疲れが残ってるのかよ。でも、こんなところで止めてられない。まだ、やれる)

 貞安へと意識を戻すと同時に放たれたシャトル。今度はコート右側――バックハンド側へと放たれたスマッシュにしっかりと反応して、真比呂は左足を踏み出してバックハンドでシャトルを捕える。苦手なヘアピンで前に落とし、貞安が走ってくるのを視界に捉えながら次に打つ場所を予測していつでも動けるように身構える。
 貞安は加速を止めないままにネット前へと飛び込んできて、右足を叩きつけるように踏み込んで体を止めるとヘアピンを打っていた。真比呂は前に体を投げ出すようにしてラケットを伸ばし、かろうじてシャトルを触る。しかし、そこから白帯ギリギリのヘアピンを打つような技量はなく、ロブを上げるにも体勢不十分でどこまで飛ぶか分からない。

(それでも飛ばすしかない!)

 迷いなく選んだ選択肢は、その迷いのなさだけシャトルを奥へと飛ばしていた。
 角度がついてコートの中央にも届かないまま落下していくが、前に倒れた真比呂が立ち上がってコート中央に身構えるには十分な時間。貞安がラケットを振りかぶってシャトルを打ちこむ瞬間に、完全にヤマを張って左側へと腕を伸ばした。

(どうだ――!!)

 貞安が打つ前に動いては、咄嗟に方向を変えられる可能性がある。かといって打った後に動いては間に合うわけがない。真比呂に残されているのは貞安のショットと同時に動くこと。
 その見極めの為に全神経を集中させて、シャトルがラケットに振れた瞬間に飛んだ結果、シャトルがラケットに当たる衝撃だけが腕から伝わってきた。

「――っ」

 左足で体を支えてからすぐにシャトルの行方を追う。完全に運任せで弾き返したシャトルはサイドラインを割るか割らないかといったところをふらつきながら飛んでいく。
 貞安もはっきりと焦りを顔に浮かべて走り出し、シャトルを追った。ラケットを出して体を投げ出すようにして振り抜くも、シャトルはフレームに当たって甲高い音を立てていた。
 貞安がコートへと叩きつけられた音が響き渡る中で、真比呂はシャトルの行方だけを見ている。打ち損じてふわりと浮かんでいても、シャトルは確実にネット前へと近づいてきている。真比呂は心臓の音が大きく聞こえるほどに緊張したが、ラケットを前へ出して中空に固定した。
 シャトルがゆっくりとラケットヘッドに当たるように。

(――このまま、当てることだけ考えろ。貞安のことは忘れろ)

 脳裏から相手のことを消して、シャトルに照準を合わせることだけに意識を特化させると、周りの音が消えていた。シャトルは真比呂の掲げているラケットヘッドまで飛んできて、ガットに軽く跳ねる。そのままネットに平行な軌道で落ちていった。
 視界に映ったのは、コートにつこうとするシャトルと走り込んできた貞安のラケット。真下からでも諦めずに跳ね上げようとするラケットは、シャトルを捉えて上に跳ね上げた。

(――入るな!)

 自分の技量ではプッシュは失敗するだろう。そう真比呂は判断してラケットを構えたまま見えない誰かに懇願していた。シャトルが白帯の上へと浮かび、すぐに落下する。
 貞安のコート内を上下したシャトルは、そのままコートに落下した。

「……ポイント。トゥエンティワンシックスティーン(21対16)。チェンジエンド!」

 審判のコールが耳に入って、ようやく真比呂は自分が息を止めていたことに気付いて呼吸していた。
 ラケットを下げてから意識して息を吸うと胸が痛む。緊張に収縮していたのか、最初は大きく息を吸うことすら苦しくなっていた。

(俺らしくねぇなぁ……なんか)

 真比呂は腰に手を当てて軽く仰け反り、凝り固まった筋肉を伸ばす。
 その間に考えることは最後に思ったことだった。貞安の最後のヘアピンが放たれた時に、入るなと考えた自分。以前ならば、入ってくるのを待ち受けて叩き落そうと最初から決めていただろう。自分の考えの変化に自分でついて行けていない。理由に関しては頭の片隅に引っかかるものがあったが、言語化はできなかった。

「真比呂君! 早く戻ってきて!」

 亜里菜の声に我に返った真比呂は駆け足でコートの外に出る。既に貞安はラケットバッグを持って移動して真比呂の側へと入ろうとしていた。すれ違いざまに一瞥すると鋭い目で真比呂を睨みつけている。だが、不思議と怒りや妬みというような感情は伝わってこなかった。

(ならなんだ? って言われても俺には分からないけどな)

 真比呂は見返すことも何かを告げることもなくラケットバッグを持って相手側のエンドに向かおうとした。そこに背後から声がかかる。

「真比呂君。体調、悪い?」
「んあ? なんでだ?」

 不安げな声に真比呂も思わず振り返る。立っていた亜里菜は声の通りに真比呂に向けて弱々しい視線を向けていた。自分の考えていることが正しいかも分からず、しかし相談しようにも隼人や賢斗、純に理貴は試合のダメージで疲労回復中。礼緒はもう一つのコートで試合。事実上、動けるのは亜里菜だけだ。

