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● SkyDrive! --- 第百十一話 ●

 ネットの上から握手を交わした時、賢斗の掌に相手選手の熱さが伝わってきたように思えた。お互いに必死に動いて一つのシャトルを追った者同士。体温の熱さは同じくらいに高いはずで熱は高いところから低いところへと動いていく。
 そこまで考えたところで、賢斗は自分の誤りに気付く。
 熱は現実のものではなくてあくまでも自分の中のイメージ。
 団体戦の決勝という舞台で、互いに全力を尽くした。それだけでも満ち足りるのに、自分が勝ったということが嬉しい。

「ありがとうございました」

 賢斗は満面の笑みで向かいに立つ藤井へと告げた。その表情があまりにも喜びに満ちていたからか、藤井もつられて笑みを浮かべてしまう。負けたことでの悔しさも抜かれてしまったようだった。

「ったく。また負けた」
「そうそう。二連敗だな」

 握手を終えてから二人が話しかけてくる。賢斗にというよりも、隼人と賢斗に対して。
 最初に対戦した練習試合の時よりもお互いに強くなった。
 当時の自分たちのままならば確実に負けていただろう。
 成長を続けた結果、ほんのわずかだけ今回は自分たちが上回っただけだと賢斗は思う。その心を汲んだように、隼人は言った。

「今回は、な。できれば、次も負けたくない」
「次こそは勝つ……でも、今回はおめでとう」
「でも、団体戦は勝つぞ」

 藤井と沖浦の言葉に隼人の視線が隣のコートへと向く。賢斗もつられて目を向ければ、そこには純と理貴のダブルスが激しい打ち合いを繰り広げていた。ドライブの応酬は徐々に速度を上げて、外から見ていても目で追いきれない。ラケットを振っている者同士がシャトルを打つ度に前衛へとにじり寄っていることから、カウンターの速度が上がっていた。
 やがて甲高い音を立ててシャトルが宙を舞い、コートに落ちる。審判のコールの前に両チームの明暗が分かれていた。

「ポイント。ナインティーンエイティーン(19対18)」
「しゃあ!」
「ナイスドライブ!」

 ドライブを押し切った岸の背中を叩いて誉める金子。勝利まで一歩リードしたことの喜びようは尋常ではない。まさかと思い、賢斗は得点版を見る。
 現在は第二ゲーム。そして、第一ゲームの勝者を示す印は、白泉学園高校の岸・金子組の側へと立っていた。

 ◇ ◆ ◇

(……高羽たちは試合、終わったのか)

 純は隼人たちから視線を外し、深く息を吐いてから天井を見上げた。
 降り注ぐ照明は眩しく瞼を一度閉じ、また前方へと戻して開く。勝利まで一歩リードして喜ぶのも純には理解できる。
 第一ゲームを21対18という僅差で取ったのは相手側。このゲームも取れば勝利が確定する。既にダブルスは栄水第一が取ったというのが分かったことも、喜びを大きくしただろう。

(情けないな。チームのために今度こそ、勝つって言ってたのに)

 これまでの不甲斐ない自分を捨てて臨んだ決勝戦は、気合いだけで勝てる場所ではなかった。試合に全力で立ち向かうことで栄水第一のメンバーも、白泉学園高校の選手たちもレベルアップしている。だが、自分だけは変わっていないし調子も上がっていないと、純は後悔せざるを得なかった。
 あと二点取れば勝つということで、金子も岸も気合いが漲っている。一ゲーム目が接戦だったにもかかわらず、二ゲーム目の終盤でも体力は有り余っているように純には見えた。これまでも栄水第一と同様にシード校を倒してきて、けして体力も満タンというわけではないだろう。しかし、精神力が体力を上回っている。

