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● SkyDrive! --- 第百十二話 ●

 シャトルが白帯に当たり、跳ね上がってコートに入ってきたのを見ながら純はあえて後方へと下がった。代わりに横から飛び込んでくるのは理貴。体を斜めにしながらもラケットを振りかぶって相手も意図せず浮かんだシャトルにタイミングを合わせてから振り切る。
 死に球となったシャトルは理貴の力によって自分がやってきた側へと叩き込まれ、中空では触れられないままコートへと着弾していた。

「ポイント! ナインティーンセブンティーン(19対17)」
「おぉおおおおお!」

 理貴が着地したと同時に純は吼える。
 シャトルが跳ね上がったのも、純のドライブを弾き返そうとした岸のドライブの弾道がわずかに下がったからだ。自分の力でねじ伏せた末にチャンス球を上げさせて、理貴が叩き込む。理想の流れを引き寄せている現実に、純は顔を上げようとして俯いたままだった。

(くぅ……もうごまかせないな)

 大量の汗が床に落ちる。既に心臓から右腕までが痛くなり、体力が尽きかけている。この試合に全てを置いていこうと全力を出してきた結果、最後の最後でガス欠に陥る。
 逆を言えばそこまでしても試合が終わっていないことだ。
 二度目の対決を前に、金子と岸というダブルスペアの底力が以前と比べ物にならないくらい成長しているのは分かってはいた。しかし、過去の対戦で刻まれた感覚が最後まで付きまとう。

「大丈夫か? すみません。汗、落ちたんで拭かせてください」

 最初の言葉は自分へ。次以降は審判に言ったのだろう。
 理貴はすぐに純から離れ、少しして戻ると手にしたタオルで純の周りを拭いた。純も顔に浮かんだ汗を自分の掌で何度も拭ってからハーフパンツに擦り付ける。
 ユニフォームからハーフパンツまで汗を吸って、もう何キロも増量しているかのように感じる。実際には純の体力が限界で立っているのも苦しいからかもしれない。

「だいじょうぶ。に決まってるだろ」

 純はゆっくりと上半身を上げて、腰に手を当てて胸を反らす。
 理貴の肩口を抜けた先には、金子と岸がまだ闘志を剥き出しにして睨みつけてくる。叩きつけられる闘志が心地よく、純は頬をほころばせながら目を閉じて息を吸った。

(気持ちいい……これだけ汗かいて、苦しいのに。勝ちたい)

 自分を待っていてくれた友のために。
 自分を信じてくれた仲間のために。
 純は返されたシャトルを手に取ってサーブ体勢を整える。呼吸を続けても痛みは引かず、ラケットを持っていることも辛い。でも、今の純にはシャトルもラケットも落とすという選択肢はない。

「一本」

 大きな声を出せば肺が痛むためにもう出せなかった。静かに呟いて、白帯から浮かないことだけを気を付けてサーブを放つ。しかし、意識しすぎたためかシャトルは白帯に当たって純たちの側へと落ちていった。

「ポイント。エイティーンナインティーン(18対19)」
「ラッキー! ラッキー!」

 レシーバーだった金子が駆け寄ってシャトルを拾う後ろで、岸が心底嬉しそうに叫ぶ。相手のミスに対して煽る、というわけではなかったが、何もしなくても点が入ることに対して感情を抑える余裕がなくなっているように見えて、純はほっと息を吐いた。

(俺だけじゃ、ないか。限界なのは)

 岸に対してラケットを軽くぶつけて制する金子もそうだが、足取りは不安定だ。決勝戦のファイナルゲーム。これまで団体戦で一回戦からシード校も破って勝ち進んできた中で、フル出場をしているに違いない。試合の合間や一晩休んでいるとはいえ、肉体に蓄積した疲労は確実に爪痕を残している。
 一番体力が余っていたであろう純が限界に腕が震えているのだから、この場にいる者は精神力で動いているようなものだ。

「一本だ!」

 岸がサーブ位置に立ってシャトルを構える。対するのは理貴。
 一言、純にドンマイ、と告げただけでレシーブ位置に立ったために純からは表情は読み取れなかった。

(理貴の踏み出しも、ここ何点かは鈍ってる。無理せずロブを上げるか?)