「何か、真比呂君の様子がいつもと違うなって。体、おかしくしてない? 足とか腕とか」
「……ま、今のところ大丈夫だな」

 真比呂は利き腕を肩から回し、足首を一つずつ回す。その時、ピリッとした痛みが左ふくらはぎに走った気がしたが、アキレス腱を伸ばしたり膝に手を置いて屈伸運動をしてから、再び亜里菜に向けて笑いかける。

「正直、体は結構きついけどな。俺は体力だけが取り柄だから」
「でも……」
「大丈夫。さすがにまずいって思ったら自分から引くよ」

 ファーストゲームとセカンドゲームの間は一分しかインターバルはない。真比呂は早足で相手側にラケットバッグを置いて、コートに入った。まだ心配顔で見ている亜里菜に見せつけるように、その場で何度か高く跳躍した後で置いてあったシャトルを手に取った。

(大丈夫。まだ動ける……俺で決める。決めてみせる)

 心の奥から噴き出してくる炎。その熱さに真比呂も闘志が全身に漲っていく。自分を突き動かす思いは一体何なのか。勝ちたいという思いにプラスして、何かが背中を押す。その「何か」を真比呂は知らない。

「セカンドゲーム、ラブオールプレイ!」
『お願いします!』

 挨拶と同時にレシーブとサーブ体勢を取る両者。何が自分を奮い立たせるなど頭から消して、真比呂はラケットを思い切り振り上げた。

「一本!」

 シャトルが高く飛んでいき、貞安をコート奥まで追いやる。軽やかなステップで追いついた貞安はストレートのドロップを打ち、真比呂は難なく追いついてクロスにロブを上げた。コート中央に戻っていた貞安は足で体を弾くように飛ぶ。シャトルの真下に移動すると、今度はストレートのハイクリアで真比呂をコート右端へと追いやる。

「んなろお!」

 一声気合いを出してフットワークで移動。
 真下に追いついてから真比呂もストレートのハイクリアを飛ばした。
 相手にとってバックハンド側になるため、鋭いシャトルでは体勢が不利になる。今回もただのハイクリアよりは弾道を低くしてシャトルを放つ。貞安は表情を崩さないままにシャトルの斜め下に辿り着くと、同じストレートでもスマッシュを真比呂へと放ってきた。
 膝の下を抉ってくるシャトルにバックハンドで対抗したが、遠くに飛ばすことができずネット前へと向かう。貞安は真比呂の打つ方向を読んでいたように前方に飛び込んできて、シャトルをプッシュでコートへ叩き込んでいた。

「ポイント。ワンラブ(1対0)」
『ナイスショット!』

 真比呂のサイドにいる白泉学園高校の面々が貞安へ声援を送る。同時に真比呂への牽制になっていることは分かっていたが、気にしても始まらないと頭の中から追い出す。
 シャトルを拾い、羽を整えてから貞安へと打ち返してからレシーブ位置で体勢を整えながら真比呂は脳内で思い描く。

(貞安にファーストゲームと変わったところは……ないな。全く同じ気がする)

 真比呂の目から見て貞安に変化は見られない。だが、数度のシャトルのやり取りで徐々に真比呂は打ち辛さが大きくなっていた。おかしなショットをしているとは思っていない。貞安も特徴的なショットを打ってきているわけではない。基本に忠実で落下点に移動してきちんと打ち返してきているくらい。

(……ファーストゲームと同じ、か)

 真比呂は思考が一度まとまったところでラケットを掲げる。
 それを体勢が整った準備と判断して、貞安はロングサーブでシャトルを打ち上げる。移動して落下点に到達したところで、真比呂は飛び上がってジャンピングスマッシュを打ち放った。角度をつけて進んでいくシャトルの軌道を貞安は見極めて、ラケットを差し出して一瞬で振り切る。クロスに飛んだシャトルに向かって真比呂はバックハンドでラケットを伸ばし、届かせた。ただラケットヘッドが当たっただけのシャトルはふら付きながらもネット前へと落ちていった。

(まだ、流れはこっちにある!)

 真比呂は体内にあるギアを一つ上げる。自分の中にあるリミッターを外して全力で動けるように。
 前に足を踏み出してネット前へと到達すると、既にヘアピンによって打ち返されていたシャトルが入ってくる。

(今度は! 俺が入れる!)

 ファーストゲーム終わりの神頼みを否定して、自分のラケットを差し出してシャトルコックをこする。擦れたのは偶然で、シャトルが回転して白帯に当たり、そのまま貞安のコートへとネット伝いに入ったのも偶然。
 それでも、見事なスピンヘアピンには間違いなく。

「ポイント。ワンオール(1対1)」
「しゃあ!」

 真比呂は迸る気合いを全力で放出していた。
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