「純。大丈夫か?」

 背後から話しかけてきた理貴にも合わせる顔がないと、純は顔を逸らそうとする。だが、頭を掴まれて無理矢理顔を理貴へと向けさせられてしまった。

「大丈夫かって聞いてるだろ?」
「……大丈夫」
「よし。ならまず追いつこう。一点取ろう」

 理貴は純の頭から手を離して、自分の顔に浮かぶ汗を掌で拭う。
 たっぷりと掬い取った雫をハーフパンツに擦り付ける姿は一ゲームからこれまで。もっと言えば、一日目からずっと闘ってきたことで流した汗だ。もっと自分がしっかりしていれば、体力の消耗も抑えられたに違いない。

「っしゃあ! ラスト二本行くぞ!」

 金子が吼えて純に向けてサーブ体勢を取る。相手の気合いを少しでも受け流そうと深呼吸をして、タイミングを外すように何度も足裏をコートへと押しつけてからレシーブ体勢を取る。そんな小手先のことは通用せずに、金子は丁寧にショートサーブを打ってきた。綺麗な軌道に前へと出ることができず、純はしっかりとロブを上げることだけ考えてラケットを振った。ネット前にいる金子がラケットを勢いよく振り回したが、シャトルはインターセプトされることなく相手コート奥へと飛んで行った。
 追っていった岸は、練習試合の時とは変わってソフトモヒカンになっていた。
 頭部中央を走る毛を風に揺らしながらシャトルに追いつく。得意分野は前衛だったが後衛からの攻撃も十分武器になり、飛び上がってシャトルをストレートに打ちこんできた。

「このっ!」

 左側、ダブルスのラインギリギリを狙って飛んできたシャトルをバックハンドで打ち返す。ドライブでカウンターを狙いたかったが、金子がいつでもインターセプトするという気合いを発していたためロブで返すしかない。自分のところへと飛んできたシャトルを岸は同様にスマッシュを打ち放って、純へと攻撃を集中させていく。

(俺のほうが調子悪いって分かってて……やってるか……)

 弱点のほうを一極集中するのは常套手段。純はひたすら打ち返すことで耐えようとするが、スマッシュの勢いが増していき、わずかずつではあるが返していくシャトルの弾道が低くなっていった。前衛コート中央にしゃがんでいる金子が目を光らせて、いつでもインターセプトするという気合いを放つ。肌でカウントダウンを感じていた純はどうすることもできない悔しさに歯を食いしばった。

(くそ……これで、二十点目か……)

 取られたならば崖っぷち。純の心は確実に暗闇に侵食されていく。
 気力が萎えていけばシャトルの軌道にも影響し、遂に金子の射程距離に入る。
 その時、理貴が吼えた。

「逃げるな! 金子に叩きこめ!」

 理貴の言葉に純は背中を押されるように足が前に出ていた。これまで受け身でシャトルを打ち上げていた場所から一歩踏み込むことで、ラケットはシャトルをわずかに手前で打ち抜く。下から上ではなく、平行に打ちこむことでシャトルはネットギリギリの軌道に放たれていた。
 シャトルは白帯に当たってネット前に舞う。純は反射的に後悔したが、勢いに押されて金子の方へと落ちていった。ネットギリギリを落ちていくシャトルに金子は触ることは出来ず、得点が入った。

「ポイント。ナインティーンオール(19対19)」

 起死回生の一撃を打った純は自分のことなのに信じられず、ラケットを振り切った体勢でしばらく固まった後でゆっくりと下ろしてシャトルを拾った。

「ナイスドライブ。純」
「理貴……」

 振り向いた先にあったのは理貴の笑顔だった。掲げられた左掌に対して、純は自然と同じ手を上げて振る。乾いた音は小気味よく、純の顔にも笑顔が広がっていった。

(久しぶりだな……こんなに清々しいの)

 シャトルを持ってサーブ位置に立つ純。斜め前にいる金子は、ヘアピンしそこねた少し前の攻防を思い出しているのか険しい顔をしていた。決めればほぼ勝利を確実にできたのに、同点に追いつかれたことに対して詰めが甘いと思っているのかもしれない。
 相手の思考を追っているうちに純は、自分の頭の中がすっきりしてくるように思えた。金子だけではなく岸の顔も、ついさっきまでと異なりはっきりと感情の揺れ動きが見える。
 これまでの薄暗さが嘘のように純の世界は一気に広がった。