 ファイナルゲームが進んでいく中、動きのキレを強引に増していくのと反比例して運動量が落ちていったのは理貴だった。これまではスマッシュを撃てたはずのシャトルをロブで返し、反応できたはずのシャトルを後逸する。全て純がカバーして得点に結びつけていたが、三人と一人、というように溝が生まれていた。

(仕方がない。理貴もこれまで不甲斐ない俺や、鈴風のカバーをしてきたんだ。俺が、絶対カバーする)

 純は試合中に何度もしてきたように、腰を落としてから自分に気合いを入れるために吼えた。

「ストップ!」

 肺が痛むという理由で怖気づいている余裕はない。少しでも弱気になれば、点は自分から逃げていき、相手に入るのだと今のサーブで覚悟を決めると倒れるまでラケットを振ることを決める。

「一本! これでまずは同点だ!」

 純に対抗するように声を荒げた岸は、直後に繊細なショートサーブを放っていた。上半身の力を適度に抜いて、ラケットを振る軌道とシャトルを離すタイミングをほぼ完璧に合わせてネット前へと運ぶ。後方から見ていた純も、シャトルは間違いなく自分たちのコートへと入ってくると瞬時に悟った。その軌道は白帯を越えてサーブライン上にシャトルを落とす。プッシュで返すには難易度が高く、素直にロブを上げるしかない。
 終盤にきて運か実力か、岸は理想的なサーブを放ってきた。
 そのシャトルが金子の前に叩き落とされたのを、その場にいた誰もがすぐに気付くことができなかった。

「……あ」

 試合中の四人以外で初めに気付いたのは、外から見ていた審判だった。口から出た声を飲み込んで、咳払いをしてからすぐに宣言する。

「ポイント。トゥエンティマッチポイントエイティーン(20対18)」
「……え?」

 岸は前に出ようとして右足を踏み込んだ体勢で止まっていた。自分の足元に転がるシャトルの存在を信じられずに固まっている。だが数度の呼吸で我に返ると共にかがんでシャトルを取り上げた。

「なか……じまぁ……」

 岸は悔しそうに顔を歪め、シャトルを相手へと放る。
 自分の、理想的なサーブで送り込まれたシャトルを完璧に叩き落した相手に。

「……ふぅ。上手くいったな」

 そう言って理貴は岸から視線を外して純の方を向く。やり取りを見ていた純は理解が追いつかずに呆然としながら疑問を口にしていた。

「理貴。お前、体力限界だったんじゃ」
「ああ。勝負所がここだろって思って、少し抑えてた」

 平然と告げる理貴はそのままサーブ体勢を取ろうとする。気持ちが追いつかずにまだ立ったままの純に気付いた理貴は、顔を拭くようにタイムを取り、一度コートの外へと歩いて行った。後姿は多少ふら付いているが、先ほどまでの不安定な気配はない。純には詳しいことは見えてなかったがシャトルを叩き落としたのは間違いなく理貴であり、まだ体力も気力も十分に見えた。
 汗を拭いて戻ってきた理貴の邪魔にならないように、純は一歩下がって言った。

「温存してたってことか」
「代わりに純が頑張ってくれたろ? だから、俺は『最後の二点』を取るために少しだけ休めたんだよ」

 理貴はサーブ体勢を取って相手が構えるのを待つ。純も更に数歩後方へと下がって腰を落とすと理貴の気迫が膨れ上がっていくように感じ取った。それは金子や岸も感じているようで、表情がひきつっていく。

(セカンドゲームが終わってから考えてたのか……? いや、それは試合が終わった後で聞けばいい!)

 純は深呼吸して体内にできる限り新鮮な空気を取り込むと、コート全体に意識を張り巡らせるようなイメージで集中する。

「一本」

 理貴の言葉と同時に放たれるサーブ。その軌道を、純は伝えられなくても理解して行動を起こしていた。鋭く空を斬り裂いて飛んだシャトルは岸の頭上を越えて飛んで行った。サーブを打つ前にフェイントをかけていたために、岸もショートサーブが来ると予測していたのか、反応がワンテンポ遅れた。後方へ移動したまま飛び上がったことでラケットが辛うじて届き、苦し紛れのハイクリアが飛ぶ。
 その軌道の先には純が既に身構えていた。

(……狙い通り!)

 理貴の鋭いロングサーブには、岸もハイクリアを飛ばすしかないと純は読んでいた。しかも、クロスなど打ち分ける余裕はなく、ストレートに打つだけ。完璧に弾道を当てた純は落下点に入ってラケットを振り上げる。自分たちの失態に気付いた金子と岸は両足をしっかりと落としてシャトルに備えている。コートに根を張っているかのような足を見れば、ドロップを打ってタイミングを外したくなるが、純は打つショットに迷いはない。

(狙うのは一点。ここだ!)

 純は自分でもこれまでで一番ラケットが振れた、と自信があるスイングでラケットを振り切っていた。肩が抜けそうになるほどスムーズなスイングは一瞬前まで胸から肩が痛かったとは思えない。シャトルにラケット面が当たった時も抵抗はなく軽い衝撃が腕から伝わったくらいでシャトルが突き進んでいった。
 シャトルが向かったのは岸の右側。純から見ればコートのサイドラインギリギリ。これまで以上の速さで岸の傍に到達したシャトルは、コートに着弾する前に捉えられたが純の元へと跳ね返ってはこなかった。

(最後は……体力使ってくれ)

 ラケットを振り切った瞬間に純は勝利を確信していた。
 まだ試合中であり、油断はすべきではない。しかし、今の純にあるのは油断ではなく、確信だったのだ。
 脳裏に浮かんだ勝利へのシャトルの軌跡。
 シャトルが岸の右側――ダブルスの外側ラインへと落ちていく。ライン上でありアウトではなく、岸ならば見極めて撃ち返してくるに違いないと純は確信する。シャトルは純の理想を詰め込んで打ちこまれ、十分な威力と速度を持っているために打ち返すタイミングもほんのわずかにずれて、岸のシャトルはコートの中央。ネット前衛へと低い弾道で打ち返される。
 そこにあったのは、理貴のラケットだった。

(美味しいところ。迷惑かけたお詫びに――)

 思い浮かべたシャトルの軌跡は、理貴のプッシュで相手コートに叩きつけられたことで終わりを告げた。

「……ポイント。トゥエンティワンエイティーン(21対18)。マッチウォンバイ、外山・中島。栄水第一」

 審判の声に純はほっとして、その場に崩れ落ちた。膝を付いて、前に倒れそうになるのを支えたのは別の手。ネット前にいたはずなのに、いつの間にか純の傍に理貴は駆け寄っていた。腕を体の前に回されて持ち上げられる。純が両足でしっかり立てることを確認してから理貴は離れた。

「サンキュ。正直、限界だった」
「ったく。俺のほうが試合で全力出してた時、多かったのにな」
「……すまん」

 
 理貴が一歩前に進み出る。純は理貴の背中を見ながらネットに近づいていくが、聞こえないように囁いた。

「……ありがとう」

 自分がこうして決勝で復活できたのも、理貴と仲間たちが全力を尽くしたからだった。最後に回されてきたチャンスに立ち向かって、ちゃんと掴むことができた。

「ありがとうございました」

 ネットの上から岸と金子と握手を交わす。二人とも悔しそうに顔を歪めていたが、すぐに緩めて笑顔になった。
 純に向けて岸が口を開く。

「また負けたか……準決勝までのお前なら勝てたんだけどな」
「なんとか復活できたよ」
「ほんとにな。俺らの時になって復活しやがって……これで二敗だが諦めてねぇからな」
「ああ。一番駄目だった俺が大丈夫になったんだから、他の奴らも油断しないさ」