「純。お前のドライブを信じろよ」
「……ああ」

 背後を振り向くことなく、純はシャトルを持ってサーブ体勢を取る。深呼吸を何度も繰り返すと肩から力が抜けて、理想的な状態に近づく。長らく忘れていたのは、絶好調時の感覚。

「一本!」
「おう!」

 シャトルを打ち出すときの、手から離すタイミング。ラケットで打つタイミング。どちらもこれ以上ない手ごたえを感じて、純は前衛に進み出ていた。シャトルが白帯を越えるとすぐに金子はプッシュをしてくるが、強打を放つことはできずにふわりとした軌道で純のサイドを抜く。威力がないシャトルは理貴の防御範囲に入り、しっかりとロブを上げた。

「純!」
「理貴!」

 同時に声をかけあって前後を入れ替える。急加速で移動した体をしっかりと足を踏ん張って止めて、腰を落としてスマッシュを待ち受ける。背後に回ったのは岸で、スマッシュをストレートに打ちこんできた。

「はっ!」

 ネット前を越えてきたシャトルは純よりも先に理貴が触れる。
 横に高速移動してラケットを下から上に振り上げると、ラケット面がシャトルコックにすれてスピン回転が加わる。打ちこまれてくるシャトルをタイミングぴったりに擦り上げたことで、敵味方そろって驚愕に顔を歪めた。
 シャトルは驚愕の余波で、誰にも邪魔されることなくネット前に落ちていった。

「ポイント。トゥエンティナインティーン(20対19)。ゲームポイント!」

 純は審判の声にも熱がこもったような気がしていた。無論、審判がどちらかを贔屓することはなく、ポイントに湧き立つ中で声を届かせるために大きくしただけだろうが、そう聞こえたということは純の中で意識が変わったことを悟らせる。
 自分のテンションに従って、都合のいいように聞こえる。純は頬が緩ませながら振り返る理貴に向けて、自分の左手を掲げる。その手に迷いなく理貴はハイタッチを交わした。

「ナイスヘアピン」
「お前の気合いに乗せられたな」

 理貴の名前を呼んだ時の声に含まれた気迫。自分でも気を張ることもなく、自然に出ていた声は純の体に力を漲らせる。シャトルを既に拾っていた理貴は純に手渡して、軽く胸元を拳で突く。

「ラスト一点。これで決めてファイナル行こう」
「おう」

 純の言葉に逡巡はなかった。サーブを失敗して得点される可能性も、ラリーの末に相手にポイントを奪われる可能性も、頭の中から消えている。
 あるのは自分たちが相手のコートにシャトルを落としてセカンドゲームを奪取するビジョンだけ。純は前に出るとサーブ位置に立って身構える。セカンドゲーム最後のレシーバーにはならないという気迫が斜め向かいの岸から伝わってきて、純は体を震わせる。
 恐れているのではなく、気合いにあてられたため。ひりつくような熱気が心地よく、笑みを止めようと口を閉じた。

(楽しい……こんな試合ができるのは、やっぱり……嬉しい。でも)

 純は緩んでいた顔を引き締めて、深く息を吸い込み、吐いた。息を吐ききると肺が最低限必要な酸素だけを口内へ取り込んでいき、熱に浮かされていた脳も適度に冷える。
 目の前の相手と隣にいる相棒。背後にいるパートナーと、コートの外にいる仲間たち。
 ここ最近ではシャトルを打つ側の相手しか見えていなかったが、今の純にはコートを取り囲む敵も味方も、全員の存在を認識していた。そうやって全員を感じることで、試合の中で相手に打ち勝とうとする気持ちの下に、一つの確かな思いがあることを理解する。

(俺のためだけじゃない。理貴や、みんなのために勝ちたい)