 話に割り込んできた金子にも冷静に返した純は、立ち去ろうとする理貴について歩き出す。ふと前を見ると、理貴は困ったような表情をして純を見ていた。

「……どうした?」
「大分無理しただろ。鈴風と同じみたいだな」

 理貴が指差した先には俯いてタオルを被っている賢斗がいた。既に行われている真比呂の試合を見ずに、ひたすら体力を回復しているらしい。隣では隼人が真比呂の試合を目で追っていた。純からすれば隼人には万が一の場合に備えて休んでいてほしいと思う。

「お疲れ。これで王手だ」

 理貴と純を出迎えたのは礼緒と亜里菜だった。真比呂の試合を見ることに集中している隼人と、俯いている賢斗は純たちの試合が終わったことにさえ気づいていないかもしれない。

「状況は?」
「今はファーストゲームを19対16で井波が押してる。練習試合でやった相手だし、気負いはない……はずだけどな」

 礼緒の歯に何かが挟まったような言い方に純は首を傾げる。しかし、その説明を聞くよりも早く、審判は次の試合のために礼緒を呼んでいた。
 ダブルスは二連勝。更に続く第一シングルスも真比呂がリードしているため、順調にいくならばストレート勝ちの様相だ。しかし、その二勝もけして楽ではなく、むしろギリギリだったところで最後の一押しがたまたま栄水第一側だったというほどの危ない試合。その点は純も理貴も、そして礼緒も分かっているために油断はない。

「俺の試合が途中で終わるのを祈ってるよ」
「応援はこっちに任せて! 礼緒君」

 亜里菜の言葉に頷いて、礼緒は自分の戦場へと足を踏み出していく。
 団体戦の第二シングルス。礼緒の相手は、かつて練習試合ではさんざん礼緒を挑発してきた男だ。中学時代の礼緒の散々な成績を馬鹿にするようにして精神的に揺さぶりをかけてきたが、全く動じなかった礼緒は龍田を寄せ付けずに勝利を奪った。
 今回も同じような状況なら、純たちも心配することはない。

(でも。そんなことあるわけなかったか)

 礼緒とネットを挟んで向かいに立つのは、頭を坊主にした龍田だった。かつての髪を全て切って、先に出てきた藤井のよう。すっきりした頭を撫でながら前に進み出た龍田はネットの上から礼緒に固く握手を交わす。力強さに礼緒の表情が固くなり、対抗するように力を強めた。

「よろしく……」
「よろ、しく……」

 長く続く二人の握手を審判が無理矢理終わらせて、所定の位置に着いて試合の開始を告げる。
 栄水第一と白泉学園高校の第四戦。第二シングルスの試合。普通に考えれば、礼緒のことを疑いはしなかった。

(これまで一番活躍してきたのは、やっぱり小峰だもんな)

 打ち破ってきた相手を見るならば、礼緒は今大会の台風の目の、更に中心にいた。もし個人戦のシングルスにも出場していたなら更に注目度は増していただろう。シード校のシングルスを打ち破り、栄水第一が決勝に進んだことの原動力なのは間違いない。純が理解していることは当然周りもということなのか、体育館内にいる選手や雑誌の記者たちの視線が集まってくるのを感じた。
 主役は純、ではなくもちろん礼緒。コートで龍田と対峙する立ち姿に多くの視線が集中しているのは礼緒にも理解できたはずだが、平然とコートに立ってじゃんけんを交わす。

「サーブ」
「コートは変わらなくていいです」

 サーブ権を得たのは龍田。そしてコートは今いる側を選ぶ礼緒。
 二人の準備が整ったとき、ネットを越えて火花がぶつかり合ったかのように純は思った。

「純君は、どっちが勝つと思う?」

 隣に座った亜里菜が尋ねてきても、純は自分の考えを言うことができなかった。単純な予想をすればいいはずなのに、胸の内に広がる不安が止まらない。

「どうしたの?」

 尋ねられても何も言えないまま、純は礼緒へとシャトルが飛ばされるのを見ていた。
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