 一本、と静かに告げた純はラケットを軽く振っていた。シャトルが柔らかい軌道を取って白帯を越え、相手コートへと向かっていく。レシーバーの岸は前に踏み込んでラケットを伸ばし、プッシュを叩き込もうとした。だが、純のサーブは一つ前の金子に打ったのと同じようにきわどい軌道を描いていて、強烈なプッシュはラケットをネットにぶつけることと同義。岸は諦めるしかなく顔を歪めながら軽くプッシュをストレートに放ち、直後に純のラケットが射線上に入ったのを見ていた。

「おぁああああああああ!」

 ストレートに打つと読んでいた上で、ラケットを差し出すタイミングを遅らせる。
 早ければ気付かれて軌道を変えられるかもしれない。
 遅ければシャトルがコートから飛び出してしまうかもしれない。
 二つのリスクを知った上で、純は失敗の恐怖を踏み潰して前に出た。ラケットはシャトルを捉えて、ゆっくりと岸の真上を通過していった。
 目の前にいた岸の顔が驚愕に染まり、自分の背後へと落ちていくシャトルを見送るしかできない悔しさに歯を食いしばる様を見て、純は勝利を確信する。岸の背後に隠れたシャトルは、もうすぐコートに落ちて純たちのポイントになる。
 その時、純は背筋に悪寒が走って咄嗟に右に飛んでいた。
 サイドステップとも呼べない無駄な動きでコート中央に向かうと、岸の背後の光景がよく見えた。

(金子――!)

 ラケットを差し出して岸の上をシャトルが抜いた時から、純は周りがスローモーションに見えていた。意識を集中したことによって起こる現象なのか、純の動きも鈍いまま、意識だけが加速していく。
 認識できたのは、岸の後ろに落ちそうになっていたシャトルに追いついた金子がラケットを振ったところだった。ギリギリ追いついたにも拘わらず、岸にぶつからないようにクロスへと打つこと。そして、ロブではなくヘアピンで純たちの予想を超えてくるあたり、金子の執念に純は戦慄する。
 その執念があったからこそ、純は感じ取れたのかもしれない。

(岸だけじゃない。金子も、倒すべき、相手)

 シャトルが飛ぶ方向へと完全に反応して、純はラケットを振り上げる。シャトルが白帯を越えた瞬間に、かすかな腕の振りによってシャトルは今度こそ金子と岸のコートへと叩き込まれていた。

「ポイント。トゥエンティワンナインティーン(21対19)。チェンジエンド」
「しゃあああああああああ!!」

 二十一点目の獲得と同時に告げられるエンドの交換。純はネットに触れないように離れてから拳を振り上げて吼えていた。真比呂並の叫びにコートの傍にいた全員が振り返り、唖然としている。その中で賢斗と隼人が先に我に返ってタオルを差し出しに駆け寄った。

「ナイスプレイ」
「やったなぁ。完全復活だ!」

 淡々と言いつつも笑顔を浮かべる隼人と、嬉しさを素直に表現する賢斗。自分のことのように喜ぶ賢斗を見ていると、純も嬉しくなって頭を下げた。

「ありがとう。みんな」
「……何、頭下げてるんだよ。これからファイナルだぜ。さっさと休むぞ」

 理貴は下がった純の頭を軽く叩いて、先にコートから出る。背中を見送る三人の内、隼人は純の傍に近づいて耳打ちした。

「ああ言ってるが、一番嬉しいのは。分かってるよな、外山」
「……もちろん。このチームも、理貴も俺が勝たせる」

 純はコートから出てインターバルへと入った。胸の内にあるのはチームと理貴への申し訳なさ。これまで不甲斐ない自分を信じて待っていてくれたチームへの恩返しをするために、自分はここに立っているのだと自分へと言い聞かせる。
 そして、改めて誓った。

(理貴に必ず勝利をやるよ。俺が、全部使い果たすまで動く)

 純は気付かなかったが、その思いは賢斗が持った思いと似ていた。
 体力が余っている自分がダブルスに全力を注いでパートナーを助けたいという思い。
 助けた先にある勝利を目指すために。

 純と理貴のダブルスは、ファイナルゲームへと突入していく。
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